デート
翌日、朔夜が目覚めたのは午前十時前だった。
慌てて階下に向かうと、母から由依がもう家を出たことを教えられる。「お大事に」との伝言に申し訳なさと嬉しさを感じた。
さっとシャワーを浴び、着替えて家を出る。
身に着ける服に迷ったものの、結局、今の自分をそのまま見せることにした。以前から使っている私服にブラ、それからショーツ。
待ち合わせ場所は駅前だ。
十時半。待ち合わせ時間ギリギリに到着すると少女は既に朔夜を待っていた。
普段のスポーティな印象とは異なる可愛らしいスカート姿。細いチョーカーを身に着け、小さなバッグを肩にかけている。少年を見つけるとその表情がぱっと華やいで、
「おはよう、貴槻くん。ごめんなさい、急に呼び出したりして」
「ううん。それより遅れてごめん」
「大丈夫。遅れてないよ。それより、行こ?」
と、朔夜の手を取ろうとした葉月は気おくれしたように止まると、代わりに服の袖をちょこんと摘まんだ。
軽く引っ張られるようにして歩きだした朔夜は駅に入り、スマートフォンを端末にかざして改札を抜ける。現在、金の管理は魔力ネットワークを通して自動で行われるのが主流となり、現金でやりとりすることはあまりなくなっている。
低めではあるもののヒールのある靴を履いた葉月に合わせてゆっくり階段を下りると、さほど待たずに目的の列車が滑りこんできた。
魔力によって動く列車は歴史上有数の発明とも言われ、物流の大きな発展に貢献したらしい。石炭などの燃料を必要としないためクリーンで、かつスムーズな運行が可能となっている。
席が一つだけ空いていたので葉月に座ってもらい、朔夜はその前に立つ。
「ごめんね。わたしのほうが体力あるのに」
「そんなことないよ。こう見えて結構動けるんだ」
「本当かなあ? じゃあ、わたしと勝負してみる?」
「それも面白そうだね。どこか運動ができる場所を探してみる?」
当初の予定は映画館だったのだが、行く先を変えればいい。
葉月は少し考えるようにしてから「ううん、映画に行こ」と笑った。
「一回きりのデートだもん。思いっきり普通のデートにしたいの」
「そっか」
味気ない答えしかできない自分を本当に卑怯だと思いながら、朔夜はせめて少女に優しく微笑んだ。
そう。これはデートだ。
昨夜かかってきた葉月からの電話。
彼女は記憶がやや曖昧になっていたものの、由依をなじり朔夜に告白したことはきちんと憶えていた。
『ごめんなさい。あんな告白、迷惑だったよね?』
『そんなことない。嬉しいよ』
その上で、朔夜は葉月の気持ちには応えられないと告げた。
『どうして?』
『それは──』
『ううん、いい。……やっぱり、直接会って聞きたい。あのね。明日、一回だけデートしてくれないかな?』
『デート?』
『そう。映画を見て、ご飯を食べて、ショッピングして、お茶を飲んで……そんなデート。諦めるために思い出が欲しいの』
思いつめたように「だめ、かな?」と尋ねてくる声に少し卑怯ではないかと感じたものの、朔夜は結局「いいよ」と答えた。
『何時に集合しようか』
『じゃあ、十時半に駅前! 遅刻しちゃ駄目だからね?』
『頑張って起きるよ』
『あはは、わたしも目覚ましかけておかないと』
答えは決まっている。
葉月の希望とはいえ残酷なことをしていると正直思う。
半分は朔夜の私欲だ。
これが他の、仲良くないクラスメートからの告白ならデートなんてしないで断っていただろうと思うと不誠実さに胸も痛むが。
一回きりの残酷なデートに臨む葉月はどこまでも恋する少女だった。
「映画、なににするか決めた?」
「えっとね。恋愛もの!」
一説によると映画館は付き合い立ての恋人にとってうってつけの場所らしい。
会話ができなくとも困らないからだ。基本的には画面に集中しながら、隣にいる相手の息遣いやかすかな仕草を感じる。
朔夜もまた慣れない恋愛映画に落ち着かない気持ちになりながら、隣の女の子がじっと画面を見つめる姿や不意に涙ぐむ気配に心を揺さぶられた。
意図せず指が触れあってお互いに引っ込めたり。
「面白かったね。わたし、感動しちゃった!」
「そうだね。ああいうのあんまり見ないからいろいろ感心したよ」
「えー。見ておいたほうがいいよ。参考になるし」
遅めの昼食は近くのファミレス。
