一線の向こう側

からり、と透明な氷がガラスの中で踊る。

琥珀色の液体が、穏やかな光を反射し、憂いを帯びた少女の顔立ちを映し出す。


星底島の歓楽街でも、高級店が軒を連ねるビル街の一室、ダンジョン産の素材を活かした酒は、一杯で一般人の月収を超える。

そんな一部の稼げる冒険者御用達のバーは、【金翼の乙女】の貸し切りであった。


「燐、大丈夫かな?」


少女、礼羽雫は心配そうに烏龍茶をちまちま飲む。

隣で酒を水みたいに飲みほしていた同僚、フィーネ・エルクは、短い金髪を揺らして「……誰?」と言った。


「妖精ちゃんの宿木の人っすよね?雫の友達だっけ?」


盗賊職の乾秋いぬいあきは、思い出すように宙を眺めながら、そう言った。


「そうだよ~、この前仲良くなったの~」


雫の答えに、秋の顔が、「またか」と言いたげに呆れの色を浮かべた。

【金翼の乙女】で一番社交的で、物怖じしない彼女は、よくどこで知り合ったの?という友達を連れてくる。


「………まだ駆け出しよね。2階層でトロールに会うなんて不運な子」


同情するように俯き、小さく首を振ると、かちゃりと耳元のピアスが揺れた。憂いの滲んだその横顔は異性が見れば見惚れるだろうが、生憎この場には女性しかいない。


「だけどトロールは自力で倒したんすよね?すごいじゃないっすか」


2階層を拠点とする冒険者がトロールを討伐する。

一流と呼ばれる【金翼の乙女】の一員であっても、褒めるに値する偉業だ。


「そうだよね、すごいよね!」


雫はバッと起き上がり、琥珀色の瞳を輝かせる。

動きの読めない雫に驚き、秋は結んだ緑のポニーテールを揺らした。


「どうやったのかなぁ。聞いたから教えてくれるかな?」

「どうっすかね。切り札だとしたら無理でしょ」

「…………妖精の力って可能性もあるわ」


気付けば冒険者同士、燐の力について興味を持っていた。

見目麗しい少女が三人、そんな彼女たちの元に、豪奢なドレスに身を包んだ女性と、着物姿の女性がやってきた。【金翼の乙女】の団長と副団長である。

彼女たちの手には、中々度数の高い酒のグラスがあった。


彼女たち五人が、今日、ダンジョン探索をしたメンバーだ。

他のメンバーは予定があり、ここにはいない。


「詮索するのはやめてあげなさい。特に雫。無理に聞かないこと」


豊満な金髪を肩から流し、青いドレスに身を包む彼女の姿は、『豪華』という言葉が似あう。

リディエル・サティア。【金翼の乙女】の団長は、団員である雫を窘める。


「団長~。ボク、そんなことしないよ?」


たらりと冷や汗を流して、雫はそっぽを向く。

リディエルは腕を組み、白々しい雫に微笑みを返した。


「…………でも団長も気になるでしょ?『妖精の宿木』なんて、ラクリスティア王国の王族以外、いなかったはず」

「そう、ね。それは否定しないけど」


リディエルもまた、燐に対する好奇心を否定しない。

冒険者として、長い間活動していた彼女にとっても、『妖精の宿木』というのは未知だった。


「…………なら、聞き出せばいい」


剣呑な色の混じるフィーネの言葉に、雫はむっと眉根を寄せる。

雫が言い返すよりも早く、秋は呆れたようにフィーネを見た。


「フィーネは男と話せないじゃないっすか」

「………わ、私が聞きだすとは言ってない。やるのは秋」

「巻き込まないでくれます?うちはそんなに気にならないんで」


「レイハ、ちょっと来い」


言い争いを始めた二人をよそに、静観していた姫は雫を呼び出す。


「なに?それといつも言ってるけど、ボクの苗字はライハだから!いつまで間違うの?」

「いつまでもだ。それより早く来い」


雫は訝しみながらも席を立つ。

団長のリディエルは、姫の用事が分かっているのか意味ありげな笑みを浮かべて、雫を見送る。

姫は雫を連れて、店内を出る。

外階段に出た雫は、吹き付ける夜風に瞳を細めた。

夏の生ぬるい風は、冷房で冷えた身体には不快だった。


「どうしたの、姫。珍しいね」


星底島の夜景を見下ろす姫の横顔は、何かに迷っているようだった。

だがすぐに、彼女は薄い唇を開いた。


「あの冒険者と関わるのはやめろ」

「…………どうして?」


言われているのが燐のことだと、雫はすぐには分からなかった。

雫の純粋な疑問に、姫は嘆息を堪えるようにその艶やかな黒髪を弄んだ。


「すぐに死ぬ」


嫌に断言する姫に、雫は息を呑んだ。


「…………分からないでしょ」

「分かるさ。あれは、命より大事なものがあるやつの目だ。そういうやつはすぐに無茶な探索をして死んでいく。その上、周りを巻き込みながら落ちていくんだ。線引きを間違えたら、お前まで―――「でも」」


