死の覚悟

「………ヘルドックだ」


苦虫をかみつぶしたような声が漏れる。

燐が先ほど一体相手に手こずった相手が4体。

しかも、前後を挟まれた。


「どっちに行く?」


どのみちどちらかとは戦わなければならない。戦うのは絶対条件として、どうするのかをアリスは尋ねる。

燐は周囲の地形が書かれたマップを見ながら必死で考える。


(………戦いやすい地形なら橋だ!モンスターの動きを制限できる)


画面に汗の粒が滴り落ちる。燐は必死に思考していた。


「橋に行こう」


燐はそう告げた。


「ええ。魔法、お願いね」


2人は短い時間で作戦会議を終わらせて、橋に向かっていった。

二匹のヘルドッグは既に橋を渡りかけている。地形の有利を活かすのなら、橋を渡り切る前に戦いに入る必要がある。

燐たちは自身に【ハインド】をかけて動き出す。

そうすることで多少でも敵に気づかれる確率を低くする。


燐たちは橋に入る。


その瞬間、燐たちを包むヴェールが剥がれる。


(———ッ!もうか!!)


ヘルドッグは鋭い嗅覚ですぐさま燐たちの存在を確信する。

だが、詠唱の時間を稼ぐことは出来た。


「『光の円環、巡る輪廻。消せぬ鎖よ、我らを繋げ』」


アリスは一息に詠唱を紡ぐ。その身体には、淀んだ魔力が纏わりついていた。


使い慣れていない魔法のため、魔法名のみで発動する『喚起』は使わない。

詠唱は魔力を適切に循環させ、魔法を完成させる補助輪の役目も担っているためだ。

アリスは膨大な魔力を放出しながら、魔法を紡ぐ。

だが―――――


「まだか………ッ!」


燐は飛び掛かってくるヘルドッグを橋の幅いっぱいに短槍を振るうことで牽制し、遠ざける。

二体のヘルドッグの相手は燐の手には余る。


「『光輝の精は私を憎みし我が半身。共に歩きましょう、地平の果てまで』」


アリスは溢れる魔力を必死に制御して詠唱を紡いでいく。

そして燐の待ち望んだ詠唱は完成した。


「【フェアリーリング】!」


燐を含めたヘルドッグの周囲に、巨大な光の輪が現れる。

暗闇が退けられて、光帯が浮かび上がる。

ヘルドッグは突如現れた魔力の塊に動揺したように唸り声を上げた。

だがそれは攻撃魔法ではない。


『グオォオオオ!』


吠えたヘルドッグが燐へと飛び掛かる。

だがその速度は、遅かった。


「遅せえぞぉッ!」


燐は鬱憤を晴らすように槍を薙ぎ払った。

ヘルドッグの横顔に槍がめり込み、ヘルドッグは橋の外へと弾き飛ばされた。

悲鳴のような声を上げてヘルドッグの姿が奈落へと落ちてくる。


もう一体のヘルドッグもまた、自身の異変に気付き、唸り声を上げる。

重い泥の中に沈んだかのような動き辛さが、ヘルドッグの身体を包んでいた。


「【泥の靴マッド・ブーツ】。動きづらいだろ?」


燐は笑い、短槍を振った。

ヘルドッグは飛びのいたが、避けきれずに前脚の一部を黒鉄の穂先に切り取られる。

着地できなかったヘルドッグは、転がるように橋の上に墜落した。


ヘルドッグの方が高かったはずの『敏捷』は、今は逆転していた。

燐の【初級呪術】によって。


初級呪術【付与エンチャント泥の靴マッド・ブーツ】。

エンチャント系統のデバフ魔法であり、対象の『敏捷』の値を低下させる。本来の使い方は、術者の手や武器に付与して対象を攻撃することでデバフをかけるものだが、燐はヘルドッグには触れていない。

触れなければ発動しない魔法がヘルドッグを蝕む。アリスの魔法によって。


妖精魔法【フェアリーリング】。

その魔法の効果は、術者の『状態』を円環内部の生物と共有することだ。

燐は前もってアリスに対して【泥の靴】を使用して敏捷を低下させていた。

そしてアリスは円環を生み出し、ヘルドッグたちに自身のデバフを共有したのだ。


燐にデバフが掛からなかったのは、燐の【耐呪】スキルによるものだ。


(とはいえ、俺の【初級呪術】のレベルは高いから、レジストできるかは賭けだったが………)


