地底の葬送歌③
怪物と冒険者の戦いは続いていく。
すぐに終わる。
そう思っていた彼らの予想を覆し、大地を砕く轟音は、彼らの元まで届いていた。
くぼみが震え、砂土が涙のように零れる度、ジナは茶色の髪をびくりと揺らした。
揺り籠というには乱暴で殺意に満ちていた。意識を失っていたキキは、薄い瞼を震わせて、覚醒した。
焦点のあった視線は、くぼみの天井を捉える。
ぼやけていた意識は、自身がダンジョンで遭難していたことを思い出す。
そして助けてくれた彼のことも。
「………あ、私、は……」
キキは力の入らない身体を起こす。それをジナが手伝ってくれた。
添えられた手のぬくもりに、キキは安堵するように息を漏らした。
キキは視線を巡らせる。
俯くロウマ、思い悩むシュン、不安に揺れるジナ、意識を取り戻さないドント。
そこに、彼はいなかった。
「――――彼は」
喉から零れた言葉は、何かを予感するように震えていた。
ジナがそっと視線を伏せる。
「出て行ったよ。討伐に向かった」
シュンの言葉にキキは息を呑んだ。
燐が無謀な戦いに向かったという事実も驚きだった。
だがそれ以上に、英気が尽きたシュンの姿に衝撃を受けたのだ。
賢く、強く、カリスマに長けた彼は、キキにとっては『才能』の塊だった。
――――そんなシュンですら折れた相手に、一人で彼は挑んでいった。
「―――――ッ、どうして彼を一人で!」
キキの言葉に答える者はいない。
キキは焦れたように、パーティーメンバーに声をかける。
「彼を助けに行きましょう!」
キキはそう言った。
だが皆、彼女の言葉が聞こえていないように俯いたままだ。
「そんな………」
完全に心が折れている。
ロウマは向こう見ずだが強く、勇敢な剣士だった。
ジナはいつも冷静で優秀な魔法職だ。
シュンは、才能に満ちた頼れるリーダーだ。
だがその姿は見る影もない。まるで殻に引き籠る幼子のように、現実を拒絶している。
そんな彼らに、戦えとは言えなかった。
「分かりました。私が行きます。皆さんは、ドントさんをお願いします」
決意と共に、キキは立ち上がる。
「………君は、怖くないのか?」
どうしてだろうか。久しぶりに、シュンの言葉を聞いた気がした。
彼が発したのはそれだけだった。
だが答えを待つ彼の表情は、縋るようで哀れだった。
何を求めているのかは分からない。キキは素直な気持ちを吐露した。
「―――私は行きます。聖職者職を持つ私がいれば、呪いを使う鬼に有利に戦えます。少しでも助けにならないと」
キキの足は震えていた。恐怖が無いわけがない。
それでも見捨てられないという慈愛と義務感が彼女の足を動かしていた。
「強いんだな………知らなかった。………ドントは僕らで見てるよ」
「はい。後は任せます」
呪鬼の咆哮は途切れない。本能が叫ぶ恐怖に抗い、キキは足を踏み出した。
暗い洞穴から出たところで、キキは遠くから聞こえる轟音に混じった足音を捉えた。
その方向を見る。キキは探知系のスキルを持たない。だが、そろそろだろうとは思っていた。
「桔梗!?無事なの?」
暴風と共に、キキの前に彼女は立っていた。
手に巨大な大鎌を持った麗人、夜見石十香は、高位冒険者特有の超速度で、一瞬で駆け付けたのだ。
「十香さん!よくここが分かりましたね」
「2階層を全部走破したのよ。途中で面倒やつに絡まれたせいで遅れたけど。下に居なくてよかったわ」
広大な2階層全域を一時間で駆け抜けたという十香の言葉に、キキは頬を引き攣らせるが、すぐにそれどころではないと思いなおす。
「あっちの穴の中に、ロウマさんたちがいます。それと、冒険者の方が向こうで―――」
「分かってるわ。向こうには援軍が行ったから」
援軍が向かった、という言葉に、キキはほっと胸を撫で下ろす。
「そう、ですか……遠廻さんは大丈夫でしょうか」
「………え?遠廻?それって燐君のこと!?」
ぎょっとした十香の表情に気圧されながら、キキは「はい」と小さく返す。
「お知り合いですか?」
「知り合いも何も、何でこんな所に!?って私が聞いたからかー」
凛音の血ねー、と疲れたように言う十香へと、キキは言葉を重ねる。
「私も行ってきます」
「………ええ、行ってきなさい。私は手を出さないから」
十香は冒険へと挑む少女を眩しそうに見送る。
