第36話 始まり

「…今、何の刻だ?」

感覚としては結構な時間、眠っていたような気がする。もしかしたらすでに20の刻を過ぎているかもしれない。

(…いや、もしものときはテオが起こしに来てくれるはずだ。まだ、試合開始時間じゃないだろう。)

部屋の中に置かれているゼンマイ式の時計を確認すると、19の刻を少し過ぎたぐらいだった。どうやら予想は正しかったらしい。

(フゥ、いい時間だな。…身体の調子も戻ってる。)

軽く体を動かすが、すっかり重さが取れていた。疲労を取るにはやはり睡眠が一番良い。

(まだ少し時間がある。本でも読もうか。)

マッチを取り出し、持参してきた明球に明かりを灯す。ミスリルの金属球の中に蝋燭が立てられており、オレンジ色の明かりが拡散される。

(しっかし、こんな細い木の棒で火が付くんだから凄いよな。考えた人はよっぽど賢かったんだろうなぁ。)

そんなことを思いつつ、エルが手に取ったのはノアに貸してもらった『ウェルテクス山踏破までの軌跡』。どうやら題名通り過去の日照がウェルテクス山を踏破するまでのお話のようだ。

(さーて、ノアは凄い薦めてたけど、そんなに面白いのかね?)


「パラパラ…」


静寂の部屋にエルのページを捲る音だけが響き渡る。エルはこの時間が好きだった。本に夢中になっているときは、現実を忘れられるから。


(…なかなか面白いな。だが、ここまでか。)

ふと時計を見ると、半刻が経っていた。そろそろドームに向かわないと不味いだろう。

「ウェルテクス山か。…第一シードになったら行くか。」

明球の明かりを消し、部屋の外に出る。すでに日が落ちて暗くなっているが、エルとしてはこのぐらいの明るさがちょうどよかった。キラキラしているものを見ると、自分の惨めさを突き付けられているような感じがして嫌なのだ。



ドームへ向かうと、すでに周辺には大勢の人が集まっていた。ドーム内にはいくつもの明球が設置されており、オレンジの光が漏れ出している。

「おい、あれ、エルグランド・フォン・ハーブルルクスじゃないか?」

「ほんとだ。」

「雰囲気があるな。」

「えっ、どこどこ?」

「ほら髪の一部が灰色になっているやつ。」

「あー、あれか。どうして染めてるんだろう。せっかく綺麗な金髪なのに。」

「さあ?」


予選ブロックで暴れすぎたせいか、すぐに注目を引き付けてしまう。

(…うぜぇ。)

周囲は遠巻きに見てくるだけで、声をかけてくるようなことがない。それがせめてもの救いだった。


エルがドームに入ると人も散らばっていく。ドームに入れるのは本戦に出れる選手だけらしい。

(フンっ、雑魚どもが。所詮、お前ら程度じゃ駒が関の山だろうよ。プレイヤーにはなれねぇよ。)


「おや、エルグランド君、来たんだね。これで全員揃ったね。」

壇上には学院長を筆頭とした教師陣とシードが確定した生徒たちが集まっていた。驚くべきは――


「エル! もうどこにいたんですか。一緒に夜ご飯を食べようと思ってたのに。」


ゴッドステラも勝ち上がっていたこと。エルとしては予選の一回戦で敗退してもおかしくないと思っていたのにも関わらず、彼女はこうしてシードに名を連ねている。

(…忖度はないな。)

ラーウス王国内ならともかく、ここスペスでは王族であろうとも特別な力は働かないだろう。例外を許さないことで、スペスの秩序は保たれているのだから。

ただそうだとすると、この少女の危険度は格段に跳ね上がることになる。

(このカリスマにそれなりの武、そして家柄…それらが噛み合えば相乗効果は計り知れない。その気になればプルウィウスアルクス王国も滅ぼせるだろう。たとえサングイス王国が動いたとしても俺か彼女が持ちこたえればいいだけの話だ。)

