人族だもの。いくら魔力があろうとも、死んだら終わりなのだ。

 

「グワーハッハッハッハ!」


 勝利の雄叫びを上げる夜叉猿を前にして、ローズは世界の広さを思い知った。


 強かった、圧倒的である。

 これが神と同格とされる精霊王の実力か。

 完全に騙されていた。

 神眼を持ってしても見抜けないということは、紛う事無き格上である。

 私では勝てないだろう。

 神の手ごと、パクリと、丸ごと食べられて仕舞いだ。

 今は、だが。

 まだ0歳と一日だぞ。

 生まれた直後に天下を取っても面白くないだろう。

 まだまだ上があるということを知れて良しとしよう。

 とりあえずは精進あるのみ。

 こんな強者が味方になってくれたことに、今は安堵するしよう。

 ボインを予約されたが問題ない。

 桃のようなお尻も進んで差し出そうではないか。

 美貌とボインな母上様の遺伝子に感謝だな。

 しかし、大悪魔がノミ虫程度、全然敵にもなり得なかったから完全に慢心していたよ。


「む」


 ふと、まさかコヤツもと、頭上のスライムに意識を向ける。


「ピッピッピッピッピッピ〜」


 ぴょこぴょこ跳ねながら楽しそうに歌ってやがる。

 え、この子も強いなんて事はないよな?

 だがそう思っていた夜叉猿さんも強かったし。

 まさかコレが擬態だとでもいうのか?

