接触




久我が4人目の鬼を美戸川の元に送ってしばらく経った頃だ。

仕事からの帰り道、地下鉄に乗っていた。

時間はかなり遅い。乗客は少なめだ。


封印された鬼が凶悪犯罪者であることを調べたのは久我の独断だった。

最初に六花が遭遇した鬼、

人に戻ったその鬼の顔立ちに見覚えがあった。

美戸川の所へ送る前に密かに指紋とDNAを採取しておいたのだ。


二回目のセイが出会った鬼もやはり見覚えがあり、

指紋とDNAを採取して調べるとその男も犯罪者だった。

そしてつい先日の鬼もやはり逃亡中の犯罪者だった。


久我は普段から手配犯の資料を見ている。

なので彼らが逃亡犯であることが分かったのだ。

もしかすると鬼は邪悪なものに取り憑くのかもしれないと

久我は思った。

ある意味セイと六花が歩き回るだけで

逃げている犯罪者が捕まるなら楽な話だ。

彼らにずっと街をパトロールしてもらえばいい話だ。


だが捕まった鬼は美戸川の研究室のクローンドームにいる。

そしてそれきりだ。

どこにも確保の届けは出ておらず、

捕まった鬼は相変わらず手配中のままだ。


彼が所属している超犯罪調査室は一つの独立した部署だ。

だからと言って犯罪者をそのままこちらで置き留めて、

逮捕された事を知らせなくても良い訳ではない。


ともかく鬼憑きと言う常識では考えられない出来事なのに、

自分に知らされている事が少なすぎるのだ。


元々美戸川は秘密主義だ。

自分は言われるまま動いているだけだ。

美戸川には反論できない何かがある。

久我は空恐ろしいものをどことなく感じていた。


久我は自分の性格に何事も穏便に済ませたい所があるのは自覚していた。

だが九津が死に、セイが美戸川に反発した頃から

美戸川には以前より異様な雰囲気が漂って来た。

さすがにこれで良いのかと言う気がしていた。


そして自分自身にも疑問が湧いていた。

警察署で自分がどんな仕事をしているのかはっきり思い出せないのだ。


妙な話だ。

毎日出勤はする。

セイ達が歩いている様子をモニターで見ている。

何かあればすぐに駆け付ける。


だがそれだけだ。

美戸川の秘書みたいな事はしているが

気が付くと手配書を見ている。

セイたちの所に行く時は部下も来るが一体誰だったか思い出せない。

ともかく署に近づくと何をしているのか

はっきりと分からなくなる事が多いのだ。

もしかすると自分は病気なのかと最近感じて来た。


「若年性認知症?アルツハイマー?」


久我は呟く。

だが捕まった鬼が手配書にあった事はすぐに思い出せた。

そしてそれに気が付いて指紋やDNAを調べるようになってから、

自分の中の奇妙な感覚が大きくなって来たのだ。


彼はふっと頭を上げる。

もうすぐ彼が降りる駅だ。

その時目の前に一人の男性が立った。


そこには髪を後ろに結んだ背の高い男性がいた。

久我と同年代のようだが、

その顔立ちは優し気で驚く程綺麗な男だった。

久我はぽかんと彼を見上げた。


「こんばんは、久我さんですね。」

「……あ、あっ、はい。」


思わず久我は返事をする。

立っている男は微笑んだ。


「よろしければお時間を頂けますか。

私はつきみやと申します。」


久我が降りる駅に着いた。

築ノ宮がにっこりと笑う。

久我は席を立ち彼に吸い寄せられるように後ろからついて行った。


駅から地上に上がるとそこには車が一台止まっていた。

築ノ宮が扉を開けて久我を招いた。


「いや、その……、」


久我が躊躇する。

築ノ宮は見た目は申し分ない紳士だ。

だが急に車に乗せられてどこかに連れて行かれるかもしれない。

何しろ久我は少しばかり怪しげな部署所属なのだ。

人には言えない秘密をある程度は抱えている身だ。


「大丈夫ですよ、いきなりで申し訳なかったのですが

美戸川室長の事でお話があります。」


久我ははっとして築ノ宮を見た。


「極秘にお会いしたかったのでこのような手段を取ってしまいました。

驚いたでしょう。」


車内に入ると車は静かに走り出した。

運転席側と後ろの座席はガラスの扉で隔てられている。


「確かに。拉致されるかと。」

「申し訳ありませんでした。」


久我が苦笑すると築ノ宮が頭を下げた。


「それで本題ですが最近の美戸川室長の様子はどうでしょうか。」


久我が眉を潜める。


「妙です。理解出来ない。」


築ノ宮の表情が厳しくなる。


「私も美戸川室長は知っています。

