復活

「……本当に、派手にやられたものね」

「ごめん、静華さん。手間をかけさせて」

「別にいいわよ。でも、応急処置がなかったらこの腕治らなかったかもしれないからね? それは覚えておきなさい」


 静華は陽花を家まで送り届けると学校へと戻ってきてくれた。

 突然電話で呼び出されただけだというのに律儀だ。そうでなかったら朔夜の腕の治療に難儀していたはずなのでとてもありがたい。


「それにしても、しぶとい悪魔ね」


 戦いが始まってから約一時間。

 校庭には未だ「四肢を塩化させた」悪魔がその存在を保っていた。

 攻撃を仕掛けてくる気配はない。塩化を食い止めるのに魔力を使っているせいだ。それでもなお塩化は少しずつ進行しており、進行するほどに速度も増している。

 完全に滅びるのも時間の問題だろう。

 攻撃を仕掛けて倒しきらなかったのは魔力を節約するため、そして朔夜の治療が優先だったからだ。

 由依も母も十分に凄腕だが治療は専門外。腕一本が黒こげとなると医者である静華を頼らなければ危ないところだった。彼女が戻ってくるまでもたせてくれただけでも十分、母たちにも感謝をしなければならない。


「でも、無力化したなら応援はいらなかったかしら」

「必要だよ。一級が出たとなれば事情聴取も行われるだろうし」


 程なく応援も到着するはずだ。

 そうすれば街の状況がはっきりと認識され、詳しい調査が行われるはずだ。そうすれば真冬にもなんらかの処罰が下るに違いない。

 ここから先は朔夜たちの手には余る。

 一級悪魔は「街一つを滅ぼしかねない」相手。それを葬ったのだからむしろ褒めて欲しいくらいだ。後は専門家に任せても構わないはず。


「静華さん、陽花ちゃんの具合は?」

「ご両親に預けた時はまだ眠ったままだったけど、脈拍も体温も正常。確認した限り悪い魔力も抜けていたから、後は時間をかけて心と身体を癒すだけでしょ」

「良かった。……なら、これで一件落着かな」


 少しは役に立てただろうか。

 妹である陽花を救えたのなら少しは月にも顔向けができる。

 今度、こんなことがあった時のためにもっと魔法を学ばなくては。そうして今度こそ自分の力で──。


『良ければもう一件、あなたたちを宴に招待したいのだけれど』


 校庭に響いた声に思考が止まった。

 悪魔が出現する前、陽花の身体から響いたのと同じ声。

 すなわち、特級指定魔女・宵闇真冬。

 やはりこの場に姿は見えないが、


「真冬ちゃん!? まだなにかしでかすつもりなの!?」

『ええ。むしろここからが本番よ』


 今度の声には続きがあり、はっきりと朔夜たちと対話をしてみせた。

 悪魔の絶叫。

 もう用はない、とばかりにその身体が崩れ、塩化するまでもなく消滅していく。


『二年前の再現。そう言えば、あなたたちにはわかりやすいでしょう?』


 瞬間、街全体が悲鳴を上げた。

 音ではない。空気が、大地が、街の一点から膨れ上がった常識外れの魔力によって震え、その異常を知らせてきたのだ。

 学校から距離は少し離れている。

 離れていてもなおその禍々しさが手に取るようにわかる。そしてその気配は悪寒どころか吐き気さえ覚えるレベル。

 間違いなく、辛うじて倒した一級悪魔よりも上。


「嘘でしょ。まさか特級だっていうわけ……?」

「二年前の再現。本当なのであればそういうことなのでしょう」


 由依が苦しげに言葉を吐き出す。噛みしめられた唇から血が一筋流れだした。


「どうして、このようなことをするのですか! 多くの人を苦しめるのですか!?」

『面白いから。それ以外に理由が必要かしら?』


 真冬はそれだけを答えると、それきりなんの反応もしなくなった。

 言いたいことは言った、後は好きにしろ、と、そういうことなのだろう。

 彼女は朔夜たちが来ても来なくても好きなようにする。あの女はそういう魔女だ。

 来たら面白いし来なかったら来なかったで「悪魔がどこまで暴れられるか」でも楽しむのだろう。


「行かなくちゃ」

「待ちなさい朔夜。腕だってまだ治りきっていないのに」

「でも、あの人がやろうとしているのがあの時の再現なら、僕がやらなくちゃ」

