討伐の日

「燐!どういうこと!」


家に帰ると、アリスの責め立てる声が燐の耳朶を刺した。

彼女の顔は怒りに染まっており、呪われし小鬼に立ち向かおうとした燐を非難していた。


「逃げただろ」


燐は気まずそうに言い返す。

バックパックをソファに放り捨てて、風呂場へと向かおうとする。

それをアリスが遮った。

納得できる答えが無ければ通さないと、両手を上げて立ち塞がる。


「でも戦おうとしたでしょ。どうしてよ」

「俺の目的は『呪われし小鬼』の討伐と呪いの武器の入手だ。目の前に目標がいて迷っただけだ」


理路整然と、燐は自身の行動を明かす。だがそれはただの履歴。どうしてそうしたのかという心情までは語らなかった。

アリスが聞きたいことを分かっても、燐はそれには取りあわない。

それで終わりにしろ、と燐は言外に伝える。

だがそれを聞くアリスではない。


「勝てないって分かってたでしょ」


アリスは燐の言葉の矛盾を突く。勝てない相手に挑むのは自殺行為だ。しかも絶対に勝てない相手だ。理論的に挑む相手ではない。

それが分かっている燐も一瞬押し黙る。


「………相手は追ってこなかった。あの一撃は相応の消耗があった。追撃すれば勝てる可能性も―――」

「それは逃げてから分かったことでしょう!」


誤魔化しの言葉を言い続ける燐を、アリスの叫びが遮った。

小鬼が消耗していたかどうかは、燐がルームにいた時には分からなかった。

だが燐は挑もうとした。


「何よ?死にたいの?」

「そんな訳ないだろ」


冷たく燐は言い捨てる。何も言う気は無いと、口を固く閉ざす。

そんな燐を、アリスは鋭い眼で睨みつける。


張り詰めるような静寂が二人を包んだ。

どちらかが何かを言えば、変わってしまう。

燐はアリスと出会ってから初めての状況に後悔を感じた。


謝ろうとした時、小さく、零れるような声が、燐に届く。


「じゃあ、じゃあ、何でよ……」


アリスの吊り上がった瞳が、力なく弧を描く。そして碧眼が潤んだ。


「はっ?ちょ―――」


燐が慌てたようにアリスに手を伸ばす。

だが何もできず狼狽えるだけだ。

触れることも包み込むこともできない。ただ、行き場のない手が宙を切った。


「………ううっ、ワタシ、そんなに頼りないの?何で言ってくれないのよーーー!」


ぎゃんぎゃん、と赤ん坊のようにアリスは大泣きする。

ぼろぼろと零れた大粒の涙が廊下を冷たく濡らしていく。


「ワタシ、燐が死にたがってると思って心配してるの!なのに何で冷たくするのよ……意味わからないわ……!」


アリスの本心が零れる。それを聞いた燐はうっ、と言葉を詰まらせた。

自分の言動がアリスを傷つけた。ダンジョンの最下層に至るために多くを切り捨てた燐でも、ずっとそばにいた唯一の『味方』に泣かれるのは、堪えた。

燐は、何かを言わなければいけないと思った。躊躇うようにゆっくりと口を開いた。


「………死にたがってない。だけどあの時、小鬼の力を見て勝てないと思った。俺は最下層に行けないと思った。その弱気を振り払いたくて、斧を求めたのかもしれない」


言葉に詰まりながら、燐は思いを紡ぐ。

自分でも整理できていない感情を打ち明けた。


「………何それ」


アリスは目元を拭いながら、小さな笑みを浮かべた。


「大丈夫だ。ちょっと焦ってただけだ」


燐は恥ずかしそうに視線を逸らしてアリスの横を通り、風呂場に向かった。

アリスもそれを止めなかった。


「アリス、俺は勝つ。あと、ありがとう」


最後に燐はそれだけを伝えて、風呂場の扉を閉めた。


「俺たち、よ!」


そんな言葉を聞きながら、燐は笑った。


□□□


翌日、燐は家のテレビにアリスが撮影した『戦争』の映像を見ていた。

10時間を超える映像は長いため、所々を飛ばして見ている。


燐は堪え切れなかった欠伸をする。

今の時間は昼過ぎだ。

寝起きと呼ぶには遅い時間だが、朝方に帰ってきた燐は、いささか睡眠不足である。


それでも、一刻も早く『呪われし小鬼』への対策をしたいという意欲が、燐を動かしていた。


「すごいな」


呆れの声が漏れる。

混じり気のない本心だ。


森の上から撮影された映像には、戦争の全体が映し出されている。


