第9話

 ピピピと音が鳴っている。スマホのアラームを止めるべく、モゾモゾと布団の中から片手を伸ばし、四角いこやつを停止させる。


(う〜ん。起きなきゃ)


 なんとか布団から這い出ると、まずはう〜んと両手を伸ばす。のっそりと立ち上がると、まずは部屋のカーテンを開けた。


「うーん、今日は曇りみたい。ちょっと残念だけど、雨よりはいいかな」


 こじんまりした洗面所へとむかい、ピンク色の歯ブラシを手にとり歯を磨く。そのあとは泡洗顔で肌パック、蛇口をひねってバシャバシャと顔を洗う。冷たいであります。

 そこから化粧水と乳液でスキンケア。クシを使って乱れた髪を整えたら、鏡をみて色々チェック。ニキビはありません!

 ぱぱっと青いジャージに着替えます。


「はぁ。早く袴を着たいな〜。いつ届くのかな〜」


 数日前に袴のサイズ確認をして、専用のかけを作るために右手の型をとった。紙の上に手をおいて、鉛筆でなぞったあと、指のサイズを測ったんだ。なんでも特注で作るんだって、ゆり子さんが言ってた。

 この神社では基本的に買い物は亮介さんが行っているんだけど、なんでも神社の外にいくのは男の仕事なんだってさ。外出方法はまだ教えてくれないけど、一応キツネさんの許可がいるらしいです。

 部屋の隅にある小さな冷蔵庫をパカっと開けて、うーん。


「喉が渇いたけど、冷蔵庫の中身は〜……なにもないです」


 個人的な食材の補給タイミングは亮介さんの気分次第だ。私はまだ見習いなのでそんなに贅沢は出来ないけど、スキンケア用品は切らしたくないって思ってやす。


「朝ごはん食べにいこ~と」


 部屋から出ると、旅館のような雰囲気の廊下を通って、別館にある食堂にむかいます。なんだかいい匂いがしてきました!

 屋根がある通路を通ってその建物へ。食堂へと入ると、カウンター越しにはいつものようにエプロン姿の亮介さん。

 カウンター席に座ると、私の顔を見るなりしかめっ面をされました。でもね、気にしないです。


「遅いな。面倒くさいからもう作っておいた」

「おはようございます! 今日の朝ご飯はなんですか?」

「見てわからないか? シャケ定食だ」

 

 ほんとに無愛想なんだけど。料理の腕はピカいちなんだよね。亮介さんの料理ってどれも家庭的な味で、まるでオフクロの味って感じ。

 ホカホカの白ご飯。ワカメと豆腐の味噌汁に、プリっと焼きあがったシャケ。

 温かい緑茶と一緒に目の前に置いてくれました。いつもながら、ちょう美味しそう!


「いただきます!!」

「フン」


 まずは温かいお味噌汁を飲んで~、ご飯をパクパクと。うう~ん、たまらんです!

 お次にプリっとシャケさんを食べてからの~。ご飯と味噌汁のコンビネーションからのダブルチャンス!!

 あたたかい緑茶でホッと一息。うんうん、今日も頑張れそう。


「はぁ〜。ごちそうさまでした!!」

「フン。早くいけ、片付かないだろう」


 いつもながら無愛想な見送り、でも最近はもう慣れちゃったんだよね。ご飯も美味しいし、いい旦那さんだわ~。

 一旦部屋に戻って荷物を持ったら、そのまま稽古場所へとむかった。



 *



 ゆり子さんといつもの稽古場所、今日から新しい練習法だ!


