処置

 陽花をずっと眠らせておくわけにもいかない。

 話し合いから二、三時間後には処置を実施することになった。

 少女の両親には連絡を行い、緊急ということで納得してもらった。普通の家よりは魔法に対する理解が深かったのが功を奏したのだろう。

 場所に選ばれたのは朔夜たちが通う学校の校庭。

 侵入自体は魔法を使えば問題ない。自宅で行わないのは何かあった際、被害を最小限に留めるためだ。


「ごめんね静華ちゃん、急に来てもらっちゃって」

「仕方ないでしょう。この手の案件となれば放ってはおけないもの」

「現役のお医者様がいてくださるととても心強いです」


 月明かりの照らす中、用意してきたシートに陽花を寝かせる。


「静華さん、母さん。処置って具体的にどうするの?」

「手術をするわけじゃないわ。魔法的な方法でアイテムと彼女を引き離す。そうすれば簡単に取り出せるはずよ」

「陽花ちゃんの話でも、無理やり押し込まれたわけじゃなかったでしょう?」

「そういえばそっか」


 身体に押し当てられたらひとりでに入って行った、という話だった。

 ある種の魔法にはそうした手法があるということだ。一般人からは心霊手術、とか呼ばれることもあったか。


「わたくしたちにできることはありますか?」

「結界の維持をお願いしてもいい? 私たちはかかりきりになっちゃうから」

「かしこまりました」


 由依の結界は負の魔力を刺激しすぎてしまうため、いったん母が張った結界を由依が引き継ぐ。その際、使用する魔力は朔夜の提供したものを使うことになった。

 魔力を差し出すだけとはいえ役割があるのは有難い。


「貴槻くん、手を」

「うん」


 結界が校庭全域に。

 差しのべられた由依の手に右手を重ねると、少女はじっと目を閉じて精神を集中させる。繋がった部分から魔力が静かに一定量ずつ引き出されていくのがわかった。

 引き継ぎの瞬間、少しだけ揺らいだもののそのまま安定。

 母と静華は頷くとそのまま処置に入った。


 何が行われているのか朔夜の知覚能力と知識ではまったくわからない。わかったのは高度な魔法が用いられていることだけだ。

 魔法で眠らされている陽花は時折ぴくりと動くもののそれ以上は反応しない。

 どうか、無事に処置が終わってくれますように──。

 そんな願いを裏切るように。


『生憎だけれど、やすやすと取り除かせるつもりはないの』

「真冬先輩……!?」


 突如、陽花の身体から発せられた声。

 慌てて首を巡らせるも、宵闇真冬の姿はどこにもない。遠隔で伝えられたのか、あるいはアイテムにあらかじめ組み込まれていたのか。


「嘘でしょう。最初からこうなることがわかって──?」

「気をつけてはいたけど、向こうが上手だったみたい……」


 陽花の身体から黒いモヤのようなものが湧きあがる。

 濃く、どろどろとした気配。見ただけで悪寒が走り、この場から逃げ出したい衝動に駆られる。

 モヤを纏うように浮かび上がった小さな黒い宝石はそのまま朔夜たちから少し離れた場所へと移動、魔力の実体化を始めていく。

 葉月の時と比べても桁違いの存在感。

 凝縮され、洗練され、はっきりとした人型となった悪魔は、にぃ、と残酷な笑みを浮かべた。


 少女だ。

 歳は十五歳程度。顔立ちはゆえに似た儚げなものだが、髪の色は由依に似て銀色に近い。胸はその莫大な魔力を示すように必要以上の豊かさを誇り、四肢は細くしなやかでありながら頼りなさを全く感じない。