お金はあまり使わない朔夜は「お洒落なレストランでも大丈夫」と申し出たのだが、葉月は割り勘のファミレスを希望した。やっぱり高校生らしい普通のデートが良いらしい。
ご飯大盛りのハンバーグセットを食べる朔夜に「やっぱり男の子だね」と感心した少女は小さく首を傾げて、
「貴槻くんは恋、したことある?」
「……あるよ」
迷ったけれど正直に答える。
「今も恋してる。ずっと前から、一人の女の子に」
「その子はいま、どこにいるの?」
「どこだろう。天国、なのかな」
月の死を自分から認める。ただそれだけのことに息が詰まりそうになった。
全てを察した葉月は「ごめんなさい」と目を伏せた。「いいんだ」と微笑んで、
「次はショッピングだったよね。買いたい服とかある?」
「ううん。でも、そうだなあ。貴槻くんの服を見立ててあげようかな?」
「本当? 葉月さんセンス良さそうだからお願いできると助かるよ」
少女もまた明るく元の雰囲気に戻ってくれた。
「でも貴槻くん、それだと服困るよね? 今は元の服着てるんでしょ?」
「うん。体格まで変わったわけじゃないからレディースで合うのがあるかなって」
「大丈夫じゃないかなあ。もともと細いほうだし」
回った衣料品店も決して高くない庶民的な店。
とはいえ服は好みや自分との相性が大きい。安くても良い服はある。
葉月は「せっかくだからレディース買おうよ!」と色んな服を見立ててくれた。いかにも女の子らしいワンピースを試着させられた時は「勘弁してください」とギブアップしてしまったものの、胸があることを前提としたトップスはやはり今の朔夜の身体に適していた。
「上だけレディースっていうのもアリかもね」
「変じゃないかな?」
「ぜんぜん。一部だけメンズ着る女の子も普通にいるよ!」
寄ってきた店員に「お友達ですか?」と尋ねられて「彼氏です!」と答えたものだから困惑されたりもしたものの、どういう解釈をされたのか、店員は特に対応を嫌がることなく服の相談に乗ってくれた。
結局、ボトムスはまたいずれ考えることにしてトップスだけを何着か購入。
「むう。っていうか胸なくてもレディース似合いそうなのは詐欺じゃないかなあ」
「いちおう気にしてるところだったんだけどなあ……」
靴や鞄はかさばるのでパス。
買わないなりに興味深そうに品物を見つめる葉月に付き合っているとどんどん時間が経っていく。母から「あれがいい、これも似合いそう」と着せ替えさせられる時とはまた違うやり取りは新鮮で、月と以前来た時とも違う感覚を覚えた。
二年以上も経てば着る服も似合う服も変わる。
葉月ももう十分に女性らしさを備えており、ふとした仕草に胸が高鳴ってしまいそうになる。
必要以上に意識しないよう努めながら「女の子の買い物」を続け、最後にたどり着いたのはアクセサリーコーナーだった。
安価な品なので大概がフェイクではあるものの、綺麗な石や金属はなかなかに見栄えがする。
「貴槻くんもこういうの買ってみたら?」
「いや、僕はさすがに。……そうだ。記念になにかプレゼントさせてくれないかな?」
髪留めを外させてしまったお詫びと思えば悪い話ではないはず。
葉月も一瞬嬉しそうに目を輝かせたものの「いいのかな?」と首を傾げて、
「じゃあ、お互いにプレゼントってことでどう?」
「うん。じゃあ、そうしようか」
お互いに一つを選んで「これ!」と指さし合うと、朔夜が選んだのは赤い小さな髪留め。葉月が選んだのは少女が着けているものに近い細めのチョーカーだった。
「えへへ。貴槻くんにマーキング、みたいな?」
「葉月さん」
「だめ?」
結局、朔夜は拒むことなくチョーカーを受け取ってその場で身に着けた。
「うん、似合う似合う」
「葉月さんもそれ、似合ってるよ」
「そうかな? うん、ありがと」
照れくさそうに笑う少女は本当に嬉しそうだった。とはいえ小さな品だし、成長すれば子供っぽくなる。実際に身に着けてもらえる機会は少ないだろう。それでいい。重くなりすぎないように、という思いも込めて選んだ品だ。
同時に、葉月には黒よりも赤のほうが似合うと思ったのも事実。
ショッピング後はチェーン店の喫茶店でちょっとしたデザートを楽しんだ。
「甘い物好きなんだね。意外……でもないけど」
「小さい頃から母さんと一緒だったからかな。和菓子も洋菓子も好きだよ」
「そっか。私はクリーム系の方が好きだなー」