「じゃあそれを着けてみて。あそこに座布団を敷いたから」


 私は稽古場所の横、回廊に敷かれた座布団の上へと座った。

 茶色い皮の素材で、親指の関節部分を覆うようにゴム板が固定されてあるもの。それを親指に差し込んで、細い紐をクルクルと巻いた。


「本当は左手親指を保護する、押し手ガケなんだけと、かけの代わりとしてしばらく使っていくね?」

「はい!」


 なんだろ、親指がガッチリ固定されたわけじゃないけど、雰囲気は分厚い親指だけの手袋をはめた感じ。

 座布団から立ち上がると、畳から15メートルの位置に立ちます。

 ゆり子さんから弓と矢を受け取り、的に対して直角に立つと、弓に矢をつがえ、いつものように体の重心を整えます。

 そしてゆり子さんのかけ声に合わせて、弓を引いていきます。


弓構ゆがまえ」


 右手親指を弦に引っかけて、2本の指を真っ直ぐにして弦を挟む。

 左手で手の内をつくって弓を握る。

 左手を軽く伸ばして、顔だけ的に向けます。


打起うちおこし」


 左手を伸ばしたまま弓を持ち上げ、両拳の高さはおでこくらい。

 矢と体を平行にします。


引分ひきわけ」


 左手を伸ばしたまま弓を押しつつ、右手で弦を引っ張る。まずは両肩を均等に開いていくようなイメージで、弓をゆっくり引いていく。

 拳の高さは目線を通過したあと、そこで一度静止。左右の力のバランスを均等に、矢をそのまま口元に添えるため、弓を降ろしていきます。

 

かい


 矢を口元に添える。右手は矢の羽が頬にくっつく程度。

 以前より引き尺が伸びた。狙いを定める。

 竹がクルクル巻いてある矢摺籐やずりとうを基準にして狙う。


はなれ」


 右手をパーにして、弦を離す。


――ポスん


 畳に刺さるけど、なかなか的に当たりません……うぅ。


「はい、じゃあ少し休憩しよっか」


 引き続き稽古したあと、小休止になりました。道具をいったん置いてから、ポフンと座布団に座ります。

 前から気になっていた事を聞いてみようと思ったので、弓の構え方の違いについて聞いてみました。

 ボールを抱えるような姿勢と、今引いてるやり方の違いについてです。


「あの~質問なんですけど。テレビで見たことある弓の引き方と、いまの引き方ってなにか違いとかありますか?」

「あ~それはね、流派が違うの」

「りゅうは?」

「そう。弓を引く時のフォームみたいたものね。今稽古している流派は、斜面打起しゃめんうちおこし。弥生ちゃんのいってるのは、正面打起しょうめんうちおこしね」


 大きな違いは弓構えの形と、打起しの形。技術的な違いはあるけど、見た目の違いはそこくらいなんだそうです。

 でも、そしたらなんで斜面打ち起こしなんだろ?


「斜面打ち起こしのほうが実践的な流派だからよ。えっとね、戦国時代なんかでも、斜面打ち起こしで戦う武士が多かったの。比べて正面打ち起こしは、祭事で射手が弓を引く場面や、精神を鍛えたりする時の流派だったの」


「え〜っと……」

「じゃあ〜やってみるね。本来の弓はね……」


 隣に座っていたゆり子さんが立ち上がると、弓を手に持ち、矢の入った筒を背負った。

 空が曇っているせいか、揺らぐキツネ色のポニーテールが少し不気味で。突然なにかに取り憑かれたように、雰囲気が変わった。


 そのまま15メートルの位置、畳の前に立つ。

 矢をつがえ、左手を伸ばして大きく弓構える。

 打起しから、勢いよく素手で弦を引っ張っていく。

 素早い動き―――瞬時に反り返る和弓。

 いつもの引き方じゃない――――全然違う。


(素手なのに私より引いてる……)


 怖かった、いつものゆり子さんとは違う雰囲気が。

 その理由が、私にはわからなかった。


―――ザシュ。


 その矢は、畳に張った的の中央、そのど真ん中に深く刺さった。


「弓はもともと獲物を射る、狩をするための技術。文明が発展したあとは、人と人との争いで使われた、人を殺めるための技術」


――――ザシュ。

 

「弓道と呼ばれるようになったのは、武士の時代が終わった明治維新以降。それ以前は、武術・弓術と称されていたの。その本質は、いかにして人を殺めるかの技術」


――ザシュッ―――――ザシュッ。


「退魔の射手に求められ、目指すもの。それは念を殺める、弓術を会得することなの」

「弓術? 念を……殺める技術?」


 ゆり子さんはこっちを向くと、ニッコリと微笑んだ。その笑みに、ホッとする。


「さあ、また稽古の続きをしましょう。ね?」

「は、はい! あ、矢取りは私がやります!」


 考えている以上に、過酷な道なのかもしれないと思った。それでも私は弓を引きたい。ミコト様も言ってたし、それを選んだのは私自身。だって、もう後戻りなんて出来ないから。

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