 魔力によって形成された衣装は黒革のボンデージ。

 朔夜と関わりの深い少女二人から容姿を借り受けながらそれを侮辱し、冒涜し、嘲るようないでたち。

 悪魔の瞳は血のような赤色をしていた。


「静華ちゃん。陽花ちゃんを連れて逃げて。それから連盟に連絡をお願い」

「待って。まさか食い止めるつもり。こいつはたぶん一級相当よ!?」

「でも、陽花ちゃんをここには置いておけない。さくちゃんじゃ連絡に手間取るだろうし──たぶん、由依ちゃんの力も必要になる」


 こちらの相談を相手がただ聞いてくれているのは幸い、と言っていいのだろうか。

 急に襲い掛かる必要がない。いつでもこちらを殺せると言っているようで不気味かつ脅威を感じる。

 母の説得を受けた静華は「……わかった」と悲壮なため息をついて陽花を抱き上げた。


「死なないでよ。朔夜も、由依ちゃんも。みんな無事に戻ってくること」

「当たり前だよ。私たちが倒れたら街がどうなるかわからないんだから」


 由依の維持する結界であるため静華の離脱が阻まれることはない。

 少女を連れた静華が戦場を抜けると母はほっと息を吐いて、


「悪魔が実体化したなら陽花ちゃんはもう大丈夫だね。助けるっていう約束は果たせたかな」

「母さん、そんなこと言ってる場合じゃ」

「わかってる。……さくちゃんも逃げてもいいんだよ? まだ正式に魔女になったわけじゃないんだから」


 立場上、まだ一般人である朔夜に悪魔と戦う義務はない。

 けれど。


「逃げるわけないよ。僕の力は、きっとこういう時のためにあるんだ」


 月を助けられなかった後悔。

 それを胸に抱きながら、月の妹が生み出した悪魔を放っておけるはずがない。

 由依もまた胸の谷間のアンクをぎゅっと握って、


「なんとしてでも祓わねばなりません。あれは、とても良くないものです」

「さくちゃん。剣で斬りかかるのはできるだけ控えてね。不用意に近づいたらきっと──無事じゃ済まないから」

「わかった」


 訓練では「できるだけ剣を使え」と言われていたが、優先順位が逆になってしまった。

 威力の高さよりも遠距離から攻撃できるかどうかが重要。そうでないとあっという間に殺されてしまう、それほどまでに危険な敵だということだ。

 見た目だけなら今まで戦った悪魔のほうが上だが、


「由依ちゃん。あれにいちばん有効な攻撃でいける?」

「溜めにお時間をいただけますか。……最低でも三分。可能であればわたくしの全魔力を振り絞れるまで」


 葉月の時、由依は一分を指定した。

 最低ラインがその三倍。おそらくそれでも厳しいと考えたからこそ少女は最初から全力を振り絞ることを選んだ。

 悪魔を塩化させて崩壊させる魔法。

 聖なる力は確かにこの状況において大きな戦力となる。


「結界をわたくしの色に染め直します」

「銀さん。それって魔力を余計に使うんじゃ」

「それでもです。神聖な空間のほうが効率的に魔法を使えますので」

「さくちゃん、由依ちゃんに任せよう」

「……分かった」


 頷いた朔夜は少女から手を離す。結界が聖なる光に包まれはじめ、由依は身を守るように悪魔からゆっくりと後退していく。

 少しでも準備時間を稼ぐためだ。

 このまま準備完了まで待っていてくれれば一番いいのだが──。

 希望的観測が通用するようなモノが悪魔であるはずがない。敵はこちらの作戦を理解しているかのように動きを見せた。

 革のロンググローブに包まれた右腕が艶めかしく持ち上げられて、


「さくちゃん、牽制をお願い!」

「う、うん!」


 朔夜は人差し指で悪魔をポイント。

 あれは悪魔だ。由依と訓練で学んだことをあらためて言い聞かせつつ魔力を発射。訓練を始めた頃よりもずっと圧縮率が上がり威力効率の良くなったそれはまっすぐ悪魔に飛んで──。


