第35話 夕寝

「エル、本当に奢ってもらちゃっていいの?」

「ああ。父上が大金を用意してたからな。そもそも一般論として派閥の長が同じ派閥の奴に奢らないのは不味いだろ。それに俺が稼いだ金っていうわけでもないし。」

(あれだけの金が用意されてたのはこういう時のためだろ。ちょっとした端金で結束が強まるなら安いもんさ。…あっと、そうだそうだ、夜には学院長に金を受け取りに行かないと。)

決闘で得た金は自分のもの。それをどう使おうとも父は何も言わないだろう。特に物欲があるわけでもないが、金がないと生活できない。

(世知辛い世の中だよ、ほんと。)

「そっか。本当にありがとう。もう僕はお腹いっぱいだよ。」

「そうか? ちょうどいい量だったけど。」

あと3の刻で本戦が始まる。だからこそ、エルは腹9.5分ぐらいでやめておいたのだ。食事というのは、腹10分目からどこまで食べられるかが勝負だというのに。

「いや、それはエルがおかしいから。大人でも全部は食べられないんじゃない?」

「流石にそれはないだろ。子豚の丸焼きだぞ?」

「いや、逆に子豚の丸焼きなんだよ?」

「ふむ、見解の相違というやつだな。」

「嘆かわしいね。」

「全く以ってその通り。」

テオの軽い皮肉をさらりと受け流すあたり、エルもなかなか図太い。貴族の人間としては合格だろう。ここで言葉に詰まるようでは他の貴族に舐められる。一度黒と言ったら黒と言い続けないといけないのだ。

「…ほんとにエルには敵わないねぇー。」

(ハーブルルクスの三男は盆暗だっていう評判だったんだけどなぁー。所詮噂か、やっぱり自分の目で確認しないと駄目だねー。…優秀な長男と爪を隠していた末っ子、果たしてアイン様はどちらを次期後継者にするのかなぁ? エルはランデス様が次期当主に確定しているかのような口ぶりだったけど、それはあくまでもこれまでの場合の話。あそこまで武に秀でているなら話は変わってくるよね。エルが灰人の座を獲得して、ハーブルルクスの当主になれば武家としても振舞えるようになるし、長期的に見ても直系に灰人に至ったことのある人がいた方が得だしねぇ。…でも最終的にはエル次第かなぁ。…は別次元すぎた。本気の彼は誰にも止められない、英雄でさえも。)

テオの想像以上にエルは賢く、強かった。特にイグニスとの戦いで臨界点に到達していたのは驚いた。ただ、それよりも驚いたのは――あの決闘。確かにエルは強かったが、本気を出せば勝てないほどではないと思った。己は天才、努力せずとも全てを超えられる。傲慢だとは自覚しつつ、心の底からそう思っていた。だがそれはあっさりと覆されたのだ、エルの世界によって。はっきりと知覚したわけではなかったが、一瞬で理解した――届かない、と。

(あのとき僕は初めて挫折した。あまりにも君が遠すぎたから。届かないと分かってしまった。)

それでもハインとイグニスはエルグランド・フォン・ハーブルルクスへ立ち向かった。あの真っ直ぐさが眩しすぎた――直視できないほどに。

(多分、君と僕は似ている。一歩違えば今の立場も逆転していたんだろうね。それでも現実としては君の方が遥か高みに居る。僕は君の行く先を見てみたい、何を成すのか。)

テオドール・フォン・シーメンスは初めてこの世で興味を抱いた。己よりも偉大な男が偉業を成すさまを間近で見たい、そう思ってしまった。

(世界よ、知れ。我が主の覇業を。)



「本戦までまだ時間があるな。…あそこへ行くか。」

「どこ?」

「…いや、駄目か?」

「さっきからどこに行こうとしているの?」

「マッサージ屋だ。とても気持ちいいんだぞ。気づいたらいつのまにか寝てるし。」

(あの暗さがまた眠くなるんだよ。しかもマッサージの加減も絶妙だし。)

あれを体験してしまえば、もう二度と戻れない。かなりの金額を払わないといけないが、あのクオリティでは安すぎるぐらいだ。

「へー、それはいいねー。僕も行きたいよ。」

「それが今回は無理かもしれない。まだ本選が終わったわけじゃないから。」

「あー、そういうこと。揉み消してもらえないの?」

「流石に難しいだろうな。学院外だからな、ここは。」

本来は学院外に出てはいけない。食事だけならまだしも身体のリカバリーのためにマッサージを受けたことがバレたら本戦の出場を取り消されるかもしれない。

(調べられたらすぐ分かるからな。あからさまな不正は出来ない。)

「じゃあ、どうするー? まだ3の刻ぐらい時間あるよね。」

「そうだなぁ、ちょっとご飯食って眠いんだよな。寮の部屋で昼寝、夕寝?しようかな。」

「ご飯を食べてすぐに眠れるの!?」

「別にすぐってわけじゃないだろ。」

「いや、わりかしすぐだと思うけど。」

「悲しいかな、見解の不一致だ。」

「…参考までに聞いておくけど、見解の相違と何が違うの?」

「さあ? 知らん。」

「…そう。」

「そんな顔するなよ。言葉なんて都合のいいように使えばいいんだ。所詮道具なんだから。」

「…わーお、割り切りすぎでしょ。」

「そうか? …そうかもな。俺は極端が好きだから。」

(所詮、この世は突き詰めれば白か黒の二色しかない。それが複雑に混じり合っているように見えて元の色が分からなくなっているだけ。…灰色になァ。)

「…まぁ、分かりやすいよね、極論は。」


二人の間に何とも言えない気まずい空気が流れる。一人の思想にもう一人がついていけなかったがゆえに。

(…ちょっと話しすぎたか。反省だな。)

人はすぐにレッテルを貼る。一度イメージを植え付けられてしまえば、そこからの脱却は難しい。だからこそ立ち回りが最も大事なのだ。権力、財力、武力、知力、そして――政治力、さまざまな力が存在するが、エルは政治力が一番大事だと思っている。

(社会で生きていく以上、一番大切なのは立ち回り。ハブられたら終わりなのだから。)


「――帰るか。」

(ま、このぐらいならすぐ元に戻るだろ。…それに別に一人でも構わない。どうせ死ぬときは一人なんだから。)


「そうだね。」


その後、二人は誰にも見つからないように学院に忍び込む。

「よし、帰還成功。」

「誰にも見つからなかったね。」

「そりゃこんなところに人はいないだろう。それより俺は寮で夕寝するけど、テオはどうする?」

「僕はお腹いっぱいだから寝れないかなぁー。ノアたちと合流しよかなぁ。」

「そうか。じゃあ、ここでお別れということで。」

「そうだね。」


エルとテオがそれぞれの方向へ歩みを進め、エルは一人となる。先ほどまで取り繕っていた温かみを感じさせる目が、一気に見る者を凍えさせるような目へと変じる。

(ハァー、しんど。やっぱり人間の相手は疲れる。…一人が至高だな。さっさと夕寝しよう。また、蹂躙しないといけないから。)

テオに少し自分の思想をさらけ出して変な空気にしてしまった。気を付けなければならない、人は異端を排除する。少なくとも無理を押し通すだけの力を手に入れるまでは。

(…父上もそうだったりして、な。)










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