覚悟の時

月曜日。照り付ける日差しすら気にならないほど燐の心は現実になかった。

頭の中で何度も小鬼の動きを思い出しながら、策を何度も思いなおす。

決行日は今週の土曜日だ。

それまでにどれだけ敵を効率的に狩れる地形を見つけて、必要なプロセスを組めるのか。

それが成功率に関わって来る。


クエストでは、他人の策謀に巻き込まれたような気がしなくもないが、そんな燐の気持ちを置いて、ゴブリンの掃討は進んでいる。

燐の頭には来週に迫ったテストのことなど無い。


燐と同じ通学路を進む学生たちを木の葉のようにひらりと躱しながらすいすいと通学路を進んでいく。

1人で歩くことに慣れた人間は、『ヘルドッグ』ぐらいの速度で進む。


そんな悲しき人間の生態を、アリスは知った。


燐はぼーっとしたまま教室に入る。学年が始まって数か月たったからか、あからさまに燐にビビる者はいない。だが話しかける者もいない。燐は見事に空気となっていた。

事実、クラスメートと交流しようとせず、触れない限り何もしない燐は、ある程度無害な人間だと判断されている。


普通の子供なら不登校になってもおかしくない環境だが、燐はこのクラスを気に入っていた。今まで燐が居たクラスの中ではかなり温厚な方だからだ。


『アリス、もう一回、確認だ』

『ねえ、燐。考え過ぎよ?必要な道具もママパパの遺産を使い込んで必要以上に揃えたじゃない』

『言い方やめろ。俺が最低の屑みたいじゃないか。それに、考えすぎってことはないだろ。俺はレベル3で、レベル10相当のモンスターに挑むんだから』


燐の危機感は、この前のヨネダとの一件で強くなった。Lv.7の彼との戦いは、『呪われし小鬼』戦のいい予行練習だったともいえる。そして分かったことは、正面から戦えば、勝ち目はないということだ。

引き際を間違えれば、一瞬で覆される可能性がある。それを燐は骨身に刻んだ。


『俺のステータスなら仕方ないが、それでも不安材料は消したい』


使えるアイテム、装備、それらをさらに調べるべく、燐はスマホに手を伸ばす。


すると、タイミングよく画面が切り替わり、震え出した。

通話だ。

相手は、十香だ。

燐は歯医者以外の電話番号を見るのは久しぶりだな、と悲しいことを思いながら立ち上がる。そして廊下に出て通話のアイコンを押した。


ちなみに燐の中学校はスマホ禁止だが、守ったことは無かった。


「はい。どうしました?」

『燐君?今どこにいるの?』


切羽詰まった十香の声を聞き、燐は何かがあったことを知る。

質問の意図が分からないが燐は正直に答える。


「学校ですけど」

『ダンジョンにいた?』

「……土曜に行ったっきりですよ。何です?」


燐は質問の隙間をついて、疑問を投げかけた。


『うちのパーティーが2階層で遭難したの。この前君と一緒だった若手たちよ。君も2階層にいるって噂を聞いたから、心配になってね』

「なぜ遭難したと?」

『緊急用のマジックアイテムが使われたの』


ダンジョン内では、電波が遮断されるため、通常の通信機器は使用できない。そのため、緊急信号を送ることだけに特化したマジックアイテムが売られている。

キキたちはそれを利用した。彼女のレベルから判断すれば遥かに弱い第2階層で。


『何か心当たりはある?』

「いえ。ありません」


燐は即答する。彼女たちとはあのクエストで一緒だっただけだ。

仲がいいとも言えない。

だが燐には、何か引っかかるものがあった。


『分かったわ。急にごめんなさい。もう切るわ』


十香は焦るように通話を切った。実際に余裕は無いのだろう。背後からも十香を呼ぶ声があった。きっと『スターレイン』では今頃救援隊を組織しているころだ。


「大丈夫か?」


緊急信号を出すということは、既に死にかけているということだ。

普通なら信号を出してもまず助からない。


『2階層ってことはクエストに参加してるのね。平日なのに大丈夫なのかしら』

『さあな。でも、2階層で潰れるようなパーティーじゃないと思うんだが……。冒険者同士の争いとか?』


だが、どうにも引っかかる。

『スターレイン』という国内最大手の冒険者ギルドに属する彼らなら、派閥争いややっかみによるダンジョン内での嫌がらせもあるだろう。


だが、2階層でそれをするだろうか。

ゴブリン村掃討作戦のクエストが発表され、DMの意識が向いている2階層で。

ヨネダという例外もあったが、あれは明らかに操作されていた。


『なら、『ゴブリン村』か』

『でしょうね』


当たってほしくない可能性が最後に残った。

燐は、思い悩むように頭を抱える。


(何かが起こっているのは確かだ。恐らくゴブリン村掃討作戦で2階層に行って、そこで問題に巻き込まれた)


