第24話

「アッくん!」



 檀上に出てきたアッくんに向かって私が叫ぶと、びっくりした顔でアッくんはこっちを見た。



「あんこ姉!」



 歓声でアッくんの声はかき消されて聞こえなかったけど、パクパクとした口でそう言っているって分かった。



「ちょっ、待っ……」



 呼び止めようとした私を気にしながら、アッくんは椿社長に肩を抱かれてステージの真ん中へと連れていかれた。

「くっそぅ!」



 確実にアッくんは私に気付いてるのに届かなかった!



 でも、アッくんはこっちに気付いたってことはまだ話せるチャンスがあるってことよね……。



「みなさん、息子のアキです!」



 わあっ! とまた歓声が沸いてアッくんは私から目を逸らすと会場のお客さんに手を振った。



 これじゃまるでタレントだ。

「アッくん! こっち! こっちだってば!」



 アッくんに向かって必死で叫んでも私の声は全くアッくんの元には届いていないみたいだった。



「う~~~!」



 悔しいけれどどうしようもない。



 アッくんがこっちに気付いたからって、今の状況じゃ絶対会ってくれなさそうだし……。



「どうしましょう……」



 ワラにもすがる思いで隣にいたメガネガエルに向く。

 私が見るとメガネガエルは大きく息を吸っているところだった。



 なにをしてるのかと思って見ていると、メガネガエルは次の瞬間……



「アキ!!!!!!」



 その声で会場は一気に静まり返った。



 みんな状況を把握できずにキョロキョロしている。



「ちょ、……と、取締役……」



 間近くでメガネガエルの大声を聞いた私はキーンとなる耳を押さえながら、



 注目を浴びるメガネガエルにおずおずと言った。

「な、なんですか貴方は?! アキの知り合いなの?」



 アキの前で上機嫌だった椿社長は見るからに不機嫌な顔になった。



 突然アッくんの名前を叫んだ正体不明の男に戸惑いながらも、知り合いなのかとも思ってアッくんの顔と交互に見ている。



「……」



 アッくんはどうやら私には気付いていたけど、メガネガエルには気付いていなかったみたいで、



 メガネガエルの顔を見るとすぐに床を見て黙ってしまった。

「誰かは知らないけれど、こんなお祝いの場に失礼だとは思わ……」



「失礼しました。私は株式会社FOR SEASONの春日 棗と申します。冬島 アキくんは、弊社の従業員であり、



 仲間です」



 メガネガエルが自己紹介の最後に“仲間”と言ったところで、アッくんの肩がびくんと小さく動いた。



「仲間……? そういえばアキは高校も行かずどこかで働いていたって言ってたわね。



 そうですか、それじゃあ貴方がアキを使ってくれていたんですね」

 椿社長はメガネガエルに身体を向かせると、胸に手を乗せて泣きそうな顔をした。



 女だから分かるけど、ありゃ完全にウソ泣きだと思う。



「ありがとう……アキをこんなにも立派にしてくれて。だけど、安心してください。



 この子はこれから我がTSUBAKIコーポレーションで……」



「椿社長、申し訳ありませんがアキはまだ私の社員です。彼がいないと弊社は困るのです」



 椿社長がお芝居みたいに話している途中で、メガネガエルはそれをまた最後まで聞かない。


「困るって、こんな子供に頼らなきゃならないなんてどういった会社ですか!」



 椿社長が激おこな感じでそういうと、何人かのカメラを持った人たちがメガネガエルと椿社長をカシャカシャと撮る。



「子供? なにをおっしゃられますか椿社長。 彼はもう立派な大人です。



 確かに歳は若いのかもしれませんが、私からすれば1人の男ですし、社会人です」



 アッくんは俯いたままメガネガエルの言葉を聞いている。



「私からすれば……ですか。貴方の価値観は関係ありません。



 この子は私の子です。



 もしかして貴方、お金が欲しくて言ってるんじゃないの!?」

「お金!? なに言って……」



 椿社長の無神経な言葉にカム着火インフェルノな私をメガネガエルは片手で止めた。



「そうです。お金が欲しいのです。ですからここに参りました」



 予想外の言葉にアッくんは一瞬メガネガエルを見て、すぐに悲しそうな顔になった。



 一瞬、私のほうも見たけどやっぱりすぐ床を見る。



「取締役! 冗談でもそんな……!」



「冗談? なにを言ってるんだ。お前こそ冗談だろ」



 

 本気で言っているわけがないと思いつつも暴走するメガネガエルにそういうけど、



 メガネガエルは表情も変えずに答える。



「そんな……! 本気だって言うんですか!」



 私も声が大きくなってしまう。


 

 だけどメガネガエルはそんな私を無視して、また椿社長を見た。



「やっぱりね。アキ、あんな会社なんてもう行かなくていいからね。



 貴方のことなんてこれっぽっちも大事にしない、金の亡者だわ!



