第二話  わーん、意地悪ー!

 なんと婚姻の宴で心労のあまりぶっ倒れた古志加こじかは、しばらく奥の部屋で休ませてもらい、復活してからは、ちょこん、と小さくなって、この面々のなかで、なんとか過ごした。


 皆、好意的に接してくれるのだが、あたしは、衛士だったし、その前は、ただの郷の娘だった。

 ここにいる皆は、生まれた時から、何不自由無く暮らしてきた、豪族の人たちだ……。世界が違う。


「場違いです……。」


 としょぼくれて言うと、鎌売かまめが厳しく、……いや、普通だ。鎌売は普段から厳しい口調で喋る。


「馬鹿おっしゃい! あたしは、いくらでも名家の娘をすすめたけど、三虎は全部つっぱねた。三虎が選んだいもは、あなたよ。自信を持ちなさい。」

「鎌売……さま。」


 衛士、そして女官の時は、鎌売、と呼んでいた。古志加はどう呼んで良いか戸惑う。


母刀自ははとじと呼びなさい。」

「は……、母刀自。」


 古志加は、ぱちぱち瞬きしながら、繰り返す。


 母刀自。


 古志加の母刀自は黄泉渡りした。もういない。

 また、人を、母刀自、と呼ぶ日が来ようとは。

 不思議な温かさが、胸に湧き上がる。

 鎌売が、優しく古志加を抱き寄せた。


「そうよ。母刀自です。おまえの本当の母刀自が、黄泉渡りした事は知っています。あたしの事は、本当の母刀自と思ってよろしい。あたしを頼りなさい。日佐留売ひさるめを、鏡売かがみめを頼りなさい。

 あたし達は、石上部君いそのかみべのきみおみなとなったのです。

 そして、家を守りなさい。おみなこそ、家を盤石ばんじゃくに守るのです。だから、母は、母刀自と尊敬を込めて呼ばれるのですよ。」


 鎌売かまめは厳しくも、慈愛にあふれている。

 抱きしめられた古志加は、家を守る使命に、身が引き締まる思いと、石上部君いそのかみべのきみに受け入れられた喜びで、心が温かくなる。

 本当にこの人は、三虎の母刀自だ……。

 あたしはこの人を、尊敬する。


「はい、……母刀自。心して、家を守ります。……と言っても、具体的に何をしたら良いのか、良くわからないのですが……。」


 正直に伝えると、鎌売が古志加を離した。


「新妻なのです。必要な事はおいおい……。」


 と鎌売かまめは微笑んだ。

 鏡売かがみめが、


「古志加、不安がらなくて良いわ。あたしだって、郷の娘だったのよ。」


 とほがらかに言った。


「えっ! そうなの? 美人だからてっきり……。」


 古志加が驚くと、ほほほ、と鏡売かがみめは上機嫌に笑った。日佐留売ひさるめが、


「そう、古志加。何も心配はないわ。あたしも支えますからね。」

「日佐留売ぇ!」


 感極まって、古志加は日佐留売に抱きついた。


「日佐留売、頼りにしてる! 大好き!」


 三虎が、ムッとねた顔で、


「おい、オレは……。」


 と不満げに言うので、皆、どっと笑う。



 