ですが半年前から全く連絡が取れなくなりました。」

「半年前ですか。」


半年前と言うと九津が死んだ頃だ。

九津の通夜の様子は美戸川が元々薄情であっても

あまりのやり方だと久我は思ったのだ。


「久我さんは鬼憑きを知っていますよね。」


久我ははっとして築ノ宮を見た。


「は、はい、知っています。

今まで4人鬼が出てこちらの者が襲われました。」

「高山六花さんと十上セイさんが襲われたそうですね。

高山さんは茨島の巫女であると。」

「そこまで、ど、どうして……、」


築ノ宮が手元の袋から古い冊子を出した。

表紙には墨で書かれた字がある。


雨多うだ柆鬼ろうきと言う鬼についての記録です。

そして茨島神社の成り立ちも書いてあります。

あのご神体がどうやって顕現したのかがこれにあります。」


築ノ宮の顔が締まる。美しい彼の顔に凄味が出た。

彼は古文書を久我に渡し久我はぱらぱらとそれを見たが、


「すみません、私にはさっぱり、」

「分かりました、かいつまんでお話します。」


築ノ宮が古文書を手に取り話し出した。


「今から190年程前に雨多柆鬼と言う鬼が

金剛と言う武士とうばらと言う茨の精によって封じられた事が

ここに書いてあります。

封じたものがあの黒岩のご神体です。」

「190年前と言うと江戸時代末期ですか。」

「そうです。そして茨島神社が建立されました。

その場所はあなたもご存知の新ナゴノシティ警察署内の神社です。

元々警察署の隣に神社があったそうですね。

警察署を新築する時に土地を提供する代わりに

内部に神社を作ったと記録を読みました。」

「そうです。だからご神体はあの場所から動いていません。」

「今のところ茨島神社側が警察署に土地を貸している形になっています。

署内でどのように言われているか分かりませんが、

警察とは別です」

「えっ、そうなんですか?」


久我が意外そうな顔をした。


「私は配置換えであの部署に配属されました。

辞令も出たのでてっきり警察の一つの部署だと。」

「最初にここはいわゆる極秘の部署だから

口外しないようにとか言われましたか?」

「はい。」

「その辺りは巧妙に隠されています。それ自体も私には疑問の一つです。

いわゆる企業内神社とされていて、

どこにも所属していない独立した神社です。

そのわりには規模は大きいのですが。

それが不問にされている事も含めて

美戸川室長の周りには何かしら不可思議なものが漂っている。」


築ノ宮の顔つきが厳しくなった。

そして彼は古文書をめくった。


「これは茨島神社が作られた時に書かれたものです。

雨多柆鬼はもっと前の江戸時代初期の頃から記録があります。」


久我はため息をついた。


「鬼、って、その、実際に私も4人見ましたが

未だに信じられない。

楔を打ったら人に戻ったんですよ。」

「信じられなくて当たり前です。昔話やお伽噺です。

でも実際あなたはそれを見た。」


築ノ宮が静かに言う。


「そしてそのご神体が割れた。それはどう思われますか?」

「室長からは鬼が放たれた、その鬼が高山君とセイを狙うと。」

「そうです。二人を狙うのは多分鬼の復讐です。」

「復讐……、」


久我が腕組みをする。


「その高山君ですが夢でご神託を受けたそうです。

雨多柆鬼は弱っていると。」

「長い間封印されていましたからそうでしょう。」


築ノ宮が外を見る。

車はずっと走っている。


「雨多柆鬼は悪天候を司る鬼です。

江戸時代の頃は天候は分からない事が多かった。

しかし、今はレーダーなどで雨の降り方などは

ある程度分かり予測できる。台風もしかりです。

治水の技術も進み、江戸時代とは比較にならないぐらい

科学の力で天候は治めることが出来るようになった。

彼は昔の様に大きくなれないのです。」


築ノ宮の顔に街路灯の光が当たる。


「鬼憑きは彼の最後のあがきでしょう。

これが納められれば雨多柆鬼は小さな鬼になる。」

「小さな鬼ですか、消す事は出来ないのですか。」

「私達が生きている星がある限り雨多柆鬼は消えません。

ただ力は小さくなる。」


久我はため息をついた。


「ところで高山さんは巫女ですね。」

「あ、はい、彼女の母親も茨島の巫女でした。

ですが、ほとんど巫女としての仕事はしていません。

凄いはねっかえりですよ。」

「そうですか。」


築ノ宮がふふと笑う。


「彼女は茨の精のうばらの子孫ですよ。」

