第14話

 アパートには管理人が常駐しており、岸幡が住んでいるのは間違いなかった。最近では珍しく、有事の際に備えてマスターキーを保管していたため、先ほどの千里の不合理なやり方とは違い、滝石は警察手帳を見せて事由を話し、教科書通りの手法で部屋を開けてもらった。管理人立会いのもと、ふたりは白手袋をはめ、令状がないまま部屋の中へと入った。千里が靴も脱がずに上がり込むと、滝石は声を張り上げた。

「緋波さん!靴!」

かつての千里ならば、きちんと手順を踏んで捜査を行っていただろうが、現在は違う。警察官らしからぬ“暴走”を平気でするようになっている。千里から、独断で柴谷の自宅を捜索し、証拠品を押収したと聞かされた滝石は驚いた。本来、その証拠は裁判では認められない。証拠能力が備わっていないからだ。しかし、滝石は敢えて黙っていようと心に決めた。刑事としては失格であろう。それでも、被害者の芽衣、汚名を着せられた布施を想うと、あのふたりは救われない。遺族だってそうだ。やりきれないではないか。

「すみません・・・」

管理人にひと言謝り、靴を脱いだ滝石も立ち入った。大学生が住むには少し広いと思える洋室の部屋は、岸幡の両親の位牌が置かれている以外、特に変わった様子はない。ごくごく普通である。

「滝石さん」

奥から千里の呼ぶ声がした。部屋には洋室がもうひとつあり、滝石はそこへと向かう。中に入った滝石は、先ほどとは異なる部屋の雰囲気に、どこか奇妙さを感じた。その空間は、カーテンが閉め切られ、薄暗くなっていた。机の上に一台のデスクトップパソコンが置かれており、壁には所狭しと十数枚の写真とメモ用紙、そして、大きな地図が一枚張られていた。

「ここで計画練ってたわけね」

千里は壁を見ながら言った。被害者三人と柴谷を隠し撮りした写真。メモ用紙には、相手の行動様式がそれぞれ記されている。地図は七節町管内のようで、図上には点々と六つの黒いバツ印と、赤いマル印がひとつ書かれている。千里がそれを眺めていると、部屋を見渡していた滝石がなにかを発見した。

「緋波さん。これ」

滝石が指差したのは、ハンガーにかけられた紺色の上着だった。作業服らしく、胸には≪アマノテ産業≫の文字と会社のロゴが刺繍されている。滝石はハンガーにかかったままのその上着を慎重に手に取り、まじまじと見ると、赤黒い斑点が散在しているのが目に入った。

「どうやら血痕のようですね」

滝石が言うと、千里も声を発した。

「じゃあ、こっちは凶器?」

千里が目配せした先は、鞘に入れられてはいるが、形状からしてナイフだった。千里はそれを持ち、鞘から刀身を抜いた。滝石は両刃のナイフに顔を近づけた。血痕は付着していないが、サバイバルナイフに近いその大きさは、人を殺害するには十分だ。

「おそらく。鑑識さんが言っていた刃物の形状と似ています」

それから滝石は、ナイフと上着を見比べ語を継ぐ。

「この上着の血痕は、刺した際に返り血を浴びたものかもしれません。遺体には刺創がいくつもありましたし、鑑識さんの話では、至近距離からのようですから、被害者の血が付着してもおかしくないです。それと、上着に社名が縫い付けられてる会社。ここは三十年以上も前に倒産しています。係長の推測が正しいなら、どこかでこれを手に入れてから、作業員に変装して犯行に及んだのでしょう」

滝石はパソコンのそばに置かれたダクトテープを指した。

「あとこれ、防犯カメラのレンズに貼られていたテープと同じ可能性があります」

これらの徴証から、千里が帰結して述べた。

「やっぱり、岸幡が事件の犯人・・・」

ナイフと鞘を机に置いた千里は滝石に命じる。

「このこと捜査本部に報告して、令状が取れるかやってみて」

「はい」

滝石は七節署に連絡しようと上着を元に戻した。


 その頃、警視庁の資料室では、綿矢がデスクトップパソコンの前に座り、サングラス越しに画面を睨んでいた。そこには、榎本芽衣殺害事件の捜査資料が表示されている。

「まさか・・・」

綿矢は焦燥感を募らせた表情で呟いた。


 アパートを辞した千里と滝石は、都学院大学へと車を走らせていた。滝石の話によれば、適切な手続きを取らずに部屋に入ったのは感心しないが、状況を考慮したうえで、なんとか家宅捜索の令状は申請してみるという。その車中で、助手席の千里が話した。

