ザフィーとカーロフ

 その時、またしても現れた者がいる。


「ったく、騒がしいねえ。何をやってるんだい。おちおち昼寝も出来やしない」


 ぶつぶつ言いながら歩いて来たのは、長身の女だった。ブリンケンよりは若いが、それでも三十代から四十代前半の年齢に見える。髪と肌は黒い。背は女性にしては高く、ジョニーと同じくらいあるだろう。美しい瞳と形のいい鼻の持ち主だが、顔の下半分は赤い布で覆われていた。

 そんな彼女が来た途端、マルクがぴたりと口を閉じる。一瞬でおとなしくなった。どうやら、彼女の方が立場が上らしい。


「姐御、もう夕方だよ。昼寝って時間じゃないからさ」


 呆れた様子で言ったのはミレーナだが、女はお構いなしだ。椅子にどっかと座り込み、けだるそうに髪を掻き上げた。

 直後、ブリンケンとイバンカを睨みつける。


「で、このふたりは何者だい? 押し売りなら、とっとと帰りな。あたしゃ二日酔いで頭が痛いんだよ」


 その言葉に、ジョニーが口を開いた。


「隊長、このふたりが仕事を頼みたいんだとよ。何とか言ってやってくれ」


 言いながら、意地悪くニヤリと笑う。次に何が起きるか承知しているのだ。


「へえ、そうかい。どんな仕事か、まずは聞かせとくれ」


 ザフィーの表情は少し和らいだ。すると、ブリンケンが軽く会釈する。


「俺はブリンケン、こっちはイバンカだ。俺たちふたりを、バルラト山まで護衛して欲しい。金は、前金でひとりにつき金貨十枚出す。もちろん、旅費は全て俺が持つよ。無事に到着できたら、さらにひとりにつき金貨百枚ずつ出そう。引き受けてくれるか?」


 彼の申し出に、ザフィーの目つきが変わる。横にいるミレーナは、ヒューと口笛を鳴らした。

 それも当然だった。金貨百枚といえば、家とそこそこの広さの土地と家畜二頭を買っても釣りが来る。つまり、ブリンケンは大口の客なのだ。


「なるほど、額は申し分ないね。ただし、引き受ける前に条件がある。ひとつテストを受けてもらうよ」


 言った後、ザフィーは立ち上がった。イバンカに、ゆっくりと近づいていく。

 少女の前に立つと、にっこりと微笑んだ。


「お嬢ちゃん、あたし綺麗?」


「もちろんなのだ! 綺麗なのだ!」


 即答するイバンカ。すると、ザフィーはしゃがみ込んだ。


「これでも?」


 言いながら、口を覆っていた布を取り去る。その瞬間、イバンカとブリンケンは息を呑んだ。

 ザフィーの頬には、焼けただれたような傷があったのだ。口から耳元まで、ケロイド状の長い傷痕が口の周辺を覆っている。唇の形も歪んでおり、左右非対称の形だ。

 さすがのイバンカも怯んでいる……かと思いきや、それは一瞬だけだった。


「だ、大丈夫か!? 痛くないのか!?」


 言った直後、ぱっとブリンケンの方を向く。


「薬だ! 薬をお出しするのだ!」


 真顔で叫んでいる。今にも泣きそうな表情だが、それは恐怖によるものではなく、心配からくるもののようだ。そんな少女の様子を見て、ザフィーはくすりと笑った。


「大丈夫だよ。こいつは、今さら薬つけたくらいじゃ治らない。でも、ありがと」


 優しい口調で言うと、手を伸ばしイバンカの頭を撫でる。


「いい子じゃないか。気に入ったよ。引き受けるよ」


 言いながら、ニッコリと微笑んだ。その途端、ジョニーは顔色を変える。


「た、隊長!」


「何か文句があるのかい?」


 ザフィーは、じろりと睨んだ。ジョニーは顔を歪めて下を向く。

 だが、何かを閃いたらしい。すぐに顔を上げた。


「じゃあ、次はカーロフだ! あいつを呼んで来るぞ!」


「ちょっとお、さすがに初っ端でカーロフは刺激強すぎじゃない?」


 横から口を挟んだのはミレーナだ。彼女もまた、にやけた顔で成り行きを見守っている。


「刺激? そんなもん関係ねえよ。カーロフもウチの一員だろうが」


 言い返したジョニーの横で、ザフィーも頷く。


「まあ、ジョニーの言うことも一理ある。バルラト山までは遠いし、時間もかかる。奴を外すわけにもいかない」


「じゃあ、今から連れて来るぜ」


 言った直後、ジョニーは宿舎の奥へ走っていく。しばらくして、彼が連れて来たのは異様な男だった。

 身長は二メートルほどだろうか、オーガーのように大きな体をしていた。腕は丸太のように太く、体の厚みは巨岩を連想させる。そんな巨大な体に、貴族の着るような洒落たデザインのジャケットを着ていた。履いているズボンも高級そうなものだが、似合っているとは言えない。