 うーむ。

 だが、今まで一度も戦った事など無く、逃走一択だったみたいだしな。

 しかし、その逃げる事に関しては絶対に誰にも負けないって断言していたな。

 そうか、自信があるのか。

 私もスピードには自信があるぞ。

 今度鬼ごっこでも仕掛けてみるか。

 フッフッフ。

 世界は広いということを思い知るが良い。

 叡智を漁り、あらゆる手を尽くして全力で臨む所存である。

 勝負の世界とは厳しいものなのだよ。

 だがしかし、まさか本当に強かったと思うとちょっと怖いな。

 神眼で見抜けないとなると、よっぽどの存在、少なくとも神の領域だ。

 ま、まさかな。そんな訳ないよな。


「おほ、ほ、ほほ」


 ローズは頬をひきつらせて、微妙な感じでお上品に笑っている。


 すると………。


「む?」


 もう終わっていた。


「ば、か、な」


『おい、主。コイツも喰っていいのか?』


 夜叉猿はアザゼルの胴体を鷲掴みにするという、まさにキングコングがヒロインにする仕打ちのような拘束をしていた。


「おお」


 まるで悲劇のヒロインみたいだ。

 目の覚めるような美丈夫だし、絵になる光景である。

 このまま眺めていたい、そんな気分になる。


「良いのか?食うぞ?」


 あーん、と大口を開ける夜叉猿。


「む?」


 ヤバい、見惚れてしまった。

 いやいや、待て待て、ソイツは食べてはダメだ。

 大魔王の下に連れて行って貰わなければならないのだ。


「しょ、少々お待ちになってくださいまし」


 アザゼルはレヴィアタンたちよりも格上、超越者の部類に入る。

 呪いの類いは超越者には効かない。

 流石は元天使か。

 服従させるのは無理。

 なので、このまま夜叉猿さんに任せてみるとしよう。

 王様だし、良い感じに捌いてくれることだろう。


「ソイツには大魔王の下にまで送るようお願いして下さいませ」


『ふむ、いいだろう』


 夜叉猿はニヤリと鋭い犬歯を見せた。


 おお、凄い悪い顔になったよ。

 美丈夫と野獣だ。

 これはこれは、ご愁傷様である。


『おい堕天使』


「ぐぬぬ」


『我は男には優しくないぞ』


 言って、握る力をギリギリと強めた。

 ミシミシとアザゼルの身体が悲鳴を上げるが、アザゼルは怯まず。


「グッ!穿て!」


 そう叫ぶと、頭上で展開していた四つの魔法陣から、エネルギービームが放たれた。


『馬鹿か?』


 夜叉猿は呆れ顔で言う。


『我に飛び道具は効かんと何度言えば分かるのだ?』


 迫るビームに向けて、グワっと大口を開いた。

 その口にビームどころか、展開していた魔法陣までもが吸い込まれてしまう。

 危うしの絶対絶命系ヒロイン。


「馬鹿な」


 夜叉猿がペロリと唇を舐めてから言う。


『堕天使は食べた事がないぞ。

 初モノだな。

 先ずは羽から頂くとしよう。

 おい、羽虫男よ、喋りたくなったら言えよ』


 言うと、アザゼルの翼を羽虫を千切るようにして一枚ずつむしっては、バリバリと食べ始めた。

 おお、なんとも可哀想なヒロインだと、それを目の前で眺めるローズ。


「ク、クソが」


 しかし、アザゼルは堕天使の超越者だ。

 痛覚無効につき、痛みがある訳でもなく。

 抵抗はしないが、堪えている様子は一向に見えない。

 翼を初め、五体を千切ってはバリバリと食され、そして修復するというリピートだ。

 ローズはスゲー光景だなぁと、しばしの間、眺めていると夜叉猿が顔だけをローズに向けて言う。


『おい、主。もう大丈夫だ』


「え、何がですの?」


『コイツの記憶と能力は全て把握した。

 我は喰らう事でソイツ自身を模倣出来るのだ。

 確率なので、一度で全てという訳ではないが、これだけ繰り返し何度も喰らえば完璧に模倣出来るというものだ。

 修復するこやつらは我にとっての都合の良いエサよ」


「お、おお」


 なんともスゲー能力ではないか。

 喰えば喰うほどに強くなる、ということか。

 アンタ王なのに一体どこまで強くなるつもりなのだ。

 え、待てよ。

 万が一にでも私が喰われたとしたら、大変なことになるのでは?

