厚革と防具

翌日は週明けに相応しい晴れやかな日となった。燦燦と輝く太陽がアスファルトを照らしている。肌に当たる空気は、どこか鬱蒼とした梅雨の気配を漂わし始めていた。


「若干の蒸し暑さを感じるものの、いい日だな」


燐は思ってもいないことを呟いた。


『そうね!』


アリスは本当にいい日だと思っているように答えた。

それを皮肉と捉えた燐は、自分はひねくれているとますます憂鬱になった。


いつもの通学路を歩いて行く。両脇は住居で郵便局、ドラッグストア、テナントビルを通り過ぎていく。頭上をモノレールが走る音を聞きながら、つかの間の影にほっと息を吐く。


普段は燐と同じ道を歩く制服姿の少年少女や軽く脱色した髪をさらして自転車を飛ばす高校生の姿が無いだけで、別の道のように思える。


皆が使う通学路を自分だけが歩いている。

すれ違うサラリーマンや女性のちらりと見てくる視線も、自分が場違いなところにいるのだという意識を掻き立てる。


そんなちょっとした特別感が、燐のわくわくとした高揚感に繋がっていた。


「検査のせいだが、たまには遅れるのも楽しいかもな」


そんな気持ちが声に出た。燐は珍しく、学校に行くことを楽しんでいた。


だがそんな繊細な気持ちを介さない大雑把な妖精もいる。


『燐!友達のいない学校は辛いからって、遅刻は駄目よ!ちょっとした遅刻がほんのずる休みに。そして不登校につながるの!』


どこからか仕入れた情報で、アリスは燐の将来を心配する。


「チッッ!」


燐は今までしたことが無いほどでかい舌打ちを溢した。

胸の紋章を引きはがして放り捨てたい気持ちだった。


(なんでこいつ、俺が学校嫌いな前提で喋ってんだよ!)


そもそも学校は学業のための場所だから、楽しいとか嬉しいとかいう感情は要らないのだ。それを知らない無知な妖精が俺を勝手に憐れんでいるだけだ、と燐は心中で誰に向けるでもない言い訳を繰り返した。

