第15話 禍根

「十年か。ちと長いな」

 オリアスから闘技場の建設に約十年かかると聞かされ、スリュムは言った。

「もう少し規模を絞れば、期間も費用も縮小できるが」

「費用なんぞ、気にするな」

 オリアスの言葉に、スリュムは言った。

 オリアスは微かに眉を顰める。

「この後、話そうと思っていたが、南東部の一帯で天候不良の影響で作物の収穫高が落ち込んでいる。特例として、税の減免を考えているのだが」

「構わんぞ。貧乏人からむしり取るような真似はせん」

「それに先月から進めている砦の修復だが、思ったより損傷が激しく、予定の倍近くの費用がかかる」

「必要なら、やるしか無いじゃろう」

「それから、西部での治水工事だが――」

「判った」


 言って、スリュムはオリアスの言葉を遮った。


「色々な工事が必要で、色々と金がかかるんじゃろう? 全てお前に任せてある。良いように取り計らってくれ」

「……だから闘技場建築の費用が不足すると、それを言いたかったのだが」

 オリアスが言うと、スリュムは太い眉をしかめた。

「そんな筈はあるまい。ヨトゥンヘイムほどの大国に、この程度の物を造る金が無いはずがあるか」

「資金が無いとは言っていない。ただ他に優先すべき事業があるゆえ、闘技場建設にまわせる予算が限られてくるから、そうなると十年でも完成はおぼつかなくなると――」

「領地が少ないんじゃろう」


 オリアスの言葉を遮ったのは、ギリング。

 家臣を交えない内輪の会議の席であり、他にゲイルロズとベルゲルミルがその場にいた。


「豪族どもの要求を入れて、奴らの領地の大半はそのまま豪族領にしとるからな。国王直轄地は、国の一部に過ぎん」

「反乱を鎮める為だ」と、オリアスはギリングに言った。

 それから、スリュムに向き直る。

「この件については父上に説明してあるし、了承も得ている」

「その話は覚えとるが……。直轄地はそんなに少ないのか?」

「特に反乱の激しかった幾つかの豪族領では、四分の三程度の本領安堵を許した」


 それも父上の了承済みだと、オリアスは言った。

 スリュムは一旦、口を噤み、暫く考えていたが、やがて口を開く。


「確か治水灌漑工事とやらも、豪族どもの領地でやっておるのじゃったな――儂の金で」

「直轄地でなくとも関所はこちらで押さえているから、豪族領の商工業が盛んになって市が栄え、人の交流が増えることで税収は増える。それも、説明した」


 辛抱強く、オリアスは説明した。

 内心、苛立ちを覚えていたが、表には現さなかった。


「お前のやる事はいつも正しいし、任せてあるんじゃから文句を言うつもりは無い」

 じゃが、と、スリュムは続けた。

「闘技場を造る予算を削ってまで、豪族どもを甘やかす必要は無かろう?」

「甘やかしているという訳では――」

「闘技場なんぞ、造らなけりゃ良いじゃろ」

 横から口を出したのは、ベルゲルミルだ。

「武術競技会をやりたいなら、どこかの平原で充分じゃ。見物人との境に、柵でも作っておけば」

「それで済めば良いのだがな……」


 悩ましそうにこめかみに手を当て、オリアスは言った。

 溜息を吐きそうになったのは、どうにか抑えた。


「見物に支障の無い程度の柵ならば、容易に乗り越えられてしまう。興奮した戦士が柵の外に出たり、逆に見物人が乱入したりで、収拾がつかなくなるだろう」

「それはそれで面白い」

 ベルゲルミルは笑ったが、オリアスは首を横に振る。

「それでは競技会にならない。ただの乱闘だ」

「何か案は無いのか? 闘技場の規模を縮小せず、十年で完成させる為の資金を得る案は」

 スリュムの言葉に、オリアスは黙って暫く考えていたが、やがて口を開いた。

「豪族たちに、闘技場建設のための費用の一部を提供するように、話してみる」

「それが良い」

 スリュムは言ったが、それが事件の発端となるとは、その場にいた誰も予想していなかった。



 同じ頃。

 ヘルヘイム皇宮では、グレモリーが求婚者である豪商ベムブルの、二度目の訪問を受けていた。

 その日、グレモリーは、前回ベムブルから贈られた絹で作らせた衣装を身にまとっていた。

「何とお美しい、グレモリー姫。思ったとおり、いえ思っていた以上によくお似合いでございます」

 赤ら顔に満面の笑みを浮かべ、揉み手しながらベムブルは言った。

「どうかその美しい御手に接吻する事をお許し下さい」


 言ってベムブルはグレモリーに近づいて跪き、うやうやしく手を差し出した。

 グレモリーは渋々、片手を差し出し、ベムブルが身をかがめるのを見下ろした。

 横目でこっそりうかがうと、スロールがまばたきもせずにこちらを見つめている。


「本日はグレモリー姫に対する崇拝と賛美の証として、こちらの品を持参いたしました」

 ベムブルが従者に軽く頷くと、従者がいくつかの箱を持って前に進み出た。

 箱の一つには希少な香料、別の一つには金や宝石で飾り立てた化粧道具が入っている。

 別の一つには、丸めた羊皮紙が入っていた。

 ベムブルはその羊皮紙を手にとって小卓の上に広げる。

「こちらはただ今、建築を進めております別宅になります。姫様を拙宅にお迎えする為の準備でございます」

「私のために、新しく屋敷を建てる……と?」


 思わず、グレモリーは訊いた。

 内親王が臣下に嫁ぐ時には、婚家で新しい屋敷を建てるしきたりがある。

 グレモリーは公女であって内親王ではないが、ベムブルは内親王に匹敵する待遇でグレモリーを迎えるとほのめかしたのだ。


「左様でございます。宜しければこちらをご覧くださいませ。屋敷はすべて白大理石で造り、中庭には幾何学模様の庭園と噴水のある池を配し、裏庭は狩りのできる森へと続いております」

