新たな問題

 翌日の月曜日、朔夜は学校を休むことにした。

 溜まった疲労が抜けきっていないという口実だが、葉月とどんな風に話せばいいかわからなかったから、というのも理由だ。

 登校すれば由依と話さなければならない。告白の件は終わったとはいえ、葉月だって複雑な気持ちにならざるをえないはずだ。


 意識して休息するというのは手持ち無沙汰ではあるものの、休んだお陰か体調は回復。


「意外と早く本調子になった気がするけど、母さんたちが治してくれたお陰なのかな?」

「治したのは怪我だけだから、疲れのほうはさくちゃんの力だと思うよ。魔女は普通の人よりも身体能力も高くなりがちなの」

「いわゆる身体強化的なこと?」

「そうだね。魔力という特別な力を身体に循環させているから、その影響が出るの」


 魔力の一部を転用することで筋力や瞬発力をサポートすることもできるし、常時豊富な魔力で満たされた状態は身体を丈夫にしていく。

 意識的に用いれば超人的な能力を得ることができるものの、朔夜のように「ただ持っているだけ」でもある程度の疲労回復効果や身体能力の向上が得られる。


「さくちゃんは特別かもね。無意識に浪費してもどんどん補充されるから」

「あはは。生成量だけ高いのも悪いことじゃないのか」


 母は街の環境改善のために外出しており、帰ってきたのは午後三時を回ってからだった。

 簡単なおやつと共にお茶を飲みつつ話をする。彼女も息子の復調にほっとした様子だ。


「由依ちゃんのほうも気になるね。学校はどうなったかな?」

「さすがに何日も休んでるわけにもいかないし、明日会って聞いてみるよ」


 と、言っていたものの、当の由依が放課後になって貴槻家のチャイムを鳴らした。


「こんにちは、貴槻くん。お加減はいかがですか?」

「銀さん。わざわざ来てくれたの?」

「ええ。こちらはお見舞いです」


 近所の菓子店で購入したシンプルなクッキー。ケーキなどではないところがなんとなく由依らしい。

 朔夜としても話がしたいところだったので家にあがってもらい、由依のぶんのお茶も用意する。母子揃って身体がエネルギーを欲している状態なのでクッキーもさっそく皿に盛られた。


