過去
「ありがとうございます。……それでは」
通話を切り、息を吐く。
「さくちゃん、どうだった?」
「遅い時間に外出しているのはご両親も知らなかったって。それとなく注意してもらえるようにお願いした」
単に朔夜の勘違いという線もある。
咎めるのではなく、本当に外出する様子があるなら止めてあげて欲しいという趣旨だ。反発を受けないように朔夜の名前を出さないこともお願いした。
何か事情があるのかもしれない。
とはいえ他人の問題だ。他でもない
「夜は魔の活発化する時間です。何事もなければ良いのですが……」
「心配だね。私、夜中にも見回りの時間を作ってみる。もしかしたら会えるかもしれないし」
「じゃあ僕たちも……っていうわけにはいかないよね」
「さくちゃんたちは駄目。警察に補導されちゃう」
未成年が夜に外出しないようにするのも治安維持のためだ。
酔っ払いも多い夜のホテル街なんてトラブルも起こりやすい。ふらふら出歩いてトラブルにでもなれば負の感情の蓄積も増えていく。
警察に文句は言えないし、むしろ陽花が注意されて家に連れ戻されてくれるといいのだが。
「認識阻害が働いているのかもしれませんね」
「銀さんが張った結界みたいな?」
「ええ。場所に固定するのではなく、身体に纏うようにすれば注意を向けられにくくなります。強度にもよりますが、ご両親が外出の物音に気付かないこともあるでしょう」
「陽花ちゃんは魔女じゃないはずだけど、悪魔の影響を受けているなら可能性はあるね」
男よりも女の方が魔力は多い。悪魔によって力を引き出される形で疑似的に魔法を使うケースがあるらしい。
「さくちゃん。しばらく私、不規則な生活になっちゃうけど……」
「それくらいなんでもないよ。料理と洗濯くらい僕でもできるし」
「……本当かなあ」
「でしたら、わたくしもお手伝いいたします。街を探索するのであれば家から通うのも手間ですし」
荷物は使用人に持ってきてもらえばいい、と由依。
こういったところはお金持ちのお嬢様である。もっとも、朔夜の母も実家はかなりの名家なのだが。
由依が実家への連絡を済ませると三人は再びリビングのテーブルに落ち着いて、
「では、話していただけますか? 過去の事件と蔦木月について」
「うん」
視線を上げ、天井を見つめながら思い出す。
最愛の少女との出会いと別れについて。
◇ ◇ ◇
朔夜が月──蔦木月と出会ったのは引っ越してきて間もなくのことだった。
幼かったため、当時のことはあまり覚えていない。貴月本家で暮らしていた頃の記憶だってほとんどないくらいだ。
ただ、ある日、母に連れられて行った公園で月を見つけて目を奪われたのは確かだ。
『はじめまして。わたし、つたきゆえっていいます』
月は大人しく聡明な少女だった。
生まれつき身体が丈夫ではないそうで、他の子たちとの遊びには交ざれない。時折両親に連れられて散歩に出る以外は家で遊んでいることが多かった。
引っ越してきたばかりで友達がおらず、また、今思えば当時の朔夜は多少常識が他の子とズレていただろう。お互いに遊び相手を求めていたのもあってすぐに仲良くなった。
女系の貴月家で育ったこともあり、幼少期にありがちな異性への敵視が朔夜にはなかった。
身体が大きいわけでも特別運動を好むわけでもなく、貴月本家にも本はたくさんあったので、自然と月に合わせる形で遊びを決めるようになった。
遊び場はお互いの家が多く、ある程度成長してからはたまに二人で散歩することもあった。
『朔夜は、どうしてわたしと遊んでくれるの?』
『月のことが好きだからだよ』
一目見た時にはもう恋に落ちていた。
一緒にいる時間が増えるほど、底だと思っていた場所がまだ浅いことに気づき、朔夜はどんどん深みに嵌まっていった。
甘い沼の底。
『うん。わたしも朔夜が好き』
望んでどっぷりと浸かり、その幸せを味わっていた。
「二人は本当に仲が良かったの。本当の兄妹、ううん、小さい頃から恋人同士みたいだった」
「蔦木月──月さんの身体が弱かったのは悪魔憑きの影響だったのですね?」
