第37話 裏切り

 ザガムの命を受けたハーゲンティは、魔導師を探させる一方で、ヨトゥンヘイムの様子を探る為に密偵のイレーナに連絡を取った。

 オリアスの身に何か異状が無かったか尋ねる内容で、それはすぐにスリュムに報告された。

「気に入らんな」

 衛士の報告に、スリュムは太い眉を顰めた。

 それからやや思案し、ギリングとゲイルロズを私室に呼んだ。

 そして、ザガムが密偵を通じてオリアスの身に何か異変が無かったか探ろうとしている事を話した。

「あの見掛け倒しが何故、そんな探りを入れて来たんじゃ?」

「お前たちはどう思う?」

 苦々しく言ったギリングに、逆にスリュムは訊き返した。

「呪詛の首謀者はアグレウスではなく、ザガムじゃった――と考えれば辻褄が合う」

 ギリングの言葉に、ゲイルロズも頷いて同意を示す。

「矢張りお前たちもそう思うか…」

 太い溜息を吐いて、スリュムは言った。

 椅子の肘掛に肘を付いて息子たちをやや斜めに見る。

「このままにはしておけん」


 スリュムの言葉に、ギリングはこの場にオリアスとベルゲルミルが呼ばれていない事の意味を改めて考えた。

 スリュムはオリアスに呪詛をかけた首謀者を許す気は無いのだ。

 後顧の憂いを無くす為にも、厳しい対応――オリアスが聞けば反対するような――を、取るつもりだ。

 口の軽いベルゲルミルからオリアスに知られる事をも避けようとしているのだから、かなり徹底的な手段を取るつもりなのだろう。


「率直に聞く。親父殿は、あの見掛け倒しを処刑するつもりか?」

「奴が真犯人であるなら…な」

 重々しく、スリュムは言った。

「しかしそれをどうやって調べる? 間諜なんぞ何も知らんじゃろうし、ヘルヘイム宮廷の内部にまでは、ヨトゥンヘイムの力は及ばんぞ」

「…アグレウスに調べさせるしかあるまい。フレイヤには、心配を掛けたく無い」

 不満そうに、スリュムは続けた。

「問題は、ザガムが無実でアグレウスが真犯人なら、アグレウスは証拠を捏造してでもザガムを犯人に仕立て上げ、自分の立場を護ろうとする事じゃ。そうなったら、それこそアグレウスの思う壺じゃろう」

「確かに親父殿の言う通りじゃが、それなら何故、ザガムが密偵にアルヴァルディの事を探らせようなどとしたんじゃ?」

 ギリングに問われ、スリュムは口を噤んだ。

 暫く沈黙が続いた後、ゲイルロズがぼそりと、「調書」と呟く。

「調書? あの密偵を取り調べた調書の事か?」

「それならば、そこにしまってある」


 ギリングの言葉に、スリュムは部屋の隅の棚を指差した。

 ゲイルロズは黙って席を立ち、調書を取り出して調べ、それからある一頁をスリュムの前の小卓に置いた。

 イレーナは捕縛された後、拷問されるのを恐れて洗いざらい全てを自白していた。

 今までザガムに何を報告したかも、全て調書に記されている。

 そしてゲイルロズが示した一頁には、レオポルドゥス公爵とマクシミリアヌス公爵が、自家の姫をオリアスに嫁がせようと画策しているらしいとの報告が記されてあった。


「そいつらが誰かは知らんが、ヘルヘイムでは公爵というのはかなり位の高い貴族の筈じゃ。それがアグレウスを差し置いてアルヴァルディと婚姻関係を結ぼうとしているなら、アグレウスはさぞ警戒するじゃろうな」

 ギリングの言葉に、スリュムは頷いて言った。

「アグレウスが知れば当然、そうなるじゃろう。じゃがあの女は、ザガムの間者だ。そしてアグレウスの地位が脅かされれば、その長男であるザガムも、自分の地位が脅かされると考えるじゃろう」

「ならば、真犯人はザガムでほぼ決まり…か」


 ギリングの言葉に、ゲイルロズは軽く頷いた。

 スリュムは姿勢を正し、椅子に深く座りなおした。

 その瞳には、激しい憤りの光が浮かんでいる。


「この件はアルヴァルディにもフレイヤにも知らせずに処理する。よって他言無用じゃ」

 確固たる決意を示した父王の言葉に、ギリングとゲイルロズは黙したまま居住まいを正した。



 スリュムはすぐに自分の側近護衛官を密使としてアグレウスの元に送った。

 使者はヒルドの時と同じような手続きを経て――ただし彼は幸い、ヒルドほど長くは待たされなかった――アグレウスに謁見が許された。

 呪詛は解かれた筈なのに…と警戒するアグレウスに、ザガムが呪詛の首謀者であった疑いがあると、単刀直入に密使は言った。

「ザガムが…だと?」

 幾分か驚いてアグレウスは訊き返したが、使者は表情も変えず、続けた。

「ザガム様が真犯人である証拠がみつかり次第、相応の処罰が行われる事、ご心痛を避ける為、フレイヤ様とアルヴァルディ様にはこの事が知られぬよう取り計らう事を、スリュム様は望んでおられます」

