第39話 事故

 アグレウスの前を辞したエリゴスは、その足でザガムの私室に向かった。

「昨夜の首尾はどうだった? それに、ハーゲンティはどうしたのだ?」

 エリゴスの顔を見るなり、声を潜めてザガムは訊いた。

「それが…少々、厄介な事態が起きまして」

「厄介な事態…だと?」

 不安そうに眉を顰め、鸚鵡返しにザガムは言った。

 エリゴスは重々しく頷く。

「予定通り魔導師とは会えたのですが、ハーゲンティ殿がザガム様の側近であると伝えたところ、どうしてもザガム様に会わせろと言い出しまして」

 依頼主に直接会えなければ仕事は引き受けられないと魔導師が言い張っているのだと、エリゴスは続けた。

「そのような事を言われても…魔導師を宮中に引き入れるなど、リスクが大きすぎる」

「御意」と、エリゴスはがえんじる。

「ですので、ザガム様の方から魔導師に会いに行かれては如何かと」

「何だと?」


 驚いて、ザガムはやや大きな声を上げた。

 それから慌てたように周囲を見回し、窓も扉もしっかり閉まっているのを確かめてから、声を潜めて続ける。


「私が皇宮を出るには父上の許可が必要なのだ。そんな事、できる筈が――」

「数時間の外出ならば、何とかなります」

 相手の言葉を遮って、エリゴスは言った。

「魔導師は今、ハーゲンティ殿と共に私の屋敷におります。いつも通りにご昼食を済ませ、宮中護衛兵に身をやつして私と共に馬車に乗れば、魔導師との会談を済ませて夕餉までに宮廷に戻る事が可能となるでしょう」

「それが可能だとしても、なぜ私の方から魔導師のような下賎な者を訪れなければならぬのだ?それに無断で宮中を出る危険を冒すくらいならば、魔導師を商人と名乗らせてこちらに呼ぶ方がよほどマシだ」

「全くもってお言葉の通りです」

 ですが、と、エリゴスは続けた。

「魔導師は皇宮に来る事をひどく警戒しておりまして、皇宮の外でザガム様にお会いする事ができぬのであれば、依頼は受けられぬと頑なに主張しております。ハーゲンティ殿が昨夜より説得を試みてはおりますが、魔導師は意を曲げそうにありませぬ」

 ザガムは暫く口を噤んで思案していたが、やがて軽く溜息を吐いた。

「…ならば仕方あるまい。その者は諦めて、別の魔導師を探すよう、ハーゲンティに命じよう」


 ザガムの言葉に、エリゴスは改めて相手を見た。

 そして、ここが手腕の発揮しどころなのだと、内心で呟く。


「それが賢明なご判断だと存じます。ただ…ハーゲンティ殿には別のご意見がおありのようでしたが」

「ハーゲンティが?」

 訊き返したザガムの目を、エリゴスはまっすぐに見た。

 ザガムは祖父スリュムに似てはいるが、それは全く上辺だけの事であって、中身は側近に頼らなければ何もできない臆病者なのだ。

 これまでザガムがハーゲンティの助言に逆らった事は、エリゴスの知る限り、一度も無い。


「ハーゲンティ殿の申されるには、これまで幾人もの魔導師と接触したものの、殆どはザガム様のお役に立つには余りに実力の足りぬ者ばかりなのだそうです。昨夜、会見いたしました魔導師は、それら烏合の衆とは比べものにならぬ手練で、そのような者は探しても早々は見つからぬのだ…と」

「…そうなのか?」

 幾分か不満そうにザガムは言った。

 父のアグレウスは難なく優秀な魔導師を探し当てたらしかったから、魔導師探しがそれほど困難だとは思っていなかったのだ。

 だが、ヘルヘイム皇国皇太子であるアグレウスと、その第一王子とは言え、庶子に過ぎない自分の立場が比べようも無く異なっているのは自覚しているし、何より秘密裏に行動しなければならないのだから、いやがうえにも制約は多くなる。