これから先、ラーウス王国は間違いなく黄金時代がやってくる。あとは時代を作る胆力が王にあるかどうか。

(…無理だろうな。あの国王が、ゴッドステラが戦場に行くことを認めるはずがない。…家族の情で国益が損なわれる。ハーブルルクスなら可能だというのに。父は全てを切り捨てられる。まぁ、どうでもいいけど。)


「悪い。ちょっと寝てたんだよ。」

「そうだったのですか。」

「ああ。」

「フン、そのままずっと寝てればよかったのに。」


突如として毒が含まれた言葉が投げかけられ、エルの頬が引きつりかける。せっかく視界に入らないようにしていたのに、向こうから喧嘩を売ってくる。これは一回教育した方がいいのかもしれない。

(…アイリーン・フォン・フェーベル。こいつも勝ち上がってたのか。ノアとジムは無理だったのに。)

さすがは軍閥家系の子供といったところだ。当然のようにシード争いに絡んでるのは素晴らしい。

(ただ俺にまで届くかな? 届かなければ無意味だぞ。)

それもすぐに分かる。結果が全てを示してくれるだろう。


「では、全員揃ったことだし、少し早いが組み合わせを決めようか。一人一人名前を書いていってくれ。」


学院長の指示のもとそれぞれ名前を書いていく。

(できれば当たったことのない奴がいいな、ゴッドステラはなしで。)


「ふむ。全員、書き終わったようだね。では、早速始めようか。…第一試合はエルグランド・フォン・ハーブルルクス対パンサー・フォン・パンテラ!!」


エルグランドの名前が呼ばれた瞬間、ドーム内が一気に湧き上がる。初戦から優勝候補のエルグランドが戦うということだけあって、観客席が騒がしい。


「ヒュウヒュウヒュウ~」

「「「「「おおおおおおーーーーー」」」」」

「ピイピイピイピイ」


それはラーウス王国の生徒たちも同じだった。

「…エルのオッズは低いんだよねぇ。まあ、エルとは別に僕も賭けたんだけどさ。」

「おっ、そうなのか。ちなみに俺もエルに賭けたぞ。金貨10枚ほど。」

「なっ!? 賭け事は良くないぞ!」

「そんな堅いこと言うなよ。パーッと楽しもうぜ。」

「ノアの言う通りだよ。どうせ卒業したら息苦しい貴族社会に戻らないといけないんだからさぁ。今ぐらい羽目を外しても罰は当たらないよ。」

「むぅ…確かにな。二人の言うことも分からんでもない。では、私も賭けるとしよう。」

「あっ、もう賭けられないよ。試合開始半刻前にはもう終了してるから。」

「なんだと!?」

「ドンマイ、ジム。」

項垂れるジムを慰めつつ、二人は舞台へ目を向ける。そこには気後れせず、堂々と槍を持って入場するエルの姿があった。

「エルは緊張してないな。」

「そうだねー。それより相手の方がヤバいんじゃない? 足がガクガクだよ。」

すでにノアとテオはエルの圧勝を信じて疑わなかった。あの状態ではまともに戦えないだろう。だが、ジムだけは優れない顔をしている。

「ジム、どうした? そんな顔をして。」

「いや、私は予選であいつに負けたんだ。完敗だった。」

「えっ? そうなのか。」

「ああ。パワーはそこまでないんだが、恐ろしく速いんだ。」

「腐ってもシードってところか~。…皆これでも食べる? 購買で買ってきたんだー。」

「いいのか? ありがとう。」

「ポップコーンか。こういう時しか食べないな。」

「ま、そうだよねー。あとは劇場の時くらいだもんね。」

三人はワイワイと話しながら楽しみ、仲が深まっていくのをそれぞれ肌感覚で実感していた。きっとこの繋がりは一生の財産となるだろう。



一方エルは――

(…こいつ大丈夫か? 顔が真っ青なんだけど。棄権だけは済んなよ。)

相手の緊張っぷりに同情していた。パンサーの、剣を握りしめている手すらも震えており、戦う気が失せていく。これを蹂躙したところで得るものはない。


「それでは両者構えて――始め!」






















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