「えっ!」


久我が驚く。


「人じゃないんですか?」

「人ですよ。でもそのうばらは額に出る紋で鬼を封じたそうです。」

「まあ、確かに紋が出ると言っていました。そして拳骨で白い光を打つと。」

「久我さんには紋は見えましたか。」

「私は見ていないのですが、一緒にいたセイが見ました。

綺麗だったと。」

「綺麗ですか。」


築ノ宮が意外そうな顔をした。


「ならその十上さんも間違いなく関係者ですね。」


「セイの事はご存知ですか。」

「ええ、調べました。美戸川室長が作ったキメラだそうですね。」


久我が大きくため息をつく。


「そうです。セイと言う名前も

Scientific(サイエンティフィック)

Effective(エフェクティブ)

Interlaced(インターレース)の頭文字でSEIです。

セイは10体目のSEI-10(セイ-テン)、苗字も10を表す十上とうがみです。」

「有効な、効能ある、織り合わせたもの、ですか。

色々な人の遺伝子を組み合わせて能力を上げたんですね。」

「そうです。今では違法です。

だがセイが生まれた時は法律が無かった。」


築ノ宮が久我を見た。


「高山さんが鬼に狙われるのは分かります。

茨の精の子孫だからでしょう。

しかし、十上さんがどうして狙われるのか、

それを調べているのですが全く分かりません。

彼の複雑な生誕になにかしらの理由があるのかもしれない。

高山さんの額の紋が見えるなら、間違いなく彼も重要人物です。」


久我が顎に手を当てしばらく考え込んでいた。


「……セイの遺伝子提供者に関係あるかも。」

「遺伝子ですか。」


築ノ宮がはっとする。


「それを調べる事は出来ますか?」

「出来るかどうか、だが調べないといけない気がする。」

「そうですね、私もそう思います。」


久我は築ノ宮を見た。


「築ノ宮さん、先にも話をしましたが美戸川室長の様子がおかしいのです。

捕まえた鬼は全て逃亡中の犯罪者でした。

確保されたので報告はしなければいけないはずです。

ですが室長はそれをしていない。

鬼は研究室のクローンドームに入れられたままです。

そしてそれを誰も何も言わない。」

「鬼憑きは本来なら築ノ宮家に来るレベルの案件です。

美戸川室長一人でどうにか出来る話ではありません。

だが室長は何も言わず自分の所に留めている。」

「……解決する気はないと言う事でしょうか。」

「そうかもしれません。

それよりもっと怖いのは……、」


築ノ宮が難しい顔になった。


「鬼憑きを引き起こしているのは一体誰でしょうか。」


二人の目が合う。


「それと久我さん、

あなたも自分自身に疑いを持っていませんか?

記憶があいまいだとか。」


久我が驚いた顔になる。


「そ、それは、その……、」


久我は少しばかり動揺した。

自分の秘かな心配が築ノ宮に言い当てられたからだ。


「ご心配なさらずに。

あなたの体には異常はありません。

むしろ聡明過ぎる故に混乱されているようです。」


築ノ宮が言う事は久我にはよく分からなかった。

ただ彼の顔を見ていると思考がはっきりしてきたように

久我は感じた。


「久我さん、またお話を聞きたいのですが構いませんか。」

「はい、こちらこそお願いしたいです。色々とご相談したい。」


二人は連絡先を交わした。


「とりあえずしばらくは極秘でお願いします。」

「そうですね。」


久我が築ノ宮を見る。


「ところであなたはどこの組織の方ですか?」


築ノ宮がふっと笑う。


「あなたの家に着きましたよ。」


久我が外を見ると自分のマンションの前だった。

運転手が降りて来て後ろ扉を開けた。


「あなたがいる組織とよく似た所ですよ。」


と築ノ宮が笑うと扉が閉まった。

あっけにとられた久我に運転手が微笑んで頭を下げた。

そして車は行ってしまった。


しばらくぽかんとしたままで彼は立っていた。

まるで幻のようだったからだ。

だが自分のスマホには彼の連絡先がある。


そして美戸川室長の変化を誰にも言えず行き詰った自分には、

一つの助けになると感じていた。


ともかくセイの出自の記録を調べなくてはいけない。

それは美戸川の研究記録を調べればいいだろう。

だがそれはどこにあるのか。


久我はどうしたらいいのか考え込んだ。






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