参戦

「くそッ!!」


ロウマは中身の無くなった回復薬の瓶を叩きつける。

甲高い音と共に僅かに残った液体が散乱し、ちらりとメンバーから力ない視線が向けられる。

上級回復薬を使っても失った生命力は完全には回復しておらず、倦怠感が身体を包んでいる。


シュンたちが今いるのは森の中にある洞窟だ。地形の変化により生まれた穴の上を植物が覆い尽くしているため、遠目には小さな地面の切れ目にしか見えない。

そのおかげで、シュン達はあのモンスターから逃げ切れた。

だが、失ったものも大きかった。


前衛の剣士ロウマ、魔法職の女性ジナは暗い顔をして力なく項垂れている。

その装備は大きく破損しており、彼らも重傷を負っていたことが分かる。


「………できる限りの手は打ちましたが、持つかどうかわかりません」


洞窟の奥から戻ってきたキキが、疲労の滲んだ顔で言う。

顔は青ざめており、MP切れ寸前であることが分かる。


「そうか………」


リーダのシュンも疲労を滲ませ、小さく答えた。

あの怪物から逃れる時、最後尾に残り時間を稼いだのはシュンだった。

最も消耗が激しく、普段の自信に満ちた様子は鳴りを潜めている。


「………どうしてだ?」


ロウマが唸るように尋ねる。

鋭い眼差しはキキを捉えている。


「……お前全力でドントを助けようとしてんのかよ!」

「なっ――!当たり前です。私はヒーラーとしてすべきことをしています」


一瞬硬直したキキは、冷静にロウマに反論する。だがロウマはますます顔を真っ赤に染めて、言い募る。


「MP限界まで使ったのかよ!随分元気そうだがなぁ!」


その言葉に、洞窟の中が一瞬張り詰める。

キキが気絶寸前までMPを失っていることは見ればわかる。

だが頭に血が上ったロウマはキキを攻撃するためだけにその言葉を口にした。


「言いがかりはやめてください。死にかけの人間を解呪して治癒して何とか持ち直したんです。ただ怪我しただけの貴方に―――」


「二人ともやめてよ。ロウマは頭を冷やしなよ」


2人の言い争いをジナが止める。

ロウマは舌打ちをして、キキは「すみません」と呟いてお互い離れた場所に座った。


限界。誰も口にせずとも、そう思った。

魔法職のジナは先ほどの言い争いに耐えかねたように俯いている。

ロウマは苛立ちとストレスを抑えきれずに八つ当たりをした。

普段は冷静なキキも、挑発に乗ってしまう。

盾役のドントは死にかけている。


(……これは、厳しいな)


シュンは薄い唇から浅く息を吐き、冷静な思考でそう思った。

キキはヒーラーであり、火力を出せるのは自身とロウマとジナだけ。それも、あの異形と化した鬼相手に盾役なしで挑まなくてはならない。


冒険者はパーティーを組み、強力なモンスターに立ち向かう。そのため、時には自身のレベル以上のモンスターすら討伐することが可能となる。

だがそのパーティーの一角が崩れれば、戦力は一気に減る。その事実を、シュンは今更実感した。


(あれは予想外だった)


シュン達が森を出ようとした時、一体のモンスターに襲われた。


見上げるような巨体に炎を纏った鬼。

右手はなく、左手には片手斧を握りしめている。

その双眸は険しくも、泣いているように見えた。


シュンたち5人は、そのモンスターを見た瞬間、体が潰れるような圧を感じた。

モンスター自身が纏う濃く淀んだ呪いと指向性を持った殺意、そして【鑑定】するまでも無い圧倒的な戦闘能力と殺傷力が、生物としての差を突きつけたのだ。


鬼は驚くほど静かだった。ただ、あらん限りの殺意を込めて斧を振った。

その一撃でドントの盾が砕かれて内臓を抉られた。

そこからはすぐだった。ロウマの動きは恐怖で精細さを欠け、ジナは魔力の操作を誤り、魔法を失敗させた。

そこにお互いを助け合うパーティーとしての姿はなく、シュン達は少なくない傷を負いながら撤退をした。


「救援が来るはず、よね?」


ジナが久しぶりの声を出した。

鈍重に、2人は顔を上げた。


「救援が来るとすれば、ルームの西側からだろうね。ここは幸い西側。僕たちの救助に来るメンバーなら、あの『名持ち』とも戦えるはずだから、味方を見つけたら、まず合流しよう」


