第34話

 白い大蛇は、私達のほうを見ながら陸地にゆっくりと近付いてくる。


「こりゃあたいも、逃げきる自信がないよ」

「話を聞きましょ。それしか選択肢はなさそうよ」

 

 お姉様とゆり子さんは言葉を交わすと、白い蛇が近付いて来るのを待った。

 その蛇は海岸沿いで静止すると、鋭い瞳で、見下すようにこっちを睨んだ。


『汝ら、生きたいか? 生きたくば弥生を渡せ』


(え? わたし??)


 亮介さんと周さんは、私の前に立つと、強く言い放った。


「断る」

「僕も同感です」 

『神の使いが、神に逆らうのか?』


 お姉様とゆり子さんも、私の前に立ち並んだ。

 蛇と戦おうとする意志が、ひしひしと伝わってきた。


「なにが逆らうのか? だよ。あたい達を生かす理由なんざ、あんたにはないだろう。現世の世界には行かせないよ」

「それにね、弥生ちゃんを食べたあと、わたし達も喰らって力を得るつもりでしょ?」


 みんな和弓を構えて、武器を構えた。

 金髪の女の人も、私の前に立って和弓を構えてくれた。


「わ――わたくしも戦いますわぁ!」


 嬉しかった。その気持ちが、みんなの気持ちが。


『世の常を知らぬ者達よ。忘れたか? 汝らの力の源は―――』


 白い蛇は口を開け、咆哮した。光の霧のような大気がこの場を包み込む。そして暴風のようなつむじ風が吹き、鳥や馬が―――使い魔が霧状になって、その口の中に吸い込まれていく。

 苦しげな叫び声、金切り声。その風は身を切り裂くように痛い。みんなの身体から光が吸われるように、その蛇に吸収されていく。

 私が感じるのは痛い風だけ。持っていた和弓を、ギュッと握る事しか出来なかった。


「うわぁぁぁぁ――――」

「くううぅ――――」


(静香お姉様………ゆり子さん………)


「くそっ―――――」

「ぐうっあああああ―――」


(亮介さん………周さん…………)


「あああああぁぁぁ―――」


(金髪のお姉さんまで…………みんな……)


 風が吹く中、胸にいだいていた希望が失われていくようで。なにも―――なにもできなくて。だから力いっぱい叫んだ。


「やめてよぉぉぉぉぉ!!」


 それでもやめてくれなくて……風が吹きやむと、みんなその場にバタバタと倒れ込んだ。生気を吸われたように、活力を吸われたように、糸の切れた人形のように。

 みんなが持っていた和弓は消え、右手の弽も消え、袴も黒くなる。射手守さんの装束や、刀や太刀でさえ。

 蛇は口を閉じると、目付きが細くなって私を睨んだ。


『キサマに運命を選ばせてやろう。我に喰われる絶望か、神の力を失いし者と戦う希望か。好きなように選ぶがいい』


 そういって白い背を向けると、白い蛇は7匹が待つ場所へと戻っていく。そんな運命しか選べないなんて―――ひどいよ……。

 それでも私は、震える足を踏み出した。同時に袴の裾がつかまれて、え? 

 振り返り足元を見た。そこには地面に這いつくばったまま、私の黒い袴の裾をつかむ金髪のお姉さん。


「た……戦いなさい。乙女が散る時は、優雅でなければ……なりませんのよ?」

「…………はい」


 ありがとう、金髪のお姉さん。でも、もう決めてるから。わたしの気持ちは、決めてあるんです。

 一歩、二歩と―――進んでいく。神社の敷地外で立ち止まると、背中に背負っていた矢筒から矢を取り出し、弓につがえた。

 白い蛇を見つめて。遠いはずなのに、その蛇の声がハッキリと聞こえた。


『愚かな奴だ』


 白い蛇の周りに黒い蛇が集まった。そして薄暗い空を見上げ、8匹の大蛇は咆哮した。

 鳴き声咆哮――――――――耳が――――痛い。

 激しい轟音が響き、大蛇の周囲には光の柱が立ち昇る。それは薄暗い雲を突き抜ける。柱に吸い寄せられるように飛んでくる、白い言霊のような灯り。無数に飛び交うその灯りは、光る柱へと集まり、蛇達は喰らうようにモシャモシャと飲み込んでいく。


