第23話

――思ったことを正直に言うと……



なんなの? これ。



状況を理解するまでにどれだけの時間が必要か、テンパっている私にはわからなかった。


今私の目の前に広がっている夜景に、文句を言おうにも綺麗過ぎて言えない。


シュッとスマートなウェイターが、私が席に着いたのを確認すると、テーブルのキャンドルに火を灯して去った。


さて、ここはどこだと思う?


正解は……私にもわかりませーん。



ただ、分かっているのは、何故か私自身がピンク……いや、職業柄言うならマゼンタのドレスを着ていること。


こんなドレス、小学校の時に遊んだ人形に着せたくておもちゃ屋で見上げたそれでしか見たことがない。



「はは……これ……何?」



 

 ウェイターが灯してくれたキャンドルのオレンジ色の火が、間抜けに笑った私の顔を目の前のガラスに映した。



「……これ、私?」



 間抜けだったのは、表情だけではないらしい。


 よーく、見てほしい。


 私をよく知る人なら、きっとこの顔みて金色爆弾のエアドラムの人かと誤解するだろう。

 ……そう勘違いするほどの厚化粧。

 

 私はもう一度、自分自身に笑った。

 えーと、落ち着け。落ち着くんだあんこ。


 状況を整理しようじゃあないか。


 まず私は、今日なにごともなく普通に出勤した。


 そうして、いつものようにあの鬼畜4人にいじられて身も心も疲れ果てて……


「おまたせ」


「あ、ひゃい」


 噛んだ。

 

 突然背後で声を掛けられたから、驚いて物理的に噛むわけのない「はい」という返事を「ひゃい」と元気にしてしまった。


「今、噛んだよな?」


「ひゃいっ、しゅいません!」


 もうこれは噛んだというレベルじゃない。これで笑って貰えなければ、今日は酔えるだけ酔うしかない。


「ははっ、マジでウケる」


 笑ってくれ笑ってくれぇ~……


 顔が熱い。この厚化粧を以てしても火を吹き出しそうになる頬は隠せていないんじゃないかと思う。


「お前、ドレスの色と顔の色が同化してんぞ」


 その男は俯く私の顔を下から覗き込んだ。

 緊張しきりで目をひん剥き、床を凝視する私の視界にその男がノックもなしに入り込んできた。


「んが!」


「んが?」


 おかしそうにその男は笑う。間違いない、この男は私をからかっているんだ。

「あ、あのォ!」


 思わず立ち上がり、背後のその男に向き直った。


 言ってやる! 言ってやるから!!


「こんな恰好……ッ!」


 私は「こんな恰好させてなんのつもりですか」と言ってやるつもりだった。


「馬子にも衣裳だな」


「はァ!?」


「褒めてやってんだよ。思ったよりイケてんじゃん」


 活け? 活けタコ?


「分かりやすい奴だな。お前」


 そういって男は、私の前髪を指で遊び、その華奢なのに血管の浮いた“男の掌(て)”でセットした私の髪を崩さないように優しく、頭を撫でた。







 ドクン






 胸の内側で、太鼓叩き職人が私の心臓を叩いた。


 こんな言い方をするのは、認めたくないからだ。


 こんな男に私の心がときめかされたなどと……



「キスしてやろーか?」



 “キスしてやろーか”ですって!? ふふふ、ふざけんじゃないわよ!

 なんで私があんたみたいな俺様ヤローに……



「うん……」



 

 “うん”って言っちゃったーーー!


 なに言ってんだあたし!



「……今、うんって言った?」



「え、いや……う、嘘だって……」



 動揺しきっている私は、自分の意思とは反対の返事をついしてしまった。

 これまでの人生で、すっかりなんとなくその場しのぎの返事をすることが染み込んでいるみたいだ。




 今日ほど、その染み込んだ癖を悔やんだ日はなかった。

「嘘? どれが? これが? それが? それとも……」



 カタカタと小刻みに震える私の手を取ると、そいつはじっと私を見た。

 いや、私の目を……見た。



「俺が嘘ついてやろーか?」


「え、え?」



 ごめんなさい私、日本語忘れちゃった。

 緊張しすぎてめまいもするするし、この男の眼力で失神しそうだ。



「お前なんかと死んでもシたくねー」



 

 この数分間の出来事に、すっかり鼻で息をしていた私は、その瞬間に起こったそれにコンマ何秒間、気づかなかった。



 ただ、目に映るその男の耳を見つめながら思った。





 ――あ、目ぇ閉じなきゃ。






 


俺×summer

  ~パーティナイトの後で~




巨海えるな




「あのさ……なんで目ぇつむってんの」



 笑いを押し殺した声でその男が言う。



 ななな、なにをいまさら私を本気にさせておいて……ッ!



