キングの店

 大型の馬車が、ゆっくりと進んでいく。

 御者台より後ろは頑丈な壁で囲まれており、中の様子は見えない構造だ。馬を操っているのはブリンケンである。そう、この馬車は人外部隊の面々を乗せているのだ。

 壁の内側は、傭兵部隊とは思えぬ和やかな空気が流れていた。イバンカの存在ゆえである。今も、マルクに向かい疑問をぶつけている。


「獣王ライガンは、牙なき者を守るため戦うのだ! 獣王マルクは、なんのために戦うのだ?」


 聞かれたマルクは、首を傾げる。


「なんのために戦う? なんだろうな?」


 すると、ジョニーが口を挟んだ。


「んなもん決まってるだろう。食うためだよ」


「違いないね」


 ミレーナも同意する。その時、カーロフが話に入ってきた。


「牙なき者を守るため、ですか。それもまた、ひとつの信念です。ですが、信念を持たぬ我々は、戦い続けた果てに何を見出だすのでしょうね」


 彼の言葉に、全員がきょとんとなった。このカーロフ、普段は聞き役に回ることが多い。だが時おり、顔と体格に似合わぬ哲学的な発言をすることがある。もっとも本人は、頭に浮かんだものを口にしているだけだ。今のセリフも、独り言に近い。

 その時、ブリンケンが後ろを向いた。


「悪いんだがな、ちょいと野暮用がある。この先のヘルムの街で止まるぜ」


「野暮用って何だよ?」


 ジョニーが尋ねると、ブリンケンは小さな皮袋を取りだし、振ってみせた。


「この中に、換金したいものがある。旅をするには、現金も必要だからな。この袋には、そこそこの価値がある宝石が入っているのさ」




 ヘルムの街は、カーマの都の繁栄の副産物だ。大志を抱き出てきたが都会に敗北した者、事件を起こしカーマにいられなくなった者らが集まり、いつのまにか街らしきものが誕生していた。カーマより治安は悪いが、少なくともゴブリンの群れやオーガーのような連中に出くわしたりはしない。

 今も、行商人や夢に破れた若者、さらには腕自慢の自称・冒険者といった連中が街中を行き来している。

 そんな中を、人外部隊の面々は慎重に進んでいった。素顔を晒し堂々と歩いているのは、ブリンケンとジョニーだけだ。ザフィーは口の周りに布を巻いたスタイルである。カーロフは目立ち過ぎるという理由で馬車に残り、マルクはマントを羽織りフードを降ろして顔を隠している。

 やがて、先頭を歩いていたブリンケンが立ち止まった。


「俺は、この街にいる故買屋と話をつけてくる。悪いが、キングの店って酒場で待っててくれ。この街でも有名な店らしいから、すぐにわかるだろ」


 言うと同時に、さっと人混みに消えていく。残りの面々は、彼の言っていたキングの店を探すことにした。

 程なくして、皆はキングの店に到着する。外装は小汚いが、大きさはかなりのものだ。恐らく、ヘルムの街でも一番大きな酒場だろう。外から見る限り、特に問題はなさそうだ。ただ、入っている人数は多い。酔客が多いとなると、揉め事が起こる確率は上がる。


「マルク、あんたは入口で待っていな」


 ザフィーの言葉に、マルクは素直に頷く。だが、イバンカは納得していないらしく疑問を口にする。


「なぜ一緒に行かないのだ?」


「用心のためさ。あたしの勘が当たってりゃ、この店で何かありそうだよ。外れてくれた方がありがたいけどさ」


 ザフィーは声をひそめて答えると、そっと店に入っていく。ジョニーたちも後に続いた。

 しかし、彼らが入った途端に店の空気が変わった。鋭い視線があちこちから飛んでくる。さらに、こちらを見ながらひそひそ囁く者の姿も目に付く。一行は足を止め、出方を窺った。

 ほぼ同時に、人相の悪い男たちが一行の周囲を取り囲む。店にいる男の半数以上が、取り囲む円に加わっていた。人外部隊の面々は、完全に歓迎されざる客という雰囲気だ。理由は不明だが、あからさまな敵意を感じる。