 白――黒――白――。灯りは山を飛び越え、海を渡り、流星のように飛んできて、蛇に吸収されていく。まるでなにかを蓄えるかのようだった。

 そして柱は膨れ上がり、その光は肥大し、8匹の蛇を包み込み、ひとつの塊となる。……繭だ。

 輝きが維持されたまま、まるで大きな繭のような形へと変化。そこから1本、2本と――。殻を突き破るかのように、蛇行した大きなうねりが現れる。

 呆然とその光景を眺めていると、後ろからみんなの声が聞こえた。私の左には、黒い弓道着のゆり子さん達が立ち並ぶ。


「やっぱりあの時の神ね、間違いないと思うわ」

「こりゃ驚いたよ。やっぱり2年前と……同じかい」

「よくわかりませんわ……」


私の右には、黒い袴姿の亮介さん達が並んだ。


「フン。手刀でやれる」

「無茶ですよ。せめて木の棒でしょ」


 うねりが増える。6―――7―――8。やがて繭が、ガラスの破片が飛散するかのように解き放たれ、その姿があらわれた。黒い蛇の頭が7本。白い蛇の頭が1本。


八俣大蛇やまたのおろち】異形を使役する、大神。


 それぞれ蛇の体の大きさは変わってないのに、とてつもなく大きくなったかのように思えた。


『神社の結界を封じた。キサマらが逃げる場所はない』


「2年前もそうだったねぇ。あたい達の逃げ場も封じられて、他の神の身動きも封じてなぁ」

「そうよね、よく生きてたと思うわ。でも……あの時助けてくれた、太陽神様はもう……」

「この蛇が? 2年前もですの??」


 2年前の事件……それがキッカケで、私は大切な人達を失った。太陽の神様も……だからこんな暗い世界になったんだ。


「フン。まさか射手守の力までが吸い取られるとはな。やはりあいつは大神か」

「間違いないでしょうね。2年前の出来事、その元凶」


【オオクニヌシ】中間世界を統治する、大神。


(矢を射っても無駄かもしれない……でも戦うんだ。そうですよね?)


 私は弓を左斜めに構え、弦に右手を添えた。

 そのまま弓構え――――両手を持ち上げ打起し。


『諦めの悪い娘だな。なぜこやつが器なのか、理解出来ぬ』


 化け物が巨体をうねらせ、こっちに近付いてきた。

 津波のように波打つ海。でも、負けない。


 引き分け―――会へと入る。狙う的が大きくて中てやすい、そう思って―――なのに狙いが震えてる。


『貴様に絶望を与え、最後に喰らってやろう』


 狙って―――――狙え、狙え―――。

 震えて、両手が震えて―――――。

 その時、私の両肩に3つの手が添えられた。


「手の内を絞るんだよ。親指の付け根を意識して、的に向かって押せぇ!」

「肘を支点に、親指を力いっぱい矢筋に引っ張るの、離れの方向は残心をイメージしてね」

「じゃあわたくしも―――狙いはもうちょい下でもいいですわ!」


(え? みんな―――――みんなが)


「慌てるな、引きつけろ。弥生の射なら、まず外さんだろう」

「じゃあ僕は、当たったらかけ声を出しますよ!」


(みんな……うん―――やってみる)


 胸の奥が、突然熱くなった。


 (こんな状況だからって……私は射手だ。みんなと戦うんだ!)


 射抜こうとする気持ち。この1本を、的に詰めます。

 振れる狙いが収まっていく、弓が軽くなっていくような感覚。

 でも集中して―――よーく狙って。


(真ん中から……身体の芯から―――この一本を大切に引くんだ)


 肌に触れる冷たい風が消えて、視えてきたもの。

 恐怖が消えて、感じるあたたかいもの。

 震えなんて、嘘のように消えていく。

 みんなの想いを―――この一射に!!


(この感覚、28メートル――――大丈夫)

 

 矢摺籐やずりとうの先に見えているもの。白い蛇。


「しゃあ!!」


 私は反射的に叫んだ、離れ―――カシュン―――高らかな弦音が鳴る。

 飛んでいく矢は真っ直ぐで、迷いのない一射だった。

 最初で最後の、私の射手としての仕事だから。視線を動かすと、横に並んでいたみんながニコニコと笑っていてくれて。

 

「ありがとう。私、弓道を学べて良かったです!」 


 私は和弓を降ろして、神様に向かって飛んでいく矢の軌跡に目を凝らした。


 突然、飛んでいく矢が、チカッと光った。

 え、光った? 矢の先が――――え?

 どこからか突然、小さな白い葉が吹雪いた。


『よくぞ言ったの。コレでお主は見習いから、射手へと昇格じゃ』


「この声―――白いキツネの神さま!?」


 矢の先が輝くと、純白の光を放った。

 それは雪が舞うかのような軌跡を描いて。

 矢尻が―――空間が破裂するような眩しい閃光。

 おもわず、一瞬目を閉じた―――。

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