「蝕、レイン、新しい世代も育ってきてるわよ」
遠くから轟く鉄の音は、彼女の予感を肯定するように高く、遠く響き渡った。
戦場へと向かうキキを見届けた十香は伝えられた位置にあった穴の中に入る。
ジナは顔を挙げ、相手が十香だと知ると顔を喜色に染めた。
「やったぁ………、生きて帰れるわ………!」
喜ぶジナと暗い表情のロウマとシュン、そして重傷を負ったドントを見て、十香は何があったのか大まかに察した。
(『名持ち』が出てドントが庇って負傷。
それを情けないとは言わない。
眼前に迫る死に挑める者は、真の勇者か狂人だけだ。
彼らはそうではなかったというだけである。だがそれでは困るのは十香だった。
「………はあ、レジーナは金持ちになるのが夢なのでしょう?こんなところで折れてどうするの」
「い、いやー、『名持ち』はちょっと私には厳しいかなーって」
ははは、と苦笑するジナことレジーナはごく常識的な言い訳を口にした。
「まったく、あなたは………。それで浪馬、あなたは戦うと思ったのだけど」
「俺は………無理でした」
「無理で済まされたら困るわ。いつかリオに並ぶほど強くなって告白するのでしょう?」
「―――いっ!そ、それはッ」
焦ったように赤面する浪馬へと、ジナの驚愕の眼差しが注がれる。
「え?リオってあの?同じギルドとはいえ、中学生じゃない……引くわー」
「う、うっせえぞ!お前には関係ねえだろ!」
「この前リオは『空位』の名持ちを討伐したわ。『開位』にすら苦戦するようでは先は長いわよ」
「………………」
ロウマは悔しそうに俯く。
それを見て、十香は完全に折れたわけではなさそうだ、と気づく。
最後にシュンを見る。その表情は冷静そのものだ。
荷物を纏め、撤退の準備をそつなくこなすその姿は、普段通りに見える。
だがその内心が荒れているであろうことは、十香にはすぐわかった。
十香は何も言わなかった。
シュンはジナやロウマとは違う。
だから連れて行くことに決めた。
「行くわよ」
「どこにですか?」
静かに問うたシュンへと、十香は冒険者らしい荒い笑みを浮かべ、答えた。
「戦場に。立てないならせめて見届けなさい。それが義務よ」
□□□
燐とグーラは睨み合う。死にかけた燐の肉体は休息を叫んでおり、グーラは両腕を失い、身に纏う炎にも陰りが見える。
互いに消耗している。もう長くは戦えないと互いに理解している。
だからこそ、最速の決着を彼らは望んだ。
『GAaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』
グーラは駆けた。クレーターの縁に立つ燐に向けて一直線に駆け上がる。
両腕は失おうと、その巨体と身体能力は健在。
ぶつかれば、ひき肉のように潰れて死ぬ。
燐は正面衝突を避けるため、右側に飛びのいた。
敏捷を全開にして、グーラを振り切ろうとした。
だが、黒の呪いは、それを見ていた。
突如グーラは足を止める。
燐は自身を睨みつける瞳を見て、失策を悟った。
グーラの肉体から黒い呪いが滲み出す。
泥のようなそれは、全身を覆い尽くし、殺意となって燐を睥睨する。
(斧の呪い―――)
呪いの斧を持った『名持ち』なのか。
『呪いの斧を持った名持ち』なのか。
戦闘前にアリスと話し合った言葉が思い返される。
答えは後者。斧の呪いは、鬼の愛に取り込まれた。
斧が無くても、グーラは呪いの力を使える。
グーラは肩から燐へと突進する。呪黒のタックルを燐は短槍で受け止める。
「―――――――ガ………ッ」
走ったのは強烈な破壊だった。
衝撃に合わせて呪いが跳ねまわり、威力を増幅する。稲妻のように燐の全身を貫いた呪いは弾けて全身を蹂躙する。
まず、短槍が折れた。次に指と腕が砕け、衝撃だけで胴体が潰れた。
「燐ッ!!」
『GAAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaaaaa!!』
呪力をまき散らしながら、グーラは燐をかちあげる。
放物線を描いて飛んだ燐は、木々の上を飛び越えていく。
枝葉に突っ込んだ燐は何度も回転しながら着弾した。
「―――――――――――――ゴホッ」
燐は身体を折り、血を吐き出す。
荒い息を繰り返しながら自分が生きている証拠を求めるように全身の感覚を確かめる。
(なんで、生きてんだ………!)