 全知全能の神、ゼウスの魂の三分の一を保有している訳だし。

 あらゆる神々をも超越しそうな気がする、が。

 ま、でも、今は大丈夫か。

 精霊契約を結んでおいて助かった。

 アレは魂の契約である。

 破棄するには相応の代償が必要だ。

 恐らくは復元不可能なレベルで消滅するだろう。

 将来のボインと美貌で良かった。

 母上様に大感謝だ。

 錬金術で何か作って贈り物をするとしよう。


 ローズは嫌な汗をかきながら相槌をうつ。


「な、なるほど、それはまた凄いですわ」


『もう此奴は用済みだろう。始末するぞ』


「お、おい――」


 夜叉猿は何か言おうとしていたアザゼルを、バクンと丸ごと食べてしまった。


 おお、なんともアッサリとヒロインが最後を迎えてしまった。

 許してやるつもりはないが、最後の言葉くらいは聞いてあげても良かったのだが。

 召喚魔法をマスターしたし、夜叉猿との精霊契約とか、役には立ったからな。

 しかしまぁ、アイツは悪魔だ。

 どうせ何百年後かには復活するだろうし、同情はしない。


『ふむ、大魔王サタンか』


 夜叉猿は額に手を当ててアザゼルの記憶を漁りながら、なんとも意味深な事を発する。


『ほう、コレは、面白い、なかなかの強者よ』


「あら、居場所は分かりまして?」


『問題ない。奴の居場所を把握した。直ぐにでも跳べる』


 頭上のスライムがぴょこぴょこ跳ねながら楽しげに鳴く。


「ピッピッピッ〜」


 さぁ、出発だ〜、か。

 なんともノリが良いな、私のオシャレな帽子は。


 オシャレ帽子の掛け声で、いざ行こうとした、その時。


「おい、主人」


 低めの女の声で、そう呼び止められた。  


「あ」


 しまったと目を見開くローズ。 


 やべ、忘れてた。


「妾も行くのか?」


 レヴィアタンの存在を完全に忘れていた。

 姿を隠して、この結界のエネルギー源として維持してもらっていたんだった。

 だからこそリフォームも容易かったのだ。

 うーむ。

 しかし、レヴィアタンを連れて行ってもな。

 もう後はサタンだけみたいだから、私よりも強い夜叉猿さんもいるし。

 オシャレな帽子も被っているしな。

 過剰戦力だろう。


「うーむ」


 そうだ。閃いた。


「いいえ、別行動と行きましょう。

 行ってもらいたい場所がありますわ」


「ふむ」


「この大陸の東端にあるアルファ王国という国の東側に、マカロンという、まあまあ大きな街があるのですが」


 我が母国と領都ね。王都はカッフェって言うんだよ。

 なんだかお茶がしたくなってきたな。


「ふむ」


「その街の北に行ったところに広大な大森林があるのですが」


 私が実験をした場所だ。阿保みたいにデカい森である。


「ほう」


「その手前に小さな村がありまして、その村で暮らしていただけるかしら」


 記憶をリサーチ済みだ。恐らく森で助けた村娘がいるはずだ。

 そこは資源豊かな森の開拓村である。


「ふむ、この姿で大丈夫か?」


 なんて自分を指差すレヴィアタンに、私はゆるゆると首を振る。


「それはダメですわ。勘弁して下さいまし」


 いやいや、ツノが生えていてはダメだろう。

 死んでいるみたいな肌をしやがって。

 魔族どころか悪魔丸出しではないか。

 討伐依頼で母上様がすっ飛んでくるぞ。

 お前、人族に手を出せないんだぞ。

 あの人、聖剣無しでジーククラスなんだぞ。

 ナチュラルに化け物なんだぞ。


「魔力を使ってもう少し人族っポイ感じに化けてくださいまし。

 ツノを隠すとか、もう少し健康的な肌の色にするとか」


「ふむ。了解した。普通に暮らすだけか?」


「ええ、基本的にはそれで。

 あの村はわたくしがもう少し成長したら、パパから貰い受けて色々と発展させる予定なんですの」


 資源溢れる土地だからな。

 森からは森の恵みに、魔獣からは肉と魔石を。

 空いているスペースでは農業に取り組む所存だ。

 あとはテイマーの叡智もあるから活用して、色々とやってみるつもりだ。

 我が領都並に発展させるつもりだ。


「ほう」


「ただ、その大森林そのものと森を抜けた先にある龍が住まう山が近いという事がいささか気がかりですので、守ってやって欲しいんですの」


 あの森にも強者の気配を感じていたのだ。

 少なくとも五体。

 大悪魔よりも強いぞ。

 その内の一体は超強力だった。

 恐らくは幻獣種。コイツが森のボスだな。

 少なくとも神の手だけでは倒せないレベルだ。


「ほう、人の営みを嗜む、そのついでで良いのか?」


「結構ですわよ。楽しんでくれて構いませんわ。

 村人さんたちと友誼を結んで下さると、わたくしも助かります。

 魔力はわたくしのところに供給に来てくださいませ。 

 主従関係を結んだ事で、わたくしの居場所の特定や、念話による会話も可能となっておりますので、連絡して下さいまし」


「わかったのじゃ」


 シューンと、レヴィアタンは姿を消した。


 さて、長かった一日のラストを飾ろうではないか。


「では、参りましょうか」


『うむ』


「ピッピッピッピ〜」


 シューンと、場面が切り変わる。

 真っ暗闇から一転、そこは明るい世界だった。


「ここは、大聖堂、ですわね」


 荘厳な雰囲気の大聖堂の中だ。

 ステンドグラスのバラ窓にパイプオルガンまである。

 しかし、何よりも目立つものがあった。


「これは、また、悪趣味ですわね」


 磔にされた女神の十字架が二つ、正面に掲げられていた。


 はあ、と、ため息を吐くローズ。


「本当に趣味が悪いですわね。

 それはともかく、ラスボスはどこにいるのかしら?」


 サタンはどこかとキョロキョロとしていたら、夜叉猿が叫んだ。


『おい主!目の前だ!』


 まったくの不覚だ。

 その瞬間まで、奴の気配に気づかなかった。


「え」


「馬鹿が、人族が調子にのりおって」


「あ」


「死ね!」


 我ながら間の抜けた声が出たと思う。

 完全なる油断と慢心。

 転移したばかりで、戦闘モードに入っていなかった事が悔やまれる。

 何故にか、会話から入る、そう決めつけていた。

 まさかいきなりの奇襲とは露も考えていなかったのだ。


 姿を隠していたのか、サタンはもう目の前にいた。

 五対十枚の黒い翼、黒い円環を浮かべる堕天使だ。

 中性的な顔立ちの二メートルくらいの男、黒いローブ姿にフードを深く被っている。


 そして、吸い込まれるような漆黒の瞳で私の双眸を射抜いていた。


 更なる不覚が重なる。


「っ!」


 回避しようとしたが、身体が動かない。

 魔力をグルグル巻きに、完全に拘束されていた。

 それにも気づかないとは。

 自分を怒鳴りたいところだが、その前になんとかしなければと力を込める。

 しかし。

 ガッチガチだ。全く動けない。

 頭上に迫る瘴気が立ち昇る黒い剣、魔剣か?

 サタンはそれを振り下ろしている。

 走馬灯なのか、コマ送りのような世界へと変わる。


「むん!」


 抵抗しようと神の手を最大出力に上げる。

 しかし、それでも。

 分厚くなった防御膜が、あっさりと切り裂かれていくのがゆっくりと見える。

 この勢い、この斬撃は私にまで届くだろう。

 三歳児の肉体で防げる訳もなく、回避も無理ときた。

 喰らったら死ぬのだ。

 神の魔力があろうとも、死んだら終わりである。

 脆弱な人族なのだから。

 万事休す、か。

 ああ、せめて頭上のスライムだけでも、助けてやりたかった。

 私より先に切り裂かれてしまうのが申し訳ない。

 まさかこんなところで、私の物語が終わるとは。

 この後、色々と考えていたのに。


 ―――ああ、無念なり。


 ローズは終幕となる神の瞳を閉じた。










 ――僕が絶対に助けてあげるよ!













 ご主人様絶対絶命の危機に。


「ピッピッピッピ〜」


 プレミアムスライムがぴょーんと跳ねて雄叫びを上げた。


 カッ!


 銀光が爆発したように弾け飛び、世界が白一色に染まる。


 ………………


 再び、色を取り戻した時。


 世界は動くのを止めていた。


 神の御子とプレミアムなスライムを除いて。


「……………え、わたくし、生きておりますの?」


「ピッピッピッピ〜」


 ローズとプレミアムスライム、一人と一匹だけの世界が始まる。

 

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