二年分の歪み

「本当に気をつけてね? 無茶したら駄目だからね?」

「わかってるよ。……っていうか、母さんだって安全ってわけじゃないんだから」

「貴槻くん。お母さまは魔女ですのであまり心配はないかと……」


 夜。

 春が終わりつつある時期ということもあってこの時間でも過ごしやすい気温だ。

 葉月に見立ててもらった服を身に着けた朔夜は母、そして由依と共に夜の街──不用意に近づくべきではない一角へと向かった。

 一週間ほど前にもその入り口あたりには足を踏み入れたわけだが、大人が羽目を外す場、つまりは飲み屋やいかがわしいホテル等が林立するエリアだ。

 当然のことながら高校生の来るところではない。

 本来ならば朔夜の言った通り、若く見られやすい朔夜の母も気をつけなければならない立場だ。酔っ払いのナンパというのはえてしてしつこい。しかし、他人の目は認識阻害の魔法によってまとめてシャットアウトされている。


「……こうした界隈はいっそなくなってしまえば良いと思います」


 珍しく過激なことを由依が口走るのもわからなくはない。

 力のある魔女というのはその胸のせいで邪な視線を集めやすい。

 今は朔夜とて他人事ではないわけで。


「母さん。昨日陽花はるかちゃんを見たのはどのあたりなの?」

「けっこう奥のほうだよ。ただお酒を飲んだりするだけではなかなか行かないあたり」


 母の言う通り、進むほどにいかがわしい雰囲気は増していく。

 酒とたばこのにおい。品の良くない笑い声が頻繁に響き、顔を赤くした男が目的があるのかないのかふらふらと彷徨っている。

 顔をしかめつつ先導に従っていると、母が足を止めたのは一つの路地だった。

 覗き込むと今は誰もいない。ただ、入ってしまえば人目を避けられるのはわかった。


「さすがに昨日の今日じゃ来ないかな」

「どうだろう。……陽花ちゃんが来なくても、悪い仲間の子たちには会えるかも」

「少し待ってみましょうか」


 路地から少し離れて監視めいたことをする。

 堂々と立っていても見咎められないというのはこういう時に得だ。とはいえ手持ち無沙汰のままただ待つのはだいぶ焦れる。

 来て欲しいのか来て欲しくないのか。もう帰ってしまってもいいのでは、と思考を巡らせつつ三十分ほどの時を過ごして。


「あいつ来ると思うか?」

「どうだろうな。親にチクられたらさすがに出られねえかも」

「くそ、余計なことしやがって」


 路地裏に三人組の男が入っていくのを朔夜は見た。

 大学生だろうか。高校生も混ざっているかもしれない。服を着崩しており、あまり品の良くない連中であることは一目でわかる。

 おそらく「あいつ」というのは陽花のことだろう。

 認識阻害を受けたまま路地裏を覗けば、彼らはさっそく酒とタバコに興じていた。荒れた唇から漏れるのはやはり品が良いとは言い難い話題だ。

 由依は顔をしかめるどころか口元を押さえ「信じられない」という顔だ。


「こういう子たちはどうしても出てくるよ。誰からも文句の出ない社会なんて夢物語だもん」

「ですが、放置しておくわけにもいかないでしょう」

「そうだね。……でも、注意や指導は専門機関の仕事だよ。私たちにできるのは知り合いを連れ戻すことくらい」


 警察等に通報というか報告は行うものの、それ以上は各機関の判断だ。


「こんなの、陽花ちゃんのいていい場所じゃない」