コーヒーや紅茶を交えて他愛ない話をする。
いつもの通学路の延長線上。それがとても楽しくもあり、切なくもある。デートが楽しければ楽しいほど「一度きり」という事実が重くのしかかってくる。
恋人同士という設定は今日限り。
けれど、果たしてその後、今まで通りのクラスメートに戻れるのか。
ひとしきり話して外が暗くなり始めた頃。
「……ねえ、貴槻くん? 今日ってまだ、時間あるかな?」
誘うような、請うような葉月の表情に朔夜は「ノー」と言えなくなった。
◇ ◇ ◇
悪魔が性欲を誘ってきた時点で葉月に「そういう気持ち」があるのはわかっていた。
予想が外れてくれることを願ってはいたものの、
「こういうところって思ったよりずっと綺麗なんだね」
普通のホテルとの差異を探さなければ見つけられなさそうな部屋。
ダブルベッドに軽く身を預けた葉月は明るい声で言った。
「葉月さん。いくら一回だけって言ってもこれは」
「来てからそういうこと言うの卑怯だよ、貴槻くん」
朔夜の言い訳を制した少女は笑って、
「わたしがしたいって言ってるんだからいいの。……ううん、こうでもしないと終わらせられないんだよ」
「どうして、そこまで?」
「人を好きになるのに理由なんていらないでしょ?」
それは、朔夜もまた強く実感している事実だった。
会って日が浅いから好きにならない。死んだんだからすっぱり諦めればいい。そんな風に割り切れるのなら苦労はしていない。
理屈じゃない。好きだから苦しい。手に入らなくても求めてしまうからどうにもならない。
その事を示したうえで葉月は「でも、そうだなあ」と天井を見上げて。
「やっぱり、優しかったから、かなあ」
「僕は優しかったかな?」
「優しかったよ。少なくともわたしにとっては」
特別なことではなかったかもしれない。
別の相手だったとしても恋に落ちていたかもしれない。
けれど、好きになったのは確かにたった一人だった。
「このままじゃわたし、ただ失恋するだけでしょ? でも、一回だけでも大事にしてもらえれば大事な思い出が残るんだよ」
「女の子の初めては大事なものじゃないかな」
「大事だよ。大事だから、ちゃんと好きな人としたいの」
陸上部の顧問教師のことを思い出す。
彼の悪行は複数の女子に向けられていた。部内では噂もあったかもしれない。もう少し遅ければ葉月が狙われたこともあったかもしれない。
魔女の仕掛けのせいで危険と不安は高まっていた。
大事に守ってきたものだってあっさり奪われることはある。だったら早く手に入れてしまったほうがいいのかもしれない。
「それに、貴槻くんだって気が変わってくれるかも」
「……悪いけど、それはないよ。僕は月のことがずっと好きだから」
「わたしからしたら、死んじゃった子をずっと好きでいるほうがおかしいよ」
「そうかもしれないね」
他の相手に言われていたら我を忘れていたかもしれない。
葉月とはお互い様だから怒りださずに受け入れられた。
朔夜はおかしい。壊れている、あるいは狂っている。あの日あの時、あるいはもっと前から。
それでも「正しさ」を選べない。
魔女もまたそういう生き物だ。かつては大規模な魔女狩りが起き、迫害の対象となったこともある。それが成功していたら世界からは魔法が駆逐されていたのかもしれない。
「シャワー、どうしようか」
「わたしが先でいいかな? ……心の準備、したいから」
「わかった」
ベッドで待つ葉月の元に下着だけの姿で赴くと、少女は「なんだか不思議だね」と笑ってから手を差し伸べてきた。
「お願い、貴槻くん」
朔夜がまだ男でいられるうちに。
真っすぐで、純粋で、素直な少女との一夜は朔夜にとっても忘れられない経験になった。
少なくともあの魔女との行為とはまるで違っていて、
「ね、名前で呼んで」
「……綺麗だよ、さやか」
葉月さやかは別れ際にはもう、いつものクラスメートに戻っていた。
「ね。転校とかしちゃったりする?」
「そうだね。近いうちに、きっと」
「そっか。それは、よかった」
その方がいいのかもしれない。
お互いに思い出として忘れていけるから。
朔夜は笑顔で少女と別れて──。
「……あれ?」
見覚えのある人影が夜の道に消えていくのを視線の端でかすかに捉えた。
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