「学校の状態は正常と言っていいレベルまで回復いたしました。後は自浄作用が働くでしょう?」

「良かった。……あと、その、葉月さんの様子はどうだった?」

「普段通り、いえ、気が晴れたようなご様子でした。ということは貴槻くんが何か?」

「……うん、まあ」


 曖昧な返事に女二人が顔を見合わせる。


「さくちゃん」

「貴槻くん」


 責められているような気分になった朔夜は観念して昨日のことを話した。

 人の負の感情が悪魔の発生に関わっており、葉月はその被害者だ。状況を把握しておくためにも由依たちには知る権利がある。

 話し終えたところで二人揃って深いため息をついたのはさすがに傷ついたが、


「そっか。……そんなことがあったんだ」

「葉月さんも辛い決断をなさったのですね」

「その。なんか、ごめん」


 居たたまれない気分から謝意を示すと母が「謝らなくていいよ」と首を振った。


「合意の上なら悪いことじゃないもの。魔女にとっては姦淫も魔法の力を強める手段の一つだし」

「そういうものなんだ?」

「いろんな血や流派が混ざりあってる、っていう話をしたでしょ? その関係で適性は人それぞれなの。中には性的な経験によって能力が強くなる魔女もいるよ」


 何気なく由依に目を向けると彼女は拗ねたような表情を浮かべて、


「わたくしは天使憑きですので、心に決めた殿方以外との交渉は禁じられております」

「ごめん。そういうつもりじゃなくて、銀さんはこういう話、嫌じゃないかなって」


 すると「正直に申し上げれば不潔だと思います」と、渋々というように答えがある。


「ですが、葉月さんのお気持ちもわかります。わたくしも女ですので」

「でも、由依ちゃんはさくちゃんのこと好きなわけじゃないんだよね?」

「母さん」


 面と向かってはっきり尋ねることではない。

 制止したい気分に襲われたものの、口から出た言葉は撤回できない。

 由依もまた言いづらそうに「そうですね」と頷いた。


「家の決定でしたし、転校してくるまでお会いしたこともありませんでした。恋愛感情と言うべきものは持ち合わせておりません」

「銀家もひどいことするよね。女の子にとって恋愛はとっても大事なことなのに」


 やれやれ、と言うふうに首を振った母はもう一度由依を見て、


「確認だけど、うちの実家は関わってないんだよね?」

「詳しくはわかりませんが、わたくしは命じられておりません。貴月家としてもお二人への命令権がないことは承知しているはずです」


 完全に切れてはいないとはいえ母は家を出た身。

 息子の結婚相手を決めたからよろしく、などという命令を聞く義理はない。それどころか本格的な敵対関係に発展しかねない。


「ですので、わたくしが指示されたのは貴槻くんとの仲を深めることです。無理に添い遂げろとは命じられておりません」

「良かった。じゃあ、断ることもできるんだ」


 ほっと息を吐くと「わたくしでは不足でしょうか?」と探るような視線。


「銀さんが嫌っていうわけじゃないよ。ただ、僕は月以外の女の子には本気になれないし……銀さんも別に僕のこと好きじゃないんでしょ?」

「確かに、こちらに来るまであなたにはなんの感情も持ち合わせておりませんでした。今も恋愛感情と呼べるほどの熱量はありません」


 少女は朔夜の問いに肯定を返しながら「ですが」と続けて、


「将来添い遂げる相手として望ましい、とは現段階で思い始めております。それは、あなたが女性の想いに背を向けられない方だからです」

「それは」

「葉月さんとの件もそうです。告白を受けた。ただそれだけのことでこれだけの行為を返す方が、結婚相手に向ける義理とはどれほどのものになるでしょうか」


 由依の言葉は淡々としてはいたものの、真摯でまっすぐだった。

 朔夜としては結婚相手に「義理」で接すること自体が不義理に思える。けれど、確かにもし、自分が結婚したとしたら、たとえ相手を心から愛せなくても邪険にすることはできないだろう。