燐はアリスには悪意はないと自分に言い聞かせて、大きく息を吐いた。


「………いい日だな、ホント」

『そうね!本当に!』


燐の気持ちに反して、太陽は輝いていた。


□□□


燐が教室に辿り着いたのは、ちょうど昼休みの中ほどだった。

仄かに給食の残り香が香り、午後の授業に向けた僅かな緊張感と残された自由時間を楽しむ刹那的な学生たちのやり取りが教室中で見られた。


そのおかげで、遅れて登校した燐に向ける探るような視線も少なくて済んだ。

学校では順調に燐のユニークスキルの凶悪さと身に覚えのない事件の話が広まったおかげで燐に話しかけるものはいない。


燐は自身の席に向かう。だがその周りに人だかりがあるのを見て、小さく眉を顰めた。

その視線は主に、人だかりの中心に向かっている。


「ってかこの前の番組見た?俳優の高橋くんめっちゃかっこよかった~」


制服を咎められない限界まで気崩して、緩やかに髪を巻いた女子が、興奮したように言った。

大きな声を出した彼女に迷惑そうな視線が周囲の席にいた生徒から向けられたが、視線が合いそうになるとさっと逸らした。

彼女はクラスでも上位グループにいる目立つ女子だ。

迷惑だと思っても口には出せない。そんな空気が形成されている。


「俺的にはリオちゃんが可愛かったなぁー!」


1人の男子が燐の知る人名を上げ、燐は小さく反応した。

そのグループの会話は大いに盛り上がっていたが、燐が近づくと、さわり、と楽しそうな雰囲気が揺らいで伺うような視線が向けられた。

燐は足を止めずに、自身の席に座る。

燐の斜め前や後ろの席には人は座っているのに、燐の席は使われていなかった。

それだけで、燐がどう思われているのかは分かる。


燐は舌打ちをしたい気持ちを抑えながら、乱雑に鞄の中身を机に移す。

そんな燐の無関心を見て、彼らも再び話始めた。


その話題の中心は、燐の幼馴染の少女だ。

昨日放送されたゴールデンの番組に出演していたらしく、大きな興奮に包まれている。

『スターレイン』所属の冒険者であり、世界的に名の知れた少女は、同年代の彼らにとっては一種のスターだ。


『ワタシも見たかも、その番組』


隣の会話を燐を通して聴いていたアリスは、燐に番組名を伝えた。

それは燐も知っている番組だった。

燐が両親を亡くすまで―――変な右手を持った普通の少年だった時―――は、毎週見ていた番組だ。

最近はテレビも見ずにダンジョンの勉強ばかりをしているため、すっかり遠ざかっていたと、燐は今更自身のテレビ離れを知った。


『何で冒険者が出るの?』


テレビ出演と冒険者業が結びつかなかったアリスは、燐に尋ねた。


『超人的な能力を持ってる冒険者は、テレビからの出演依頼が多いんだよ』


燐は自身の知識を総動員して、アリスの疑問への答えを返す。

魔法やスキルなどの力を持つ冒険者は、テレビ的な引きが大きいため、出演依頼が多い。

冒険者側も、人に評価されずに黙々とダンジョンに潜る日々の息抜きも兼ねて、テレビに出てちやほやされに行くのだ。


『俗な理由ねー』


『女にもてたいとか称賛されたいとかも根源的な理由でいいんじゃないか?』


燐は興味無さそうにそう言った。ダンジョンの最下層に行きたい燐にとっては、そんなことをする暇があればダンジョンに潜りたいため、理解に苦しむがその欲自体は理解できた。


『後はテレビに出て知名度を上げてクライアントを集めたり、スポンサーを募ったりとか、ギルド所属の冒険者はそっちの理由の方が大きいかもな』


テレビは、所属の冒険者の力や影響力を示す場にもなる。そしてダンジョン産の素材が欲しい企業や個人からのクエストに繋がる場合も多い。

そのため、現代のギルド所属の冒険者には、タレント的な活動が求められることもある。


『ふーん。燐には一生縁が無い話ね』

『まったくだな』


愛想も無く、実力も無い燐がテレビに呼ばれる理由はない。

それだけは安心だと燐は小さく笑った。


『それにしても、燐の幼馴染の子、すごいのね。今も星底島にいるの?』

『いや、上にいる』

『上?』

『空の上にあるダンジョンだ』


それは、世界最難関ダンジョンの一つであり、いずれの国にも属さない特殊な都市が管理するダンジョンだ。

燐が聞いた話では、まるで異世界のような文化と街並みが広がる楽園なんだとか。

いつか行ってみたいと思っているが、厳しい入国制限があり、一部の優れた冒険者しか入れない。


今の燐には、文字通り天上の都だ。


時間が過ぎて、予鈴が鳴る。生徒たちは各々の席に戻って近くの生徒と話始める。

燐はそれから4時間、退屈が学校生活を送った。


□□□


燐は午後の授業を普通に受けて、放課後を迎えた。

空へと枝を伸ばす木々の下を歩き、帰路についていると、アリスの声が響く。


『そういえば、防具はどうする?』


燐の防具は、トロール戦で完全に壊れた。

そのことを燐は思い出す。


「用意しないとダンジョンに潜れないな……」


防具なしでダンジョンに潜ることなど考えられない。燐が今まで戦い、生き残ってこられたのも、防具があったからだ。


『また同じの買う?』


燐が以前身に付けていた『駆け出しの軽装〈黒〉』は、DMで販売されている新人御用達の装備だ。

特殊なスキルは付与されていないものの、最新の科学技術、ダンジョン素材を用いて作られた防具は、上層のモンスターの爪や牙から、燐の身を守ってきた。


「迷ってる。同じのを買ってもいいけど、ドロップ素材が出たからな」


『トロールの厚革』。

アリスがトロールの死んだ灰の中から見つけ、回収していた品だ。

レアドロップであり、上層で手に入るドロップ素材の中でも、最上位の強度と弾力性を持つ。

つまり、革鎧の素材としては最高だということだ。


『オーダーメイドね。できるならそっちの方がいいと思うけど―――』

「値段がな……」


オーダーメイドは値が張る。駆け出しの燐の収入では賄えないほどに。

それがネックとなり、燐は決断できないでいた。


『とりあえず、持ち込んでみたら?思ったよりも安いかもしれないわ』

「………それもそうだな。これから行くか」


燐に放課後の予定はない。家へと直進していた足の向きを変えて、天へと聳え立つ塔の方角へと進んでいった。

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