「待ってさくちゃん。せめて腕が治ってからにしよう」

「母さん」


 母は魔力の気配のする方向を見据えたまま朔夜に言った。


「大丈夫。私たちが準備するくらいの時間はくれるよ。だって、そのほうが面白いでしょう?」

「……それは」


 朔夜たちが逃げたらすぐに暴れる。けれど、行く気があるのなら「じゃあ少しくらい待とうか」と動く。確かにそれが気まぐれなあの魔女らしい。


「行くなとは言わないよ。もうここまで来ちゃったら逃げられない。どこまで逃げても追いかけてくるかもしれない。だったらせめて本調子じゃないうちに少しでも弱らせる」

「ちょっと。そこは『倒す』って言うところでしょ?」

「倒せるならそうするよ。でも、そんなに甘い相手じゃない」


 前回の一件では大人の魔女が八人死んだ。

 月が身を挺して止めなければもっと死んでいただろう。

 八人。少ないようにも思えるが、時間をかけて研鑽を積んだ魔女が八人だ。新しい魔女が生まれ、それを育てるのにいったいどれだけの時間がかかるか。

 貴重な戦力が永遠に失われた。それでさえ「被害が少なくてよかった」と胸を撫で下ろされる結果なのだ。


「魔力もだいぶ使っちゃった。回復を待っている時間もない。戦力は一人でも多いほうがいい」

「連盟に任せなよ! こんなのただの貧乏くじだ」

「そうもいかないよ。この街を選んだのは私だから。守りたいし、守らなくちゃ。……もちろん、静華ちゃんは治療が終わったら離れていいよ」


 静華は現役だが、医者であるため有事の際にもバックアップとしての尽力を求められる。

 文字通り戦闘のための力として魔法を振るう必要はない。

 死ぬ思いをして医者になったという従姉妹は、はあ、とため息をつくと、


「逃げられるわけないでしょ。みんなを生かして帰すのだって私の務めよ」

「ありがとう、静華ちゃん」


 決死の作戦、としか言いようがない。

 それでもこの場にいる四人は誰も逃げ出そうとはしなかった。


「銀さんも協力してくれる?」


 少女は朔夜の声に振り返ると「当然です」と頷き、


「人の世に害を成す悪魔を滅ぼす。それが天使憑きの使命であり望みです。この命を燃やしてでも悪魔を食い止めてみせます」

「ありがとう。……でも、できればみんなで生きて帰ろう」


 朔夜の腕を治し終えた後はいったん貴槻家に戻ることになった。

 母が所蔵していたマジックアイテム、由依が念のためにと持ってきていたマジックアイテムをありったけ持っていく。

 その中には厳重に密閉された透明の液体があり、


「母さん、これは?」

「私の魔力を薬品に変えたもの。特製の魔力回復薬って言えばわかりやすいかな?」

「なるほど。ポーションみたいなものか」


 粘性が強く飲み下すのに難儀しそうなそれを何気なく見つめて、


「なら、これで魔力を回復できるんだ。少しは楽になるかな」

「朔夜、あんたね……? こんなものほいほい使ったら死ぬわよ?」

「……どういうこと?」

「魔力を再度、体内に戻せる形で保存しておくなんて馬鹿みたいな高等技術なの。そこまでしても急激な魔力回復は身体に重い負担をかける」

「それだけではありません。貴槻くんのお母さま以外の者が飲めば魔力の拒絶反応で最悪、死に至ります」


 ゲームでよく見かける回復アイテムほど便利な品物ではないらしい。

 むしろ非常時でも積極的に使用したくはない。


「使うのはそれこそ、今回みたいな非常時だけだよ。……念のために何本か用意しておいてよかった」

「待って。そんなもの複数使うつもり?」

「違うよ。たぶんさくちゃんも使うだろうと思って」


 母曰く、魔力の近しい人間ほど拒絶反応は軽くなる。

 であれば実の子供である朔夜なら死にはしない。


「使うよ。僕だって何もできないままではいたくない」

「……ああ、もう。言っておくけど私は使わないわよ!? 従姉妹だからって飲ませないでよね!?」


 もちろん、朔夜も母も強制するつもりはない。

 案の定飲み下しづらいそれをなんとか腹に収めると腹痛とも異なる独特の違和感が全身を襲った。

 立っていることさえ辛くなって由依に支えてもらう。母も額に汗を浮かべながら微笑んで、