 ……いいわ、いくら欲しいの」

 勝ち誇ったムカツク顔でステージから私達を見下す椿社長に、メガネガエルは「じゃあ遠慮なく申し上げます」と言った。



 2人のやり取りを見守っているお客さんたちの中には万願寺夫妻もいた。



 みんなが好奇心丸出しで見守る中、万願寺さんだけは真剣な顔をしていた。



 ……メガネガエルになんかあったら、なんかしようとしてるんだ。



 なんかってなんかわかんないけど、なんか悪いことなようなきがする。



「アキ、よく聞いておきなさい。貴方が上司だと思っていた男の汚い本性を」

 椿社長がそう言ってアッくんの頭を撫でながら、半笑いでメガネガエルを睨んでいる。



「で、おいくらご要望なのかしら」



「ではお言葉に甘えて申し上げます。冬島 アキを弊社からヘッドハンティングする手打ち金は、



 100億円でどうでしょう」



 一瞬、会場の時が止まった。



「ふ、ふふ……ふふふふ」



 静かな空気の中、椿社長の笑い声をキッカケにお客さんみんなが大声で笑い始めた。

「あはははは!」



「ひぃーひっひっひっ!」



 椿社長をはじめとした全員が大声で笑った。



 笑っていないのは私とメガネガエルと……アッくんだけだった。



「ちょっと、笑わないでください! お願いだから! 笑わないで!」



 メガネガエルがみんなに笑われてる……! 



 そう思うと私は我慢できずに笑っている人達をやめさせようと必死になってしまった。

「冬島 アキは!!」



 会場を黙らせた時よりも大きな声で、メガネガエルは叫んだ。



 どよどよっとした雰囲気で笑っていた人達が一瞬止まる。



「わが社に将来、500億以上の利益をもたらす人材です! 根拠はありませんが、



 それを感じたから採用致しました。



 彼を採用したことで、わが社は必ずこの業界でトップシェアを獲得するでしょう。



 それどころか世界にさえ視野を広げ、日本経済を盛り返すきっかけになるかもしれません」

「なにを言っているのあなたは? 正気なのかしら」



「貴方は母親です。ですから400億負けて差し上げると申しておるのです。



 弊社としては、それ以下での譲歩はあり得ません」



「なにを勝手に来て、勝手なことばかり言っているの!! 