 ベムブルの説明に、グレモリーは思わず息を呑んだ。

 それは到底、商人の別宅などと呼べる代物では無く、ヘルヘイムの皇宮――とまでは行かなくとも、大規模な離宮には匹敵する壮麗さだ。

 続けてベムブルは、園遊会を催す為の庭園、演劇や音楽を上演するための舞台、室内を装飾するための家具や絨毯について、滔々と説明を並べた。

「この新しい屋敷の女主人としてグレモリー姫をお迎えできれば、これ以上の幸せはございません」

「でも……私はまだ返事をした訳では…………」

 口ごもるグレモリーに、ベムブルは満面の笑みを浮かべた。

「承知しております。ご返事を急がせるわけでもございません。別宅の建築はまだ準備段階でございますゆえ、ごゆるりとお考え下されば幸甚に存じます」

 ベムブルは、尚も暫く新しい別邸についての構想を並べ立ててから、部屋を辞した。



「化粧道具というのは、確か嫁入り道具の一つだよね」

「――え……?」

 兄フォルカスの言葉に、グレモリーはぎくりとして訊き返した。

「まさかこれを受け取ったせいで、結婚の申し入れを受けた事になる……と?」

「さあ」と、フォルカスは両手を軽く上げて肩をすくめた。

「ただベムブルはかなり本気のようだし、断るなら早い方が良いんじゃないかな。噂が立っても良くないしね」

 グレモリーは口を噤み、視線を逸らした。

 フォルカスの言う通り、返答を遅らせるのは好ましい事では無いと、彼女は思った。

 今はまだ非公式の申し入れなので、この件は父アグレウスに報告していない。

 それなのに噂が流れてそれが父や祖母の耳に入れば、無断で結婚話を進めようとしていたと捉えられるかも知れない。

 ただでさえ立場の弱い身の上なのだから、アグレウスの不興を買いかねない真似は避けるべきだろう。

「判ったわ。あと二日――いえ、三日だけ考えさせて」

 兄から視線を逸らしたまま、グレモリーは力なく呟いた。



 その日の夜、第二王子ダンタリオンが母ヘレナの私室を訪れていた。

「宮中の様子を探らせていた者から、思いがけない報告がありました」

 子息の言葉に、ヘレナは期待と不安の入り混じった表情を浮かべた。

「あの方の身辺に何か……?」

「いえ、あちらの事ではありませぬ。第四王子フォルカスの周辺です」

 声を潜め、ダンタリオンは続けた。

「何でもこのところ、商人のベムブルが足繁くフォルカスのもとに通っているとの事」

「フォルカス殿?」


 怪訝そうに、ヘレナは訊き返した。

 ダンタリオンやザガムと異なり、母の故国という後ろ盾を持たないフォルカスの許に、商人が通う理由が判らなかったからだ。

 ベムブルのような豪商を呼びつけるだけの財力が、フォルカスにある筈も無い。


「正確には、妹のグレモリーの所に通っているのだと……」

 ヘレナは、グレモリーの姿を思い浮かべた。

 成人の折に内親王の宣下を受けられず、それ以降は兄の侍女として仕えているため、嬪や内親王たちの茶会などには姿を見せないが、印象的な外見の持ち主だったことは記憶している。

 女の自分の目から見ても、美しい娘であった。

「まさか……ベムブルはグレモリー姫に懸想している、と言うのではありますまいね?」

「求婚しているのではないかと、もっぱらの噂です」


 ダンタリオンの言葉に、ヘレナは眉を顰めた。

 グレモリーのような美しい娘であれば、たとえ公女の身分であっても求婚者の一人や二人はいてもおかしくない。

 だがいかに豪商とは言え、商人が皇族に――家臣扱いの身とは言え――懸想するなどと、おぞましい事に思えた。


「その噂、どの程度、確かなのですか?」

 眉を顰めたまま、ヘレナは訊いた。

「単なる噂の域を出ません。ベムブルがフォルカスを訪れたのは、今日で二度目だそうですし」

 たった二回と考えるか、二度もと捉えるか――それによって噂の確からしさは変わってくるだろうと、ダンタリオンは言った。

「……何か理由があるので無ければ、ベムブルのような豪商が、フォルカス殿を二度も訪ねるとは考えられませぬ」

「私も、母上と同じ意見です」

 ダンタリオンは母の側に歩み寄り、更に声を潜めた。

「私の考えるところでは、フォルカスは妹を利用して、ベムブルの財力と影響力を我が物にしようとしているのではないかと」

「そんな恐ろしい事を……?」


 ヘレナは、不安気な目で子息を見た。

 フォルカスと言えば、いつも柔和な微笑を浮かべている印象しか無い。

 それに後ろ盾を持たないので、今まではその存在を気に留めた事も無かった。

 だが、皇位継承権を持つ親王の一人である以上、ダンタリオンのライバルとなりうるのだ。


「フォルカスの思い通りに事が運ぶとは限りませぬが……それでも、企みがあるのであれば、早いうちに潰しておくべきかと」

 ダンタリオンの言葉に、ヘレナは頷いた。

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