「うん。でも……」

「来ました。彼女が蔦木陽花さんですね?」


 親の警戒も認識阻害の前では無意味だったか。

 明らかに夜中出歩いていい年齢ではない少女がふらりと夜闇に紛れるようにして路地裏へと向かってくる。

 蔦木陽花は姉の月にはあまり似ていない。

 幼少期から活発で明るく元気な女の子だった。朔夜たちと一緒に遊ぶこともあったものの、他に友達も多かったので顔を合わせないことも多々あった。

 月の墓参りを毎月行うようになってからは毎回のように鉢合わせては小言をもらっていた。

 会う度に成長していき、今では月の亡くなった年齢に達している。すくすくと成長してきたせいか姉より背は高く身体の発育も早い。それでも、悪い遊びを覚えるには早すぎる。

 朔夜の想いを裏切るように少女はただ虚ろな表情を浮かべて闇へと潜っていく。

 マニキュア、ノースリーブもシャツとジーンズ生地のショートパンツ。化粧もしているだろうか。


「あ、みんな揃ってる」

「よう陽花。親は大丈夫だったのかよ?」

「もう最悪。……ね、あたしストレス解消したいんだけど」


 敢えて仲間に会わせたのは一縷の望みを抱いたからだった。

 両親の説得を受けて悪い仲間と決別する。そんな都合のいい展開には当然のようにならず──蔦木陽花は年上の男に肩を抱かれて笑みを浮かべた。

 だらしのない、薄っぺらい笑顔。

 男に媚びるその表情に言いようのない苛立ちが浮かぶ。


「酒ならあるぜ。タバコも」

「それもいいけど、しよ、って言ってるの。わかってるでしょ?」

「ははは! お前ほんと好きだよなあ!?」

「まあ、俺たちがそういう風に調教してやったんだけどな」


 聞きたくもない言葉が次々と男たちから漏れ、朔夜は少女の辿ってきた道のりをありありと想像させられてしまう。


「これでは、手遅れではありませんか」


 由依の呟きに同意したくなる。しかし母は「違うよ」と首を振った。


「手遅れなんかじゃない。いつだってやり直しはきくんだよ」

「でも、母さん。どうやって」

「とりあえず、陽花ちゃんと話をしよう」


 母の身体から魔力が放たれて結界を形成する。

 発動の早さに舌を巻くと同時に、朔夜は母の結界が由依のそれとは異なっていることに気づく。神聖な雰囲気は感じない。そのせいか陽花の中にあるはずの負の魔力をいたずらに刺激することはなく、それでいて陽花以外の一般人には強い影響を与えた。

 強烈な眠気を覚えたように目を擦り、床に座りこむ三人。そのまま彼らの身体が崩れ落ちると、陽花は「え?」と疑問の声を上げた。


「駄目だよ、陽花ちゃん。こういうのはせめて、自己責任でできるようになってからにしよ?」

「おばさん。……それに、お兄さん? どうして」


 やはり葉月と別れた時に見られていたのか、陽花は朔夜の胸に驚かなかった。


「陽花ちゃんが心配だったからだよ」

「陽花ちゃん、お話をしよう? 陽花ちゃんは悪い魔女に利用されているの。このままだと悪魔に食べられちゃうかもしれない」

「……悪魔に」


 一般人の生活は魔女の活動とは切り離されている。

 生活の中に魔道具が溢れてはいても機能的なそれらを「神秘の力の産物」とは理解しづらい。テレビで魔女が取り上げられることも毎日のようにあるが、それもどこか別世界の話と捉えられがちだ。学校にしても大部分が専門教育を受けるため目にする機会は少ない。

