パパ




二人が花咲アパートに帰って来た。

最近はもっぱらこのアパートが待機場所になっている。


セイが車を停めて降りると花咲が慌ててやって来た。


「高山さん、お父さんが来てるよ。」


六花に花咲が近寄ると小声で言った。


「えっ、パパが?」

「びっくりしたよ、本当にテレビで見る高山先生だね。」

「で、どこにいるんですか。」

「あんたの部屋だよ。」

「入れたんですか?」

「だってあんたの保証人だろ?しかも有名人だし。」


六花が複雑な顔をする。

花咲はセイにも近寄って来た。


「あんたは遠慮しな、と言うか顔を出すとどうなるか分からんよ。」


セイは花咲を見た。


「どうしてですか。」

「だってあんたの彼女のお父さんだよ、挨拶した事があるのか?」

「……彼氏じゃないです。」


セイがぼそりと言うと花咲が驚いた顔になった。


「じゃあなんで部屋の掃除やネコにエサをやったり、

遅くまで部屋にいるんだい?」

「成り行き、と言うか、その……、」

「この人、クロを見に来ているんです。

と言うかクロは無事かな、まずい……。」


六花がひどく焦った顔になり階段を上がって行った。

その後ろをセイがついて行く。

部屋の前に行くと中から中年男性の声が聞こえて来た。


「にゃーん、にゃーん、ネコちゃーん、出ておいで。」


いわゆる猫なで声だ。

六花は慌ててドアを開けた。

すると部屋の真ん中で背広を着た男性が

這うような格好でこちらを見ていた。


「パパ!」

「六花ちゃん!」


男性が嬉しそうに六花を見た。

だが、その後ろにセイの姿を見るとはっとして身を起して正座をした。

そしてセイをじっと見る。


「き、君は誰だね。」


顔つきは厳しくなり声も低い。


「パパ、何してるの?」

「いやあ、その、ネコが、」


パパ、高山正雄はちらちらとセイを見ている。


「この人は私と一緒に仕事をしている人。十上セイさん。」


その名を聞いて高山の顔がはっとなった。


「君が……、」


セイは頭を下げた。

彼の様子から自分の事は知っていると悟った。


「十上セイです。私の事はご存知ですよね。」

「ああ、話だけはな。」


その時だ、部屋の奥から微かに猫の声がする。

するとさっと高山の顔がほころぶ。


「ネコちゃん!」

「もう、パパ、そう言うのダメだから!」


六花が高山に怒ったように言った。




「もう、パパはいつもやり過ぎなの!」


六花がテーブルに着いた父親を見ながら

ぷりぷりと怒っていた。

高山は六花の向かいに座って小さくなっている。


黙っていれば見た目は紳士然とした渋い中年だ。

台所ではセイがクロにエサをやりトイレを掃除していた。

それは六花の向こうの様子だ。

高山はセイの背中をじっと見ていた。


「だって圭悟君から六花ちゃんが猫を飼っていると聞いたからさあ。

ネコ見たいし。」

「だからと言っていきなり来てネコちゃんと言っても

寄って来る訳ないでしょ?

ともかくパパはしつこいの。

私の時もそうだったじゃない。」

「だって六花ちゃんは真理ちゃんと僕の大事な大事な子どもだから。」

「そう言うのがダメなの。」


セイはずっと二人に背を向けている。

話は聞こえているだろうがどんな顔をしているのかは分からない。


「ねえ六花ちゃん。」


高山は六花を見た。


「ネコちゃん触りたい。」


六花が呆れたように父親を見た。

その時だ、食事を食べ終えたクロをセイが抱いて

高山の方にやって来た。


「先生、触りますか?」


高山の顔がパッと明るくなる。


「触っていいのか?」

「まず下からゆっくりと手を出して匂いをかがせてください。

それが済んだらあごの下をそっと触って。」


高山が言われた通りに手を差し出すと

クロはその手の匂いを少し嗅いだ。

そして高山は指先でクロの首筋を触れた。


「柔らかいなあ。」


高山がにっこりと笑う。


「この猫は人慣れしているのですぐ触れますが、

猫は大声とかあまり好きではないので、

静かにしている方が良いですよ。」

「そうなのか、すまんな、十上君。」


セイは優しくクロを高山の膝に降ろした。

クロは少し高山の顔を見ていたが彼の胸元に顔を寄せると

そこで丸くなった。


「ネコ!」


一瞬高山が大きな声を出しそうになったが

六花が怖い顔をしているので声を飲み込んだ。


「ところでパパ、どうして来たの。」


六花が少し低い声で言った。


「まあ一度は六花ちゃんがどうしてるか見たかったし、

ネコがいると聞いたからな。」


と言うと高山が部屋を見渡した。


「それにしても綺麗にしてるな。

家では全然整理整頓出来なかったのに驚いたよ。

一人暮らしは大反対だったが、こんなに効果があるとは。」


六花の顔色が白くなる。

部屋を綺麗にしているのは彼女ではないのだ。

セイがいつの間にかお茶を入れて持って来た。

それを高山と六花に出す。


「どうして君がお茶を出すんだ。」

「成り行きで……。それで私は帰ります。」

「いやいや、ちょっと待て。」


高山がセイを見た。


「いい機会だ、君とも話がしたい。」

「パ、パパ!」


妙な話となった。

もしかすると部屋が綺麗な理由をセイは言うかも知れない。

だが父親がセイとどのような話がしたいのか。

それも六花は気になった。




「君の名前は美戸川の研究や圭悟君から聞いている。」


高山の顔つきは先程までとは違っていた。

真剣な顔だ。

セイは六花を見た。


「六花にもある程度自分の事は話してあります。

ご遠慮なくお話しください。」

「ろ、六花と呼んでいるのか?」


はっと高山の顔が父親の顔になる。


「一緒に仕事をしているバディだからよ。

私もセイと呼んでるし。」


六花が不機嫌そうに言った。

高山の顔が複雑な顔になるが、今は聞きたい事があるのだろう。


「まあ、それはそれとして、体調には変化はないか?

