変異

―――特区第一ダンジョン2階層東部―――


2階層に大量発生したゴブリンたちは、DMの素早い対応により、その数を大幅に減らしていた。本来いないはずの進化種の発生、冒険者同士の諍いの発生などイレギュラーも起こったが、当初の予定よりも早くクエストは進行していた。


そんな中、異常の発生源と思われる2階層東部に存在する特殊領域『ゴブリン村の戦場』へと誰よりも先んじて進むパーティーがあった。


「おあぁああああああっ!」


裂帛の気合と共に振られる直剣。膂力と合わさり、ゴブリンの貧相な体躯を纏めて屠った。

そんなロウマの姿を、キキと呼ばれる如月・アリエスフィア・桔梗は心配そうに見つめた。


「大丈夫でしょうか」

「さあね。ダメなら上がどうにかするでしょ」


ジナと呼ばれる寿レジーナは、どうでもよさそうにそう言った。

彼らは『スターレイン』の新人同士で組まされたパーティーだ。

通常のパーティーのような信頼関係は未だに醸成されていない。


キキは、ちらり、とドントを見る。ちなみに本名は誰も知らない。寡黙な男だった。

ドントは、小さく首を振った。どうしようもない、という意思表示だろう。


普段であればロウマの暴走を止めるはずのリーダー、シュンもまた、なぜか今回の件には乗り気だった。


すでに彼らのいる場所は、クエストの範囲と異なり過ぎている。

キキが何を問うても、ロウマは煩わしそうに「ついてこい」というだけであった。

だが、流石に許容できない場所まで来ている。すでに、『ゴブリン村』はすぐそこだ。


「リーダー。戻りましょう」


キキが進言する。なぜか答えたのは肩越しに振り返ったロウマだった。


「なんだよ。俺が全部倒してんのに、先にばてたのか?」

「違います。ただ、奥に潜りすぎています」


チッ、と小さな舌打ちが聞こえる。


「私はキキに賛成ー。頑張る必要ないでしょ、こんなクエスト。何必死になってんのよ?」

「―――なっ!」


ジナの気だるげな声に、ロウマは目を見開き、叫ぶ。


「――――お前ら、現状分かってんのか!?俺たちは一回やらかしてんだぞ!これじゃあ、いつまで経ってもロウには行けねえんだ!」


ロウマの目標は、『スターレイン』の主力がいる廻世都市ロウに追いつくこと。

ギルド外の冒険者と揉め、殺し合いにまで発展したことは、既に上に報告が上がっている。

なぜか上の対応は同情するようなものだった。まるで、どうしようもない災害に会ったものを悼むように。

だが、当事者であるロウマは、自分がやらかしたことを理解している。そしてその相手に負けたことも。

目覚めたのは全てが終わってからだ。


上からの評価が厳しくなったというロウマの感覚は、決して被害妄想の類ではないだろう。むしろ、一般的で良識的な感覚だ。

だが今回ばかりは相手がレナだった。決して『スターレイン』の経営陣も、ロウマたちの敗北を重く受け止めてはいない。むしろ、同じクエストを受けた冒険者を揉めたことを問題視している。


