第25話

「いつものおまんじゅうに戻ったな」



「……やっぱりさっきの方が良かったですか」



 酒井さんのショップを出て私達は二人で駅への道を歩いた。



 私の隣を歩くナツメはジャケットのボタンを開け、ネクタイを外すと乱暴にズボンのポケットにしまいこんだ。



「……」



「……」



 さっき、貪るようにキスをしたとは思えない沈黙。

「あの……」



「……ん」



「私のこと、好きなんですか」



「……」



 勇気を出して聞いては見たけど、ナツメはガシガシと頭をかき、少し急ぎ足で私との距離を開けた。



「まさか、本当に赤色のドレスが好きだから……それだけでムラっときたとか……」



 自分で言っててなんか泣ける。



 そんなはずはないと思いたいけど、胸を叩く不安感がそれ以上聞くなと言ってくる。

「キライですか!? なんとなく……キスしたんですか」



「明日……」



「へ」



「明日、もしもアキがちゃんと来れば俺達の勝ちだ。だけどな、あいつが来ずにFOR SEASONを去ったら……」



「去ったら?」



「お前の質問には答えてやらない」



「な、なんですかそれ!」



「なあ」

 私がキャンキャン言うのを止めるようにナツメは呼びかける。



「なんですか?!」



「そんな話よりよ、ラーメン食いにいかない?」



「そんな話って……自分がなにしたか分かってんですか!」



「みそとんこつ塩、どれ行く?」



「……醤油!」



「よし、行くぞ」



「あのッ……!」

 ナツメは軽い足取りで駅へと向かうけど、それはそれでもいいけど……、でも、私は聞きたかった。



「なんだよ」



「あの……パーティナイトは……終わりですか……」



 聞こえないふりをしているのかナツメは縁石をフラフラと、平均棒を渡るように歩いてる。



 ムカッ



「取締役……モテないでしょ!」



「うおっ!」



 あ、落ちた。

「……お前な、俺をよく見ろ。自分で言うのもなんだがそこそこ背も高いし、そこそこ金もあるしなんてったって経営者だぞ経営者!



 世間でいうなら社長ってやつだ!



 見ての通りスタイルだって太ってもないし、だからってガリガリでもない!



 どうだ? これで俺がモテない?



 冗談いうなよ!」



 ……本気で言っているのか? この男は



「……じゃ~あ言わせてもらいますけどね、確かにそこそこお金持ってて、そこそこ背が高いのかもしれませんけど、



 所詮そこそこ止まりなんですよ取締役は!



 大体、オムライスやハンバーグに目が無くて、食べる時は夢中になりすぎて口元ケチャップだらけにするし、



 ちょっと化粧して好きな色のドレス着ただけですぐにその気になるし!



 カラオケ行けばアニソンばっかで、良い歳して車の免許も持ってないし、



 すぐにイヤミ言うし、口は悪いし、昔の片思いを10年も引き摺る未練たらたら男!」

 私があれやこれやと言いまくっている間、ナツメは「う」とか「ぐあ」とかって小さい悲鳴を上げていた。



「その未練たらたらのメグミさんを万願寺さんに取られたとかって思いこんで、



 それが原因で今も万願寺さんとは犬猿の仲だけど、いざとなったらお互い助けあっちゃったりなんかして、



 かと思えばハルくんのミスをなんだかんだで許したり、



 普通だったらクビで、場合によっては通報されてもしかたないくらいのことをした



 アッくんを子供だからって許して、わざわざ大企業の社長に啖呵斬ってまで取り戻そうとしたり、



 あーだこーだ憎まれ口叩きながら結局は優しかったり……キスが上手かったり……」

「お、おい……おまんじゅ……」



「うるさい! おまんじゅうって言うな!」



「じゃあなんて……」



「なんてもかんてもない! 私には望月あんこって名前があるの!」



「じゃ、じゃあ望……」



「うるさい! あんこって呼んで!」



「え、そんなので呼べるか!」

「うるさいうるさいうるさいうるさい! あんこって呼ぶの! あんこって……」



 ドレスを着ていたさっきとはなんだか違う態度に私は悲しい気分になっていた。



 だから少しおかしくなってたのかもしれない。



「あんこが好きって……言って!」



 ナツメは困った顔でアゴのあたりを人差し指で何度か掻くと、ふぅ、と息を吐いた。



「あのな、おまんじゅ……」



 パァン



「おまんじゅうって言うなって言ったじゃん! バァカ!」



 涙でグシャグシャになって自分でも訳が分からなくなった私は、ナツメのほっぺたを思いっきり叩いて走った。



 ちっくしょー……せっかく3キロやせたのに……!