「…ザガムに嫌疑がかかった理由は何だ?」

「存じません」


 アグレウスの問いに、にべもなく密使は言った。

 屈強な身体をした髭面の男で、いかにもヨトゥンヘイムの戦士といった風情だ。

 身分はスリュムの側近護衛官だと聞いたが、その風貌からすると武芸一辺倒で、政治絡みの話には興味が無さそうだ。

 実際、何も聞かされていないのだろうと、アグレウスは判断した。

 ――私一人に手を汚させる気か…

 アグレウスは幾分か不満を覚えたが、それで自分に対する嫌疑が晴れるのなら、願ってもない事だ。

「委細承知した。その旨、ヨトゥンヘイムの王陛下に伝えるが良い」

「御意」

 短く言って、使者は頭を下げた。


 アグレウスは謁見の間から執務室に戻り、ヨトゥンヘイムで何があったのか、考えを巡らせた。

 気に掛かる事と言えば、暫く前に側室の一人から、レオポルドゥス公爵とマクシミリアヌス公爵に関する噂を耳にした事だ。

 あの時は噂の出所よりその内容が気に掛かっていたが、考えてみればあの側室はザガムの母の元侍女であり、側室がそんな噂を口にした背景にザガムの関与があったとしても不思議では無い。

 ――ザガムも噂を耳にして私と同じように危機感を抱いたが、あれの立場では二大貴族に近づく事もままならぬので、この件で利害が一致するであろう私を利用しようとして、側室を通して噂を伝えたのだろう――

 父のスリュムならばまだしも、子息のザガムにまで利用されていた事を、アグレウスは不愉快に思った。

 だが問題はそんな事より、ザガムが本当にオリアスに呪詛を掛けたかどうかだ。

 調査の為には宮中護衛兵を動かす必要があるが、護衛兵の長官はザガムの妹の夫であるエリゴスだ。

 ――まずはエリゴスをザガムから引き離すか…

 暫く思案した後、アグレウスはそう決意してエリゴスを呼んだ。



 アグレウスの執務室に呼び出されたエリゴスは、胸中の緊張を隠して部屋の下座に控えた。

 魔導師探しはハーゲンティに一任されているのでエリゴスは関与していないが、それでも厄介ごとに巻き込まれる可能性を危惧しており、魔導師などに頼ろうとしているザガムを内心、苦々しく思っていた。

