同居

「あんなこと言って普通に料理上手いんだもんなあ」

「申し訳ありません。自慢のようになってしまったでしょうか」

「いいんだよ。ただ、銀さんにお世話になってばかりだから拗ねてみただけ」


 母と姉、三人で暮らした期間が長かったため、朔夜は女性との生活に慣れている。

 月が元気だった頃は家に泊まりに来ることもあった。小さい頃と今では意味合いが違うものの、そうした経験が少しは役に立った。

 銀由依という美少女と寝食を共にすることになっても必要以上に意識せずに済んだからだ。

 由依には引き続き姉の部屋を使ってもらうことになった。

 銀家の使用人だという女性が運んできた荷物はトランク二つ分。なかなかの量であるような、そうでないような。当の由依は「ほとんどが身に着けるものと魔法関連の品です」と言っていた。


『由依ちゃん、洗濯とかどうしよっか? 分けたほうがいい?』

『今まではどうしていらしたのですか?』

『最近はさくちゃんの分と私の分、一緒だよ。下着も丁寧に洗わないとだし』

『……そう言えばそうでしたね』


 朔夜の胸と、その下にあるブラを凝視した由依は悩ましげな表情を浮かべて、


『銀さん。その、無理はしなくても』

『いえ、その。貴槻くんのことが嫌というわけではないのです。ただ、男性の身に着けた女性用の下着というのはどう判断すべきかと……』

『そういう言い方されると本当に変態っぽいなあ……』


 結局、由依は悩んだ末に洗濯を母に任せることを選んだ。


『将来を共にするのであればこの程度のことで動揺してはいられませんね。……むしろ、他の殿方であればより忌避感を覚えていたでしょうから、貴槻くんで良かったと思うべきです』

『ありがとう、でいいのかな? 本当に無理はしないでほしいけど』

『お気になさらないでください。学園に行けば同室で着替える機会なども出てくるでしょうから、今のうちに慣れておくべきです』

『そう言われるとそうか。……それはそれですごい話だなあ』


 こうして火曜日──正確には月曜の夜から三人での生活が始まった。

 母はさっそく夜の見回りを開始。昼に調査する時間はその分減らして、夜更かしした分昼寝の時間も取るようになった。

 疎かになりがちな家事は朔夜と由依がサポートする。

 なんでもできそうな由依は意外なことに掃除が苦手だった。使用人にやってもらえる環境であれば確かにそこは覚える必要がない。ついでに言うと最近は便利な魔道具もいろいろとあるので手動にこだわる必要もないかもしれない。