「お前、本気にしたの? ……まさか」



 おもいきって瞳を開けた私に耳ではなくメガネガエルの顔が映っていた。



「なな、なにを言って……」



 

「シッ、ちょっと黙ってろ」



 メガネガエルは慌てて反論しようとした私の唇を人差し指で止めると、私の後ろを見た。



「椿社長だ……」



 キスのおあずけを食らった代わりに、唇でメガネガエルの指の感触を感じる。



 情けない……たかがこれしきのことで私の胸の中の太鼓叩き職人たちはいい仕事をしている。



「……ひ!」



 メガネガエルは再び私を強く引きよせるとぎゅぅ、と抱いた。



 椿社長に感づかれないためだと分かってはいるもののその力強い腕に心臓が飛び出しそうになる。



(ひぃぃ~~こんなの持たないよぉ~~)



 病院のベッドで横たわるメガネガエルが眠っている隙にキスをしたあの時のことを思い出した。



(そういえば私はこの人の唇の感触を知ってるんだっけ……)



 そう、そうなのだよチミ!



 私はこの男の唇を一度奪っておるのだよ!

 でも、あの時は私が一方的に眠っているこの男にしただけであって、



 この男が望んでは……



「……お前、熱ある?」



「ひゃふっ?」



 椿社長が離れたのか、メガネガエルはまた私と顔を離した。



 そして私の顔をじーっと見ると



「真っ赤だぞ。……そっか、お前恥ずかしいんだな」

「はずっ、恥ずかしいなんてそんな……」



「そんな派手に胸の開いたドレスなんて着たことないんだろ」



 その言葉に私はつい自分の胸元を見た。



 我ながら今にも飛び出しそうだ。



「ど、どこ見てんですか!」



 慌てて谷間を隠すとメガネガエルはすぐに別の方を見て「心配すんな、もう見ない」と吐き捨てた。



 こここ、このくそガエルァ~! 見ろよ! もっと見ろって!

「それにしても……」



 思わず愚痴がこぼれそうなのになるのを押さえ、心の中で続けた。



(それにしてもどんだけピントがずれてんのよ……)



 私が真っ赤になってんのはあんたが変に期待を持たせるからでSHO!



 私が熱っぽくなってんのはあんたが強く抱くからでSHO!



 バカじゃないのバカじゃないのバカじゃないの! ッキィーーー!!



 泣きそうになった。

 夜景を見下すガラスの壁に、シャンデリアとか綺麗な灯と一緒に私の姿が反射している。



 ……落ち着いて見たら結構イケてんじゃないの私……



 頑張ってほぼ断食に20キロのウォーキング、半ばヤケになって成功させたダイエットは目標の3キロ減がまさかの4キロ減。



 酒井さんに痩せた祝福とやつれた叱りを受けつつ今日に臨んだ。



 真っ赤だったドレスはパーティ会場の灯の加減でマゼンタ色になって、可愛さも増したのに。

 さっきのはマジでメガネガエルが私を……って思ったんだけどなぁ。



「……!?」



 ガラスに映った自分を見ていると、メガネガエルもこっちを見ているのに気付いた。



 ガラス越しに目が合ったと思った瞬間、メガネガエルはすぐに目を逸らす。



(……気のせいかな)



『赤はナツメの好きな色なのよ』



 酒井さんの言葉が胸をよぎる。

 ダメダメダメダメ!



 本来の目的を忘れちゃだめだっての!



 今日はメガネガエルの攻略じゃないでしょ!?



 アッくんと会うための日なんだから!



 ――遡ること数時間前。



「よお来たな! ご両人!」



 個展会場で私達は万願寺さんに迎えられた。



「……にしても、気合い充分で来たなぁ。あんこちゃん」



 酒井さんのところで既にドレスアップをしていた私を見て万願寺さんは呆れているのか、関心しているのか分からない様子で感想を言ってくれた。



「……めぐみは?」



 意外にもメガネガエルがめぐみさんの行方を聞いた。

「ああ、おるで。ちょい待ち……おーい、めぐみ!」



「なに? ちょっと待って」



 奥から透き通るような綺麗な声が聞こえてきた。



(うわ……どうしよう……ついにメガネガエルの初恋(多分)の人が……)



「……ナツメ! 来てくれたの!?」



「ああ、来たよ。久しぶりだな」



「ナツメが来てくれるなんて……本当に嬉しい」



 …………あれ? この人?

