第3小節目、格好の遊び相手

(ヤバイ。脚の力がまったく入らない)


なんてザマだ。

しかし、俺がこんなにも、過去のトラウマに苦しんでいるさなか。

トラウマの元凶たるこの女と言えば、酷似したシチュエーションに遭遇し、俺が正体を明かしてもなお、例の事故の日の事を思い出す様子はない。


(なんかムカつく)


少しばかり困らせてやるつもりだった。

ついでに、抜かした腰を誤魔化すためでもあった。

俺はしがみつくようにして、彼女をぎゅうぎゅう抱きしめる。

(どうだ、まだ降参しないか)


そんな事をして(割と楽しく)遊んでいると。


嫌な気配を感じた。

見上げると、そこには関谷が立っていた。


(はあん、つけてきたって訳か)


大方、こうしてこれまでも、俺と美優の『逢い引き』を散々付け回してたのだろう。


(心配すんな、別れてやるよ………なーんて、言うほど別に始まっちゃあいないけど)


そう。


関谷…いいや、昼間にいきなり泣き出した清家も多分・・・恐らく。

お前らが想像してるような、センチメンタルなメロドラマの要素なんてありゃしない。

あるのは言えば必ず同情される惨めな身の上話ど、どうにもならない現実。

そして、絶望的で救いようのない、俺のこの先の人生だけだ。


俺はある賭けに負けた。

だから始まる前に、終わるのだ。

ただ、それだけ。


(坊ちゃん育ちの関谷に、俺の抱える不幸なんて想像もつかないだろうな)


無性にイラついて、関谷に対しての口調がついついきつくなる。


しかし、その一方で、俺の手は目の前の女のあちこちをなで回している。

不思議でしょうがないのだ。

夢で何度も見た幽霊が、こうして息をして、俺の腕の中にいるって事が。


★★★


「それにしても、おまえ、なかなかいい働きをするなあ」


なんだかんだ文句を言いながらも、必死に俺と美憂を守ろうと、この茶番のひと幕を見事に演じきった清家を俺はそう讃えた。


「ああやって何度かいちゃつく姿を見せてれば、そのうちに俺たちの事を嫌でも事実として認識すんだろ」


俺が付け足すように言った言葉に、清家はしばし沈黙した後ーー。


「……困るよ」


それだけ言って、俯いてしまった。


抱いている時は、されるがまま、というか、どっちかっていうと満更でもなかったように見えたから、その答えは少しばかり俺をがっかりさせるものだった。

そして更にがっかりだったのは、それからの彼女がすっかり静かになってしまった事だった。


これでは、正体を明かした意味がまるでない。


いいや、もしかすると、傷が残ってしまっているとはいえ、こうして心身ともに健康な(少なくとも俺にはそう見えた)彼女にとって、俺が『お殿さま病』だった、というのは、わりとどうでもいい事だったのではないだろうか。


俺にとっての『オテンバール人』は決して忘れる事のできない存在だけれども、他にもいた『大顔病』や『東京タワー病』なんてあだ名のついてた奴らが、今となってはどうでもいい存在なのと同じように。


長い坂道を上る途中も、清家は俺と一切目をあわせようとせず、気まずいムードが流れる。


ついに俺は耐えられなくなり、坂を上りきったところでついに自分から声をかけた。


「さっき浮かれてたのは、何で?」

「……え?」


「飛び上がる程に浮かれてた訳は?

聞いてほしかったんだろ?

聞いてやるよから話せよ」


清家はようやく俺と目をあわせ、首を少し傾げる素振りをする。


「ああ…え、えーとーーーーな、何でだっけ」


(もう忘れてるのか?! すげぇな、鶏みたいな奴だ)


これならば、さぞかし何の悩みをかかえる事なく毎日楽しく生きていけるだろうと本気で感心していると、清家がいつもより少し小さな声で話し始めた。


「苦手な鉛筆デッサンから、しばし解放されたから……かな」

「……鉛筆?」


「うん。 鉛筆デッサンが、志望校の課題なの。 私、鉛筆とはあまり相性が良くないみたいで。

調子を書き分けるのがとっても難しいし…ずっと思う様に描けなくて、少しスランプ気味だったの。


そんなあたしを見かねた先生が、しばらく他の画材を使ってみたらって。

そしたら、嘘みたいにのびのび描けて、嬉しくて…だからあたし……」


「お前って、やっぱり何もわかってねぇのな」

「はあ?」


いい調子になってきたのに、つい本音を口走ると、清家の目に小さな炎が宿った。


「なによ! あんたはわかってるって言うの?」

「ああ。まあ、多分お前よりは、少しはね」

「ムカつく! 何様だってのよ!!!」


(ぶっ。面白ぇ、今度はカンカンだ)


俺はその時、辛い現実から逃避できる格好の遊び相手を見つけたと思ったのが見込み違いではなかった事を確信した。


見つけたというよりは、取り戻したというべきだろうか。


「まだ時間あるんだろ? この近くに面白いものがある。ちょっと付き合えよ」


俺がふざけて肩を抱くと、今度は眉をひそめながらも少し赤くなった。

多分、夕日のせいじゃなく。



「イイもの見せてやるよ」

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