 あんな奴の為に痩せたのに、あんなにエロいドレスも着たのに、なにも変わんないじゃない!



「ひゃっ!」



 走ったはずの私の腕がぐいん、と引っ張られた。



 反動でぐわんぐわんする。

「あんこ!」



「……やれば出来るじゃない」



「誰に言ってんだお前」



「……ごめんなさい」



「また泣いてる。泣き虫だなお前はほんと……」



 やれやれ顔でナツメは私の頭をポンポンと叩く。



「ドレスを脱いだら終わりなんて、シンデレラみたいじゃない」



 私は一応頑張ったつもりの私服を見るけど、それでもやっぱりさっきまでのドレス姿と比べると大分劣るって思った。


「お前って視力はいいほう?」



 ナツメは急に変なことを聞いてきた。



「いいけど……両方1.5」



「じゃあ、このメガネをかけると見づらいだろうな」



 そう言ってナツメはかけていたカエル色のメガネを私にかけた。



「う、目が気持ち悪い」



 アゴがぐいっとなった。

「ん……」



 唇を塞がれて私は黙ってしまった。



「ふぃ……」



 ナツメが唇を離したとき、変な声が漏れた。



「今日のところはこれで勘弁しろ。まだアキのことも、ブリリアントのことも終わってない。



 とにかく末まで待て」



「ごめんなさい……私も、わがまま言いました」



「…………ラーメンは?」



「食うです」



「……あ!」



 ラーメン屋さんに行こうと二人で歩き出した時、私はあることを思い出して叫んだ。



「今度はなんだよ」



 うっとーしそうにナツメがジャケットのボタンを外しながら振り返る。



「……ハッピーバースデー! 春日ナツメ!」



 勇気を出してその名を呼んだ。



 そう、今日8月8日は春日ナツメの誕生日だった。



 それは同時に……

「……ああ、お前もな」



「ハッピーバースデーって言ってるんです!」



「あのな……お前さ……」



「私にとって誕生日っていい思い出ないんです」



「は?」



「前にも言ったかもですけど、学生の頃は丁度夏休み中だから友達がわざわざ訪ねてプレゼントをくれることもなかったし、



 お盆前の帰省する準備でバタバタ買い物とかしてる時だから、



 唯一プレゼントをくれるお父さんもなんか買い物のついでにって感じで」

「社会人になってからは、プレゼントし合う友達なんて出来なかったし……。



 初めて出来た彼氏は誕生日が来る前に別れちゃった。



 だから、私にとって今日っていう日はろくな日じゃないんです!」



 呆れた顔でなにか言おうとしたナツメになにも喋らせないように必死で喋った。



「……そうか」



「今日という日は、取締役……春日ナツメに取ってどんな日ですか? 