「空き時間にちょっと調べてみた。綿矢は十年前、別の事件の捜査を頼まれてた。警備会社の社長が殺された事件。その社長の父親が元警察官僚で、綿矢の元上司。警察辞めたあとも、人事に口を出せるほどの権限を持ってた。そいつが綿矢に直接捜査を依頼してきた。でも綿矢は迷った。あいつは権力に飢えてる。そいつに恩を売っとけば、昇進の近道になる。けど、そのときはちょうど、榎本芽衣の事件を捜査してる真っ最中、しかも当時は係長、抜けるわけにはいかなかった。そんなとき、布施の犯行である疑いが根強くなってきた。あいつは事件を早々に片づけようと、深く調べもせずに布施を逮捕した。あいつ自身が逮捕したのは、少しでも点数を稼ごうっていう欲の現れね。それからあいつは、所轄と一課の別の係にあとの処理を任せて、自分の係はさっさと社長殺しの捜査に向かった」

ハンドルを握る滝石は、眉を顰めて言った。

「表面的かつ、簡略的な捜査で終わったってことですか・・。それで、その社長が殺害された事件はどうなったんです?」

「綿矢の係が入ったことで、捜査体制が強化されて事件は解決。おかげであいつは昇進。しばらくして、管理官の地位に就いた」

千里はヘッドレストに頭を預けた。


 夕闇迫るなか、大学へ到着したふたりは事務局を訪れ、岸幡について訊いてみると、確かに在学しており、今も学内にいるらしい。さらに調べてもらったところ、今日の履修科目は全て終了しているので、所属クラブで活動しているのではないかと事務員は話してくれた。そしてもう一点、岸幡はこの日、退学願を提出していた。保証人欄には、椎名の氏名が記入されていたという。


 千里と滝石はクラブハウス棟内の二階の廊下を歩いていた。そこへふたりの横を、トレーナーにジョガーパンツ姿に、メッセンジャーバッグを斜めにかけ、丸いフレームの眼鏡をかけ、口元と顎に髭を生やした顔の細い学生が通り過ぎた。滝石は咄嗟にその学生を呼び止めた。

「電子工学クラブって、どこにあるのかな?」

滝石が訊くと、学生は丁寧に道を示した。

「そこの突き当りを曲がって、ふたつ目の部屋です。表札が出てますよ」

「わかった。ありがとうね」

笑顔で滝石は礼を述べた。


 ドアに≪電子工学クラブ≫とプレートの表札が掲げられている。

「ここですね」

そう言った滝石は、ノックしたあとにドアを開けた。室内にはノートパソコンが数台置かれた机のほかに、機器の組み立てなどに使うのであろう作業台と小さな書棚、そして、スチール製の棚には電子機器や器具が詰められた透明のコンテナボックスがいくつか並んでいる。そこにはひとりの若い男がいた。パーカーにジーンズを身に着け、黒いマッシュヘアに、いわゆる求心顔の落ち着いた印象を持つ学生だった。知らない男女が入ってきたせいか、面食らっている様子だ。

