暴走と余波

暗い洞窟の奥。薄暗い光だけが唯一の光源であり、獣の鳴き声と流れる微かな水音だけがその地の常だ。

踏み入る戦靴と剣鉄の匂いが、怪物たちを刺激した。


瞬く間に包囲され、黒い獣の牙が鮮血に染まる。

彼らは侮っていた。『初心者殺し』と呼ばれるそれの敏捷を。

勇ましい激音は、悲鳴と怪物の歓喜の歌に変わり、追い立てられるように彼らは奥へ奥へと逃げて行った。


ダンジョンではなんてことのない日常。

肉体は食い荒らされ、痕跡は妖精たちが持ち去る。

やがて帰還者なしとDMに記録されるだけだった。


だが、彼らは幸運であった。

逃げた先、偶然隠された小ルームを発見し、逃げ込んだ。

薬は失い、装備は欠け、気力は尽きた。

小さな入り口の先を見る勇気は誰にもない。ようやく見つけた安寧の地に、彼らは安堵の息をつき、死体のように眠った。


そしてその夜、彼らの一人が凶行に走った。


――――――ん、ぐうぅううっ、あぐっ、あああぁあああ…………


彼は、【斧使い】だった。

皆が寝静まったとき、彼は己の相棒を始めて、人間の血で染めた。

仲間の肉を切り裂き、骨を断つ感触に悪寒を覚えながら、声を押し殺し、片刃の斧を押し込んだ。


彼は何を思ったのだろうか。

ダンジョンから生きては帰れないと悲観し、心中を図ったのか、あるいはいずれ起こるであろう仲間同士の諍いを予想したのか。

その真実は分からない。


だが、酷く悲観的で独善的な彼とその仲間たちは地上に変えることなく、後に残されたのは片刃の斧だけ。

悲劇を喰らったその刃は、呪いの色に染まっていた。


□□□


それは飢えていた。

これまでにない大量の命を吸い尽くし、それでもなお足りぬと震える。


―――――――Giiiiii,Giiiiiiiiiiiiiiiii


戦場を生き延びたゴブリンたちの声が重なる。

それは歓喜の声であった、勝利の雄たけびであった。

乏しい理性で、彼らの長たる『呪われし小鬼』へと賞賛と従属の意を告げる。

それすらそれらにとっては、騒音でしかない。


彼の頭にあるのは、血への衝動と、逃した小さな獲物のことだけ。


『GAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!』


小さな体躯から発せられたとは思えない轟音が響く。

勝者であり、『ゴブリン村』を支配する権利を得たゴブリンたちは、一斉に身を震わせた。

その声に込められた狂気が、殺意が己に向いていることを知ってしまった。


始まるのは殺戮だ。

呪いを纏った片手斧がゴブリンを切り裂き、斧は喜ぶように脈動する。

ゴブリンたちは怯えの叫びを上げながら、逃げ惑う。

それは『ゴブリン村』始まって以来の狂乱であった。

それは容易く伝播する。群れを成すゴブリンたちは叫びで意思を伝えていく。


――――森一面が血に染まる


平穏なゴブリンたちの楽園に突如出現した『災害』は、第2階層の勢力図を塗り替えた。


□□□


「おい、どうした?」


剣士の男は、パーティーメンバーの斥候職の男に尋ねる。

彼らは二人組の冒険者だ。

駆け出しの冒険者であり、『特区第一ダンジョン』第2階層を探索している。

互いに大手ギルドの面接に落ち、『野良』で冒険者を始めた同士であった。

年も近く、境遇も同じということもあり、出会ってすぐだが、気が合う仲間同士だ。


2階層に入ってしばらく経つ。既に彼らはこの階層に慣れており、そろそろ3階層への進出を考えていた。

この2階層に敵はいない。そんな思いが、剣士の緩んだ表情に現れていた。


突如立ち止まった斥候職の男は、東側を見て、立ち止まっていた。

厳密には視界でそちら側を見ているわけではない。斥候職の索敵スキルを使い、モンスターの気配を感じているのだ。


「いや、今一瞬、モンスターの反応があった気が………ッ!まずい、すげえ数が来てる!!」

「は?おい、何言ってんだ。正規ルート近くだぞ―――――」


剣士の男の言葉は、通路から溢れ出したゴブリンを見て、止まった。

笑みは凍り付き、腰に伸びた手が、剣を抜くかどうか迷うように揺れる。

到底、処理できる数ではない。

索敵スキルを持たない剣士でも、それが分かるほどの数。


――――――『イレギュラー』


剣士の男の頭にそんな言葉が浮かぶ。

ダンジョンの平穏は突如として崩れる。

まるで悪意を持つように冒険者たちを襲う。


「―――――あ」

「逃げるぞ!!」


斥候職の男の声が、剣士の背を叩いた。

反射的に声に従い、2人は駆けだした。

向かう先は、正規ルートの先、1階層への道。

少しで早く地上に戻ろうと、体力も考えずに走り続ける。


――――――はあ、はあ、っ、ああああっ


荒い息と共に、ダンジョンを進んでいく。

時折出あうヘルドッグは、SPの残りも考えずにスキルを使い、退ける。

それでも、視界からゴブリンが消えることはない。


2人がいた通路だけではない。東側に続く通路全てからゴブリンが溢れ出していると、索敵スキルを持つ斥候職は考える。


「くそっ!こんなところで死ねるかよぉぁ!」


剣士の男が汗の滲んだ顔を歪ませて、叫ぶ。

いつまでも野良でいるつもりはなかった。レベルを上げ、装備を揃え、ギルドに属する。

そしてゆくゆくは『スターレイン』に。

称賛を浴び、金を手にし、好き放題女と遊びつくす。

それが男の夢だった。


先導するために前を走っていた斥候職が足を止めた。