 敵意の正体は、すぐに判明した。  


「ここはな、キングの店だ。そこらの安酒場じゃねえんだよ。お前らみてえな底辺のゴミクズが来る店じゃねえんだ」


 見るからにチンピラ、という風貌の男が、怒りをあらわにした表情で言ってきた。どうやら、たちの悪い連中に目を付けられてしまったらしい。

 こんなことを言われて、黙っていられないのがジョニーだ。


「んだと……」


 低く唸り、一歩進み出る。しかし、ザフィーが彼の腕を掴んだ。


「ジョニー、手ぇ出すんじゃないよ」


 声そのものは小さいが、奥には有無を言わさぬものがある。ジョニーは舌打ちし、ぷいと横を向いた。

 ザフィーは、チンピラたちの方を向くと、軽く頭を下げる。


「わかった。ごめんよ、ここの事情はよく知らないもんだからさ。じゃ、あたしらは出ていくよ」


 平静な口調で答えた時、横から話に入ってきた者がいた。


「なぜだ?」


 イバンカだった。フードを降ろしているため表情は見えないが、声からは怒りが感じ取れる。


「はあ? お前は世の中の仕組みを知らないのか?」


 聞き返すチンピラに、イバンカはなおも食ってかかる。


「なぜ、この店に入っちゃいけないのだ? 理由を教えて欲しいのだ」


 その時、ザフィーが少女の腕を掴んだ。耳元に顔を寄せ囁く。


「そんなこと知る必要はないよ。バカは相手にしなくていいから」


 言いながら、入口へと歩き出した時、男たちが一斉に動く。扉が閉まると同時に、家の大黒柱のごとき太さのかんぬき棒がかけられた。これで、扉は簡単には開かなくなったわけだ。ただでは帰さないぞ、という彼らの意思表示である。


「どういうつもりだい?」


 静かな口調で尋ねるザフィーに、チンピラのひとりが答える。


「お前らが入ってきたおかげでな、店ん中が臭くなっちまった。底辺の奴らの体臭で、酒がマズくなっちまったんだよ。お詫びのしるしに、有り金を全て置いてけ。そしたら、無傷で帰してやる」


「遠慮させてもらうよ。あたしら銭ないし、争う気もない」


 ひどい言いがかりにもかかわらず、ザフィーは冷静だった。怯えているわけでも、怒っているわけでもない。まだ、話し合いの余地は残していた。

 しかし、チンピラたちの方は違っていた。


「銭がねえってんなら、お前らの体で払え。そっちの女が、ここにいる全員の相手をするんだよ」


 その言葉に、周りの男たちが下種な笑い声をあげる。そっちの女とは、言うまでもなくミレーナだ。

 ザフィーは溜息を吐いた。冷めきった表情で、ジョニーの方を向く。


「こりゃあ、交渉不可能だ。ジョニー、やっていいよ」


 囁いた時だった。突然、凄まじい音が響き渡る──


 店にいた全員が音のした方を見ると、閉められていたはずの出入口が開いていた。太いかんぬき棒はへし折れ、扉だったはずのものは板切れと化し床に倒れている。

 一瞬の間を置き、店の中にのっそり入って来た者がいた。外に待たせていたマルクだ。顔を隠していたフードを完全に取り去っており、野獣のごとき顔があらわになっていた。言うまでもなく、この男が扉をぶち壊したのである。

 店内は、静けさが支配している。先ほどまで偉そうだった男たちは、あまりのことに何も言えず呆然となっていた。

 マルクはというと、低く唸りながら店内を見回す。途端に、周囲にいた者たちが後ずさった。怯えきった表情だ。

 店内の視線がマルクに集中していた時、天井から何かが降りてきた。イバンカの前に、音もなく立つ。


「イバンカちゃん、おいで。今から、筋肉バカのお祭りが始まるよ」


 そっと囁いたのはミレーナだ。皆の注意が破壊された扉に向いている隙に、彼女は鞭を取り出した。

 直後、天井へと鞭を放つ。すると、鞭は天井の梁に絡まった。次に彼女は、イバンカを抱き上げる。


「いいかい、しっかり捕まってるんだよ」


 言った直後、ミレーナは鞭を伝い天井へと登っていった。もちろんイバンカも一緒だ。梁の上によじ登り、ふたりして下を見る。

 ザフィーはというと、楽しそうに店内を見回し呟く。

 

「さて、これでお嬢ちゃんは問題なし。あたしは、バカふたりの暴れっぷりでも見物しようかね」


 その時、店の奥から現れた者がいる。恐ろしく大きな男だった。体格だけなら、カーロフにも負けていないだろう。この店の用心棒、といったところか。革の前掛けをしており、もじゃもじゃの黒髪に髭面だ。拳の周りには、分厚い革を巻き付けている。