だが、ロウマはそこに思い至らない。

あくまで、敗北こそが最大の失点であり、自身の態度がもたらした問題はその付属物だと思っている。


「…………ロウマ、俺たちがここにいるのは『育成』のためだ。ロウに行けるかどうかは関係―――「そんなもんは建前だ!」」


ドントの冷静な指摘に返るのは叫び声だ。


「俺達は使えねえって判断されたから置いてかれたんだ!失点を取り返す手柄がねえと、いつまでたっても上には行けねえ……」


経営陣からの評価が悪くなったと鼻息荒く吠えるロウマの言葉を、否定できる者はいない。

彼らのうち、誰も、自身がヨネダを倒したと胸を張って言える者はいない。

表向きにはヨネダを制圧したことになっているキキでさえ、ヨネダを倒した手柄の大部分は、彼のものだと思っているからである。


―――――問題を起こし、自力で解決できなかった。


その認識は、パーティー全員が共通して持っているものだった。


「手柄を立てるために危険な探索を行うというのなら、反対です」


聖職者のような澄んだ瞳に決意を宿し、キキははっきりと主張する。

キキの心に焦りがないと言えばウソになる。

パーティーを結成し、初めての失態らしい失態。

未だ高校生の彼女の内にも、自分を認めさせたいという思春期の子供っぽい欲があることは否定できない。


だがその欲に溺れ、大局を見誤るほどに愚かでもなかった。

ジナも、キキに賛同するように首肯した。ドントも続く。


「チッ。腑抜け共が………お前はどっちだよ、シュン」


多数決では分が悪いと察したロウマは、矛先をリーダーのシュンへと向ける。

パーティーの争いを、一歩下がったところから見ていたシュンは、重々しく口を開いた。


「僕達ならもっと奥に行ける。今が冒険の時だと思う」


「えっ!?」「はぁ?本気?」「………」


三者三様の反応。共通するのは驚愕だ。唯一、ロウマだけがその結果が分かっていたように不快そうに鼻を鳴らした。

今まで慎重にパーティーを率いていたシュンの言葉は、あまりにも意外過ぎた。


「リーダー!ですが…………」


キキは説得の言葉を探すように、逡巡する。

迷い一つないシュンの視線が、キキを貫いた。


「ここは2階層だ。更なる『イレギュラー』が起こっても逃走することは難しくない。冷静に考えてくれ。侵す危険と得られる名声、十分すぎるほどつり合いが取れている。これは安全な冒険だよ」


キキは反論の言葉に詰まる。シュンの言う通り、ここは2階層である。

彼らにとっては難しい階層ではなく、危機感も薄かった。


「ですが………!」

「もう黙れよ、キキ。リーダー様の決定だ。ヒーラー風情が口を挟むなよ」


ロウマの言葉に反論の術を失う。

キキは悔しそうに唇を噛み、「分かりました」と小さく答えた。

ジナはそもそもどちらでもよかったのか、気にした様子もなく慰めるようにキキの肩を叩く。

寡黙なドントも探索には反対だが、リーダーの言葉に逆らう気はないらしい。


積極的、消極的の違いはあれど、パーティーの意見はまとまり、彼らは『ゴブリン村』へと向かっていった。誰よりも早く『イレギュラー』の原因を解決し、手柄を上げるために。