黒い原始的な防具に身を包んだゴブリンたちが、殺し合っている。

数の総数は100ほどだろうか。

森に住むゴブリンと巻き込まれた野良、それらが入り乱れていた。


戦術も何もなくぶつかり合う姿は、凄惨な光景を生み出している。


刃で肉を断ち、踏みつけ、武器が無くなれば牙と爪で。

戦場の狂気と高揚が映像越しにも伝わってくる。


ゴブリンの戦力はほぼ同じだ。だが、ずば抜けた戦士が存在する。


「『呪われし小鬼』、こいつだけは別格だな」


黒い防具を纏ったゴブリン達の中でもなお黒いゴブリンを見る。


小鬼の力は圧倒的だった。

呪いを纏った片手斧を振り回し、ゴブリン達を挽肉に変えている。

一体だけ戦線から飛び出しており、周囲を敵に囲まれるが意に介さない。


燐にも見せた大斬撃で、地面もろとも吹き飛ばした。

凄まじい速度で敵を刈り取っている。


「こいつ、仲間殺してるのよねー」


アリスが顔をしかめながら言う。


確かにそうだと燐は映像を見返す。

敵も味方も殺しすぎた小鬼は、戦場で孤立する。誰も近付かなくなるからだ。

だが小鬼は全身から血を滴らせながら、別の戦場へと飛んでいき、仲間もろとも殺していく。


血と殺意に呑まれたその姿は、とても理性のある生命体に見えない。


「『呪われし小鬼』は、呪いの武器の呪いに適応した存在、だよな?」


どう見ても呪いに呑まれて自我を失っている。

燐は疑わしいと首を捻った。


「んー、こういう種族かも知れないわよ?」

「生き物として破綻してるだろ……」


戦争は『呪われし小鬼』が属する村が勝利したようだが、トップがこれでは遠からず滅びそうだ。


「あとは、呪いが強すぎるとか?」

「あー、それかもな」


相対した燐の目から見ても、小鬼の意思は希薄で、斧の方が動いているように思えた。


「最初は自我を保ててても、血を吸って力を増した呪いの武器に呑まれる」


典型的な呪いの武器で破滅するパターンである。


「最初から呑まれてたのかも知れないわよ。あの斧、人間の武器でしょ?」


燐は小鬼の武器を思い出す。木製の柄に銀の刃。ゴブリン製の武器ではなく、地上で作られたものだった。


「そういえばそうだったな。てことはあの斧は、村の戦争で生まれたものじゃなくて、冒険者の遺品が呪いの武器化したものをゴブリンが拾ったってことか」


それなら、あの強力な力にも説明がつくと、納得する。

呪いの武器は、元となった負の感情や魔力によって強さや性質が決まる。

知能の低いゴブリンよりも、複雑な感情を抱く人間の呪いの方が濃く、強い。


「せっかく進化したのに、自我を無くすとは。可哀想なやつだな」


燐は牙を剥いて笑った。

呪いの武器が強いと言うことは、小鬼討伐のハードルが上がったことを意味する。

だが、得られる力も多くなった。

ハイリスクハイリターンの賭けになったが、そんなものは今更だ。

ソロでレベルアップに枷を掛けられている燐にとってはただの日常。

気にした様子は無く、燐は得られる力を想像し、歓喜に表情を染め上げた。


「それで、どうする?もっとゴブリンを支配して数で叩く?」


小鬼は強い。燐では正面から戦っても勝てないだろう。トロールよりも更に強い相手だ。

数で戦うべきだとアリスは言う。

だが燐は首を振った。


「いや、来週、殺しに行く」


「………えっ!?」


冷静に告げられた言葉にアリスは聞き間違いかと思った。

だが続く言葉に、さらに驚愕する。


「アイテムを揃えて来週狩る。村のゴブリンが戦争で減ってる今がチャンスだ。俺が支配してるゴブリンどもを使って誘い出して殺す」


「えええぇえーー!!」


アリスの驚愕が、狭いボロアパートの一室に響き渡った。


――――――――――――――――――――――――――――

読んで下さり、ありがとうございます。

たくさんの応援とレビューをいただきました。ありがとうございます。

執筆の励みになっています。


私事ですが、この作品を第9回カクヨムコンテストに応募しました。

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蒼見雛

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