地底の葬送歌④

矢を受けたグーラは痛みに呻く。

短いくせ毛の青髪を風になびかせながら、雫は次の一矢を手に取る。


だが、二撃目を許すほど、『名持ち』は甘くない。

自身を傷つけた一撃を放たせまいとグーラは駆ける。

その巨体による体当たりは、喰らったものを容易に粉砕するだろう。

だが雫は冷静に弓をしまい、軽やかにその攻撃をかわし、空中で短剣を投擲した。


(うっわ~、全然効いてないじゃん)


雫は冷や汗を流す。今まで戦ったどんなモンスターよりも高いアビリティ。

死に体にもかかわらず、その一撃は容易く雫の華奢な肉体を砕くだろう。

雫は燐の方を見る。血に染まった彼とその側に寄り添う白銀の聖女の姿を。


(あれは……『スターレイン』の子か。燐の回復が終わるまで、ボクが引き付けるしかないね)


『スターレイン』の救援隊と共に『ゴブリン村』に来た『金翼の乙女ヴィナス・シリウス』副団長の九条姫は、理由がありこの場に来れていない。

否、彼女だけではない。ほとんどの冒険者が入り口で足止めされている。

更なる増援は期待できない。雫は単騎で『名持ち』相手の時間稼ぎを決意した。


雫は短剣と短弓を巧みに切り替えながらグーラをいなし、躱し、狙撃していく。


「―――ッ!血が止まらない!」


グーラが雫に向かった隙に燐の側に寄って、回復魔法を行使していたキキは、魔法の効きが悪い傷口に焦りを浮かべる。黒い靄のようなものが傷口に纏わりつき、その再生を阻害していた。


(『呪いの武器』の効果……!まずは解呪を)