 貴方自分がどれだけ非常識なことを言っているのか分かっているの?!」



「椿社長、貴女こそお分かりになられないのですか。



 『冬島 アキは渡せない』、私はそう申しておるのです」



 『冬島 アキは渡せない』と言ったらへんで、メガネガエルの姿が曇った。



 目にゴミでも入ったのかと思ってると、ぼたぼたと私の両目から涙がこぼれるのがわかった。



 うわ、一体どんな感情? これ。



「春日……ナツメぇ……」



 何故か私は彼の名を小さく噛みしめて泣いていた。



「貴女がアキの母親で、おやっさんがアキの父親で。



 家族の話に私たちは立ち入れない。それこそそれはアキが決める問題です」

「ですが、そこから外に出ればアキは私どもの仲間です。



 たった数年とはいえ、弊社の立ち上げから尽力してくれた戦友です。



 その仲間を私どもから引き離すおつもりであるならば、私は全力で立ち向かいます。



 抵抗空しく踏みつぶされたとしても、アキの居場所は私達が作ります」



「な、なんでそこまで言えるんですかぁ」



 ボロボロに泣いてほとんど喋れなくなった私にメガネガエルは小さな声で「お前の影響だ」と言った。私は「ほえ~ん」としか言えなかった。


「私が悪者ですか? 私はただ、アキと暮らしたい一心でここまで……」



「悪者は私です。ここから先はどうかアキに決断させてやってください。



 彼の決断に、私どもは従います」



 そう言って見詰めた先のアッくんは、しゃがみ込んで泣いていた。



「明日、遅刻せずに来いよ。無断欠勤は1日だけのカウントで勘弁しておいてやる」



 会場に居る全員がメガネガエルを笑っていたはずなのに、



 今では誰一人としてメガネガエル……ううん、春日ナツメを笑う人なんていなかった。



 アッくんの嗚咽に後ろ髪を引かれながら、春日ナツメと私は会場を後にした。

「うまく行ったんですかね……」



「さあな」



「さあなって、そんな無責任な……」



 ……



 ……



「あの」



「なんだ」



……



……



「なんか喋ってください」



「なんで俺が喋らなきゃなんないんだ」

「黙ってたら不安になるじゃないですか」



「お前はいつも不安だろ」



「じゃあ、私が話します!」



「ああ、話してくれ」



 ビルを降りるエスカレーター。前に立っている春日ナツメは私より2段下がったところにいるからいつも見る背中よりも低い。



 だからこんなことが言えたのかな。



「今日の私、どうですか?」



「は?」



 春日ナツメは後ろの私に振り返り、背中越しに見上げた。



「あ……赤、好きなんですよね。それにさっき『馬子にも衣装』って……」



「ああ、あれはお前をから」



「からかったんですよね。知ってます。私はまんまとからかわれました」



「すまなかったよ」

「違う! 謝って欲しいんじゃなくて……その、私じゃダメですか?」



「ダメですかって、なにが」



 どくん!



 私はエスカレーターを一段降りて春日ナツメとの距離を詰めた。



 私よりも頭一つ分くらい背の高いその男が、丁度私の目の高さくらいで目が合う。



 どくん、どくん



「い、今から嘘をつきます」



「嘘だと?」

「あなたとなんか、死んでもキスしたくない」



 春日ナツメの顔を両手で掴んで、硬く目を瞑ると、



 私は思いっきり唇を押し当てた。



「……望月、お前」



 うー! キスしてる最中だって言うのになんで喋るわけ!



 この男はムードってものを分かって……ん



 なんでキスしてるのに喋れるの



「……あれ」



 顔を離してみてみると、私は春日ナツメのオデコにチューをしていたみたいだ。



「……○×▽■!!」



 言葉にならない悲鳴を上げる。

 自分でもおっちょこちょいだと思っていたけど、まさかここまでとは!



 こんな正念場でまさかおでこにキスする?!



「エスカレーターに助けられたのか、それともわざとなのか……」



 春日ナツメはふぅ、とため息を吐くと私を見た。



「お前な」



「す、すみません! つい出来心で……ッ!」



「ちょっとこい」

 エスカレーターが地面に到着する寸前で春日ナツメは私の手を掴むと、



「ひぃ~ごめんなさいごめんなさい!」



 どんっ



 エスカレーターから降りてすぐのジュースの自動販売機に背中を押し付けられ、



 春日ナツメは私の顔の横にまっすぐ手をついてこっちを見た。



「……取締役?」



 自動販売機の光が私の顔の後ろからメガネガエルの顔を青白く照らしている。

「あんなやりかたじゃそりゃでこにするだろ」



「えっ」



「こうするんだよ」



 ぐいっと私のあごが持ち上げられた。



「ッ……」



 春日ナツメが私にキスをした。



 すぐ唇を離し、春日……ナツメは喋ることもできずに放心状態の私を見詰めて



「目、閉じて」



 言われるままに目を瞑ると、もう一度唇に唇があたる。



 んちゅ、という音を何度かさせて私の唇を食べてしまうんじゃないかって思うくらい、



 ナツメはキスを繰り返した。



「あのな……教えてやる」



 ナツメの唇が私から離れた後も、上唇で下唇をはむはむしながらさっきまでの感触を確かめる。


「赤は大好きだよ」



「わ、私は……」



 下唇がふるふると震えている。



 目の前で青白い光に照らされるこの男が、私の良く知る上司だとは思えない。



 別人のようだ。別人なのか?