『それで、燐はどうするの?』

『……どうするって何が』

『十香のあの感じじゃあ、『スターレイン』の救助隊が出るわ。そうなったら『呪われし小鬼』なんて上層のモンスターは片付けられるわ。燐が『呪いの武器』を手に入れるまでの猶予はほとんどない。行くか行かないか。燐次第よ』


ワタシはどっちでもいい、というアリスの言葉に燐は言葉に詰まる。

『呪われし小鬼』を討伐するために準備を進めてきた。だが、予定では土曜日、今日から5日後だ。まだ、準備ができていない。


『今回の個体は強すぎるし、次に生まれる個体をレベルを上げてから倒すのが一番安全よ』

『そう、か』


燐は思い出す。2階層で『呪われし小鬼』と出会った時のことを。

圧倒的な火力で階層の地面を破壊したその力はまさに『災害』であった。

その力を目にして、恐れ、望み、焦がれ、暴走した。

そして今残ったのは、『恐怖』である。

だから過剰なまでにアイテムを揃えた。決行日を決め、覚悟を決める時間を求めた。それが今日になった。


『俺に倒せるかな?』

『燐は?』

『え?』

『燐はどう思うの?倒せる?』

『………分からない。出来ると思ってた。だけど、今は怖い。戦うことがじゃない。失敗することが』


遠い目標は、現実に。自身の弱さも知り、燐は現実的だと思っていた目標の遠さを知った。

何度もダンジョンで死にかけ、そのたびに思った。自分は冒険者を続けられるような心の強さを持っていないと。恐ろしければ震え、怖ければ泣く。ただの人でしかない。

今まで生き延びたのは、心の内に宿る『執念』が、ほんの少し背を押しただけだと分かっている。


『なら―――』

『でも、行くよ』


分かっている。一度でも冒険を諦めれば、きっと先へは進めなくなる。

瞼に焼き付く炎に染まった惨劇を忘れないためにも、燐は進み続けなければならない。

もしも将来、その心の内で何を思おうとも、心変わりしようとも、あの時抱いた思いは確かに、『燐』の心の全てだったのだから。

今の自分が変えることは許されないと、少年は前を向いた。


『……行くさ』

『燐………』


「当たり前だろ!何か月前から狙ってると思ってんだ!」


急に大声を出した燐に、周囲の生徒がぎょっとした視線を送る。

燐は構わずカバンを手に取り、登校したばかりの学校を下校する。


『まったく、仕方ないわね』


そんな妖精の声を聞きながら、燐は走った。

家へと戻った燐は学校指定の鞄を雑において、防具を手早く身に付ける。そして装備と用意しておいたアイテムが詰まったバックパックを背負い、家を飛び出した。


「アリス!ゴブリン村までのルートを調べとけ!後、モンスターの出現状況も!」

「えぇ~!?掲示板嘘情報ばっかりで嫌いなんだけど!」


冒険者はダンジョンで得た情報を、掲示板に書き込むことがある。

本当のことが掛かれている場合もあるが、ほとんどは噂話か伝言ゲームの果ての果て、あるいは悪質なデマだ。その中から真実を探り出す作業は、苦行と言える。


「アリスそういうの得意だろ!」


燐は鍵を閉めながらまくしたてる。


「ワタシ、外でないとスマホ使えない」

「外出てろ!もういい!」


アリスの隠ぺいすら燐は諦めた。

そうでなければ効率よく情報を集められないと判断したためだ。

それに加え、飴という側面もある。


「えぇ~?困るけどいいよ~!」


くねくね回りながらアリスは飛んでくる。

その顔は、予期せぬ自由を得られて嬉しそうだ。

アリスは燐が目立たないように人前で表に出るのを控えていた。

だがアリス自身は目立ちたがり屋だ。

燐は今のために将来の面倒ごとを覚悟した。


「タクシー!止まれ!」


燐は手を上げてマンションの前を通りかかったタクシーを使う。

普段はモノレールで移動しているが、この時間帯ならタクシーを使ったほうが早い。


「はい、どうぞお客さん、ってナニそれ!飛んでるぅー!?」

「『特区第一ダンジョン』まで!飛ばしてください!」


アリスを見て目を回す運転手に「早く!」と怒鳴りつけて急かす。

タクシーは法定速度を超えた速さで進んでいった。


―――――――――――――――――――――――

レビューをいただきました、ありがとうございます!

これからもよろしくお願いします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る