第11話

 弓の稽古を初めて、一ヶ月くらい経ちました。

 早朝に吹く風に若干の肌寒さを感じる、5月の中旬。

 今日はやんわり曇り空、時々さしこむ陽射しが、心地よかった。


 時々ゆり子さんや紗雪さんは中間世界に行ってるんだけど、私は毎回留守番。それも当然、私はまだ見習いだし、まだあんな魔獣みたいな生き物と戦う勇気も実力もないから。だから内心ホッとする気持ちもあったんだ。


 1人で練習するのはちょっと寂しいけど、それでも弓を引く毎日に楽しさを感じていた。

 亮介さんは神社に残っているけど、私の稽古を見ることはなかった。時々射場から見える回廊を通る際、立ち止まって眺めるくらい。


 そして私は弓道場の射場にいて、その中央部分に立ってます。芝生上、矢道には一箇所だけ畳が立ててあって、ここから畳までの距離は20メートル。ずばり私専用にアレンジされた稽古用の立ち位置。

 雨の日でも練習できるから、快適なんだ!


 それに数日前、ゆり子さんと紗雪さんは中間世界に行ったから、弓道場は貸し切り状態です。

 使う道具に変化はなくて、そこは相変わらずなんだけどね。

 右手にはかけの代わりに、押し手ガケにゴム板をくっつけている親指くん。私はそう呼んでる。服装は相変わらず上下とも青いジャージ。早く袴を着たいな〜。


「よし。もう一度射法八節にそって〜」


 射法八節しゃほうはっせつ。それは弓を引くための基本動作の手順なんだって。

 私の流派は斜面打起しゃめんうちおこし。正面打起しょうめんうちおこしの流派と手順は同じです。弓の構える形に違いはあるけど、基本動作は同じで、8動作あります。


 弦の張った和弓を左手に持ち。右手には親指くんを着けた状態で、矢立箱から矢を一本取り出す。そして畳に貼った的を狙うべく、その場所に立つ。

 

『いち、足踏あしぶみ』

 的の中心に対して直角に立ち、肩幅を目安に足を開き、両足のつま先を真っ直ぐに揃える。

 的の中心の延長線上につま先が揃っているか確認。


『に、胴造どうづくり』

 弓に矢をつがえ、左膝の上に弓の下部を乗せる。背筋を伸ばして、右手は腰に揃えて、重心の位置を調整。よし、オッケイ。


『さん、弓構ゆがまえ』

 まずは取懸とりかけ。弽をはめた右手の親指を弦に引っ掛けて、2本の指で挟みます。

 次に左手で弓を握るとき、手の内をつくって左手を軽く伸ばす。そこから顔だけ的に向けて、物見ものみ


『よん、打起うちおこし』

 弓を持つ手と、右手を同時に持ち上げ、体と矢を平行にする。


『ご、引分ひきわけ』

 弓を押しながら右手で弦を引っ張り、両手を徐々に降ろす。左右の力を均等にするイメージ。矢が目線の高さを通過した。


『ろく、かい

 降ろしてきた矢を右頰に添えて、そこから静止。的をじっくりと狙う。


『なな、はなれ』

 弓を的に押し込みつつ、右手を真っ直ぐに伸ばすイメージ。

 指をはじいて、弦から右手を離した。


『はち、残心ざんしん

 両手を真っ直ぐに伸ばしたまま、飛んでいった矢の場所を確認。

 

 パスッ———私の放った矢は、的に刺さった。

 ゆっくり弓を倒しつつ、両拳を腰に添える、執弓とりゆみの姿勢。


「やった! なんとか4本当たった!」


 丸い的、霞的かすみまとの大きさは直径三十六センチ。その中であっちこっちに刺さってるけど、なんとか4本連続して当てた。おお〜嬉しい!


 パチパチパチパチ。


 後ろから、拍手されたような音が聞こえて。振り向くと、そこには紫色の袴姿の人が両手を叩いていた、亮介さんだ。


「お、おつかれさまです!」

「ああ、おつかれさん。4本とも連続で当てたようだな。初めてなんだろ?」

「はい、初めてです」


 亮介さんの表情が、なんだか少しだけ笑ってくれたみたいで。はっとしたけど、それがとても嬉しかった。


「それは皆中かいちゅうだ。4本とも的に収めることをそう言う。厳密には違うが、まぁ皆中でいいだろう。俺はそう思う」

「かいちゅう…」


 亮介さんは足元に置いてあった、黒い風呂敷に包んだなにかを手に持つと、手渡してくれた。

 これは、なんだろう?


「道具を置いてから開けろ、そこには小娘の袴が入っている。着付けは教わっているだろう。袴の丈を調整する必要がある、さっさと着ろ」

「は、はいぃ!」


 急いで道具を置いて、親指くんを座って外して、私はその風呂敷をワクワクしながらあけた。


「わぁぁ―――ありがとうございます!!」

「フン……早くしろ、俺は忙しいんだ」

「い、今すぐ着てきます!」


 それは私にとって、誕生日プレゼントより嬉しくて。ずっと子供の頃から待ち望んでいたような、そんな気持ちで。

 そのくらい待ち焦がれていたから。ずっとこれを着たかったから。

 揖をしたあと、射場から外にでても、もうドキドキがとまりません!!