「私は春日ナツメが大好き……」



 んぐっ、と声が漏れる。唇を塞がれるのはこれで3度目だ。



 もしかしてこれは夢かな。 夢なら冷めないでほしいな……。

「ただいま……」



 酒井さんのショップに戻ったのは21時頃だった。



「おかえりあんこちゃん」



「すみません酒井さん、遅くなっちゃって……随分待ったんじゃないですか」



「ううん、いつもこのくらいの時間まで居てるから大丈夫よ。それより……」



 酒井さんは私の顔を覗き込む。

「口紅がずれてる……もしかして」



「えっ……そ、そんな! え? え?」



 じぃー……



「あ、あれ……嘘ですか?!」



「キスしたの?」



「あ、あの……いやそんな」



「相手はアキくん……なわけないよね。ナツメ?」

「……あの……その……えっと……」



「また顔色がドレスと同化してる」



「ど、どうかしてるぜっ」



 酒井さんは私の背中をバンバンと叩いた。



「やったじゃーん! でもなんでキスまでしたのにこんな早く帰ってきたの?」



 そして酒井さんはキョロキョロと見渡して「で、ナツメは?」と聞いた。



「いや、そのそれが……」

「やっぱりそいつに入れ知恵したのはお前か……。酒井、どんな魂胆だ」



「ナツメぇ!? ……キスしたんだってぇ? やるじゃなーい」



「勘違いすんな! こいつが先に……」



「えっ! あんこちゃんからキスさせたの!? 最っ低ね! 女の子からそこまでしないとあんたわかんないの!?」



「そ、そうですよね! やっぱりそうですよね!」



「な、なんだよお前ら急に徒党を組みやがって……」



 酒井さんのナイスパスに私は全力で乗っかり、二人でナツメに攻撃する。

「大体あんたあんこちゃんの気持ちに気付いてなかったの?!」



「そ、そんなもん気付くかぁ? 普通」



「聞いた? あんこちゃん」



「聞きました!」



「そんでまたここに連れて帰ってきたの?」



「なんだよ! なにが悪い!」



「普通そこまでしといてまっすぐここに帰ってくるかぁ!? 馬鹿? あんた馬鹿ぁ?」

「うるせーな! じゃあどこに行くってんだよ!」



「ちょっと酒井さん……?」



 なんだか言ってしまいそうな勢いの酒井さんをやんわりと止めようとそろりと手を肩に乗せる。



「そんなのホテルに決まってんでしょ! 女に恥かかせるんじゃないわよ!」



 チーン



「酒井さぁー……ん」



「さ、酒井……」



「……あら? 私ったら、うふふ」

「じゃあ、あっちでお化粧だけ落としましょうか」



 酒井さんがそう言うと私は少し残念な気分になり、思わずナツメを見た。



「なんだよ」



 べーっ、と舌を出すとそっぽを向く。



「ちょっと強めのクリーム使ってるから、取るだけ取っとかないとお肌に悪いよ」



「は、はい」

 奥のメイクルームに行き、私はメイクを落としてもらう。



「で、なにがあったのあんこちゃん」



 予想通り酒井さんはにやにやとして私に聞いてきた。



「あの……なんていうかその……やっぱり赤がよかったみたいで」



「でしょ?! ほら言ったじゃない」



 笑いながら化粧落としをぴちゃぴちゃと手のひらに落とす酒井さんは鏡に映る私を見ておかしそうな顔をした。

「なに? 好きな人とキスした後とは思えないような表情ね」



「あ、……なんか現実感なくて」



 酒井さんは私の肩ごしに鏡を覗き込み、溜息をひとつつくとまたニコリと笑ってくれた。



「……大学時代ね、あいつ……ナツメはめぐみのことが好きだったじゃない?」



「え、はい」



「んで万願寺とめぐみは付き合ってて。私達ってさ4人組だったんだよね」



「……? それがどうしたんですか」



「一人余ると思わない?」

 4人組で一人余るって……?



 ナツメにめぐみさんと万願寺さん、そして酒井さん……?



「あ……あの」



「あの時私はナツメのことが好きだったの」



「え!!」



 心臓が口から飛び出るかと思った! 



 え!? 酒井さんがナツメのことを……!?



「昔よ昔。お互いにそんな気はないしさ。けどね、あの奥手馬鹿はさ、いつまでも学生の頃を引き摺ってちゃダメだと思うんだよね」



「そんな……なんで私を……」



「今はなんともないんだって! けどね、昔の私があいつを好きだったこともホント。



 だから、ちゃんと前向いて、真剣にあいつと向き合いなよ」



「酒井さん……」






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