「そうだよ。ただ、当時の私たちはそのことを知らなかった」
天使憑きも悪魔憑きも出会っただけでそれとわかるようなものではない。
魔女の家ならば幼い頃に調べてはっきりさせるのが普通だが、稀に一般人から生まれた場合は両親さえもそのことを知らずに育つことも多い。
「月さんは魔女ではなかったのですね」
「月は一般人だよ。悪魔が憑いている以外は普通の子だった」
その点が由依とは決定的に違う。
「天使憑きは希望の力を操ります。力の制御に悩むことはあっても健康に害を成すことは少ないのですが、悪魔憑きは負の力。生命にも負担がかかりやすいと聞きます」
「月ちゃんもね、大きくなればなるほど体調を崩しがちになったの。小学校高学年くらいからは入院することも出てきた」
「何度もお見舞いに通ったよ。数えきれないくらい」
本を読んだり、話をしたり。
本当になんでもない時間が楽しくて幸せで、こんな時間がずっと続けばいいと思っていた。
月との未来を望んでいたし、月もよく未来の話をした。
『朔夜と同じ学校に通って、同じ家に住んで、死ぬまで一緒に暮らしたいな』
できるよ、と言うと彼女は決まって「できるかな?」と微笑んだ。
「気づいてなかったんだ。未来の夢が月に負担をかけていることに」
「悪魔は憑いている人間の欲望を喰らうでしょ? ……そして、生きたいっていう希望の裏には死への不安や恐怖、健康な人への嫉妬が渦巻いていたんだよ」
「優しい方だったのですよね? それでも……?」
「他人の幸せだけを考えられる人間なんていないよ。人の心は必ず表裏一体なの。むしろ、月ちゃんはよく我慢してたと思う」
「だけど、何も悪くない月の、当たり前の気持ちを付け込まれた」
「誰に、ですか?」
「悪魔に。そしてあの魔女──
名前を口にしただけで空気が冷える。
朔夜にとっては雲の上の存在、憎い相手であり唯一の理解者であり、初めて身体を重ねた相手でもある。言ってしまえば「ただそれだけ」だったが、母や由依のように魔女として学んできた者にとってその名前はもっと大きな意味を持っている。
「特級指定魔女──宵闇真冬」
「一般人から生まれ、七歳で特級に上り詰めた特異点。よほどのことがない限りその行動と存在が認められている生きた災厄」
魔女の等級は魔力のランクとは別物だ。
等級はその魔女の影響力によって決定される。最上級、というか、本来最上級である一級に収まらない「規格外」を指すのが「特級」だ。
国際基準で定められた指標は「国一つを滅ぼしかねない存在」。
「真冬ちゃんは月ちゃんに目をつけた。あの子の宿していた悪魔は特に危険なものだったから」
「あいつは僕たちとは別のタイミングで見舞いに来ては月に闇を吹き込み続けていたんだ」
「なんのために、ですか?」
「月の心の闇を増幅して悪魔を目覚めさせるために。……ちょっとした実験だ、って本人は言ってたよ」
見舞いに来たことは魔法──当時の朔夜は知らない概念だがおそらく認識阻害によって秘匿され、月自身ですら真冬に会っている時以外は忘れてしまっていた。
だから誰も聞づけなかった。
母さんは魔法からは遠ざかった立ち場であって、やむを終えない時以外は力を振るわない。さらに言えば当時の真冬はまだ大掛かりな事件を起こしてはいなかった。
桜ノ宮の魔女である宵闇真冬は存在しているだけで邪な魔女の介入を街から遠ざけ、平和を作り出す「使われない大規模兵器」のような扱いだった。
「忘れていたのかもね。真冬ちゃんだって当時まだ高校生。未熟で未完成で、道を踏み外しやすいただの子供だったんだって」
「狂っていただけだよ。あいつは最初からまともじゃなかったんだ」
「そうして、月さんの中の悪魔が目覚めたのが今から約二年前──だったのですね?」
「うん。二年と二か月前。僕たちは中学二年生で、後一ヶ月すれば三年生に上がる頃だった」
「後一年で中学校も卒業。そう思った月ちゃんは焦っちゃったんだろうね……。このまま体調が悪化し続けたら高校になんて通えっこないから」