「そなたを呼んだのは他でも無い、ザガムについて尋ねる事がある為だ」

 アグレウスの言葉に、エリゴスは緊張が一層高まるのを感じたが、表面上は冷静を装った。

「何なりとお尋ねください。私が存じている事は全て申し上げますし、必要であれば護衛官に調査を命じます」

「では訊くが、ザガムは魔導師と関わりがあるのか?」


 ぴくりとこめかみが引きつるのを、エリゴスは感じた。

 ザガムが魔導師を探すようにハーゲンティに命じたのは、一昨日の事だ。

 まさかたった二日で、その事がアグレウスに察知されるなどと、思ってもいなかった。


「――魔導師…で、ございますか」

 平静を装ってエリゴスは言ったが、急速に口の中が乾いてゆくのを覚えた。

 彼は決断を迫られていた――シラを切るか、全てをアグレウスに打ち明けるか。

 アグレウスに告白すれば、当然ザガムを裏切る事になり、ザガムとの一切のつながりが絶たれる事になる。

 それは同時に、ザガム派の首魁として築き上げてきた宮中の勢力を失う事をも意味する。

 その一方でザガムの魔導師探しは二日前に始まったばかりで、まだ実際に魔導師と関係を持った訳では無い。

 アグレウスに疑惑を持たれている事をザガムに伝えれば魔導師探しなどすぐに止めるだろうし、ザガムも自分も無傷で済む――


「ザガム様がそのような下賎の者と係わりを持っておられるとは到底、考えられませぬが、ご命令とあらばザガム様の身辺を調査いたしまするが」

 思案の結果、そう言ったエリゴスを、アグレウスは薄い蒼の瞳で見据えた。

「…そなたは宮中護衛兵のおさである故、過日、ヨトゥンヘイム王陛下の密使が、ヘルヘイムを訪れた事は存じていよう」

「御意にございます。配下の護衛官より、報告を受けておりまする」

「ならばその翌朝、典医がヨトゥンヘイムに向かった事、その数日後にがヨトゥンヘイムに赴いた事も知っている筈だ」

「……御意」

 再び緊張が高まるのを感じながら、エリゴスは答えた。

「そなたその話を、ザガムには伝えなかったのか?」

「それは……確かにお伝えはいたしましたが、あくまで宮中の四方山話として――」

「逆にザガムは、ヘルヘイムの二大公爵に関する噂を、そなたに話している筈だ」


 エリゴスの言葉を途中で遮って、アグレウスは言った。

 エリゴスは思わず面を上げ、そしてアグレウスの冷ややかな表情に、すぐに目を伏せた。

 アグレウスの目を見たのはほんの一瞬だった。

 それでも、その瞳に浮かぶ光の氷のような冷たさを感じるには充分だった。

 二大公爵に関する噂は、ザガムが密偵から得た情報を、母の元の侍女を通してアグレウスの耳に入るように仕組んだのだから、ザガムがその噂を知らないと言い張るのは不自然であり、危険でもある。

 何よりアグレウスの冷酷なまなざしは、ザガムとその義弟であるエリゴスが、噂を知っていると確信している事を物語っていた。


「…恐れながら、すべて御言葉の通りでございます。単なる噂話に過ぎませぬ故、正規の手続きでご報告をせずにおりました事、重々お詫び申し上げまする」

「他にも報告しておらぬ事があるのでは無いのか?」

「そのような事は……」

 アグレウスの問いに、エリゴスは口篭った。

 アグレウスの整った口元に、冷ややかな笑みが浮かぶ。

「ザガムが失脚すればそなたは今まで築いて来た地位を失うのだから、あれを庇おうとするのは当然だ」

 だが、と、アグレウスは続ける。

「ザガムが罪を得て罰せられるとなれば、義弟であるそなたも無事では済まぬぞ」


 アグレウスの言葉に、エリゴスの脳裏に一昨日の密会の様子が浮かんだ。

 ――オリアス様が何者かに呪詛を掛けられ、首謀者はアグレウス様であった可能性がある。もしもスリュム王も同じ疑惑を抱いているのだとしたら――

 生贄が必要なのだ、と、エリゴスは思った。

 ザガムは未だ魔導師と係わりを持っていないのだから、魔導師探しなど止めさせれば良いなどと考えたのは甘かった。

 オリアスに呪詛が掛けられたという推測が事実なら、スリュムは首謀者を赦す筈が無い。

 ――アグレウス様は二大公爵の動きを牽制する為にオリアス様に呪詛を掛けたのか? そして、スリュム様が首謀者としてアグレウス様を疑った為に、ご自身への嫌疑を晴らす為に……


 ぞくりと背筋が粟立つのを、エリゴスは覚えた。

 アグレウスの冷徹さは知っていた。いや、知っているつもりだった。

 だが己の地位を護る為に血のつながったの弟に呪詛を掛け、自らに向けられた嫌疑を晴らす為に実の息子を身代わりにする程、残酷なのだとまでは認識していなかったのだ。

 ザガムが魔導師を探している事を察知された今、シラを切ろうとすればアグレウスの自分に対する心象を悪くするばかりだし、余りに危険だ。


「お赦し下さいませ…! ザガム様が魔導師を探せと側近のハーゲンティ殿に命じられた折、お止めする事が出来ませんでした。その事をご報告申し上げなかった落ち度、どうか平にご容赦を……!」

 告白を決意したエリゴスはアグレウスの足元に平伏し、謝罪した。

 そして、ザガムの命でヨトゥンヘイムに潜入している密偵から二大公爵に関する噂を知った事、その密偵を通じてオリアスの身に異状が無かった探ろうとしていた事も自白した。

 ――ヨトゥンヘイム王がザガムに嫌疑を掛けたのは密偵に余計な事を探らせた結果か。

 ならばその密偵は既にヨトゥンヘイム側の手に落ちているのだと、アグレウスは考えた。

 魔術はヘルヘイムの者にしか扱えないのだから、オリアスに呪詛がかけられたなら、スリュムがヘルヘイムの者に疑惑を向けるのは当然だ。

 であるならば、ドロテアやアロケル達も、厳重な取調べを受けたに違いない――

 面白くない状況だと、アグレウスは思った。

 そしてだからこそ、早急に打開しなければならない。


「…ヨトゥンヘイムの王陛下は、証拠をお望みだ。そして証拠が得られ次第、相応の処罰が秘密裏に行われる事も」

 顔を上げたエリゴスに、アグレウスは平坦な口調で続けた。

そなたに、その二つに対処する事を命ずる」

 エリゴスの口元に、引きつった笑いが浮かんだ。

 アグレウスの言葉は、ザガム失脚後もエリゴスの宮中護衛兵長の地位が保たれる事をほのめかしているからだ。

「全てお任せ下さいませ。必ずやご命令通りに致します…!」

 再び平伏したエリゴスを、アグレウスはただ冷ややかに見下ろしていた。

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