 

 ギュッと風呂敷を抱きしめて、急いで隣にある建物へと向かった。ドタバタと玄関から入るなり、その畳の上に全部広げた。


「やった弓道着だ! 袴だ! 足袋もあるし〜帯もある!!」


 乱雑にジャージを脱ぎ捨てて、薄いシャツだけの姿になり、袴姿へと着替えていく。


 白い弓道衣を羽織り、肌で着心地を感じて。ほのかに匂う石鹸の香りに笑みがこぼれて。顔がニヤついているのがわかるくらい、嬉しくて。

 立ったままソックスを脱いだら、ジャージの上にポイっ。足袋たびの履き心地はぐっと!

 そこからグルグルと腰に黒い帯を巻いていく。

 

「まだちょっと帯の締めがあまいかな〜。でも袴もきちゃお!」


 黒い袴を手にとると、表と裏を確認してみる。裏側には赤い刺繍でこう書いてある『朝倉 弥生』 って。


 まるでお祝いの衣装が届いたような気持ち。

 それはドレスみたいで、なんだか特別な贈り物みたいで。


「早く鏡でみたいな〜」

「おい小娘、スニーカーの代わりにこれを履け。玄関に置いておく」


 亮介さんの声だけが聞こえて、その声に誘われたように玄関へとむかいます。 

 そこには白い草履が置いてあった。さっそく履きます!


「おお〜うはぁ!! かっこいい〜!」


 玄関を飛び出ると、そこには木材にもたれかかって腕を組んだ亮介さん。面白おかしく笑うと、こういった。


「ははは、汚い着付けだな。射場に鏡がある、まずは見てこい」

「そ、そんなに可笑しいですか?」

「どうだろうな。いいから早く見てこい」


 その言葉のあと、亮介さんは回廊へと向かった。その後ろ姿を見届ける前に、射場へとむかう。

 慌てると、コケちゃうかもって。そんな事を思いながら。ゆっくりと道場の玄関をくぐる。


 草履を脱いで、射場をまたいで。そして神棚に浅い礼をした。

 ふと畳をみると、私が射った矢は抜いてあった。亮介さんが抜いてくれたのかな?

 そのあと、射場に置いてある大きな鏡で全身を確認する。


 そこに映る姿は、ドレスを着たお姫様みたいで。

 温かい気持ち―――心が踊ってるよ!


 だから――お姫様みたいにクルりと一回転。

 スカートみたいに、黒い袴がフワリとなびいて。

 みえない桃色の花びらが舞っているかのように思えて。


 鏡に映るその姿。肩くらいまである黒髪に、満面の笑顔の女の子がいる。

 あはは――これが私? カッコいい〜。

 なんだか産まれ変わったみたい!!


「たまらんですぅ!!」

「えらいご機嫌なのね」

「はい―――はいぃ!?」


 ふと右を向くと。そこには紺色の髪をしたクールな美人、紗雪さんだ。

 いつのまにか、帰ってきてたんだ!


「………これ」


 それは、白い袋に入ったなにか。

 手渡されたときの感触で―――その形で、これがなにか分かった。


かけだ……紗雪さんが?」

「ええ。渡すように言われたのよ」

「あの……あの!」


 ありがとうよりも、その言葉が先にでた。

 なんでだろう? でも言いたかった。


「おかえりなさい!」


 紗雪さんは呆れた表情になると、ため息をついた。そしてすぐに目を閉じた。

 その瞬きの間が、とても長く感じて。


「ええ、ただいま。試しにつけてみたら?」

「え、あの、でも私―――」

「教えてあげる、かけの付け方」


 嬉しかった。紗雪さんにそう言ってもらえた事が―――。


「せ、先輩!!」

「………でもまず、その着付けを直したほうがいいわよ。見苦しいわ、その形」

「着付けを教えてくれるんですかぁ!?」

「……いいわよ。それを持ったままでいいから、ついてきて」


(紗雪さん、なんだか少し優しくなったかも……まぁなんでもいいや、だって理由なんて考えてもしょうがないし!)


 紗雪さんの背中を追いかけながら、感じるんだ。

 温かい陽射し―――そよそよとした風――。


 結んでないその紺色の髪が、サラサラしてて綺麗だった。

 背中で踊るその髪に、憧れを感じて。

 いつかきっと――――いつか―――。



 ***



 弓道場の隣りにある建物にむかう、2人の少女の姿を見守るのは、亮介と白いキツネ。少し離れた回廊から、その様子を眺めていた。


「紗雪のやつ、えらい変わりようですね」

「ふむ。そうじゃの」

「中間世界で、なにがあったんですか?」

「それは、ゆり子に聞くがよい」

「………ゆり子は?」


 亮介はキョロキョロと周囲を見渡す。やがて墓地がある方向から、結んでいないキツネ色の長い髪を揺らし、あるいてきたその女性の姿を見つけた。


「なんだ、脅かすなよ」

「ふふふ。驚いてないくせに」

「紗雪になにを吹き込んだ?」

「乙女の心を探るのは、失礼よ?」

「…………そうか」


 神谷夫婦は足並みを揃え、回廊を歩いていく。長い長い回廊を、ゆっくりと。

 白いキツネの神様。ミコトは神谷夫婦の後ろ姿を見つめたあと、こんな事をぼやいた。


「本当になかが良い2人じゃの。ゆくゆくは、紗雪と弥生もそうなれば、文句はないのじゃが。まぁ無理かもしれぬの~」


 手を繋いで歩く神谷夫婦から、再び視線を戻す。そこには呆れた様子の紗雪と、慌てる弥生の姿があった。


 ミコトはその場に座りつつ、こう言った。


「みな心せよ。お主達の先に待ち構える未来は、絶望か希望か。それがどちらになるかは妾も知り得ぬ事よ。のぅ……アマテラス様」

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