「そなたも昨夜、その魔導師に会ったのであろう? ハーゲンティの言葉通りに優れた魔導師に見えたか?」


 ザガムの問いに、エリゴスは魔導師が木偶くぐつを巧みに操り、自らは弟子に扮して身元を隠していた様を話した。

 実際にはかなり暗い場所だったから木偶の正体が見抜けなかったのだが、側近くで会話をしても相手が木偶だとは全く気づかなかったと嘘を吐き、魔導師の能力を誇張した。


「優れた魔導師とは、そんな事まで出来るのか?」

「私も驚きました」

「そうか…。それならば木偶を何者に偽装する事も可能だし、たとえ潜入した先で疑惑を抱かれる事があっても、木偶ならばそのまま捨て置けば逃亡の必要も無ければ、首謀者が誰か知られる事も無い…という事か」

「御意」

 ザガムは口元に手を当てて暫く考えていたが、やがて口を開いた。

「判った。その魔導師に会いに、そなたの屋敷に赴こう」

「ではすぐに手はずを整えまする」

 一礼して、エリゴスは踵を返し、ザガムの部屋を出た。


 半時後。

 宮中護衛兵に扮したザガムはエリゴスと共に皇宮を出、エリゴスの屋敷に向かった。

 そして、そのまま戻る事は無かった。



 翌朝になってから、ザガムが失踪したと、アグレウスの元に報告が上がった。

 ザガムは前夜から行方不明であり、エリゴスの指揮の下、宮中護衛兵たちとザガム付きの侍女たちが夜を徹して捜索に当たったが、何の手がかりも得られなかった。

 そして、同時に側近のハーゲンティも行方が判らなくなっている事が判明した…と。

「ザガム様が皇宮を出られたご様子もなければ、賊が侵入した形跡もございませぬ。それゆえ、ザガム様はまだ皇宮のいずこかにおられるのではないかと思われます」

 アグレウスの執務室を訪れ、エリゴスは報告した。

「宮殿内は昨夜、夜を徹してくまなく捜索いたしましたが残念ながら何の手がかりも得られませんでした。本日はこれより、庭園の捜索にかかろうかと存じます」

「…不慮の事故で、池にでも落ちたか」

 独り言のように、アグレウスは呟いた。

「側近のハーゲンティはザガムを助けようとして、共に沈んだのやも知れぬ」

「その可能性も考慮の上、引き続き捜索を進めまする」

 エリゴスの言葉に、アグレウスは軽く頷いた。


 平静を装ってエリゴスはアグレウスの執務室を辞したが、内心では苦虫を噛み潰したような気分だった。

 ――で二人とも池から発見されるのがアグレウス様のお望みの解決策なのか? だが…

 それは無理だと、エリゴスは思った。

 アグレウスの意に添ってザガムとハーゲンティを自身の屋敷内で謀殺したが、その罪を咎められる可能性を恐れて二人の遺体は焼いてしまったのだ。

 身元が判別できない状態にしたかったからなのだが、焼死体が池から発見されるのは余りに不自然で、事故に見せかける事が出来なくなってしまう。

 死体の状態の不自然さについては部下の宮中護衛兵たちに口を噤ませておけば何とでも誤魔化せるだろうが、死体のような大きな物を持ち込めば、侍女や侍従に見咎められる恐れがある。

 部下たちには皇太子アグレウスの命で、魔導師を利用してオリアスに呪詛をかけた首謀者として、ハーゲンティを捕らえたのだと説明してある。

 だがアグレウスは事が公になるのを望まなかったので、やむを得ずザガムを策によって連れ出し、暗殺のようにして処刑したのだ…と。

 部下たちはエリゴスの説明に納得しているようだが――全てがアグレウスの命によるもので無ければ、ザガム派の首魁であるエリゴスがザガムを害する理由が無い――護衛兵以外の誰かに見られるのは何としても避けなければならない。


