エピローグ

 物心つく前から、モカ・ミナガルデの家には父親がいなかった。

 彼女が知る父親の情報は、どうやら凄腕の傭兵らしいということと、カフェのウェイトレスだった母親の客の一人だったと言うことくらい。あとは五年前のログに残った、赤ん坊の自分を抱いた姿の映像で、その顔を見ることができる程度だろうか。

 大事な任務を任されているから一緒にいることはできない。だけど毎年、誕生日やクリスマスには必ずプレゼントを送ってくれる父親は、自分のことをとても愛しているのだと、母親はモカに繰り返し言い聞かせていた。

 ならばどうして帰ってきてくれないのか。

 モカはそのことが不思議でしようがなかったが、それを母親に聞くことができなかった。

 彼女は母親が時々、一人で泣きそうな顔をしているのを知っていたし、その質問が母を深く傷つけるものであるだろうことを何となく理解していたからだ。

 だが、一度沸いた疑問はどんどんと膨らみ、抑えることはできない。

 だからある日、彼女は年上の友人にその疑問をぶつけてみることにした。

「それは、そのぅ、なんていうか、難しい質問ね!」

 蜂蜜色のセミロングを変な装飾のついたカチューシャでオールバックにしているその友人は、何故かしどろもどろになりながら、そう答える。

 彼女と知り合ったのはつい最近で、下校中、意地悪なクラスメイトに父親のことを揶揄われていたところを、偶然通りかかった彼女に助けてもらったのがきっかけだった。

 モカより十歳くらい年上だろうか。人探しでこの居住区にやってきたという彼女とは、それ以降も近所で時々すれ違うようになり、その度に話をしていたらいつの間にか仲良くなっていたのである。

「実はわたしも傭兵やってるから分かるんだけど、今のご時世、強い傭兵はどこでも引っ張りだこだからね。戦況が落ち着くまで、なかなか帰ってこれないってのはあると思うよ」

「えー? 本当にそうなのかな?」

「そうそう、まじまじ」

 変な口調でわざとらしく頷く友人に、モカは頬を膨らませる。

「でもいくら忙しいからって、ちょっと連絡取ることくらいできると思わない? あたし、もうすぐ六歳なのに、自分のパパと通話どころか、メールのやり取りもしたことないんだよ?」

「それは……」

 なんとも言えない複雑な表情を作り、黙り込む友人。それを見たクウの口端から、ふと心の奥底にしまっていた言葉がこぼれ落ちてしまう。

「……やっぱり、パパはあたしのことなんてどうでもいいと思ってるんじゃ」

「それだけは断じて違うわ」

 思っていたよりも強く、食い気味に否定されたその言葉に、モカは目をぱちくりさせた。

「なんでお姉ちゃんにそんなことが分かるの?」

「なんで? なんでかって言うと、そのぅ」

 モカの疑問に、再びあたふたしだす友人。しかし、彼女は少し目を閉じたあと、モカの目をまっすぐ見つめがらこう続ける。

「でも、君のパパは君のことを、とても愛しているわ。これだけは絶対間違いない」

「何それ?」

 何の根拠もない、気休め以外の何ものでもない彼女の言葉。

 しかし、その言葉には、何故か強烈な説得力があった。

 彼女がそう言うのならそうなんだろうという不思議な納得感。いつの間にか心の中を占めていたモヤモヤが消えていることに気づいたモカは、釈然としないものを感じながらも眉根を寄せる。

 そんなモカの横顔を見て、友人は柔らかく微笑んだ。

「そろそろ帰った方がいい。ママが心配するよ」

「うん、わかった」

 その言葉に頷いたモカは勢いよくベンチから立ち上がり、走り出す。

 それから何かに気づいたように立ち止まり、友人の元に駆け戻ってきて言った。

「前から思ってたんだけど。その腕、すごくかっこいいね!」

 その言葉に友人は一瞬きょとんとした後、満面の笑みでこう返す。

「でしょう?」

 そう言ってモカの頭を撫でる少女の右手は、生身のものではなかった。

 少女の小柄な体格には不釣り合いな大きさのその腕は、剥き出しの金属骨格と人工繊維の筋肉によって構成されており、その外見は無骨で荒々しい。

 しかし、その手触りは不思議と柔らかくて温かく、モカは彼女の腕が好きだった。



「本当に名乗り出なくてよかったの?」

 幼い友人が去ってしばらくした後、ベンチに残された機械腕の少女がポツリと囁いた。

「さっきの、割と絶好のタイミングだったと思うんだけど」

 そう続ける彼女の視線の先、機械でできた彼女の右腕がぴくりと震える。

『冗談を言わないでくれ』

 腕に内蔵されたスピーカーより発せられる、少女のものとは違う男の声音。

『なんて説明すればいい? 今の僕は、補助義脳に蓄積されていた脳のバックアップに、聖杖が拾った今際の際の脳波が焼き付けられたことで生まれた残留思念……言うなればコトー・ミナガルデの幽霊みたいなものなんだぞ。それをプログラムで補強して擬似人格型AIとして成立させただけの紛い物でしかない僕に』

「まーたウダウダ言って、尻込みしてる」

 生身の左手で右腕を小突きながら、少女は続ける。

「肉体どころか脳みそまでなくしても、まだ捨てられない思いがあるんだったら、それはもう本物の心ってやつなんじゃないの?」

『…………』

「ま、別にいいけど」

 反応しなくなった右腕をチラリと眺め、少女はため息をついた。

 ベンチから立ち上がり、ぐいっと背筋を伸ばしながら言葉を続ける。

「さーて、改修に出していた<ハンター>も、やっと戻ってきたし、そろそろ傭兵稼業に戻らないとね! これまで以上にジャンジャン稼いで、わたしはもっともっと強くなる! おじさんにもしっかり協力してもらうから覚悟してよね!」

『この腕はもう君のものだ、好きにすればいい』

「もう、いつまで拗ねてるの? たくさん稼いでお金が余ったら、おじさんの生体ボディを買い取って義脳でも動かせるよう改造すればいいじゃない。そしたら今度こそ本当に家族のところに帰れるでしょう?」

『…………』

「よーし、そんじゃ。お互い頑張るよー! 目指せ、人間以上!」

 えいえいおーと右腕を掲げ、少女は歩き出す。


 これが後に、一騎当千の凄腕傭兵として周囲から恐れられるようになる彼女たちの伝説の始まり。

 機械化された半身でオーバースペックなギア・ボディを乗り回すその姿を見て、人々は彼女のことをこう呼んだ。


 鉄腕の子犬と。

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鉄腕の子犬 〜創世記外伝1〜 浪漫贋作 @suzumochi

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