「―――おい、止まるなよ!!」

「……………道がない」


冷静で諦めの滲んだ声だった。

剣士は前を見る。既に通路はゴブリンの緑の肉体で埋まっていた。

暗い通路のさらに奥もそうなのだろう。

見なくても、幾重にも重なる金属を擦るような不快な鳴き声で分かる。


「――――ふ、ふざけんなよ……なんで俺がこんな」


言葉は最後まで続かなかった。側面から現れたゴブリンがその頭を棍棒で叩き潰した。

その『力』は明らかにLv.2のそれではなかった。


―――――共食いでもしたのか


ゴブリンの異常繁殖と大移動。

それによる、通常では見られない高レベルのゴブリンの発生。

あえてゴブリンの接近を剣士に教えなかった斥候職は、引き抜いた短剣を喉に添え、一息に突き刺した。


――――――Giiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!!!


ゴブリンが死体に群がる。痛ましい咀嚼音が響き渡る。

ここに一つのパーティーが崩壊した。


□□□


「だから、ゴブリンが大量発生してるんだよ!」


DM星底島支部の『塔』の中、冒険者たちの狂乱の声が響き渡る。

ダンジョンへと繋がる大広間のカウンターには、ダンジョン帰りの冒険者が詰め寄り、くたびれた身体を晒している。

命からがらダンジョンから逃げかえってきたのだろう、その顔は蒼白に染まり、焦りから大声を出す。


「ええっと、い、今、現状把握を進めていますので~~~」

「そんな悠長なこと言ってる場合かよ!すぐに上級冒険者を手配して、救助に出してくれ!」

「うえっ!?も、もちろん派遣はしますけど――――」

「―――だからッ!」


歯切れの悪いDMの受付嬢の言葉に冒険者もヒートアップする。

荒くれ者の威圧を正面から受けた新人、雛橋あおいは、小動物のように身を震わし、怯える。

助けを求めるように視線を左右に彷徨わせるが、カウンターに並ぶ受付嬢たちも、同様に混乱した冒険者を相手しており、手が空いている者はいない。


DMに入って数か月、経験したことのない喧騒と混乱に包まれる職場に、雛橋は狼狽えるばかりだ。


「――――ご心配には及びません。すでに救助部隊がDMから派遣されています」


背後から、冷静な声が冒険者を制止した。

普段通りの柔らかな笑みと静かな声音、そして彼女の美貌に見惚れ、冒険者は勢いを失ったように「お、おう」と切れの悪い返事を返す。


「マイアさん…………!」


雛橋は、助けに来てくれた同僚に、潤んだ瞳を見せる。

同期ではあるが、学生時代からDMで働いていたこともあり、今更冒険者に怯えるような可愛げはない。

彼女はスムーズに冒険者をさばきながら、報告用に情報を纏める。


「あ、ありがとうございました」


落ち着いたころ、雛橋は自分の代わりに受付業務をしてくれたマイアに礼を言う。


「大丈夫よ。私も手が空いていたから」


(あ、女神……)


雛橋は、ぼう、っとマイアの笑みを見上げ、頬を染めた。

同性から見ても感嘆する美貌と聖母のような性格。何だから新たな扉が開きそうな雛橋だった。


(燐君、大丈夫かな?)


そんなマイアの心中も決して穏やかではなかった。

異変の発生源は2階層。そしてそこは、マイアの担当する冒険者、遠廻燐が活動する階層だ。

今は朝方。燐がダンジョンに向かう時間帯ではないが、それでも心配の気持ちは消えない。


(どうしようか……電話とか掛けた方がいいよね。登録情報見れば分かるし……って駄目だ!そんなのストーカー過ぎる!)


「マ、マイアさん?」


1人で表情をころころ変えるマイアに、雛橋は狼狽える。


「うん!担当冒険者のためだもの!私用じゃないし大丈夫!」

「マイアさん!?」


マイアは席を外すね、と雛橋に言い残し、自身の席に戻っていった。

手早く端末を立ち上げ、慣れた手つきで燐の情報を引っ張り出す。

そこには登録時に記載した名前や住所、電話番号と言った個人情報が記載されている。


「ねえ、何してるの?」

「あ、二奈。燐君の安否確認をしようと思って」


マイアは同僚である西宮二奈にそう返した。

清楚な顔立ちとストレートの黒髪で、特に男性冒険者からの人気の高い同僚は、表では見せないあきれ顔でマイアを見下ろした。


「マイアのお気にの子ね。今日、学校じゃないの?平日よ?」

「別にお気に入りとかは無いけど……!そっか、確かに学校だね」


マイアは忘れていたことを恥じるように、苦笑を浮かべた。

じとりとした目線でマイアを見ていた二奈は続けて言った。


「相手中学生でしょ?もうちょっと待たないと世間は許してくれないよ?」

「ねえ、何の話!?変なこと言わないでっ……!」


顔を真っ赤に染めたマイアは必死に反論する。

いわく、別に恋愛感情は無いだの、担当官として安否確認する義務があるだのと並べられる言葉を、二奈はコーヒー片手に聞き流していた。


「何でもいいけど、働かないと怒られるよ?」


二奈は視線で奥のデスクを示す。

上司が騒ぐマイアと二奈をじろりと睨んでいた。


「――――うっ、そうだね。『イレギュラー』の対処をしないと。しかも発生したのは2階層。地上付近だから『星底島防衛機構ビオ・ガーダー』にも通達しないと」


慌ただしくマイアは仕事に戻っていく。

DMの慌ただしい朝は、こうして過ぎて行った。

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