「義理でも構いません。添い遂げればそれはある種の愛となるでしょう。あなたとならそれができる。わたくしはそう思います」

「由依ちゃんは古風なんだね」

「純潔を守り、清廉であれと教えられてきましたので」


 少し気恥ずかしそうに答える姿はごく普通の少女だというのに。

 銀由依もまた家のしがらみや魔女としての在り方に大きく縛られている。

 といっても、人とはそういうものだ。生まれや立場、能力に影響されずには生きられない。


「それで、母さん。銀さん。やっぱり僕は菊花学園に転校したい」


 十六歳にして魔力を持つことになった朔夜も同じだ。


「そうだね。こうなったらそのほうがいいと思う。陽向ひなたちゃんも向こうにいるし」

「わたくしとしてもそうしていただけると大変助かります」

「あれ? でも、銀さんはこっちに転校してきたんだよね? もう一回すぐに転校し直すことになるのかな?」

「問題ありません。実を言うとわたくしの転校は特殊な手続きが取られており、表向きは転校ですが籍は学園に置いたままなのです」

「悪魔祓いのために他の学校に潜入することもあるからね。そういう時に便利な制度があるの」


 学校の先生方は大変だろうが、由依としては「元の学校に帰ります」で済むわけだ。


「貴槻くんの転校もスムーズに運ぶでしょう。学園側からスカウトした形なのですから、試験があるとしても形ばかりのものになります」

「それは助かるな。……スカートを穿く覚悟をしないとだけど」

「今のうちに慣らしておいたほうがいいかもね」

「パンツ型のデザインもありますが、今後も避けては通れない問題ですからね」


 とはいえこれはもう少し先の話だ。

 学園が落ち着いたところで街の治安維持に力を入れなくてはならない。


「由依ちゃん、連絡先を教えてもらえる? 連携を取れるようにしておいたほうがいいと思うの」

「ええ、もちろんです。……むしろ、わたくしも街の対応に専念したほうがいいかもしれませんね」


 悪魔祓いのための派遣ではないとはいえ派遣任務。突発的事態に対処するための欠席であれば学園側で処理してもらえるらしい。


「じゃあ、僕もそうしようかな」

「うん。入学までに覚えて欲しいこともたくさんあるし、いつ身体が変わるかわからないもんね。落ち着くまで様子を見てもいいかも」


 若い頃は魔女として生きていた母もこの辺りは柔軟だ。

 あっさりと学校をサボって街を巡る話が決定する。


「さくちゃんと由依ちゃんに組んでもらえば二手に分かれられるかな」

「単純に二倍の効率になるか。僕が一人でなんとかできればよかったんだけど」

「わたくしもまだ一人前には及びません。二人で協力して対応しましょう」

「うん。銀さんのことはすごく頼りにしてる」


 そこでもう一つ、朔夜には話さなければならないことがあった。


「母さん。昨夜、葉月さんと別れた後、気になることがあったんだ」

「気になること?」

「気のせいかもしれないけど、陽花はるかちゃんらしき人がいたんだ。けっこう遅い時間だったし気になって」

「……そっか。気になるね。連絡を取ってみたほうがいいかも」

「あの。その方はどのような方なのですか?」


 由依と面識のある人物ではない。同じ学校の生徒ではないし魔女でもないからだ。


「蔦木陽花。月の妹さんで、今は中学二年生なんだ」

「蔦木。……ということは」


 陽花の名前に聞き覚えがなくとも「蔦木」の姓は違う。

 この街に派遣されてきた以上、かつて起こった事件について聞いていないはずがない。

 由依は唇を震わせながら、


「貴槻くん。あなたが想い続けている女性とは蔦木月──悪魔憑きのことだったのですね」

「そうだよ。悪魔のせいで死んだ可哀想な子なんだ」

「待ってください。蔦木月はあと一歩で街を、日本を滅ぼしていたかもしれない危険人物です。討伐されても仕方の」

「ごめん、銀さん。それ以上は言わないでほしい」


 怒鳴りつけたくなる衝動を抑えて懇願すれば、由依はきゅっと唇を結んだ黙った。

 ふう、と息をついた母が苦笑を浮かべて、


「月ちゃんの妹さんなら今回の件に関わっていてもおかしくないよ。……なにもなかったとしても、さくちゃんはまずいところを見られちゃったかも」


 毎月、亡くした恋人の墓参りに行きながら裏で別の女の子とホテルに行っていた。

 事情の有無は傍目からはわからない。目撃した陽花がどんな感情を抱いてもおかしくはない。

 負の感情が悪魔を生み出しやすくなっている今の状況はまるで誂えたかのようだ。


「その陽花さんの連絡先はわからないのですか?」

「わからない。でも、月の自宅の連絡先は知ってるからそっちにかけてみるよ」


 当の朔夜が接触すれば逆に刺激してしまう可能性もある。

 一日経ったうえで家族に話を向けるのはむしろ正解かもしれない。

 何もないならそのほうがいい。

 見間違いであることを祈る気持ちのほうが強かった。


「貴槻くん。連絡が終わってからで構いません。……蔦木月さんについてもっと詳しい話を聞かせてくださいませんか」

「そうだね。さくちゃん、由依ちゃんには話しておいたほうがいいと思う」

「わかった。ちゃんと話すよ。月がどんな子で、あの時何があったのか」


 いったん話を中断し、蔦木家の電話番号をコールする。

 幸い、電話は数コールで繋がった。

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