 素敵な日ですか? それともろくな日じゃないですか?」

 ふぅ、とため息を吐いたナツメはいつか橋の上で話した時の様に夜空を見上げてゆっくりと歩き始めた。



「俺にとって今日という日……か」



 ナツメの歩幅に合わせて私もゆっくりとついてゆく。



「なんにもない日だったな」



「へ」



「なんにもない。ただの普通の日だよ。俺にとって誕生日ってのは、昔から」



「お前みたいに誰も訪ねて来ないとかってあんまり考えたことなかったけどな。



 うちのオヤジは転勤族だったからな、今は定年して家にいっけど、



 昔はあっちこっち転校してたから、誰も誕生日を祝ってなんかくれなかったよ」



「そうだったんですか……」



 私は初めてナツメの過去に触れた気がして嬉しいような気持ちと、



 聞いちゃいけないことを聞いてしまったのかな、という気まずい気持ちがごちゃまぜになっていた。


「けど、うちのオヤジはいっつもそんな俺に欲しいもの買ってくれた。



 高くても普通に買ってくれたよ。やっぱり悪いと思ってたんだろうな」



「いいお父さんじゃないですか……」



「ああ、オヤジのことは好きだよ。一生懸命なところとか、誰かを見てるみたいだ」



 そういって私と目を合わすとにやりと笑った。



 その子供みたいな笑い顔にまた心臓がドクン、と打った。



「こんな話聞いて面白いか?」



「え、ええ! もっと聞きたいです」

「16の時、オヤジが『なにが欲しい』って聞いてきたからカメラって言ったんだ。



 いつもなにも言わずになんでも買ってくれたオヤジが『なんでカメラなんだ』って聞いたんだ。



 もうそのくらいの時になると転校した数が10校くらいは軽く行ってた。



俺は、『自分が住んだところをちゃんと覚えておきたい』って言ったんだ。



 何気ないことだったんだけどな。



 オヤジが妙に寂しそうな顔したことを今でも覚えているよ」


「お父さん、きっと歯痒かったんでしょうね」



「さあ。そん時オヤジが買ってくれたカメラは、プロが使うような高いのくれたよ。



 後で調べたら10万くらいする奴。



 そっからだな、俺が写真撮るようになったの」



「あ、そっか……写真撮るんだっけ」



 思わず言った私の言葉を聞いてナツメはずっこけた。



「お前、今度それ言ったらクビだからな!」



 脅しを言っているけど、ナツメの顔は笑っている。

「だからよ、俺にとっては何でもない普通の日だ。



 けど、お前に比べたら……まぁ、いい日なのかもな」



 ナツメは柵にもたれて思い出話をしてくれた後、私に向かって歩いてきた。



 またキスしてくれるのかと思い、目をかたくつむる!



「ハッピーバースデー。望月あんこ」



「いてっ」



 コツンと指でオデコを小突かれた。じんじんと地味な痛みが残る。

「……じゃあ、バースデープレゼントにラーメン奢ってもらいます」



「払う気なんてあったのか」



「ないけど払ってもらうんです!」



 ジンジンするおでこをさすりながらナツメを睨みつけた。



「迫力ねえなお前」



 私が心の中で彼をナツメと呼んでいることも知らず、子供みたいな笑い声を上げてナツメは私の前を歩いた。



「……大好き」



 ナツメに聞こえないように、小さな声でその背中に言った。



  私とナツメの8月8日が過ぎてゆく――。


 翌日の朝、私はいつもと同じ時間に起きて冷蔵庫からヨーグルトを取り出して食べた。



 ダイエットの目標はなんとかクリアしたけれど、さらなる目標を立てるべきかな。



 メグミさん、結構ぽっちゃりだったからもしかしたらナツメの好みってましゅまろ女子……。



 いやいやいやいや! いいのかそれで!



 自分自身と葛藤している内に時間が経つ。



「シャワー浴びよっ」



 昨日、ナツメと別れてからずっとナツメのことばっかり考えている。



 これはダメだぞ。



 仕事に身が入らない。仕事を真面目にしないと、絶対にあの俺サマ野郎は私を虐待するに違いない。



 下手すれば「俺、昨日こいつとキスしてやったぜ! ひへへは、物欲しそうな顔してやがるからよぉ、



 望み通りやってやったよ! したらこいつときたらアヘ顔しやがって……」



 とか言いかねない! くわばらくわばら。


 とにかく、意識しないように努めないと! がんば! あんこ!



 がんばれがんばれ、あ・ん・こ!



 んちゅ、ちゅっ



 そう自分に言い聞かせている端から昨日のTSUBAKIビルの自販機でナツメが私にしたキスを思い出して、



 自分の口でんちゅんちゅ言ってホケーとしてしまう私がいた。



「何考えてんの! 馬鹿あんこ!」



 服を脱いでシャワー室に入って勢いよくノズルを回す。

「うっきゃあーーー!!」



 水。



 それはそれはもう、水。



 誰? 誰が私に罰を与えたの!?



 ううう……



 いくら暑い夏と言えども朝っぱらから水攻めは、さすがのあんこちゃんでもキツい。



 ふるふると震えながらバスタオルにくるまって体温が戻るのをただじっと待った。

「おはようございまぁす!」



 女は元気が一番!



 私は無理矢理そう結論付けるとオフィスに入って声を張って挨拶をした。



「……」



 おや、誰からも返事ががない。



 もしかして私が一番……?



「……おはようございまぁす……」

 おそるおそるオフィスを覗き込んで見るとトウマさんと稲穂兄弟、それにナツメが……。



「なぁんだ、みんなちゃんといるんじゃないですかぁ……。なんで誰も挨拶」



「わあっ!」



「ぴゃああ!」



 私の目の前に突然シベリアンハスキーの顔にスーツを着た妖怪が現れた!



「お、おばば、おばけええええ!!」



「ハフハフハフハフ」



「やめでぇえ! おいしくないおいしくない! 私なんて最近痩せて肉なんてないからほんとおいしくないって!」



「ハフハフハフハフ!」

 パニック!



 なんで誰も助けてくれないの!? 



 え、え? なにが起こってるの!