「え」


 敵は身動き一つ取ることなくそれを看過。

 白く柔らかそうな肌は、ぱん、と魔力を弾き、後には傷ひとつ残らない。


「なにしてるの!? 早く次を!」

「っ!?」


 牽制、と言われた意味をようやく理解する。

 通用しなくてもいいから少しでも相手の邪魔をしろ、ということだ。それだけの敵。抵抗を止めればあっという間に。

 指から放たれた頼りない魔力光が次々と着弾。

 やはり全て効果はないものの、遊んでいるのか、あるいは朔夜に反応しているのか。悪魔は笑みを浮かべて動きを止めている。

 刹那。

 隣にいる母から放たれた魔法に朔夜は悪魔に感じるのと同種の恐ろしさを覚えた。

 白く純粋な輝き。

 規模も、威力も、朔夜の放った牽制とはまるで違う。極太のホースから高圧で水を吐き出したような破壊の力の奔流が悪魔の身体をまともに直撃。

 ぱきん、と。

 何かがひび割れるような音と共に再び姿を現した悪魔は、無傷。


 あれでもなお防御を破れないのか。

 驚愕と絶望を覚えた矢先、ボンデージ衣装に包まれた悪魔の腹に白銀の刃が深々と突き刺さった。

 柄に施された装飾は十字。

 傷口から魔力がこぼれるのを悪魔は不思議そうに見下ろして──。


「灰は灰に、塵は塵に」


 地面から立ち上った青白い炎が艶めかしくも美しい肢体を全てのみ込んだ。

 肌が焼かれ、身動きもままならない。

 最初の一発で防御を破り、次の剣で防御に綻びを作り、本命の炎を見事に通した。

 これが、母の本当の魔法。

 一線から退いてもなお実家が諦めようとしない理由が不本意ながら理解できてしまう。かつては、いや、今でもなお一流の魔女に違いない。

 その母は、これだけの攻撃を行ってもなお全く油断していなかった。


 自身の周囲に無数の炎弾を作りだすと、たき火に薪をくべるように悪魔を包囲、次々と叩き込んでいく。

 さらに燃え上がる炎。

 反撃の暇など与えない。倒れないならこのまま三分間攻撃し続ける。そんな意思をありありと感じる姿勢は後進として見習うべきもので、


「母さん、危ない!」


 感心しつつ状況を見守っていた朔夜は、炎の奥で悪魔が瞳を揺らめかせるのを見た。

 直感的な恐怖。

 母を突き飛ばすと同時、二人がさっきまでいた場所を漆黒の炎が擦過。

 光刃を自分で押し当てた時よりも遥かに上の痛みが朔夜の左腕を襲い──母の手にぐいっと身体を引っ張られた時には腕の表面が完全に黒焦げになっていた。

 追いかけるようにしてさらなる激痛。


「さくちゃん、大丈夫!?」


 魔女の顔から親の顔に戻った母が敵から背を向けるのを見て「大丈夫だから戦って!」と叫ぶ。

 実際は痛みで今にも気絶しそうだったが、そんなことを言っている場合ではない。


 炎が吹き散らされ、全身を焦がした悪魔が憎々しげに母を見つめる。


 火傷は見る間に修復をはじめ、このまま放っておけばそのうち完治してしまうだろう。そもそも表面が火傷しているからといって機能に支障をきたすか否かもわからない。

 母は頷き、朔夜を守るように立った。

 形勢はほんの僅かの間に逆転。悪魔はお返しのごとく空中に無数の武器を浮かび上がらせた。視界を覆い尽くすような数。その形は由依のアンクを揶揄したのか、男、雄を象徴するような単純な意匠。しかしその先端は尖っており、一つ一つの質量も見るからに重い。

 母は迫り来る『槍』を魔法で叩き落とし、あるいは吹き散らし、防壁を張って防ぐ。硬度を保てなくなった槍が砕けて跡形もなく消滅するも、その端から新たな槍が迫って一時たりとも休ませてくれない。


 あんなものが街を襲ったらどうなってしまうのか。

 建物だろうと道路だろうと穿たれ、壊され、復旧には時間とコストがかかるだろう。

 当然、普通の人間が喰らえば無事では済まない。肉を飛び散らせながら身体を貫かれて絶命する知人の姿を想像して絶句する。

 実際、校庭には外れた槍によっていくつもの穴が生まれている。

 そのくせ相手はいつになったら疲れるのか、そもそも疲労という概念が存在するのかさえ不明なのだ。こんな理不尽があっていいのだろうか。


「くそ」


 やっぱり、何もできない。

 せっかく力を手に入れたというのに経験も研鑽も何もかも足りていない。

 痛みのせいもあって涙が滲んでくる。

 並みの悪魔を倒せる程度じゃ意味がない。朔夜が倒したいのは月の死ぬ原因になったような、陽花の身体に年単位で巣くっていたあいつのような強力な悪魔だ。

 どうしたら、あいつを倒せるのか。

 だらんと左腕をぶら下げたまま空を見上げる。月。

 そういえば、と、いつか誰かに聞いた話を思い出した。


『朔とは地球と月、太陽の位置が一直線になった時を指すんだよ』


 朔の状態での月を新月と呼ぶ。すなわち朔の夜とは新月の夜のことだ。


『月と言えば魔女の象徴の一つだっていうのに。その輝きを隠そうとするなんて、まったく何を考えているんだか』


 誰の声だったかはわからない。その意味も完全には理解できない。

 ただ、何故か不思議と力が湧きあがってきた。

 身体と心が命じるまま、手のひらに力を集める。湧いた力をそのまま半放出状態で留めることで今の魔力量以上の魔力を一時的に維持。

 魔力を溜めるのは思った以上に困難だったものの、歯を食いしばって。


「母さん。一発くらい僕にも手伝わせて」

「さくちゃん」


 立ち上がり、母の肩越しに腕を突き出すようにすると「しょうがないなあ」という微笑みが返ってきた。


「合図するから、そのタイミングで」

「わかった」


 限界を迎え始めていた防御の手がとうとう決壊し、悪魔の槍が殺到してくる。


「今!」

「っ!」


 手のひらから放たれた光は、規模だけならば見えている槍全てを呑み込むほどに広かった。

 収束も何もないただの魔力放出。まともな魔女から見れば無駄としか言いようのない無茶だったが、それでも敵の攻撃をいくらか防ぎ、逸らし、遅らせる効果はあった。

 それで十分。

 白い光から始まるコンボが再び悪魔を貫き拘束、そこに聖なる光による呪縛が追いかけた。


「まだ完全ではありませんが、致し方ありません」


 炎に焼かれながら塩化を受けた悪魔は、言葉にならない悲鳴を夜闇に轟かせた。

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