 その体の大きさからして、充分すぎるくらいの威圧感なのであるが……何よりも恐ろしいのは、その顔である。縦横斜めに、ギザギザの傷痕が何本も付いていた。左右の目の位置も、僅かにズレている。しかも、皮膚の色があちこち異なっているのだ。白、黒、黄色……異なる人種の皮膚を集めてきて無理やり張り合わせ、顔の形にしたようにも見える。

 この男こそ、人外部隊最強の盾・カーロフであった──


 さすがのブリンケンも、ごくりと唾を飲み後ずさりする。これほど異様な顔の人間には、そうそうお目にかかれない。

 だが、イバンカの反応は違っていた。


「おおお! すっごくでっかいのだ! 強そうなのだ!」


 素っ頓狂な声をあげたかと思うと、ぱたぱたと走り近づいていく。

 大男の前に立つと、おおお……という感嘆の声をあげる。彼の顔を怖がる気配はない。むしろカーロフの方が、少女の汚れなき視線に戸惑っているように見える。

 少しの間を置き、イバンカが口を開いた。


「顔の傷は、痛くないのか?」


「えっ、ええ、痛くはないです」


 カーロフは、風貌に似合わぬ丁寧な口調で答える。やや困惑気味の様子だ。そんな両者を見て、ジョニーはチッと舌打ちした。カーロフの顔ですら、この天然少女を怖がらせることは出来なかったらしい。

 顔をしかめるジョニーを尻目に、イバンカはさらに尋ねる。


「腕、触りたいのだ。触ってもいいか?」


「う、腕ですか? 構いませんよ」


 言うと同時に、カーロフはしゃがみ込んだ。袖をまくり腕を突き出す。

 イバンカは、両手で腕に触れる。途端に、またしても感嘆の声をあげた。


「おおお、すっごいのだ。強そうなのだ」


 そんなことを言いながら、楽しそうにピタピタ触る。すると、横から入り込んで来た者がいた。マルクだ。


「俺も負けてないぞ! 強いぞ!」


 言ったかと思うと、イバンカの前に腕を突き出した。どうやら、軽いジェラシーのようなものを感じたらしい。

 苦笑するカーロフと対照的に、イバンカは大まじめな顔でマルクの腕に触れる。直後、ウンウンと頷いた。


「うん、マルクの腕も凄いのだ。強そうなのだ。さすが、獣の王さまなのだ」


「アオーン! 俺さま、獣の王さま!」


 言ったかと思うと、マルクは高く跳躍した。空中で、くるりと一回転し着地する。イバンカはというと、おおおと言いながら両手を叩き拍手した。

 そんな混沌とした雰囲気の中、ザフィーが苦笑しつつ口を開く。 


「カーロフにもビビらないとは、大したもんだね。いいよ、合格だ。仕事の依頼、受けようじゃないか」


「ご、合格?」


 聞き返すブリンケンに、ザフィーは首肯した。


「そうさ。あたしらの顔を見たら、大抵の連中はビビって逃げ出す。しかし、あの子は逃げなかった」


 言いながら、彼女はイバンカを指差す。

 当のイバンカは、マルクの頭を撫でていた。この人外部隊の面々と、すっかり馴染んでしまったらしい。


「命懸けの任務じゃ、そういう部分は重要なんだよ。どんな人間にも、生理的に無理って部分はある。無理な者同士ってのは、絶対に仲良くなれない。仲良くなれない者同士に、命懸けの任務は出来ない。でも、あんたらは違うみたいだ」


 ザフィーがそう言った時だった。ジョニーが、いきなり片手を挙げる。


「話の途中で悪いが、俺は降りるぜ」 

 

 吐き捨てるように言うと、ザフィーがじろりと睨んだ。


「どうしたんだい?」


「こんなガキの御守なんざ、ごめんだね。どんな任務か知らねえが、ミレーナとマルクとカーロフがいれば充分だろ。それに、俺には闘技場での試合もあるからな。俺ひとり抜けても問題ないだろ」


 その時、イバンカが食ってかかる。


「待つのだ! お前は、さっき言ったのだ。イバンカが逃げ出さなかったら、何でも言うことを聞くと。だから、お前も来るのだ!」


「そうだな、確かに言ってたぞ。俺も聞いた」


 ブリンケンも、訳知り顔で頷く。途端に、ジョニーは顔をしかめた。


「このガキャ……」


 低い声で唸った時、ザフィーが口を挟む。


「だいたい、ガキの御守とか言ってるけどさ、あんただって十八じゃん。あたしらから見りゃ、ガキなんだよ」


「えっ、お前十八か? ずいぶん老けてんな」


 ブリンケンが、真顔でそんなことを言った。すると、ミレーナがくすくす笑う。マルクまでもが、楽しそうに吠えた。


「アオーン! ジョニーは老けてる!」


 叫んだかと思うと、ぴょんぴょん飛び跳ねる。言葉の意味を理解しているかは不明だが、楽しくて仕方ないらしい。横にいたイバンカも、ニコニコしている。

 ジョニーは、チッと舌打ちした。

 

「わかった、付き合うよ。勝手にしやがれ」


 その言葉に、ザフィーはウンウンと頷く。


「決まりだね。久しぶりに、全員揃っての仕事だよ」





 

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