そうして、二年前の三月二十四日、深夜。
病院の屋上に特級相当の悪魔が顕現した。
「国家レベルの危機に緊急指示が発令され、近隣の街の魔女が討伐のために急行。顕現から一時間の間に八名の魔女が到着し──全員が死亡したと記録されています」
「準備もなしに勝てるような相手じゃなかったんだよ。急だったから連携している時間もなかったし、状況は最悪だった。……死んだ魔女の中には私の元同級生もいたよ」
「では、やはり蔦木月は大罪人です。悪魔が討伐され、蔦木月が死亡しなければ本当に国が滅んでいたかも……っ!?」
そこまで口にした由依は何かに気づいたように目を見開いて。
「待ってください。成人済みの魔女八名を次々に葬るような災厄をいったいどうやって、誰が討伐したのですか?」
「記録には書かれていなかったんだね?」
「はい。……派遣された特別チームが遅れて到着した記録はありましたので、その方々が処理したものと考えておりましたが……」
「特級相当ならそれさえ返り討ちにしていてもおかしくない。そうだよ。実際、あのままだったらきっと死者はもっと増えていた」
「あの場には悪魔だけじゃなくて真冬先輩もいたんだから」
特級が二人。
国家存亡の危機と言っていい状況を救ったのは、
「月ちゃんだったんだよ」
「……え?」
「月が『自殺』したんだ。病院の屋上から飛び降りて、まだ顕現しただけで宿主から自立できてはいなかった悪魔を間接的に殺した」
朔夜はその一部始終を見ていた。
真冬が月をそそのかすところも、悪魔が人を、魔女を跡形もなく吹き飛ばすところも。
月が「ごめんね」と泣き笑いながら身を投げるのも。
奇しくも、悪魔が暴れたことによって落下防止のフェンスは破壊されており、月の自殺を止める役には立たなかった。
悪魔憑きによって引き起こされた事件は悪魔憑き自身によって幕引きとなったのだ。
「では、月さんが責任を取っただけではありませんか」
由依は青い瞳に涙を浮かべると朔夜をきっ、と見つめた。
「わたくしは天使憑き。真逆の存在ではありますが、彼女の気持ちもわかります。彼女は自身で尊い決断をしたのです。貴槻くんが気に病むことなどありません」
「違うよ。月は僕が殺したんだ。僕が止められなかったから。守ってあげられなかったから。僕と高校に通いたいって思いつめなかったら月は死ななかった」
「さくちゃん、私も由依ちゃんと同意見だよ。もう何度も言ってるけど……」
「わかってる。それでも僕は自分が許せない。魔法さえ使えたら。僕があの悪魔を倒せていたら月は死ななくて良かった」
なら、せめて魔法で生き返らせてあげたい。そう思っても仕方ないはずだ。
「……話を戻すね。とにかくそうやって事件は収束。学園や魔女連盟はこれ以上の被害が出るのを嫌って真冬ちゃんの処分を保留にしたの」
「先輩が直接的に魔女を害した事実はなかった。だから罪には問えない。そういう理屈だよ」
そうして特級指定魔女、宵闇真冬は今も桜ノ宮の魔女を続けている。
もちろん再び何かが起これば本気で討伐されるだろうが、この街の状況を見ても動きがないあたり、致命的な事態に陥らなければ「特級討伐」に動く気はないらしい。
「……話はわかりました」
指で涙を拭い、呼吸を整えた由依が息を吐く。
「ですが、月さんの覚悟によって事件は終わったのでしょう? 妹である陽花さんは悪魔憑きですらない一般人なのですよね?」
「そうだね。でも、さくちゃんにとっても月ちゃんにとっても特別な子だよ。だからこそ、真冬ちゃんが『実験』に使う可能性があると思うの」
「あまりにも非論理的です。……それでは、面白そうだからという理由で作戦と標的を決めているようなものではありませんか」
母は悲しげな微笑を浮かべると「そうだね」と頷いて、
「でも、意味や因縁を重ねることにも意味はある。ある種の魔法にはそうやって強くするものがあるんだ」
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