第10話
それは弥生が初めて中間世界へといった
その時までさかのぼる―――。
***
「職の名は〝
「たいまの、いて?」
やっぱりチンプンカンプン。悪い幽霊でもやっつけるのかな?
でもこんな不気味な場所だし、いても納得できちゃうけど。
「退魔の射手はの、死せる者の念を貫き、世に降りそそぐ災いを振り払うのじゃ。それは神の使いとしての仕事。誰かに感謝されることも少ない、特別な役割なんじゃ」
「なんですかそれ……それって、なんのメリットがあるんですか?」
「メリットはの、弓の道に生きていく事。それとな、弓に恋をした者達と共に過ごす事じゃの」
(弓に恋をした人と過ごす? どういう意味なんだろ……)
「ついてきなされ」
白いキツネさんは起き上がると、テクテクと歩き出した。後を追うように建物から外にでると、空はやっぱり薄暗かった。
太陽の光もないし、だからかな? 周辺の植物とかも元気がない。
そのままキツネさんを追いかけるように、神社内を進んでゆく。
朽ちた鳥居のような建物をくぐり、石の階段を徐々に降りていく。
(うわ…ちょっと長い階段だ。服を踏まないように、さっきみたいに持って降りよう)
階段の道中、その両端には白い
灯はともっていて、呪文みたいな文字が書いてあるけど、全然読めなかった。
2分ほどかかって、一番下の段を踏み降りた。白いキツネさんが見つめる先に、視線を向ける。
薄暗い明かりがチラつく、小さな商店街のような場所。でもその光景に、すぐに言葉がでてこなかった。理解するのに、時間がかかった。
「この紅いドロドロした生き物は……なんですか?」
「これが念じゃ。つまり死んでしもうた者達じゃ。そしてこの世界は、天国にゆく者も、地獄にゆく者も等しく、死後に必ず訪れる世界なんじゃ」
その光景は不気味というより、不思議だった。
身体の色は血のような暗い紅色。そんなドロドロした生き物が、丸くなったり、人の形をしたりしている。
まるで人のフリをして、買い物を楽しんでいるかのようで。
「この近辺に住まうこの者達に害はない。今のところじゃが」
キツネさんは紅いドロドロを眺めながら、言葉を続けた。
それはどこか寂しそうな声で。まるで過去を思い出しているかのように。
「昔はの、この者達も気が済めば、そのいずれかに行けとったのじゃが。数年前に陽の光が突然失われ、彷徨い続ける存在になってしもうた」
「太陽の光が……あったんですか?」
「そうじゃ。太陽の神であるアマテラス様が、まだお隠れになる前まではの」
「アマテラスさま? その人って―――」
「人ではない、偉い神様じゃ。まぁ厳密には違うが、弥生にはそう言ったほうが分かりよいじゃろう」
ここって、神様の住まう世界なのかな。でもなんで私はここに呼ばれたんだろう。
こんな光景、別に見たくもなかったし……気持ち悪いだけだもん。
「弥生や、お主をここへ誘い出したのは妾じゃ。して、これから先の道を選ぶ権利はお主にある。あらためて言うが、退魔の射手を目指す気はないか?」
「目指すもなにも、なにやるかわかんないし……怖いし……やりたくないです」
「先ほども言うたろうに。弓を持ってして念を貫き、降りそそぐ災いを振り払うのじゃ」
「このドロドロした紅い生き物を、弓で
「いや、この者達だけではない。………弥生よ、絶対その場から動いてはならぬぞ」
その瞬間、聞いたこともないくらい、不気味な雄叫びが聞こえた。
背筋に強烈な悪寒がゾッと走る。今すぐにでも逃げ出したくなったのに、それなのに足が動かなかった。
それはほんの一瞬で、その出来事は起こる。ほんの一瞬で、そうあってほしかった。
薄暗い空から、なにか大きな生き物が飛び降りてきた。地響き、わずかに地面が揺れた。
その魔獣のような生き物は、黒と黄色が混ざった虎のような模様の体。そして大きな黒い翼。
鳥のような姿をしているのに、顔は醜い猿みたいだった。
その生き物は紅いドロドロした生物に喰らいついて、まるでお腹を空かせた子供のように
咆哮―――――。ブシュッ―――はじけて。
生ぬるい風。腐ったような匂い。
一匹、二匹と、食べられていく。なのに周囲にいる紅いドロドロは、ピクりともその様子を変えなかった。
どうして、逃げないの?