掠れた声で、シュンはこれからすべきことを理路整然と説明する。

冷静なリーダーの姿に、メンバーは落ち着きを取り戻す。


「大丈夫さ。今まで何度も危険は潜り抜けてきた。今日も変わらない」


死地であることは認める。だが、死ぬとは思ってはいなかった。

シュンにはパーティーがある。

助けに来てくれる仲間たちも。今頃、救難信号を受けて、地上に残る『スターレイン』の実力者たちが二階層に向かっているはずだ。


自分たちはそれまで耐えればいい。それが『冒険』だ。

シュンは不敵に笑った。


□□□


その時は、すぐに訪れた。


「―――ッ!来たわ」


ジナの【探知】に森のルームに入ってきた反応を捉える。

それは、彼らが待ち望んでいた言葉だった。


「ジナ、ドントを背負ってくれ!」

「………分かったわ!」


シュンは戦意が折れているジナを、運搬役に任命する。

彼女を中心に置くようにパーティーを組み、走り出す。

森の中は走りやすい場所とは言えない。

だが冒険者たちは、そのアビリティで無理やり踏破する。

最短経路を通り、最速で救助と合流する。

だがこれは、賭けだ。


『Gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!』


悍ましい咆哮が上がる。シュン達が通ってきた道に、巨大な何かが着地した轟音が響く。


(やっぱり待ち伏せてた!)