複数の魔法を同時に使用しながら、燐の傷を癒し、血を止める。

数分と持たなかったであろう肉体は、何とか命を繋いだ。

キキの額を大量の汗が流れていく。今にも意識は消えそうだった。


キキ自身もまた、重傷を負っている。その上、MPも枯渇寸前である。

MP切れが近づく中、蒼白な顔で燐を癒す。

キキは、『金翼の乙女』の【狩人】と戦うグーラを見る。


その隻腕は失われ、全身を覆う呪炎の鎧は見る影もない。

驚くことに、燐はただ一人で『名持ち』の討伐を果たしかけていた。


「貴方は生き延びるべきです。『名持ち』の討伐者となるのですから」


『名持ち』は死亡時、確定でドロップ品を残す。他のドロップ品とは一線を画す強力な装備を手にするのは、最も貢献度の高かった人間だ。

それはグーラを半死半生にまで追い詰めた燐になるだろう。


「後は、私や十香さんに任せてください」


森の奥から十香がやってきた。その側にはシュン、ロウマ、ジナがおり、ドントはロウマに担がれている。

燐の側まで来た彼らは、血に染まった燐を見る。

ジナは小さく息を呑み、十香は静かに死体のように眠る彼を見た。

気付けば燐は意識を失っていた。


「十香さん!彼女に手を貸してください!討伐を!」


だが十香は確固たる意志を込めて、首を振った。


「なっ、どうして?」

「私の戦いでは無いからよ。そんなこと、彼は望んでいないでしょう」


小さく手が震える。無意識に握りしめた手が、ダンジョンの床を削る。


「誰かに与えられる勝利に意味は無い。貴方が始めた戦いなら自分で終わらせなさい。それが、冒険に挑んだ者の責務よ」


暗い心の底で、彼はそれを聞いていた。

熱い炎が身を包んでいく。それは、彼を地底へと駆り立てる暗い執念の炎ではない。

敗北に身を焼かれ、勝利を願うちっぽけな熱だった。

負けたままでいいのかと問われた。いいわけがない。

他人に手渡される『望み』に意味は無いと声高に心が叫ぶ。

勝利を。勝利を。勝利を。ただそれだけの望みが彼を突き動かした。


「――――ッゥ、ガハッ、あぁああッ――――」


大量の血を吐きながら、燐は起き上がる。

震える身体で短槍の穂先を手にし、碌に前も見えていないであろう目で敵を睨む。


「お、おいっ、もう無理だ!死ぬぞ!?」


シュンが叫ぶ。

心配、唖然、恐怖、嫌悪。様々な思いが燐に向けられていた。だがそのどれも、燐の視界には映らなかった。

ただ、グーラを見ていた。


その時、グーラもまた、見ていた。憎々しい人間の顔を。自身の最愛を奪った根源の存在を。

瞳は憎悪に支配され、その心に反応するように身に纏う赤褐色の炎が膨れ上がった。既にその意識に燐はいなかった。


雫は隙を晒すグーラを狙い撃とうと弓を弾く。

だがその時にはすでに、炎がグーラを包んでいた。失った腕を覆うように炎の腕が現れた。既に全身は炎で見えず、巨大な影法師のような姿に変じている。

吹きあがる炎が空気を歪まし、大気を乱す。だが熱はない。

ただ憎悪だけが燃えている。


矢が放たれる。スキルによる強化を受けた矢じりは、グーラの纏う呪炎の鎧により、容易く弾かれた。雫は顔を歪める。


(もう矢もSPも尽きそう………!)


限界は近づいていた。


だがそれはグーラも同様である。

全身の炎に熱はない。それにもかかわらず、炎の奥に浮かぶグーラの肉体は燃え始めている。

醜悪なやけどが広がり、耐えがたい悪臭を放っている。

それはまるで、燃え尽きる前の松明を思わせる。


「呪い……」


濃い呪いの気配に、雫は顔をゆがめる。


『呪い』には対価が必要だ。では、グーラは何を捧げているのか。

それは『寿命』である。

グーラは短命の『名持ち』だ。生きる目的は、最愛を殺した者たちを殺すこと。

そのためのスキルを獲得している。


グーラのレイススキルは二つ。片手斧の呪いの武器より継いだ【黒泥刃壊コッカイ】。

HPとSPを捧げることで、ダメージを増幅させる呪力を生み出す。


そしてもう一つが【愛永命トワノセイ】。

自身の寿命を捧げることで物理的影響力を保有する呪いの炎を生み出すことが出来る。


命を削る二つのスキルを、グーラは『名持ち』としての高い生命力で使い続けていた。

そして今、使い切ろうとしている。

すでに肉体の崩壊は始まっている。ただ、眼前の4人を。その横に立つ女が持つ大鎌は、自身よりも遥かに強い力を持つ『同類』の成れの果て。


グーラは決して敵わないと知っていた。仇の全てを殺せるとは思わない。

ただせめて冥府の共柄を。呪いに狂いし呪鬼はそれだけを願う。


一歩、足を踏み出す。湧き出た黒の呪いが大地を砕いた。

炎にすら混じり出し、触れる全てを殺さんとする。

その目に映るのはシュンたちだけだ。焼けつく視界で最後の憎悪を刻み込み、吠えることすらできない喉で殺意を歌わんとする。


「ひっ……!」


その視線に射竦められたジナは崩れ落ちる。

その足元に水たまりが広がっていく。


「―――――!」


武器を構えることのできたロウマとシュンは勇敢だった。

だがそれだけだ。握る手は震え、蒼白な顔はただグーラを見ることしかできていない。


(こんな、こんな怪物に彼は………!)