健康か?」


セイは少しばかり意外な気がした。

分析するような事を聞くのかと思っていたのだ。

だが最初に聞いたのはセイの体調だ。


「はい、特に悪い所はありません。」

「そうか、何もないなら安心だ。」


高山はほっとした顔をする。


「美戸川は昔から強引な奴だからな、

自分の事しか考えていない。」


セイは以前六花からこの高山が美戸川から婚約者を

奪った話を聞いた。

その印象では高山も押しの強い人物かと思っていたが、

今話している限りではセイは優しさを感じていた。


「辛い目に遭っているんじゃないかと心配していたよ。」


高山が微笑む。


「でもセイは結構酷い目に遭ってるのよ。

セイを物扱いしてるの。」

「なにっ。」


高山の顔が厳しくなった。


「君は戸籍はあるのか?」

「……ありません。美戸川室長所属の器物扱いです。」

「なんてことだ……。」


高山はため息をついた。


「僕は今クローン法の整備に携わっている。

クローンの人でもちゃんと戸籍を持ち、

個人として扱われている人もいるが、そうでない人も沢山いる。

そう言う人を早く助けたいと政府側も言っている。

君は間違いなくその助けられる人だ。」


高山はまっすぐにセイを見た。

セイの胸が詰まる。

彼は高山に頭を下げた。

だが、


「私はクローンではなくいわゆるキメラです。

それでも……、」


セイは両手を出した。右手は黒く左手は白い。


「関係ない。君は人だ。」


セイの両手がぎゅっと握られる。


「それにネコを触らせてくれたしな。」


高山がクロを見下ろした。

クロは膝の上で眠っている。

六花が無言のセイを見てから高山を見た。


「パパ、私はパパのそう言う所、好き。」

「だろ?だから帰っておいでよ、六花ちゃん。」

「それとこれは別。私もパパも自立しないとダメなの。」

「六花ちゃん……。」


セイは二人をじっと見ていた。

その時だ、


「ああ、いかん、会議があった。家に帰らないと。」

「えっ、もうすぐ9時になるわよ。

こんな時間に会議があるの?」

「リモートで会議だ。大詰めなんだよ。」


高山は膝の猫をそっと抱くと六花に渡した。


「まあとりあえず普通に生活しているようで安心したよ。

でもいつでもいいから帰っておいで。」

「それは無いから。」


高山ががっかりした顔になる。


「パパ、犬を飼えば良いじゃない。ずっと飼いたかったんでしょ?

大きな声で鳴くから私がいたら飼えないし。

どちらかと言えばパパは犬派よ。」

「まあそうだけど犬を飼ったら六花ちゃん

帰って来れなくなるよ。」

「犬も可愛いわよ、帰ったら玄関まで迎えに来るわよ~。」

「うーむ……、」


少し悪い顔で六花が言った。


「先生、俺は車なので自宅までお送りしましょうか。」


セイが助け舟を出すように話しかける。


「あ、それは助かる。

ここから車ですぐだからお願いしようか。」


二人は六花の部屋を出た。

扉では六花がクロを抱いて二人を見送った。


「何だかあの二人仲良しっぽいね。」


六花は抱いているクロに話しかけた。

その時階下から花咲が上がって来た。


「ちょっと高山さん。」


花咲はなぜか色紙を持っている。


「ねえ、お願いがあるんだけど。」

「え、なんでしょう。」

「その、お父さんにサインしてもらえないかな?」

「えっ?!」


六花は驚いた。


「その、だって格好良いじゃない、お父さん。」

「いやー、その、どうしよう、」


その時花咲はクロを見る。


「クロちゃん、前より毛艶が良くなったんじゃないか?」

「あ、ええ、セイがシニア用の良い猫缶をあげているんです。」

「へぇ。」


花咲がちらりと六花を見た。


「でもあの人彼氏じゃないと言ったけど本当なのかい?」

「そうですよ、本当に猫の世話と掃除だけで。」


花咲はため息をついた。


「あの人警官なんだろ?身元もしっかりしているんじゃないのかい?

あんたさ、彼氏でもないのに部屋の掃除とか

猫の世話までしてくれる人って滅多にいないよ。

しかもわりと良い男じゃないか。」


六花はどう答えて良いのか分からずへらへらと笑った。


「今は付き合いが無いにしても、

あの人はちょっと神経質みたいだが

あんたみたいなずぼらな女にはあんなタイプが良いんだよ。」

「ずぼらですか?私。」

「すぼらだろ、あの部屋の様子を見たら。」

「……まあ、」


その時だ、六花の隣の佐藤が出てくる。


「おや、佐藤さん、こんばんは。」

「なかなか賑やかな事で。」


佐藤もちらとクロを見る。


「クロちゃん、元気か。よしよし。」

「佐藤さん、ご出勤かい?」

「ああ、今週は夜勤。」

「「行ってらっしゃい。」」


女二人が同時に見送りをする。


「おお、これは贅沢だな。女の子二人に送ってもらって。」


佐藤が笑う。そして六花を見た。


「俺も花咲さんと同じ意見だよ。

まめに掃除する男は貴重だぜ。」


佐藤が手を振って階段を下りて行く。

花咲がにやりと笑って六花を見た。


「そんなものですか?」

「そんなもんさ。」


花咲は色紙を六花に押し付けてから階段を下りて行った。






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