それから一時間ほどかけて、彼らは2階層の東端、ゴブリン村へと辿り着いた。

洞窟を進んでいて急に現れる森の光景に、彼らも一瞬見惚れる。

だがすぐに頭を切り替えた。


木々の緑の匂いに混じって、血と死体の匂いが漂っている。

それはモンスターの死体が処理されずに放置されていることを意味している。


「冒険者、ではありませんよね?」


キキが問う。モンスターの死体を放置するのは、冒険者にとってご法度だ。

この虐殺は、人の仕業では無かった。


「大物がいるな。『呪われし小鬼』ってやつか……!」


ロウマがうなされるように呟いた。


「行こう」


シュンは静かにそう言って、森の奥へと踏み込んだ。

獣道を冒険者特有の体力と身体能力で掻き分けて奥へと進んでいく。

進めば進むほど、腐ったような鼻を刺す異臭は強くなっていく。


やがて視界が開けた。木々が無くなり、剥き出しの洞窟の地面が見えている。

木と草を編んで作った雑なあばら家がまばらに並んでいる。ゴブリンの集落だ。

だが生物の気配は無い。


「これは、全滅してる?」


ドントが、眉を顰めて呟く。

眼前に広がっていたのは、虐殺の光景だった。


石の地面には乾いた血痕が黒く張り付いている。魔石を砕かれた灰になったゴブリン、そしてちぎられた体を晒すゴブリン、数多の死の痕跡が残されている。


「負けた村でしょうか」


キキが誰に尋ねるでもなく口にする。

普通に考えればそうだ。

ゴブリン村は二つ存在し、互いに殺し合う。負けた村のゴブリンが根絶やしにされるのは当然であり、また集まってきたゴブリンが群れをつくり、殺し合う。

そんな仕組みが出来ているのだ。


「いや、少なすぎる」


シュンはキキの言葉を否定する。あまりにゴブリンとの遭遇が少ない。

それは森に入ってから顕著だ。道中のゴブリンの数を考えれば、異常なほど一匹のゴブリンとも出会わなかった。


「この森には一つ、戦争に勝った村があるはず。なのにゴブリンの姿が無い」


戦争で相打ちとなり、互いに全滅したとも考えられるが、そううまくいくのだろうか。

それに一匹もいなくなるというのは考えづらい。

そしてゴブリンの大移動。

これらの情報を結び付ければ、出てくるのは一つの答え。


――――――『イレギュラー』


ダンジョンでは死の兆候となるが、その半面、未知と栄光を運ぶ吉兆の使いにもなりうる。


「もう一つの村に行ってみようか」


通常の『呪われし小鬼』とは違う行動をとるモンスターがいることは薄々勘づいている。

だが、それを口に出すことなく、足を進めていく。


ロウマ達は西側の村に来ていた。この村は戦争に勝利した村だ。

ゴブリンも生息しているはずだが、ロウマ達が見たのは東の村と同じ虐殺の光景だった。


「ここもかよ」


ロウマは剣で死体の魔石を砕いて灰に変えた。


「これは、何か強力なモンスターがいるということよね」


ジナが嫌そうに言った。

点数と金稼ぎを兼ねた楽なクエストの雲行きがおかしくなってきたことに、彼女は心配そうに眉をしかめる。

ざらりと湿った風が吹く。洞窟の穴が吐き出す無数の風が怪物の鳴き声のように轟く。

揺れる葉音しか聞こえないルームの中で、生者は自分たちだけではないかと、5人は頭の片隅でそう思った。


「ジナ、探知魔法使って周囲のモンスターを探ってくれ」


シュンの言葉に従い、ジナは素直に魔法を使った。


「【探知】」


ジナの知覚領域が広がった。周囲の生命体の情報が流れ込む。

【探知】は、自身を中心とした円周上に存在する生命体を感知する魔法だ。


「………下に1体いるわね」

「下って、下層か?」

「ううん。下層よりは上」


ジナは自身のスキルがとらえた反応の真上に来る。そこは、壊れた家屋の真上だった。

ロウマとドント、シュンは『筋力』を頼りに瓦礫をどかしていく。

そして見えたのは、岩の地面と一枚の板だ。


取っ手の付いたそれは、扉だった。


「これは、地下室でしょうか?」


ダンジョンの中に地下室が存在する。思ってもみなかった存在に、冒険者たちも興味を引かれる。


「人工的、っていうかモンスターが掘ったのかしら」

「モンスターが床を壊したのか?」


ロウマは訝しむ。ダンジョンの床は普通の石よりも固い。ゴブリンに掘れるものでは無い。


「『呪われし小鬼』ってやつなら掘れるんじゃない?」


ジナはこの階層で飛びぬけた戦力のモンスターの名を出した。

呪われし小鬼の強さは、保有する呪いの武器の性能にも左右されるが平均すればレベル10相当。12階層クラスのモンスターだ。


「この虐殺もそのモンスターの仕業か?」

「さあ?仲間を殺すような気性の荒いモンスターでは無かったと思うけど」


ジナの言葉は自信なさそうであった。

彼らは新人だ。誰も『呪われし小鬼』との戦闘経験はない。

彼らが『スターレイン』の研修で習った『呪われし小鬼』は、理知的に呪いの力を使いこなす厄介なモンスターだ。通常種のゴブリンとも連携しており、群体の長として君臨しているはずだった。


「開けるぞ」


ロウマは扉に手をかけて、地下への扉を開く。木の板は引き剥がれ、その残骸は撃ち捨てられる。天井の光苔の明かりが地下へと差し込む。そこにいたのは、一体のゴブリンだった。