   *   *   *




 夜も更けて、三虎に与えられた、柿の木の屋敷に、古志加と三虎は帰ってきた。

 倚子に腰掛け、両肘を机につき、うなだれ、古志加は動かなくなった。


「疲れた……。」

「はは。まあ、クセが強いからな。でも、……オレの愛する家族たちだ。だから、よろしく頼む。」

「三虎……。」


 三虎の口から、そんな言葉が出るとは。


「もちろんです。あの……、石上部君いそのかみべのきみに迎えられて、嬉しいです。持参金もないのに……。」

「そんなの、まったく気にするな。幸い、銭なら、うなるほどある。」


 古志加は、くすっと笑う。

 まだ疲れてうつむき加減の古志加の髪から、三虎がかんざしをはずす。


「あ……、三虎、福益売ふくますめを呼びます。三虎がしてくれなくても。」

「来ない。」

「へ?」

「誰も来なくて良い、と先ほど伝えておいた。見てなかったのか。」


 疲れすぎて、まわりを見てなかった。


「そうでしたっけ……。」


 あれ? 三虎の手が止まらない。どんどん、簪をはずされ、髪が完全に解き髪になり、肩にふわっと、クルクルしたくせ毛が広がった。


「ええと……。」


 すこし、浄酒きよさけで酔った頭でゆっくり考える。

 今日はもう眠りたい。

 三虎が、古志加を倚子から立たせた。


「あの、今日は疲れたな、と……。」

「うん? さする気分じゃないって?」

「早くぐっすり眠りたい、というか……。」


 言いにくい。上目遣いで三虎を見る。

 三虎は意外そうに目を見開いたあと、はれぼったい目を半目にした。

 目の奥が妖しく光る。

 古志加は、うっ、と息を呑んだ。


「ふ───ん。」


 三虎が一歩、足を踏み出した。

 古志加は下がる。


「オレがあと少ししたら、奈良に行く、一緒に過ごせる夜は、あといくらもないって分かって、言ってるんだな?」

「え、と……。」


 三虎が足を踏み出す。

 古志加はじりじりと下がる。


「ふーん。へーえ。」


 古志加はとうとう、壁際まで追い詰められた。


「欲しいって言わせる。」


 そう言った三虎は、おもむろに古志加の首に吸い付いた。


「ひえ!」


 古志加はびっくりする。

 三虎は古志加の腰をつかまえ、逃げられないようにするが、手をそれ以上は動かさない。

 ただ、口が、唇が、古志加のむき出しの首だけを攻める。

 首筋に優しい口づけを繰り返し、耳下から、襟首のぎりぎりまで、口づけが降りた、と思ったら、また上に口づけが移動する。

 下に、上に。

 唇が触れるだけの、ふわっとした口づけから、次第に、ちゅ、と音をたて、肌を吸い上げ、舌が這い、


「あ……。」


 気まぐれに歯でかじられ、かじりあとをぺろりと舐められ、また、優しい口づけに戻り、下に、上に。首筋だけを三虎は攻める。

 耳たぶをかじられた。


「あっ。」


 ぞくぞくした快楽くわいらくが、響神なるかみ(雷)のように身体を走り、女の壺に、じゅん、と火が入ったのがわかった。

 三虎はずっと、古志加の首筋に顔を埋めている。

 やまない口づけに、


「はあ……。」


 ため息がもれ、頬がますます紅潮し、衣の内側で、乳首にツン、と火が灯る。

 ねっとりと耳たぶをねぶった三虎は、


「欲しいと言うまで、やめないし、……あげないぞ?」


 と耳元にささやき、首筋へゆっくり唇をはわせる。


(えっ、それって、ずっとこれが続くの? ここまで火をつけておいて、くれないの?)


 壁に押し付けられ、腰をつかまえられ、逃げられない古志加のなかで、快楽くわいらくの火がちろちろと燃え上がる。

 疲れはとうにふっとんだ。

 三虎の髪の毛を顎に感じながら、………もう我慢できない。


「わーん! 意地悪ー!」


(あとで、もっと文句言ってやるんだからぁ───っ!)


「欲しいですー!!」


 とうとう古志加は叫んだ。

 その後は壁に押し付けられたまま、「励んでおるわぁ!」を存分にいたす事となった。

 立ったままも、たまには良い。

 古志加はとろけた。

 光の弾ける海にたゆたい、泥のように疲れて眠りにつく前に、


(あれ、何か三虎に言ってやろうと思ったんじゃなかったっけ……。)


 と思ったが、愛され満たされた後の、心地よい身体の疲れで頭がボンヤリして、良く思い出せない。

 うとうと、半分寝ながら、三虎に濡れた布で全身をふいてもらい、力の入らない身体に夜着を着せてもらい、ほわほわした良い気持ちのまま、古志加は眠りに落ちた。

 すやすや眠る古志加の寝顔をしばらく見つめていた三虎が、


こひのみし、ときなかりけり。」

 

 とささやいて、古志加の額の中央に、そっと口づけした事を、古志加は知らない。






    ───完───



 

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伊香保風  〜古志加、婚姻の宴〜 加須 千花 @moonpost18

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