燐は自身の生を信じられなかった。
燐が生きていたのは、グーラの突進が急転換して放たれたため、威力が削がれていたためだ。
仮に正面から受け止めていたら、燐は潰れて死んでいた。
回避が燐の命を繋いだ。
そして燐の右手だ。
右手が燐の身体を流れる呪いの大部分を殺していた。
それにより、衝撃は増幅されずに済んだ。
だが死ななかっただけ。左手は砕け、内臓も傷ついている。
肺はおかしな音を立てているし、少し呼吸をするだけで全身に痛みが走る。
焼けた先ほどよりはマシだが、動けないと言う点ではどちらも変わらない。
「燐!すぐ回復するから!」
紋章を通り、燐の元へと駆け付けたアリスが、魔法を使う。
ヒールが燐の身体の傷を塞いでいくが、それは遅々として進まない。
燐が重症なのもあるが、それ以上にアリスのMPが切れかけている。
キキの治療から始まり、何度もMP消費の高い【フェアリーリング】の使用。
当然の結末だ。
燐以上にアリスの息は荒く、視線はぼやけている。
「すぐ直すからね、燐……」
アリスの身体からは光の粒が零れている。
体を構成する魔力すらなくなってきている証拠だ。
「ア、リス、」
「――――あ。燐―――」
アリスが使おうとした魔法が完成するよりも前に、アリスの身体は消えた。
何かが燐の胸の紋章に宿ったのを感じる。
妖精の死だ。
死亡した妖精は、宿木の中で肉体を再構築する。
数時間は戻らない。
そして漆黒の絶望が現れた。
『GAaaaaaaaaaaaa………』
大地を揺らしながら、炎と呪いを纏う巨鬼が木々を薙ぎ払いながら歩み寄る。
動けない燐は、それを見ていることしかできない。
「く、そ、が。動け、………」
体は動かない。動けば死ぬと、痛みが全身で訴えている。
やがて終焉の影が、燐を包み込んだ。
『GAAAAAaaaaaa…………』
燐を見下ろす泣き鬼の双眼と目が合った。変わらず渦巻く憎悪の奥に、達成感のような何かが見えた気がした。
だがそれの正体に気づくよりも前に、燐の視界は振り上げられた巨大な足に占拠される。太く、分厚い足には、黒泥の呪いが纏わりつく。
そんなことをしなくても自分は死ぬのに、と燐は血に濡れた顔で下手糞な笑みを浮かべた。
黒のギロチンが振り下ろされる。
それを燐は、緩やかな視界の中で見ていた。
(―――これで終わりか)
瞬間、閃光が走った。
否、それは閃光と見まがうほどの矢だった。
呪炎の鎧が消えた部分を狙った痛恨の一撃は、弱っていたグーラの傷口を深くえぐった。
『GAAAAAAAA!?』
グーラは血をまき散らしながら痛みに叫ぶ。たたらを踏む足が燐の側を通り過ぎ、冷や汗を流す。グーラは振り返り、そして目にした。
短弓を構える冷徹な狩人の姿を。
「燐!?生きてるー?」
『
最も明るい星の名を冠したギルド、その翼の一角が2階層に降り立つ。
(………
燐は安堵半分、悔しさ半分で彼女の助けを喜んだ。
2階層の異変を察知した彼女たちも、『ゴブリン村』に辿り着いた。
そして雫だけではない。多くの冒険者が『ゴブリン村』、そしてその周辺に集まっている。
ある者は仲間のために、ある者は義理のために、ある者は、己の欲望に従って。
その中には、『名持ち』の存在を確信している者もいるだろう。
否応なく訪れる終わりの引き金を引くのは誰だろうか。
少年は戦意を示すように、こぶしを握り締めた。
――――――――――――――――――――――
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