第19話 図書室での盗み聞き




 古い本の匂いと薄暗い室内に差し込む木漏れ陽に、ヤーニャは時を忘れて、書庫の中を回って、気になる本を拾い読みしていた。


 室内はとてつもなく広いが利用者は少なく、話声どころか物音一つない静寂に包まれる。


 ヤーニャがある棚に目を止めた。


 棚にはガリアロス記と記されており、並べられた分厚い本の背表紙には、金色の文字で年号と表題が記されていた。背表紙に『001』と記された本を手にすると埃が光の中に舞う。


 ペラペラとページを捲ると、ヤーニャは目を見張った。


「……漆黒の闇夜に切り傷のような三日月が輝いていた。国の運命を背負った一人の青年がシシリアの森へ向かってから三年が経った。男の名はガリアロス・アス……これは、王家に伝わる伝書……?」


 ヤーニャは分厚い本を持って、窓辺の椅子に腰を掛けた。


 異常に速くページを捲っていき、分厚い本がどんどんと消化されていく。時間が経つのも忘れて、ガリアロス記を読破していくヤーニャ。脇に一冊、また一冊と本が積まれていく。


「……やっぱりじいちゃんが言っていたことって本当だったんだ」


 四冊目を読み終えた時、ヤーニャは目頭を押さえてつぶやいた。


 そのときである。書庫に無遠慮な二つの足音が入ってきた。


 その足音が、読書をする者を配慮する気など微塵もないことに、ヤーニャは眉をしかめた。


 どたどたと足音を響かせ、二つの足音は、棚を隔てて、すぐ近くで止まった。


「……王がデートラインの侵攻を早めることを決めた。ボトノアの奴が余計な入れ知恵をしたせいだ」


「……そうですか。しかし、問題はありません。準備は整いました。今宵、決行します」


「そうか……憲兵には感づかれてはいないか?同士討ちは避けたい」


 声は潜めているが、ヤーニャにはよく聞こえる。


「その様子はありません。計画に決行に障害はありません。トッポビが殺されてしまい、当初の計画とはずいぶんと変わってしまいましたが、最速で王の身を捕らえる算段はあります」


 一人はアムストロング隊長である。


「本当にやれるんだな?」


 もう一人は、軍事防衛大臣のセンスである。


「やりますよ。やらなきゃ、この国は変わらない」


 二人が話しているのは棚と棚の間の通路であり、窓辺のヤーニャの姿は死角なって見えないが、通路から顔を出せば、すぐに見つかる。ヤーニャはじっと息を殺した。


「これは杞憂かもしれんが、今宵はいつもとは少し趣向が違う催しが入っているようだ」


 センスが言った。


「なんですか?」


「王妃が奇妙な客を招待したようだ。なんでも三百年前の戦争の時の英雄、ガンツの子孫のノースランド家いう田舎者たちを晩餐会に招待したらしい」


 自分の名が出て、ヤーニャは思わず肩を震わせた。


 その僅かな空気の震えにアムストロングは気づき、センスの前に手を出した。そして、 足を忍ばせて通路を出るが、窓辺の肘掛け椅子には誰の姿もない。


「ここで本を読むような者など、この国にはおらんよ」


 センスは鼻で笑った。



  *        *        *



 ハロルドンは男子トイレの掃除を終え、掃除道具を積んだワゴンを押して廊下を行く。その後をつける者がいた。


 途中、ハロルドンは知り合いの兵士に声を掛けて話し始めた。 すると、柱の陰に隠れ、様子を見守る。


 それにしても随分と妙ないでたちをしている。子供のような身長にマントを引きずるようにして歩く。フードを被り、顔が良く見えないが、時折、気持ちの悪いお面のような顔が見え隠れしている。歩き方も独特で、床を滑るように進んでいく。


 ハロルドンが兵士と別れて再び歩き出すと、距離を取って、その後を付けていく。


 ハロルドンは次の男子トイレの前で立ち止まり、ワゴンから掃除道具を取り出して、入口に掃除中の立て板を置いて中へ入った。


「悪いね、ハロルドン。あんたが生きていられちゃあ、こっちはおちおち寝ていられないんだよ」


 フードの中でつぶやき、滑るようにトイレへと向かう。


「母さん」


 その後姿に声を掛けられて、フードの主はビクリと体を震わせた。


「何をしてるの?」


 振り返るとビンデが立っていて、不思議そうな顔をしていた。


「ビ、ビンデ。あんたっ……よくわかったね?」


 セッツは狼狽え、後ずさりする。


「そりゃ、だって、法を使っているから」


「おや、そりゃ、ほほっ」


 すると、セッツのマントを脱いで、杖を突いて立ち上がる。


「……母さん、人にしょっちゅう法を使うなと言っているのに、自分がこんな人の多いところで使ってさ。誰かに見られたら、どうするの?」


「見ないさ、こんな年寄りなんて誰も眼中にないね」


「そうでもないさ。見張られているんだよ、俺たち」


 ビンデは小声で囁くように言った。


「ホントかい?」


 セッツは慌てて周囲を見回す。だが、それらしい人間はいなかった。


 それもそのはず、セッツが魔法の絨毯の切れ端に乗って、飛びながら移動しているのを見た見張りの者が、王妃に報告にいった後であった。


「どこにもいないじゃないか?」


「今日は見えないけど、昨日はいたんだ。間違いなく見張られている」


 ビンデは真面目に頷いてみせる。


「分かっているよ。それより、随分時間がかかったじゃないか。どこまでお嬢さんを送ってきたんだい?」


 セッツは床に落ちた布の切れ端を拾い上げ、トイレから離れるように歩き出した。


「正門の前までだよ。その後、ここまで来るのに迷ってしまって……そうだ、トランポリンを見たよ。父親と会えたみたいだ」


「そうかい。よかったね」


 すると廊下の先からアルフレドが歩いてくるのが見えた。ビンデはアルフレドに手を挙げ近づいて行く。


「通行証を貰うのを忘れていたよ……」


「用意してあります。もうじきお昼になりますので、準備が出来ていますので」


 セッツはさりげなく振り返ると、ハロルドンがトイレから出てくるところだった。   


 思わず舌打ちをする、セッツであった。

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