彼らの足を支え続けたのは、震える足取りで一歩、また一歩と進む少年の姿。

濃く、粘りつくような殺意の中、ただ彼だけが別世界の住人のように、自由に動く。



グーラもシュンたちを殺そうと一歩踏み出し、そして自身に叩きつけられる呪いにも似た『殺意』を感じた。


「はあ、はあ、はあ、はあッ、ガッ、――――ッ!」


進むたびに全身から血が噴き出す。その手には、折れた短槍の穂先が握りしめられていた。

半ば意識が消えかけている。

だがその瞳は、じっとグーラを見ていた。


その視線をグーラは忘れていない。

仇ではない。グーラの獲物ではない。それにもかかわらず、誰よりもグーラを追い詰めた『怪物』。

自身と同類の『呪いの塊』だ。


一度は勝利し、ねじ伏せたはずのそれが、再び立ち上がった。

今はただ、勝利だけを願って。


「ま、待って!その傷で動けば、死んでしまう!」


燐を止めるキキの悲鳴が断末魔のようにグーラの耳を貫く。


キキの制止を振り切って、燐はグーラを殺すべく立ち塞がった。

なぜそんなことをしたのかも燐には分からない。

グーラを半殺しにしたのは燐だ。

このまま誰かに討伐させても『銘造武具』は燐のものとなる。


それでも、燃え尽きようとするそれを、誰かに渡す気は無かった。

誰よりも死にかけている。燃え尽きようとしているグーラよりも、命の終わりは近い。


「グウゥゥウウウウウウウウラアアアアアアアア!!」


血と共に、憤怒の叫びが放たれる。

グーラに怒っている。誰と戦っていたのかを忘れ、命を捨てるグーラに怒りを叩きつける。


「お前を、倒すのは、俺だ……!」


グーラは目を見開いた。

彼の前に立っていたのは、暗い目をした人間だった。

それがどこか、小さく黒いゴブリンのように思えていた。


だけど今は違う。ただ純粋に勝利を願うその姿は、『冒険者』のものだ。

それだけではない。彼の後ろには『同族』がいた。

支えるように白銀の少女が連れ添っていた。


かつての後悔を思い出す。

呪いの武器に触れなければ、理性を保てていれば。否、その後でも正気に戻れていたら。そうしたら――――


グーラは発達した知性の中で、消えゆく命の中で初めて過去を回顧した。


『GAAAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』


グーラは叫び、かつてない憤怒を燃やした。

一度気付いてしまえば無視はできなかった。かつての理想など認められなかった。

グーラの瞳に燐は映っていない。ただ、昔日の後悔だけがその心を焼いた。


ドンッ、と地を蹴り燐は駆ける。

その速度は余りにも遅い。一般人並みの速度しか出ていない。

グーラは巨大な炎腕で叩きつけようとする。


「【プロテクト・ウォール】!」


だが燐を守護するように顕現した障壁が、その一撃を受け止めた。

一瞬で砕ける障壁。だが、その時には燐の肉体はグーラの懐にあった。

だが死の淵に立つグーラは呪炎を操り、第三の腕を生み出し、無防備な燐の頭に振り下ろす。


「【ビハインド・ショット】」


敵に知覚されていないとき、威力を増すスキルの一矢が、グーラを背後から襲う。

体勢を崩した攻撃は燐の真横の地面を砕く。


『Ga!?』

「あああああああああああああああああああああ!」


燐は穂先を握りこむ。手に刃が食い込むことすら気にせず、右手で振り下ろす。

呪いの炎が右手の支配に抵抗すら許されずに消し飛ばされ、そして黒鉄の穂先が、胸を抉った。


手に当たる硬質な感触。がきり、と打ち砕く儚い音。

そして、爆散した。

光の粒が散る。魔石を砕かれたモンスターの末路は変わらない。

だが『名持ち』は灰にはならない。

ただ光の粒となり、消えていく。

淡い燐光が、天へと昇っていく。


「か、った」


誰かが唖然と呟く。現実が信じられないと、瞼を瞬かせる。

だが舞い散る黒い光が、大地に突き立つ『銘造武具』がそれを否定させない。


地下の太陽は陰り、夜が来ようとしていた。それでもキキの心は晴れやかに笑っていた。

死ぬ気で戦って得たものはない。『銘造武具』は取れずに、パーティーもどうなるか分からない。

だがその心は高鳴っていた。誰もが同じだった。

若き冒険者の成した偉業に、英雄譚を間近で見た子供のように彼らはただ、心を打たれた。


この日、上層で突如発生した開位級『名持ち』モンスター【炎縁傷呪】グーラが討伐された。

討伐者は、遠廻燐。レベル3の駆け出しであり、最低レベルの銘造武具所有者となった。

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