「でも、燐はトロールを倒して生き残った」

「………いつまでもは続かん。いずれ幸運が途切れてダンジョンに呑まれていく」


冒険者と呼ばれる彼らの日々の探索は、想像以上に地味だ。パーティーを組み、適正階層のモンスターを討伐し、レベルアップを繰り返す。冒険者という呼び名と反した堅実なものだ。

そんな中で、実力以上の強者に挑む、否、挑めてしまう者の末路は二つしかない。

勝利し、栄光を勝ち取るか、無残に敗北し、屍すら失うか。

そんな博打を何度も繰り返す者がどうなるか、火を見るよりも明らかだ。


燐はその一線を越えた。

そのことに、姫だけが気づいた。

姫の言葉の意味は分かる、だが納得は出来ない。

雫の表情にはその意志がありありと滲み出ていた。


頑固な雫に姫はため息をつき、背を向けた。

好きにしろというように。


「―――ッ」


一人残された雫は、眼下の夜景を見下ろした。

少し大人びていて、そのくせ素直で幼げな駆け出しの彼。

ちょっと特別だと今日知った。不思議な秘密のある彼を知りたいと思った。

そんな彼を思う。行き場のない感情を整理するように、ほう、と短く息を吐いた。


□□□


「またここに来るとはな………」

「まだ退院は早かったんじゃなーい?」


揶揄うように笑うアリスにため息を吐いて燐は窓の外の景色を見た。

駐車場を挟んだ車道と緑の葉を揺らす大きな木。


燐が入院していた病院の全く同じ病室に燐はいた。


「後々憂鬱だが、とりあえず怪我が治ってよかったよ」


体中に刻まれていた内外に渡る怪我の数々は、治療によって癒えていた。

だがまだ退院はできない。

燐はトロールに負わされた傷を回復薬で無理やり繋げたせいで、骨が歪んで繋がっている場所がある。それを矯正する必要があるのだ。


燐を診た医者―――七伏泰三と名乗る見覚えのある総白髪の男性―――は、短期間で身体をぐちゃぐちゃにした燐に一周回った関心すら寄せていた。


そんなわけで燐は今日は泊まりなのだ。

明日は学校。だがこれでは休むしかないな、とどこか浮かれた気分で笑った。

急な休みを嬉しいと感じるのは、燐も同じだった。


「ねえ、映画見ましょ。今日でこれを全部見るのよ」


病室は個室であるため、アリスも人目を気にせず現れている。

ふわふわ飛んでいるアリスは燐にスマホの画面を見せた。

アリスが持っているのは、燐のとは違うアリス用のスマホであり、各種配信サービスも入っている。夜中にうるさいアリスを落ち着かせるために用意したものだ。

アリスが見せてきたのは、大作SF映画のシリーズ1作目だった。


(今日中に見終わるのは物理的に無理だろ………)