「は?これだけかよ?」


宝のような貴重品が収められていると期待していたロウマは、モンスター一体しかいない空間を見てため息を吐いた。


「ただのゴブリンですね」


キキの目に映るゴブリンは、怯えた眼差しでこちらを見上げていた。

武器は持ってはいるが、それを手に取る様子は無い。


通常のゴブリンであれば、人間を見れば襲い掛かるのだが、このゴブリンは違う。

通常種よりも知能が高い存在のようだとキキは思う。

だがそれだけだ。100体ゴブリンを討伐すれば1体当たる程度の知能の高さでしかない。


「くだらねえ。討伐しとくか」


ロウマが腰に刺した直剣に触れる。


『Gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』


瞬間、大絶叫が響き渡った。

5人は声の方向へと視線を向ける。

冒険者として、多くの経験を積んできた5人は、叫び声を聞いただけでその脅威を察した。


森の一角で衝撃が弾け、村への道が開かれえる。

爆風に髪が翻る。シュンは、直剣を引き抜いて進んだ。


「ドント!受け止めろ!」


シュンは呪われし小鬼の姿を見る。

手には呪いの気配を色濃く漂わせる片手斧が握られている。

こんな上層には不釣り合いなほどの一品だ。


小鬼が飛び出す。岩の地面を蹴り砕きながら斧を振るう。剛力を宿した一撃は、ドントの盾に受け止められた。


「うおぉおおおお…………!」


膝を折り、衝撃を受け止める。

地面に二本の線を刻みながら後退するが、ドントは膝をつくことなく、防ぎ切った。


『Gaaaa!?』


今まで攻撃を止められたことが無いだろう小鬼は、恐れるように叫びをあげた。


『【カウンター・パリィ】!』


盾に触れた刃が、勢いよく弾き飛ばされる。

腕が持ち上がり、胴体が完全に晒される。

その隙を狙い、特攻役であるロウマが懐に潜り込む。真横に振られた刃はスキルの後押しもあり、深くその胴体を抉った。

だが―――


(浅いか!?)


刃が骨で止められた感触を感じた。

小鬼の淀んだ瞳がぐるりとロウマを見下ろす。

『呪い』により強化された『力』を持って、小鬼はその刃を振り下ろす。

ロウマも背後へ飛ぶが、一瞬遅れた。

だが、光り輝く聖なる壁がそれを阻む。


「―――ドント、下がれ!」


前衛二人が飛びのいた瞬間、長文詠唱を必要とする大炎弾が小鬼の頭上より降り注ぐ。

小鬼を中心に炎が広がり、森を眩く照らし出す。


(よしっ!行ける!この前の野良野郎よりも強いが、馬鹿だ。この程度なら嵌め殺せるぜ!)