「あら? この人は……? もしかしたらナツメの恋人?」



「バカ言うな。部下だよ」



「なんだ。でもどうせ恋人いないんでしょ? 彼女かわいいじゃない。 ……こんにちは」



「あ、こ、こんにちは! 初めまして! 私は望月あん……」



「黒ゴマまんじゅうだ」



「黒ゴマっ!?」



 めぐみさんは私達のやりとりを見てくすくすと控えめに笑った。

「相変わらずね、ナツメは。……でも良かった、ずっと来てほしいって思ってたから」



「お望み通り来てやっただろ?」



「ええ。この後パーティも参加するんでしょ? 椿社長がね……」



 めぐみさんがそこまで話した時、奥の方から「万願寺先生」と呼ぶ声がした。



「ごめんナツメ、呼ばれちゃった。今日はゆっくり見て行ってね。じゃあ、またパーティで……」



 そういってめぐみさんは奥へと消えた。

「……万願寺」



 めぐみさんが去った後、メガネガエルは一言万願寺さんの名前を呼んだ。



「ああ、分かっとる。みなまで言うな」



 万願寺さんはメガネガエルの目を見ずに言った。



 私が実際にこの目でみためぐみさんについてなにも説明しなかったのにはわけがある。



 イメージとかなり違うからだ。



「だからお前にはもっと早くに知っておいて欲しかったんや。俺は今のめぐみも愛しとるからええけど、



 お前はそうやないやろ。だから、早いめに会うて踏ん切りをやな……」



「待て。言いたいことは分かった! ……でもな、いくらなんでも」



「あの、取締役。それ以上は言わないほうが」



 メガネガエルがなにを言おうとしているのかをいち早く察知した私は止めようとした!



「太り過ぎだろ……」



 遅かった!

 もしかして、この人はめぐみさんの外見ではなく内面で好きになったのだと思って納得しようと思ってたけど、



 どうやらそれは私の都合のいい幻想だったみたい。



 昔のめぐみさんは知らないけれど、少なくとも私たちの前に現れためぐみさんは、



 まあ、その……なんていうか、ちょっとぽっちゃり系と言うか……いや、……うう



「百年の恋も冷めたか?」



 万願寺さんが笑った。



「まあな」



 メガネガエルも笑った。

「お前しばくぞ」



 万願寺さんがメガネガエルの肩をパンチしてメガネガエルは「痛って!」と小さく叫んだ。



 でも万願寺さんはなんだか幸せそうな顔をしていた。



 そうか、これが夫婦って奴なのかもしれないな。ちょっとうらやましいかも。



 過酷なダイエットを乗り越えた私は、外見に左右されない万願寺さんを見てなんだかいいなと思った。



 けれど、その後見ためぐみさんの絵や彫刻はため息が出るほど綺麗なものばっかりで、



 本当の綺麗さというのは痩せたとか太ったとかではないのかな、なんて思った。

「昔はすごくスリムだったんだぞ、あいつ」



 なにか悔しかったのか、何も言っていない私にメガネガエルは言った。



「でもガリガリよりいいんじゃないですか」



 なんて言ったら分からなかったので、精いっぱい褒めてみた。



「お前くらいがちょうどいいんだがな」



「へっ」



 嬉しい言葉が聞こえた気がしたので聞きなおそうとメガネガエルを向いたら、もういなかった。

『本日は万願寺めぐみ個展開催記念パーティにようこそ!』



 突然の大きなマイク音に化粧が全部落ちそうになった。



 びっくりして振り向くと、小さなステージにテレビで見たことのあるタレントが司会をしている。



「あ! あ! テレビで見たことあるあの人!」



「うるせえよゲロまんじゅう」



「ゲロゲーロ!」



 陽気なBGMと共にめぐみさんが檀上に上がり、司会のタレントから紹介を受けている。

 檀上には万願寺さんも一緒に登壇し、めぐみさんと一緒に手を振っている。



『そしてこのパーティの主催者である椿社長です!』



 派手なキラキラの何色がメインなのかよく分からない豪華なドレスで椿社長が現れた。



『みなさん、今日はお越し頂きありがとうございます』



 司会者からマイクを受け取ると、会場の客たちをねぎらった。



「見ろ、椿社長だ」



「分かりますよそんなことくらい」


『今日という日は万願寺めぐみ先生にとって特別な日になったと思います!』



 祝辞の言葉と、少しのリップサービスをその言葉で締め括ると、深呼吸をして椿社長は満面の笑みで続けた。



『そして! この私にとっても特別な記念日になります!』



 万願寺さんがステージ上から私たちを見て口をパクパクさせている。



「み・と・け……?」



 万願寺さんは「見とけ」と言っている気がした。

『今日はサプライズゲストがいます! それは私の生き別れた息子です!』



 来た! 



 私達は息を呑んで見守った。



 ステージの陰からタキシードに身を包んだ見慣れた人影が出てきた。



『紹介します【椿 アキ】です!』



 わああっ! と歓声が響いた。



 その歓声に混じって負けじと私も叫んだ!


「アッくん!!」














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