そう言いたくなる気持ちを飲み込んで、燐は首を振った。

そんなことを言えば、「じゃあ、確かめましょ!」と言って無理やり映画に付き合わされるのが分かっていたからだ。


「見ない。俺はこれを見る」

「何よ」


そっけない燐に口を尖らせたアリスは、燐のスマホを覗き込んだ。アリスの金色の頭に隠されて画面が見えなくなった燐は、眉を顰めた。


「………買い物?」


画面に表示されているのは、冒険者向けのECサイトだった。

出品をネットで行い、それを見た者が購入するというものだ。

サイトへのアクセスには冒険者IDが必要であり、DMの認可を受けた大手IT企業が運営しているものだ。


「普通で買うよりも安く売られてる可能性があるからな」

「何買うのよ?」

「『アクセサリー』だ」


ここでいう『アクセサリー』とは、おしゃれで身に付ける装飾品のことではなく、特殊な効果が宿った装備のことである。


ダンジョンでドロップするアイテムや、生産職が生み出した物など、魔法やスキルの効果が宿るアイテムは数多く存在する。

例えば装着者を一度だけ攻撃から守る指輪や魔法効果を底上げする杖などだ。

そう言ったものは高価であり、今まで燐は買おうとは思わなかった。


「俺の問題が分かった。ステータス不足だ」


厳密には、『力』『敏捷』『耐久』といった近接戦の際に必要なアビリティの不足である。


「そりゃそうでしょ」


何を分かり切ったことを、とアリスはあきれ顔を浮かべた。

ただでさえ潜在ステータスが高いわけではなく、魔法職についておきながら接近戦を選んだのだ。身体能力が追い付かなくなることは明らかだった。


「ワタシ、前衛職についた方がいいって言ったじゃん」


アリスは燐を責める。あの時、リスクを承知で後衛職を選び取ったのは誰だったかと、言外に問う。

燐はそれに、決まづそうな表情を浮かべた。


「それについては無視してごめん」


槍で戦うのなら、まずは【槍使い】などの前衛職で戦えばいい。そうアドバイスして勧めてきたアリスの言葉を無視したのは燐だった。

あの時の燐は、将来『呪いの武器』を使用するときのことを考えて、早めに【呪術師】職を極めておきたいと考えていた。そのためなら、戦闘方法と食い違ったジョブでも問題ないと、リスクを無視したのだ。


珍しく殊勝に謝って来る燐に対して、ぱちくりと眼を瞬かせた後、アリスはにんまりと口を開いた。


「はーあっ!こんなことになるってわかんないもんかしらー!優しい妖精の言葉を無視したから罰が当たんのよ!」

「はい、ソウデスネ」


燐は面倒くさいという表情を隠そうともせず、棒読みで答えた。


「次のジョブは絶対!前衛職だからねっ!」

「はいはい」


一通り燐にマウントを取ったアリスは、本来の話題を思い出して聞いた。


「それで何買うのよ」

「アビリティ上昇系のアクセサリー。主に『敏捷』だ」


前衛職に関係するアビリティは、『力』『敏捷』『器用』『耐久』だ。

そして防御面に関するアビリティは『敏捷』と『耐久』だ。

攻撃を避けるか、受け切るか。

このどちらかを伸ばしていく必要がある。

燐の場合は、潜在ステータスの高い『敏捷』を軸にした回避スタイルだ。


この敏捷が足りないことによる問題は、『ヘルドッグ』との戦いで実感した。

相手より遅ければ避けられないし、攻撃も当てられないのだ。


「アビリティ上昇系の『アクセサリー』は多いが、需要もあるから高いんだ」


アビリティの基礎値にプラス補正を与える効果は、アクセサリーの中では一般的なものだ。

そのため、数多く売られており、入手は容易だ。

燐が見ているサイトでは、どれも最低価格は10万円から。

手は届くが、両親の遺産を切り詰める必要がある。慎重に決めなければならない。

アリスもまた、ベッドの上に乗って画面を眺める。


「10万ぐらいのだと、+20補正ぐらいかー。低いわね」

「まあ、装備限界まで付けたらそれなりだろう」


マジックアイテムやドロップ品のような『特殊な装備』には、装備限界数が存在する。

アクセサリーの場合は5つまでだ。

同様のアクセサリーを5つ身に付ければ、1レベルアップ分のステータス上昇が見込める。


「5つ買うの?」

「迷ってる」


そう言いながらも、燐は笑みを浮かべて画面にかじりついている。

アリスは思わず頬をほころばせた。


「…………燐、楽しそうね。死にかけたばかりなのに」


アリスの言葉に燐は一瞬、何かを考えるように宙を見た。


「そう、だな。自分でも驚くぐらいトラウマになってない。むしろ次の探索が楽しみなんだ。トロールと戦った時、何か掴んだ気がする。自由に動けたっていうか、体と心が嚙み合ったって言うかさ。早くダンジョンで試したいよ」

「そ。無茶しないならいいけどね」


そう返事を返すと、会話が途切れた。

室外機が動く音が、ふぁんふぁんと静かに響く。アリスは寂しそうにぽつりと呟いた。


「誰もお見舞い来ないわね」

「そりゃそうだろ。誰も知らないんだから」


家族である祖父母や妹は、本土にいる。そして、知人と呼べる存在すらほとんどいない。


アリスは寂しそうに羽を震わせた。


「いっぱいお見舞いに来てもらえるようにしましょうね」


優しい眼差しに燐は苦笑を返した。


「入院しなくていい冒険者になりたいよ」


叶わない願いを口にする燐の頭を、アリスが優しくなでる。

燐は恥ずかしそうだったが、2人の間に流れる空気は孤独を紛らわせるほど穏やかなものだった。

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