呪鬼はシュン達に執着しており、なおかつ知性が高い。

闇雲に森の中をうろつけば位置を捕捉されて逃げられると考え、身を潜めてロウマ達の動きを待っていたのだ。じっと、数時間以上も。


「急いで!すぐ後ろに来てる!」


一同はペースを上げる。転びかねないほどの速度で走る。

荒い息が誰かの口から漏れる。

背後から叩きつけられる殺意から逃れようと、必死で足を前へ前へと進ませる。

だが、呪鬼は、恐ろしいほど早かった。

負傷者を抱えているとはいえ、平均レベル5を超えるパーティーの走りに追い付いてきている。


「―――ッ!走れ、走れ、走れぇえッ!」


裏返ったロウマの声が響く。だがそれを押しつぶすように二つの重い足音が背後から迫る。ジナが感知した人の気配は、遠い。


背後に迫る怪物の気配に、キキはたまらず叫ぶ。


「シュンさん!逃げきれません!」


誰かが足止めしなければならない。分かっていながらも誰も言い出せなかったことを、キキは口にした。


「――――ロウ「黙って、走れぇええッ!!」」


シュンの言葉を塗りつぶし、ロウマは叫ぶ。

愕然としたキキの視線を背後に感じながら、ただロウマは走り続けた。

彼は分かっていた。足止めをするとしたら、それは自分だと。

だがすでに、彼の心は折れていた。

今、背後を向き、刃を構えることなど、考えられなかった。


そして、鬼が現れた。

木々を引き裂きながら姿を現す。

筋骨で膨らんだ巨体は、揺れる呪炎で更に巨大に見える。


「【鑑定】」


キキはアクセサリーのスキルで鑑定をする。

そして後悔した。


□□□


Status

Name:『炎縁傷呪』グーラ Rank:【開位】

■■ ■■■■


□□□


アクセサリーに込められた鑑定のレベルが低いため、ほぼ見えなかったが、名前を確認した。


「『開位』……!」


『名持ち』だ。だがそのランクは最低位の『開位』である。

しかも元となったモンスターは上層のゴブリン種。しかも『呪い』を見に帯びた個体だ。これなら自分でもなんとか討伐できるかもしれないと、キキは考える。


「先に行ってください!私が足止めをします!」

「僕も残る!」


シュンとキキは足を止め、背後を振り返る。キキは聖木の杖を構え、詠唱を始める。


『GAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』


だがその決意は、咆哮ひとつで砕け散った。

キキ達への憎悪と絶死の誓いが込められた叫びは、その心に刻まれた敗北の事実と刻まれた傷の痛みを思い出させた。


キキの詠唱が途切れかけている。恐怖で口が回らなくなっているのだ。


だがその時、雄々しい叫びが轟いた。


「おぉおおおおおおおおおっ!!【スラッシュ・バックガード】!」


ノックバック効果のある【剣士】スキルが呪斧と正面から打ち合い、退けた。


「キキ!僕もいる!」

「――――ッ、はい!」


恐怖を意思の力でねじ伏せる。

一息に詠唱を完成させ、魔法名を唱える。


「【アンチ・カース・ヴェール】!」


あらゆる魔法職の中で最も当人の素質に左右されるジョブ、【聖職者】。

その【聖職者】が扱う【聖魔法】は、呪いを癒し、阻む。

【アンチ・カース・ヴェール】は呪いを防ぎ、浄化する付与魔法。それを鬼にかける。

呪鬼の肉体に、青白い魔力のオーラが纏わりつく。

呪炎が青白いオーラに触れると、水をかけたように暴れる。

だがそのオーラは、鬼の肉体にまでは届かない。

僅か一瞬、その足を止めただけだ。


呪鬼は怒りの篭った唸り声をあげ片手斧を持ち上げた。

そのサイズは、キキたちが戦った小鬼の斧よりも巨大化している。

呪われし小鬼の名持ち化と共に変異したのだ。


その斧には、不気味な黒色のオーラが纏わりついている。

悪寒を感じたキキは反射的に魔法を発動させる。


「【プロテクト・ウォール】!」


障壁を発動させる【聖魔法】を、詠唱を抜いた【喚起】で発動させる。

グーラは、地を蹴る。ダンジョンの足場が砕け、爆発的な速度で迫る。

その視線はキキとシュン、そして走り去っていくロウマたちを見ていた。

その巨体はキキの遥か手前で斧を振り下ろした。


そして、爆発した。

そう感じるほどの衝撃が地面を走った。

鬼に遠距離攻撃はない。だがその膂力と呪いの武器の力が合わされば、ダンジョンすら砕く破壊力を生み出す。

そしてずば抜けた破壊は、距離を潰す。


まず、キキが障壁と共に飲み込まれた。シュンは辛うじて直撃は避けたが、破壊の濁流を阻止することはできない。そしてその濁流は止まることなく伸び、逃げるロウマとジナの背を襲った。

距離は百メートル以上離れていた。そのため、無防備に受けたロウマたちの傷は浅い。

だが、爆発点に近かったキキは、うめき声を漏らしながら、血の塊を吐き出した。

全身が軋むように悲鳴を上げている。

痛みのない箇所はなく、視界は終わりを告げるように真っ赤に染まっている。

自身の四肢が残っていることが、奇跡に思えるほどだ。


「――――がっ、あぁっ!」


直撃は避けたシュンも、その足を抑え、蹲る。


(余波だけで、これかっ!)


爆煙が晴れる。

憎悪の炎が現れた。悲哀を告げる双眸が、爛爛と殺意を照らし出す。


「終わり、ですね……」


力なくキキの手から杖が零れ落ちる。

心を諦観が包んでいく。

甘く見ていた。数多の冒険者が挑み、そして敗れる『名持ち』という存在を。

どうして討伐したものが讃えられるのかを、忘れていた。


だがキキが数多の冒険者たちと同じように、ダンジョンの贄になることは無かった。


「しゃがめえええええええええ!!」


遠くから叫び声が聞こえる。男の声だ。

シュンでもロウマでもドントでもない。だけど聞いたことはある。

声の主は分からない。

だがあらん限りの戦意を感じる『冒険者たたかうもの』の声だ。


キキは咄嗟にしゃがむ。人語を解さない鬼だけが、ただ立ちつづけた。

その眼前に、土煙に紛れて放り投げられた玉が迫る。


呪鬼の頭に当たり衝撃を検知した玉は、爆炎を放った。

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