「このクラブの学生さんですか?」

滝石が訊くと、その学生は素直に答えた。

「ええ。はい」

上着から警察手帳を出して示した滝石が質問する。

「警察です。ここに、岸幡亨さんがいらっしゃると伺ったんですが」

「彼なら・・、三十分前に帰りましたよ」

「ご自宅にでしょうか?」

「多分、そうじゃないですか」

この間、千里はひと言も口を開かなかった。


 大学のキャンパス内を千里と滝石は歩いていた。

「すれ違っちゃったみたいですね。また自宅に行ってみますか?」

滝石はそう言うと、思い返した。

「でもなあ、管理人さんが本人に言ってたら、逃げられるかもしれない。いや、もう逃げてるかも」

千里は正面を向いたまま返した。

「その心配はない。管理人には口止めしといた。しゃべったら公務執行妨害で逮捕するって」

「緋波さん。それ、脅迫になりますよ」

滝石の指摘を、千里は軽く受け流した。

「逃げられるよりかマシでしょ。それに岸幡は、しばらく家に帰ってない」

「なんでわかるんです?」

千里が答えを示す。

「ドアの郵便受けが郵便物でいっぱいだった」

「いつの間に見たんですか?」

「部屋を出るとき、チラッとね」

そんな会話をしているとき、諸星と柿田が若い男を挟んで歩いているのを見かけた。滝石が声をかける。

「諸星さん!柿田さん!」

ふたりがそれに気づいて振り向いた。

「滝石。緋波警部も。ここでなにやってんの?」

柿田が訝しい表情で訊ねた。

「そっちこそどうしたんですか?その人は?」

逆に滝石が問いかけた。諸星がその問いに答える。

「犯人が使っている端末をサイバー課が特定したんです。メールの発信も動画の配信も、彼のスマホからでした。ここの学生です」

四角張った輪郭の顔に、明るい茶髪の襟足を首元まで伸ばし、チェックシャツとミリタリージャケット、ジーンズを着た小太りの男、南雲房弘なぐもふさひろはバッグパックを背負ったまま、解せないといった様子で抗議の意を表す。

「俺、なにもしてませんよ。ここじゃダメなんですか。なんで警察署行かなきゃいけないんですか。これから用事があるんですよ」

「ちょっと話を聞くだけだ」

柿田が落ち着かせようとするが、どこか焦りの色が見える。

「でも柿田さん。犯人はわかってるじゃないですか」

滝石が言うと、柿田が返す。

「共犯の可能性もある」

そのやり取りに、南雲が余計に慌て出す。

「犯人とか共犯とかって・・。だから俺、なにもしてませんから。帰らせてください」

まるで逃げるかのように立ち去ろうとする南雲を、諸星と柿田が取り押さえようとすると、身体を大きく振って抵抗を始めた。そのとき、南雲は上着のポケットから、なにかを取り出して投げ捨てた。諸星と柿田は気づかなかったが、千里と滝石はそれを見逃さなかった。

「おとなしくしろ!」

柿田が声を荒げた。諸星と柿田は南雲の両腕をそれぞれ摑み、強引に連行していった。そのあとで、千里は南雲が投げ捨てた物を拾い上げた。

「これ、名刺?」

千里が呟く。それは確かに名刺だった。ピンクを基調にした洒落たデザインで、≪CLUB SHAKTI≫や≪MOMOKA≫などと筆記体で印字されており、バッチリとメイクを施したロングヘアの美人な若い女の写真も添えられている。

「キャバクラの名刺みたいですね」

滝石がその名刺を見て言うと、千里が視線を向けた。

「行ったことあるの?」

言いにくそうに滝石は答える。

「前に接待で一度。無理やりです」

落ち着かない顔つきで、滝石は語を継ぐ。

「あの・・、妻には内緒にしてください。誤解されると困るんで・・・」

千里が一笑した。

「わかってるわよ」

そう言って、千里は名刺を仔細に眺めた。

「でもこれ、住所が載ってない」

千里が名刺を裏返すと、≪見本≫と赤いスタンプが押されている。滝石が怪訝に声を発する。

「見本・・?見本ってことは、店に来た際にもらったんじゃないということでしょうか?」

少し気になった千里は滝石に申し入れる。

「ねえ、七節署の生安課に連絡して、この店の住所って調べられない?」

千里は名刺を見つめながら続ける。

「さっきの奴がこれを持ってたってことは、多分、そんなに遠くない店。この管内にある店かも」

「電話して訊いてみます」

滝石が上着からスマートフォンを取り出したとき、背後から男の声が飛んできた。

「そこのふたり!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る