ロウマは確かな手ごたえに荒々しい笑みを浮かべる。

敵は、ロウマたちが戦ったどのモンスターよりも高いステータスを誇っていたが、パーティーで当たれば、対処できている。


『Gsaaaaaaaaaaaaa!』


炎の内より小鬼が這い出る。だがその全身には炎が這い、痛々しい火傷跡が全身に広がっている。


『GAAAAAAAAA!!』

「うおっ!」


小鬼は地面を斧で叩く。

爆風が巻き起こり、煙幕のように一帯を覆った。

今まで愚直に襲ってきた小鬼とは思えない小細工に、ロウマは僅かに驚く。

だが全くひるまずに、シュンは土煙の中に潜った。


風の流れと足音で大まかな位置を把握し、天性の戦闘センスで、流れるように剣を振るった。

とても相手が見えていないとは思えないほど流麗な剣技は、ゴブリンの腕を斬り飛ばした。


『Gi、Gaaaaaaaaaaa!!?』


斧を持った手が無くなり、体の右半分が軽くなる。

バランスを崩して、ゴブリンは倒れ込んだ。


「意外と弱いな。上層最上位って言ってもこんなものか」


シュンは拍子抜けしたと言いたげに、息を吐く。

反対に、クエストで揉めた失態を取り返せるであろう手柄に、ロウマは安堵した。

『呪われし小鬼』は上層でも最上位のモンスターだ。それを駆け出しのパーティーで討伐したことは、確かな偉業である。


「とどめは俺が刺すぜ!」

『Giiiiiiii!?Giiiiiiiiiiiiii!!』


とどめを刺そうと刃を構えたロウマの横を、ゴブリンが通り過ぎていく。

リオが地下室で見つけた固体だ。

それはロウマたちに目もくれずに、地面に蹲る呪われし小鬼に駆け寄っていく。


ゴブリンは小鬼を気遣うようなそぶりを見せる。

まるで家族のように寄り添う姿は、ゴブリンとは思えない。


「【ファイアボール】」


ジナの面倒そうな声が響く。

魔法名だけで発動させた火球は、ゴブリンたちを包み込む。


『『GiiiiiiiiaAAAAAAAAA!!』』


二重の悲鳴が響き渡る。MPを節約した魔法でも、ゴブリンに耐えられるものでは無い。


「さっさと帰りましょうよ。あたし、疲れたわ」


ジナが声を掛ける。ロウマはとどめを横取りされたことに複雑そうな表情を浮かべていたが、すぐに気持ちを切り替えて、「帰んぞ」と不機嫌そうに呟く。


キキは最後に二体のゴブリンを見た。寄り添うように燃え尽きる二体の影を。


「………」

「キキ?どうしたんだ、行かないのか?」

「いえ、すぐ行きます」


キキは、森の外へと足を向けた。


□□□


燃えていく。燃えていく。燃えていく。

皮膚が焼けつく激痛に包まれながら、二体は絶叫を上げた。

魔法の炎はMPを燃料に燃えている。彼らが地面を転がろうと体を掻き毟ろうと消えることは無い。


『GiiiiiaAAAAAAAAA!!』


呪われし小鬼の前で、ゴブリンの身体が燃え尽きていく。骨すら焼けつく業火に包まれて、元の姿など分からない。

だがそれに、小鬼は既視感を感じた。


遠い遠い記憶。『呪われし小鬼』になる前の記憶。

呪いの武器を手放したことで微かに理性が戻ったことで、彼はそれを思い出した。


共に生まれ、『村』に逃げ込んで番となった存在。

戦場へと向かう自身を見る何か。

呪いの武器を手にして、狂いゆく理性の中で最後まで残った顔と鳴き声。

真っ黒に狂った景色の中で、なぜか見逃した命の気配。


『Gi,AAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』


呪われし小鬼は、炎の中で叫んだ。灰となった片割れの死骸を抱きしめ、狂ったように悲哀を叫んだ。

呪われし小鬼は燃え残った。炎弾が直撃する寸前、ゴブリンが庇ったこと、そしていつの間にか左手に収まっていた呪いの斧によって命を繋いだ。


だが無事ではない。全身は炎に焼け、遠からず死に絶える。

それを拒むように、呪いの武器は脈動した。

斧から染み出した呪いが、呪われし小鬼の全身に纏わりつく。肉体を強化し、命を繋ごうとする。


『Gaaaaaaaaaaaaaa!!!』


そして呪いの侵食に合わせて、理性もまた溶けていく。

全てが闇へと消えていく。

痛みも、怒りも、憎しみも、悲しみも、そして胸の奥に芽生えた名前も知らない温かさも。


『Aa,aaaaaaaaaa……』


だが小鬼は抗った。灰を握りしめ、消える何かを繋ぎとめようとした。

それは本来、小鬼には存在しない行動だ。


彼らは知性を持つがそれは効率よく『人間』を殺すための道具でしかない。

戦い以外の用途に用いられることは無く、その社会性も本能的に生存率を高める方法だと知っているだけ。番はただの繁殖手段だ。


だが通常の個体と比べて突出した知能を持つ小鬼は、そこに至った。

まるで人間のような愛とそれを失う悲しみを知った。

『ゴブリン』でも『呪われし小鬼』でもない、種としてあり得ざる領域へと達した。


『dgadDGf$%sgsR&&|!』


小鬼の脳髄の奥に、得体の知れない声が響いた。

意味は理解できない。だがどこか慈愛を感じられた。小鬼を引き留めようとしているように感じられた。


『AAAAAAAAAAAA!!!』


声は遠くなり消えた。


それが合図であったかのように、小鬼の肉体が膨れ上がる。骨が砕け、再構成される。

黒い肉体はより黒く、呪いを帯びた斧が涙を流す鬼へと歓喜するように啼いた。


『炎縁傷呪』


鬼は脳裏に刻まれた言葉の意味を知らない。ただ、涙を流しながら、手に持つ斧を掲げた。

未だ森の内に存在する5つの命の気配へとむけて。

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