 一方で、謙遜していた料理については朔夜より遥か上の腕前。

 野菜炒めを普通に作れる程度の腕前である朔夜が「僕と同じくらいの腕かな」などと推し量ったのがそもそもの間違いだったのだが。

 ハンバーグ、肉じゃが、酢豚──およそ一般的に作られる家庭料理は一通り作ることができ、その味も手放しに「美味しい」と褒めることのできるものだった。

 火曜の夜に敗北を痛感してから数日、朔夜は料理を手伝うというか習うような感覚で台所に立つことになった。


「貴槻くんはエプロン姿が似合いますね」

「銀さんに言われるとぜんぜんそう思えないんだけど」

「わたくしはむしろ、似合わない、と言われることが多いのですよ?」


 お嬢様めいた、おまけに妖精めいてもいる容姿のせいで「料理とかしなさそう」と思われたのだろう。


「それはそれで僕とは似合わない理由が違うよ。美人はどんな格好でも似合うし」

「美人だなんて……。貴槻くんだってお母さま譲りの美貌をお持ちででしょう?」

「あはは。女みたいってよくからかわれてたんだけど、それが逆に役に立ったね」


 必要以上に意識しないとは言っても風呂の際や夜のパジャマ姿など、どうしても鼓動が高鳴る瞬間はあったものの──数日もすればそれも少しずつ慣れてくる。

 朔夜たちも昼間は学校に通う代わりに街の調査に出た。

 平日の外出を見咎められる心配については由依が二人ぶんの認識阻害を担当してくれたために問題なし。

 さすがに学校とは広さが段違いのため簡単には行かなかったものの、一つずつ着実に仕掛けを破壊していった。


 合間には魔法に関する知識を補完してもらう。

 今、早急に必要なのは魔法、あるいは魔力の使い方だ。

 同い年とはいえ幼少期から訓練を受けてきた由依は十分、初心者相手の教師役なら務められる。


「最も初歩的な魔法の使い方は『イメージ』です」


 言うと、彼女はあらかじめ用意されていた朔夜の(正確には母の)剣を握ってスイッチを入れる。

 当然、光の刃が生み出されて安定する。


「現象を明確に思い描き、それを魔力で再現する。理論上はこの方法でおよそどのようなことでも可能です。例えばこの剣を道具なしで作り出すことも」

「死者の蘇生でも?」

「死者蘇生──復活はもはや魔法を飛び越えて奇跡です。魔女ではなく聖人の領域と考えてください」


 朔夜が月の復活を口にすると母も由依も不機嫌になる。

 少女は、はあ、とため息をついてから「とはいえ」と続けて、


「死者蘇生という現象を正確にイメージできるのなら可能かもしれませんね。月さんの人体・精神の構成要素全ての再構築を脳内だけで描き、そのうえ莫大な魔力を負担する必要がありますが」

「人を生き返らせることができない、っていうのはそういう意味だったんだ」


 人体の構造を完全に把握するなんて医者でさえ困難だ。

 まして、もういない少女の身体を完全再現するとなれば。

 自分のやろうとしていることの途方もなさに気が遠くなる。


「いったん死者蘇生については忘れましょう。今の貴槻くんは戦いの手段を一つでも増やしたい。そうですね?」

「うん。またあんな悪魔が出て来たら今のままだと勝てない」

「でしたら、初歩のそのまた前の段階から始めましょう」

「それって?」

「魔力の放出です」


 朔夜は既に身体から魔力を吐き出せる状態にある。

 体内の魔力の流れも把握できているのだから、その気になれば魔力を放って相手に叩きつけることができる。


「単純な魔力でも一定の攻撃力はあります。大量の魔力を用いればなおさら」

「僕は魔力が余ってるわけだし、それだけでも結構違うか」


 自身の手のひらを見つめた後、ぐっと拳を握る。


「でも、そんなのどこで練習すれば?」

「古い家であれば敷地内、あるいは家の中に練習場を設けているものなのですが──わたくしの家にご案内するのも時間ばかりかかってしまいますし、この家の廊下をお借りしましょうか」