 だから、知識はあっても「自分がその被害を受ける」とはなかなか思わない。

 悪魔のせいで姉を失った陽花であってもすぐには納得できなかったのか、彼女はしばらく押し黙ったままその場に立ち尽くしていた。


「お兄さん。いえ、朔夜さん。その女の人は恋人なんですか?」

「違うよ。銀さんは──」

「そうですよね。お兄さんは別の女の人とホテルから出てきました。お姉ちゃんのことがまだ好きだっていうなら、その人たちはセフレなんでしょう?」

「陽花ちゃん。お願いだから話を聞いて」

「聞きますよ。聞けばいいんでしょ?」


 突き放すように、突き放されたように、少女は朔夜たちのほうに歩いてきた。


「悪魔。魔女。どうしてそんなものばっかり私たちに関わるんですか」


 心の底から吐き出されたような言葉に胸が強く締め付けられた。



    ◇    ◇    ◇



 母がお茶を淹れて差し出しても陽花はなかなか手をつけなかった。


「陽花ちゃん。生活を思い返してみて思い当たることはないかな? 必要以上にイライラしたり、悲しくなったり。自分の気持ちが誰かに誘導されてる、みたいな」

「……イライラすること、なんて、たくさんありすぎてわかりません」


 少女は不貞腐れた子供そのものだった。

 しかし、ただ悪ぶっているよりも状況は悪い。

 既に悪い遊びを覚えてしまっているのだから。


「じゃあ、いつ頃からそうなったかわかる?」

「決まってます。お姉ちゃんが死んだ時から」

「その頃、女の人に会わなかった?」


 朔夜がスマホの画面を差し出す。あの魔女は朔夜にだけはあらゆることを妙に許した。写真を撮った──撮らされたのもその一環だ。

 一瞥して「知らない」と言い賭けた陽花は目を見開いて「ううん、知ってる」と呟く。


「お姉ちゃんが死んですぐ。私はじっと見つめられて、お腹に宝石みたいなものをあてられて、それで──」

「やっぱり。それが陽花ちゃんをイライラさせてる原因。魔女──真冬ちゃんはそうやって悪魔を作ろうとしているの」

「お姉ちゃんと同じように、私も悪魔で人を殺すんですか?」


 きっ、と、少女が顔を上げる。


「イライラの原因が宝石? じゃあ、私が朔夜さんを嫌いなのも、お母さんを嫌いなのも、お父さんを嫌いなのも、全部そのせいだっていうんですか!?」

「……陽花ちゃん」

「そんなはずない。私がこうなのは私のせいです。私はお姉ちゃんとは違うから。私はお姉ちゃんじゃないから」

「落ち着いて、陽花ちゃん」

「うるさい! あなたには何も言われたくない!」


 悲鳴が夜のリビングに響き渡った。


「貴槻くん、あまり刺激しないでください。負の感情の爆発は……」

「ごめん。陽花ちゃん。銀さんも」


 あまりにも強い生の感情に息が苦しくなる。

 罪悪感と無力感。こういう気持ちになるのが嫌だから魔法の力を欲したはずなのに。


「陽花ちゃん。どうして夜出歩くようになったの?」

「眠れないからです。家にいても息苦しいから外に出ました」

「────」

「いろいろやったんですよ? 思いつくような悪いことはぜんぶ。おじさんも大学生も喜んで相手してくれました。知ってますか、お兄さん? たぶん私のほうがお兄さんよりも経験豊富」

「陽花ちゃん!」


 刺激するなと言われたばかりなのに我慢できなかった。

 怒鳴られるとは思っていなかったのか、少女は呆けたような表情で朔夜を見つめてくる。


「止めよう。月と陽花ちゃんが違うのなんて当たり前だよ」


 陽花がどうしてそんなことを言ったのかはわからない。

 彼女からは邪険にされていたし、あれ以来ろくに話していない。それでも朔夜は彼女を大切に思っているし、どうにかして夜遊びを止めさせたい。

 だから、自分なりの言葉で諭そうとして、


「もっと話せばよかったんだ。一人じゃ苦しいのは当たり前なんだから。なのに僕は」

「じゃあ、どうしてお兄さんはお姉ちゃんばっかり見てるんですか!?」

「っ」


 言葉が詰まる。

 少女は涙をぽろぽろとこぼしながら朔夜を睨みつけてきた。


「お父さんもお母さんも、あなたも、お姉ちゃんのことばっかり! 私だって生きてるのに! 私は生きてるのに!」

「落ち着いて、陽花ちゃん」

「っ!?」


 陽花がびくっと身を震わせる。

 制止の声を上げたのは母だ。その声にはどこか有無を言わせぬ威圧感が籠もっている。


「本当はこんな言い方したくないけど……。あなたは今正気じゃないの。だからあなたの中の宝石を取り出させて欲しいの。その後でもう一度話をしよう?」

「そんな、そんなの」


 少女がお腹に手を当てる。

 まるで、いずれ生まれてくる子供を感じようとするかのような仕草。


「悪魔が出てきたらどうなるんですか?」

「わからない。場合によっては人がたくさん死ぬかもしれない。悪魔の性質によっては陽花ちゃん自身も」

「知ってます。お姉ちゃんもそうやって死んだんですよね?」

「違う。月は悪魔を止めるために死んだんだ」

「なら、私が死ねば解決するんですか?」


 母が言った通り、陽花はアイテムの影響で悪い方向に思考を誘導されている。

 全てが本心ではないだろう。どれがどの程度、もともとあった感情なのか。それはいまの陽花自身にさえわからないはずだ。

 二年もの間身体の中にあったのだとすれば違和感ももはや感じ取れないだろうし、この状態では説得のしようもない。


「強引にでも摘出するしかないと思います」

「……そうだね。ご両親にはなんとか説明しよう。ごめん、陽花ちゃん。絶対に助けてあげるから、少し眠っていてね」

「そんな、私は……っ!」


 何かを主張しようとした少女は母の目を見た瞬間に力を失い、テーブルに身を預けるようにして意識を失った。

 何もできなかった。

 解決のために動いたのは由依と母。朔夜はむしろ話をややこしくすることしかできなかった。


「くそ」


 拳を握って息を吐くと、由依の柔らかな手が朔夜の腕を取った。


「お気になさらないでください。間違っていたわけではありません。……少なくとも、あなたの気持ちは」

「それに、かえってよかったかもしれないよ。陽花ちゃんも少しは気持ちを吐き出せたと思う」


 二年もの間、仕込みを受けてきた少女をなんとか確保できた。


「この子が本命かもしれない。絶対に助けて、街も救わなくちゃ」

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