「ナツメぇ~~! ごめん、先死んじゃうからぁ~! 付き合いたかったあ~」



 涙ながらに最後の言葉を残す。



 みんなさようなら。ナツメ、来世でも会おうね……




「……え? ナツメって社長?」



 シベリアンハスキー人間が急に私を食べるのをやめてきょとんと日本語を話した。



 妖怪って喋れるのね……。



「ちょ、みんな知ってんの? え? 社長とあんこ姉って付き合ってんの!?」



「アホか」



「取締役……。まさかとは思いますが、本当に望月さんと……」



「アホか」



「社長ともあろうお方があんななんちゃって団子、相手にするわけないんじゃねー?」



「そうだ」



「いや、おまんじゅうが一方的に好きなだけだろ」

「食べられるぅ~~……う? う、うう?」



 食べられると思って頭を抱えてジタバタしている私を男どもが冷ややかな目で見ている。



 しべりあん(←今名付けた)も無表情で私を見詰めている。



「あ……あれ? なにこの空気……今妖怪に襲われてるのになんでそんなに冷静?」



 終始無言なままでしべりあんは自分の頭を取った。



「頭取った! こここ、怖い!」


「ちょっとここまでやられるとわざとじゃないかって思うんだけど、……どうなのこれ?」



 首なししべりあんがトウマさんたちに振り返って呆れたようにいう。



「あ…………アッくん!!!」



 首なししべりあんを見るとしべりあんの首はないけど人間の首があって、



 身体が人間のしべりあんの首に人間の首が……あれ?



 とにかく、しべりあんからアッくんが出てきた!

「びっくりさせようとかぶりものしてんのに、なんで被り物取るまえにリアクションしてんだよ。



 もしかして芸人めざしてんの?」



 アッくんは変わらない憎まれ口で私に手を差し伸べた。



「ほら、つかまって」



「あ、ありがと……」



 アッくんは私の手を引いて起き上がらせてくれると照れ臭そうに笑った。



「……ただいま、あんこ姉」



「おかえりアッくん」

 うるうるしているのが自分でも分かった。



 けど、そんなのはどうでもいいんだ。これでFOR SEASONが復活したんだから……



「あのさ、帰ってきたらあんこ姉がエッチさせてくれるって聞いたから帰ってきたんだけど」



「エッ……、だれがそんなこと!」



 口笛吹いているナツメ……いや、今だけはメガネガエルだ……!



「なに言ってるんですか! 取締役!」



「いや、減るもんじゃないだろ? それでアキが文字通りヤル気になるなら……」

「シャラップ!」



 パァンッ



「おまんじゅうが社長ビンタした!」



「も、望月さん! お気を確かに!」



 私はメガネガエルにおもいっきりビンタをした後、アッくんに向き直った。



「アッくん!」



「は、はい……」



「みんな心配したんだよ! ちゃんと謝ったんだよね!」



「そりゃ……まぁ、うん……」



 直感的にいい加減な謝り方をしたんではないかと思った私は、アッくんのほっぺたをぎゅーと掴んだ。



「あばばば!」



「いい? ちゃんと迷惑かけた人にごめんなさいをするの! わかった!?」



「あばば」



 アッくんは涙目でなんどもコクコク頷いた。



「……ごめんなさい」



「よし!」

 私はアッくんの肩をポンポンと叩くとニッコリと笑って頭を撫でた。



「よしよし、よくできたねアッくん。姉さん、嬉しいぞ」



 “姉さん”という言葉にハッと顔を上げるアッくん。私の口からそんな言葉言ったことがないからびっくりしたみたいだった。



「……もう絶対、勝手にどっか行くんじゃないよ。わかった?」



「……うん。ごめん……」



 もう一度ポンと肩を叩くと、私はアッくんに言った。



「私と付き合いたかったら、もっと男らしくなってあの人から私を奪いにきなさい」



 といってメガネ……いやいや、ナツメを指差した。



「え? なになに? 俺か?」



 みんなが私の突然の宣言にびっくりしてこっちを見ている。



「私は春日ナツメ取締役のことが男性として大好きです。けど、片思いバリバリなので応援してください!



 私は仕事をバリバリ覚えて、絶対に女として認めさせたいと思っています!



 応援よろしく!」



 吹っ切れた私の演説にその場の全員が口を開けたまま閉まらない。



「宣戦布告ってやつです。それでも口説くってなら……受けてたちます」



 ハルくんとアッくんを交互に睨み、最後にナツメを見詰めた。



「いいですね、春日取締役!」



「……い、いいのか……それ」



 





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