「大丈夫。移動している間に収まるよ」


 静華が乗ってきた車があるので移動にはそれを使える。


「はいはい。運転は任せて。でも、どこへ向かえばいいかわかるの?」

「わかるよ。あの方向ならあそこしかない」


 前回の再現と言うのならあの病院かとも思ったが、違う。

 桜並木の向こう。

 月の墓がある墓地。そこが真冬の決戦に選んだ地だ。



    ◇    ◇    ◇



 夜が明け始めている。

 しかし、街の人々に騒動が気づかれる心配はなかった。

 朔夜たちを「早く来い」と急かすように街全体に結界が張られたからだ。

 負の魔力による結界。

 相性の悪い由依は不安そうにアンクを握る。その手にそっと触れると、彼女は嬉しそうに微笑んでくれた。

 駐車場は時間外で封鎖されていたため適当なところに車を停め、高台にある墓地へと向かった。


「始まってる」


 うねるような触手がある一点を中心に這い広がり始めている。

 朔夜は母の所蔵品の一つを構えてトリガーを引いた。銃は錬金術の流れから生み出された「火薬」を利用した武器だが、これはその形状を模しつつ「魔力を発射」できるようにしたものだ。

 単純に魔力を叩きつけるのと違い、魔法の形に整える仕組みが用いられているため威力も貫通力も向上する。

 魔力は余っているのに魔法の未熟な朔夜用とも思える武器。魔力放出に慣れた今の朔夜にはうってつけで、触手は光に当たる端から千切り飛んだ。

 もっともキリがないのも事実なのだが。

 最初から全てを駆逐するつもりはない。進路を確保するための牽制に用いながらたどり着いた場所は、


「そこに月ちゃんの遺体はないよ、真冬ちゃん」


 漆黒にして悪辣、放埓の魔女・宵闇真冬は夜明けの太陽に照らされながら黒いコートを纏って月の墓前に立っていた。

 無限に生み出される触手は彼女を守る、あるいは彼女から生み出されているかのように見える。

 当然だ。

 真冬が特級とされている理由は「悪魔を使役できるから」。

 悪魔憑きと異なり、生まれつき悪魔を宿しているわけではない。代わりに悪魔を取りこんで操ることができる。


「知っているわ。でも、これでいいの。ここでいいの」


 蔦木月の遺体は悪魔憑き案件だったために通常の方法で埋葬されず、魔女連盟が厳重に取り扱うことになった。

 そのため墓に収められているのは月の遺品だけだ。


「ここには彼女への想いで溢れている。そして、あの悪魔の欠片は私の中にずっとあった」


 子宮に手を当てて笑う真冬。


「魔力もほら、十分に」


 顕現する。

 かつて大災厄を引き起こしかけた悪魔が欠片から再生され、最悪の魔女に操られてこの世に蘇る。

 衝動に任せて魔力光を放てば、当然のように弾かれて、


「ひどいわ。あんなに求めあった仲なのに」

「どの口が……っ!」

「さくちゃん、いったん後退しよう! このままじゃ──!?」


 触手は奔流と化し始めている。

 朔夜は右手に光刃、左手に魔力銃を持ち触手を迎撃、母もまた炎を放って触手を焼き払っていく。その程度では敵は全く堪えた様子もないものの、一時的に進行を遅らせる効果はある。


「同じだ。あの時と」


 前回、朔夜は月と共に中心部にいた。

 宿主のいるその場所は逆に凪となっていてなんの影響も受けることはなかった。だから見ることができた。触手が魔女を呑み込み、喰らい、ただの肉片に変えるところを。

 これらの触手は蛸、烏賊、その他海産物のそれを模したものだ。

 古来、海の生物というのは人々の恐怖の対象だった。特に触手を持つ生き物は異形として恐れられ、化け物として扱われた。

 そうした恐怖から人の想像力が生み出した架空の神さえも存在する。

 月が宿していたのはそうした「恐ろしい海の生き物」の概念を宿した悪魔だ。人知を超えた形状と生態を持ち、人の抵抗などものともせずにすべてを呑み込む。


 出会ってしまえばそれで終わり。

 破滅の化身とでも言うべき魔が二年の時を経て再びその猛威を振るい始めた。

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