 そんな大男が、ずんずん歩いてくる。マルクの前に立ち、彼を見下ろした。

 両者は、無言で睨み合う。マルクとて、決して小さな体ではない。だが、大男に比べると明らかに見劣りする。


「お前か、店の扉をぶっ壊したのは。あれは高いんだぜ」


 低い声で凄むが、マルクは無言のままだ。特に変化はなく、先ほどと同じ表情である。

 大男は、大げさに顔をしかめた。


「お前、言葉わからねえのか? それにしても、不細工な面だな。こんな不細工な顔、見たことねえよ。扉を直す前に、お前の顔面を直してやる」


 言うが早いか、大男の右拳が放たれた。並の人間がそのパンチをくらえば、顔面の骨が砕けていただろう。

 だが、マルクは身じろぎもしない。すっと左手を挙げ、拳を受け止める──

 大男の顔から、余裕の表情が消えた。掴まれた拳を、どうにか引き戻そうとする。しかし、マルクは微動だにしない。相手の拳を片手でガッチリ握りしめたまま、平然とした様子で立っている。

 必死でもがく大男に、マルクは口を開いた。


「お前、弱い。ジョニーの方が全然強い」


 のほほんとした口調だ。しかし、大男には答えることは出来なかった。その場に、ジョニーが乱入してきたからだ。音もなく近づいたかと思うと、いきなり跳躍した。

 ジョニーの右足が、ビュンと伸びる。速く鋭い飛び足刀蹴りが、大男の顔面に真っすぐ叩き込まれる──

 一瞬遅れて、大男の口から血と前歯が吐き出される。その顔面は、一発で変形していた。

 直後、マルクが拳を掴んでいた手を離した。すると、大男はバタリと倒れる。

 しんと静まり返る店内で、ジョニーがマルクを睨みつけた。


「おいマルク、こんなデクの坊と俺を比べるな」


 苛立った表情で言うと、マルクは申し訳なさそうに頷いた。


「あう」


 犬のような声だ。すると、ジョニーは苦笑した。


「まあいい。じゃ、ふたりでお掃除といくか」


「アオーン!」


 マルクの声が合図であったかのように、ふたりは襲いかかる──


 あまりにも一方的な戦いであった。

 ジョニーの磨き抜かれ、研ぎ澄まされた技が音もなく決まり、男たちは次々と倒れていく。相手に反撃の暇すら与えないのだ。しかも、彼の動きには全く無駄がない。格闘というより、舞踊に近いものであった。

 一方、マルクの動きは対照的だ。ぴょんぴょん飛び跳ねながら敵に接近すると、力任せに腕を振り回す。ただそれだけで、いかつい男たちがホコリのように吹き飛ばされていくのだ。作戦も技術もなく、闘争本能と身体能力のみで戦っている。まさに、荒れ狂う野獣であった。

 そんな光景を、涼しい顔で眺めているのがザフィーである。口を覆う布を外して壁にもたれかかり、酒瓶を片手にニヤニヤ笑っていた。


「いやいやいや、さすがは我が精鋭たちだ。まあ、五人しかいないんだけどね」


 わけのわからないことを呟きながら、ぐびぐびとラッパ飲みしている。さらに梁の上では、イバンカが下で繰り広げられている光景に目を丸くしていた。


「おおお、ふたりとも強いのだ……」


 感嘆の声を漏らす少女の横で、ミレーナが声をかける。


「うん、あのふたりは強いよ。でもね、あんなバカな大人になっちゃ駄目だよ」




 一方的な戦いは、すぐに終わった。

 キングの店は、つい先ほどまでは、雑然としてはいたが酒場としての形は保たれていた。しかし今は、大地震が襲った直後のようである。テーブルは砕かれ、椅子はひっくり返り、酒瓶は割れ、料理は床の染みと化している。我が物顔で店内をうろついていた男たちは、ほとんどが床に倒れ呻いている。

 大騒動を巻き起こした犯人であるジョニーは、息も乱さず平静な顔つきだ。油断なく周囲を見回している。もうひとりの犯人マルクにいたっては、暴れ足りないと言わんばかりの表情である。

 その時、梁からミレーナが降りてきた。イバンカを床に着地させると、変わり果てた店内を見回した。苦笑しながら口を開く。


「あんたらはさ、もうちょっと紳士的なやり方を覚えた方がいいよ。酒場でケンカ売られるたんびに客を殴り倒して店ぶっ壊してちゃ、そのうちロクなことになんないよ」


「へっ、知るかよ。こいつらの方から仕掛けて来たんだぜ」


 ジョニーが言い返す。その時、ブリンケンが店に入ってきた。こちらも店内を見て、呆れた表情で周りを見回す。


「商談はまとまった。あんたらへの前金と、とりあえずの旅費は作れたよ。ところで、ひとつ疑問がある。ここで何があったんだ?」


「ここのお兄さんたちと、ちょっとした意見の衝突があってね。そんなことより、金が出来たなら出発だよ。こんな街、長居したくないね」


 ザフィーが言った。直後、彼女は持っていた酒瓶を投げ捨て店を出ていく。

 ジョニーたちも、その後に続いた。


 


 


 



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