その光景に吐き気。おもわずその場で崩れるようにひざまついて。
見たくもないのに足が動かなかった。なにかに縛られているようで、ピクりとも。
私は両手で口を塞ぎ、こみあげてくる何かを必死にこらえた。
耐えて―――耐えて―――耐えてぇぇぇぇ。
食事を終えたのか、ヌッと私のほうを向いたその化け物。
気持ちが悪かった。ニッタリと笑ったかのような、その表情が。
やがてその魔獣は満足したのか、暗い空へと飛んでいった。
「はぁ……はぁ……」
「ふむ。この神社には結界が張ってある。じゃから外に出ねば大丈夫じゃ」
なんとか呼吸を落ち着かせて、正気を保った。こんな場所、もういたくない。
それが素直な感想で、だから荒々しく叫んだ。
「なんで!? なんでこんな怖い思いをしなきゃならないの? 退魔の射手? そんなの、できるわけないよ!!」
このキツネは何? 神様なの?
だからって、だからって……。
「別に強制ではない。退魔の射手とは、あのような生き物とも戦う。それは命をかけたものになるじゃろう」
「無理です。そんなの、できっこない……」
できるわけない。いくら弓が引けるっていっても、こんな思い……。
「退魔の射手のメリット。それはもう一つある」
「もう……いいです……」
「よいか、先ほどのような生物を放っておけば、やがで
「え? それって……」
「うむ。お主の家族や友の命を奪った、あのような出来事を生み出すのじゃ」
え――――そんな―――。
今から2年前に起きた、大量虐殺事件。なにか都合が悪い事を隠すような感じだったけど、世間の報道に納得はしていた。
でも私はそこで、大切な家族と友達を同時に失った。それがさっきの生き物と関係しているの?
そんなの急に言われても……だからって……。
「弥生や、お主は失ったものが多いじゃろう。じゃがこの神社に就職することで、新たなものを得る可能性は十分にある。お主は本当に好きな者同士と、苦楽を共にし、その喜びを分かち合った事があるかの?」
「そんなの……少し、考えさせてください……」
「今すぐ答えを出す必要はない。神木に手を添えれば、現世の世界へと戻れる。そこまではついてまいれ」
私は何も言えず、キツネさんの後ろ姿を追いかけた。長い石の階段を登っていく途中。左右に飾られた提灯が、風が吹ているわけでもないのにゆらゆらと揺れている。
ふとキツネさんは立ち止まると、こっちに振り向かずこう言った。
「現世の世界へと戻り、神社の境界を外へと出れば、この場所での出来事は忘れるじゃろう。先ほどの恐怖体験も綺麗に忘れる、心配するでない」
「忘れる?」
「そうじゃ。この神社内での記憶は、全て忘れるじゃろう」
それは本当なの? それって……恋した気持ちも忘れちゃうってことなのかな?
ずるい―――ずるいよ。なんでそんなに意地悪なの?
それは私にとって、急に苦い決断を迫られたかのように思えて。すぐに答えが出るものでもなくて。
さっきまで無理だと思っていたことなのに。忘れてしまうって言葉のせいか、もうちょっと考えたいなって。なんでだろう……。
(もしかしたら……答えはでているのかもしれない。だからもう一度だけ……確かめたいな)
胸に手をあてると、ほんのりとした温かさを感じた。私の体温。
それはモヤモヤしているような気持ちだけと、嘘じゃない。
そしてぼんやりとした陽が灯る長い階段を、少し駆け足でのぼっていった。
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