 頭を悩ませるエリゴスの元に、昼近くになって庭園を捜索していた宮中護衛兵から報告があった。

 裏庭の池から、二体の遺体が上がったのだ。

 エリゴスはすぐに現場に向かった。

 引き上げられた遺体は既に白骨化していたが、わずかに残った服の切れ端や骨格からして、二体とも女の物らしく見えた。

「ザガム様とハーゲンティ殿のご遺体に間違い無い」

 敢えて堂々と確信に満ちた口調で、エリゴスは言った。

 部下たちの中には顔を見合わせる者はあったが、反論する者はいなかった。


 エリゴスは他者に見られる前に遺体を布で包み、アグレウスにはザガムとハーゲンティの遺体が池から発見されたと報告した。

「迅速な解決、大儀であった」

「恐れ多きお言葉に存じまする」

 言って、エリゴスは深々と頭を下げた。

 見つかった遺体には重しが括り付けてあったので殺された可能性もあるが、どうでも良い事だとエリゴスは思った。

 以前に宮中で失踪者があったとの報告は受けていないから、下級侍女か下働きの女か、いずれにしろどうでも良い身分の者なのだろうと考えたからだ。

 この時期に遺体が上がった偶然を喜びこそすれ、池に沈んでいた者たちの不運に思いを巡らす事は無かった。



 午後になってから、アグレウスの第一王子ザガムとその側近のハーゲンティが不慮の事故によって溺死したと、正式な報告が女皇フレイヤのもとにもたらされた。

 続いて廷臣たちに対して正式に発表が行われ、主だった貴族たちに通達がなされ、ヨトゥンヘイムにも使者が送られた。

 宮中の勢力図を大きく書き換える事になるこの事件に貴族たちは色めきたったが、ザガムのライバルと看做されていた第二王子ダンタリオンは素直に喜べなかった。


 ――不慮の事故で池に落ちただと? しかも皇宮の裏庭で…?

 ありえない、と、ダンタリオンは思った。

 皇宮の裏庭は、庭と呼ばれているが実際には森であり、狩りや遠乗りの場として使われている。

 とは言えそれは先代の皇帝の時代の話で、アグレウスが狩りを好まず、片足の不自由なフレイヤが馬に乗れない事もあって、余り使われなくなっていた。

 狩りを好まないアグレウスの反感を買わない為、その王子たちが狩りを行う事は無かったし、何よりザガムは子供の頃、落馬して以来、馬を恐れるようになり、以後は乗馬も一切しなかったと聞く。

 平民出身の下級侍女たちが森に茸狩りに行く事を娯楽の一つとしていると耳にした事はあるが、貴族やまして皇族が、用も無いのに裏庭に行く事など考えられなかった。


「アールヴ殿はヨトゥンヘイムから帰って来ないようですし、これでヘルヘイムにいる王子はそなただけになったのですね」

 口元に笑みを浮かべ、期待を込めた口調でダンタリオンの母ヘレナは言った。

 が、ダンタリオンの表情の硬さに、その笑みはすぐに消える。

「…これが本当にただの事故であったとは、私には思えませぬ」

「そんな…。事故でないとしたら、一体、誰が何の為に…」


 不安げに問う母の言葉に、ダンタリオンは首を横に振った。

『誰が』も、『何の為に』も判らない。

 判らないだけに、これを好機と喜ぶことは到底、出来ない。

 次にの犠牲者になるのは、自分なのかも知れないからだ。


「…暫くは身を慎み、目立つ行動を避けるのが上策と思われます」

 低く、ダンタリオンは言った。

 そして、これまでザガム派だった貴族たちが手の平を返してこちらに擦り寄って来るだろうが、彼らの接近を赦すのは、暫く待つべきだろうとも付け加えた。

 ヘレナは不安そうに眉を顰め、ただ黙って頷いた。

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