「本当にただの廊下だけど」


 玄関からリビングに繋がる真っすぐの空間。

 由依はリビングから玄関付近まで歩いていくと朔夜のほうを振り返った。

 左手でアンクのアクセサリーを握り、右手を軽く突き出す姿勢。

 ぽう、と生まれた光が彼女を守るように展開。


「撃ってきてください。わたくしが防ぎますので、貴槻くんは狙いを外さないことだけに集中してくだされば」

「防ぐって言っても、人を撃つのは抵抗があるんだけど」

「そんなことを言っていては悪魔が知人の姿を取っただけで戦いの手を止めることになりますよ」

「それは」


 相手が悪魔だとわかっていれば戦える、と言い返そうとしたものの、じゃあどうして十分な防御を行っている由依は撃てないのか、と言われると何も言えない。

 朔夜は気持ちを切り替えるように首を振ると「わかった」と答えた。

 最も感覚的に扱いやすいのは右手だ。

 由依に向かって突き出し、左手でそれを支えるようにする。剣を持っている時を思い出しながら身体の魔力に意識を向け、手のひらから真っすぐ吐き出すように──。


 閃光。


 放たれた光が由依の光盾に衝突、弾けるような音を立てて消滅する。

 受けた由依は驚いたのか若干眉をひそめて、


「お見事です。ですが、もう少し威力を加減してくださいませ」

「ご、ごめん」

「貴槻くんは魔力のセーブという概念が希薄なのかもしれませんね」


 生まれた時から持っていたわけではなく、しかも今はあり余っている。

 別に全部使い切っても平気だろうと無意識に考えているせいでばんばん浪費してしまう。その結果が今のように必要以上の強さを出すことに繋がる。


「魔力による直接攻撃は効率としては良くありません。魔力を扱う練習と考え、必要量を収束して放つことを覚えましょう」

「わかった」


 初回の訓練の後、母にも相談してみたところ「それならいいものがあるよ」と練習用のアイテムをくれた。

 形状はまるきり鍋の蓋なのだが──内側の面に魔力防御が施されており、的代わりに使えるらしい。試してみると確かに威力を絞った魔力攻撃程度ならびくともしなかった。


「壁に固定すれば一人でも練習できるんじゃないかな?」

「それなら銀さんに頼らなくても済むね」

「ですが、貴槻くんが外した場合は修繕費がかさみますが……」

「……由依ちゃん、付き合ってあげてくれる?」

「母さん。少しは信用して欲しいんだけど」


 抗議の声は「何事も初めは信じられない失敗をするものなの」という言葉であっさり却下された。

 由依としても自身の魔力で防御するよりは格段に楽になったため、まあ良し、ということで訓練はそれからも暇を見つけて何度か行われた。

 街の悪魔退治での実践も交え、魔力攻撃の腕も少しずつ向上。


「狙って撃つなら手のひらより指から撃つ方がいいかな」


 自分なりの改良方法も見つかった。

 人差し指を立てて相手に向ければ自然とピンポイントな攻撃になるし狙いもつけやすい。由依も「良いと思います」と頷いてくれた。


「ですが、貴槻くん。これはあくまで補助と考えてくださいね。剣を使えるのであればそちらのほうがよほど有効です」

「わかった。非常時とか必要な時以外はあまり頼らないようにするよ」


 意識的に魔力を流すのに慣れると身体能力にも良い影響が出てくる。


「身体強化の効率が若干上がったのでしょう。次は戦闘中、必要十分な魔力を常に供給できるように練習いたしましょうか」

「ちなみにそれはどうやって?」

「難しいことはありません。魔力の流れを意識しながら身体を動かすだけです」


 その辺をランニングしながらでもできる、というわけだが、正直、精神集中しながら運動するというのは十分、慣れていない人間にとっては難題だった。

 意識を潜らせると外への注意がおろそかになる。

 かといって身体を動かすほうに集中すると魔力の流れが適当になる。

 慣れれば自然にできるようになるとは言うものの、そのためには慣れるほどの反復練習が必要。


「運動が難しければ日常の動作を行いながら魔力を意識してみましょう。食事などちょうどいい機会かと」

「銀さんも昔こんな風に訓練したの?」

「ええ、まあ、そうですね。……実のところ、わたくしの課せられた訓練はもう少し容赦がなかったかと」


 食事の作法を厳しく躾けられながら魔力操作も要求され、好き嫌いをすれば怒られた……という話を苦笑交じりに語る由依を見て、朔夜は「魔女ってろくでもない連中なんじゃないか」と思った。

 もちろん、世界を守るために頑張っている魔女もたくさんいるわけだから全部がそうではないだろうし、古い家というのはえてしてそういうものなのだろうが。

 そして。


「ようやく陽花はるかちゃんに会えたよ」


 母がそう教えてくれたのは由依と共同生活を初めて一週間が経つ頃だった。


「では、やはり夜遊びをなさっていたのですか?」

「うん。……それも、けっこう良くない遊び」


 母は言いにくそうにしながらも、陽花を見つけた時、彼女が複数人の男と一緒にいたことを教えてくれる。

 手足の露出する格好で男の手に身を任せる少女。邪な関係があることが一目でわかる状況に、母は割って入らざるをえなかった。

 認識阻害の応用で男たちの隙を作り手を取って連れ出せば揉め事もなく場を収めるのは難しくなかったものの、


「問題は、陽花ちゃんが認識阻害を纏っていたことだよ」

「じゃあ、アイテムを持っていたのですね?」

「ううん、なかった。……魔力を纏っているのはもっと奥だったの」


 奥歯に物が挟まったような言い方に、朔夜は葉月の時のことを思い出す。

 またしても身体の奥に隠されていたのか。


「説得して家に帰ってもらったけど、納得してくれたかどうかはわからない。今日見つけた周辺をしばらく注意したほうがいいかも」

「それより、母さん。陽花ちゃんからアイテムを離さないと」

「それが難しいんだよ」


 母もまた「やりたいのはやまやま」という表情を浮かべながら悩ましげに眉をひそめて、


「たぶん、感じた雰囲気からしてアイテムは身体と半融合してる。取り出すにはちゃんとした処置が必要だけど、そうなるとご両親にも説明しないと」

「融合……。相当以前から埋め込まれていた、ということですか?」

「そうだね。……もしかすると、二年前から狙われていたのかも」


 あまりにも残酷で悪辣な手口。

 魔女の悪意をあらためて感じた朔夜は背筋に寒いものを感じざるをえなかった。

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