燐の【耐呪】スキルはLv.1。それで確実に【初級呪術】を防げるかは不明だった。

それも含めての検証をしようとしていたが、ぶっつけ本番になってしまった。


燐は動きの遅くなったヘルドッグと距離を詰めて、とどめを刺した。魔石を失ったモンスターは灰となりドロップアイテムを残した。

『ヘルドッグの黒革』だ。燐はそれを拾い上げてポケットに詰めた。


「【フェアリーリング】+【呪術】。やばいな、これ」


単体にしか付与できない効果を『領域』に対して付与できる埒外の魔法。

妖精魔法の中でも特に壊れた性能を誇る【フェアリーリング】に燐は引き攣った笑みを浮かべる。だがそれも、長続きはしなかった。


「―――ッ!?燐!後ろのが来たわ!」

「―――流石に速いな!」


燐はアリスを庇うように前に出た。燐たちがいた通路から出てきたヘルドッグ2体がこちらに向かってきていた。

恐らく【フェアリーリング】の光輪による明かりが、燐たちの存在を露見させたのだろう。


「アリス、詠唱を!」


【泥の靴】の効果はまだ続いている。【フェアリーリング】でデバフを掛ければ、討伐は可能だ。


「分かったわ!」


背後でアリスの詠唱を聞きながら、燐は短槍を構える。

その手は僅かに震えている。疲労によるものだ。


肉体的な疲労もあるが、それ以上に精神的なものが大きかった。

賭けのような【フェアリーリング】によるデバフ頼りの戦いと、経験したことのないモンスターとの連戦は、燐の精神に多大な負荷をかけていた。


燐は額に流れる汗を拭って大きく息を吐く。そうすることで弱気を振り払い、自身を叱咤した。


「来いよ!クソ犬がぁッ!」

『グオオォオオオ!』


飛び掛かってきたヘルドッグを牽制する。先ほどと同じ流れだ。

橋の狭さは燐に味方をしており、ヘルドッグは思うように攻撃に移れない。

後はこの隙にアリスの魔法の完成を待つ。


型に嵌めたと燐は僅かな安堵を浮かべる。

このまま魔力を節約せずに戦えば、確実に倒せるという確信が燐には合った。


だが燐は知らなかった。ダンジョンの恐ろしさを。

弱った冒険者に向けられる無慈悲な牙の味を。

ダンジョンは、死を望んでいる。冒険者ならだれでも知ることを、駆け出しの彼は知らなかった。


短槍を振るうこと数度、燐はいつまでたっても詠唱が聞こえないことに気づく。


「おい、アリス!いったい―――」


どうした、と聞こうとした燐を、アリスの愕然とした声音が遮った。


「向こうからも、敵が来たわ………」


は?と燐は声を漏らした。

燐の背後から聞こえたのは、大地を揺らす足音だった。


「なんだ、これ………」


見なくても感じ取れる巨大な生物の気配。

まもなく聞こえたのは、人と似た構造の喉が震える歓喜の声。

獲物を見つけた捕食者の笑みだった。


『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』


アリスと燐どころか、ヘルドッグすら耳を伏して苦しみに悶えるほどの大音量の咆哮が放たれた。


燐は耳を防ぎながら、脳内でモンスターの情報を探る。


(———馬鹿でかい叫び、でかい図体、二階層に湧くモンスター………!トロールか!)


「………く、そッ」


燐は自身の不運を呪った。

トロールは本来、もっと下の階層に出現するモンスターだ。

だがごく稀に、第二層でもポップすることが確認されている。

本来出現しないはずのモンスターは、『希少モンスター』と呼ばれ、冒険者に喜ばれることもあるが、それ以上に『不幸』であることの方が多い。


その上、場所も最悪だった。燐は背後を振り向く。

揺れる視界で捉えたトロールの姿は巨大だった。

数メートルの巨体に蓄えられた脂肪、涎を垂らす醜悪な顔に片手で握られた柱のような棍棒。

戦うにしても、こんな橋の上では攻撃を躱せない。

だが橋の出口にはヘルドッグがいる。

燐はモンスターに挟まれていた。


「行くぞ、アリス!」


燐は迷うことなくヘルドッグへと向かった。

ヘルドッグもまた、燐の手には余る相手だが、背後のトロールよりは何倍もマシだ。

選択の余地はない。

聴覚はまだ死んでおり、アリスの返事は聞こえない。

だが背後から響く重い衝撃音が、迫りくる死の気配を伝えている。


「はあああああッ!」


燐はヘルドッグの一体に果敢に接近して短槍を突き出した。

だがヘルドッグはひらりと短槍を躱して燐へと飛び掛かってきた。


「だろうなッ!」


それを予想していた燐は半ば勘だけで『石蜻蛉』を引き抜いて振るった。


『ギャンッ!』


『耐久』の低いヘルドッグの身体は容易に引き裂かれて、絶命した。

その動きは、今までの燐よりも数段鋭かった。

後が無いという半ば諦めにも似た度胸が、燐の動きから迷いを消していた。


燐は一体のヘルドッグを単独で討伐した。

だがヘルドッグはもう一匹いる。


『グオオォオオオ!』


ヘルドッグは身を低くかがめて、下から燐を狙った。

それに燐は反応できない。


「ぐあああああああああッ………!」


燐の腿にヘルドッグの牙が突き刺さった。

肉を切り裂き、骨を軋ませる咬合に、燐は顔を歪ませ苦痛にあえいだ。

食い千切られる。そう燐は確信した。


「どきなさい!犬!」


燐の腿に食らいついたヘルドッグの眼球に、アリスが飛び掛かった。

アリスの『力』は低く、ヘルドッグにはダメージにはならない。だが視界に飛び込んできた生物の存在に、ヘルドッグは嚙みつきを一瞬緩めた。

燐はそれを察知して、ヘルドッグを殴るように引きはがす。そして槍の石突きを叩きつけた。


「う、ぐぅうううう………!」


燐は右足から堰を切ったように滴り落ちる鮮血を絶望の目で見る。

もはや痛みを通り越して熱しか感じ取れない傷は、命に関わる重傷だ。


「燐!避けて!」


アリスの叫びが燐に届く。燐が視線を上げると、そこには巨大な棍棒を振り上げたトロールの姿があった。

巨体により、燐の身体に影が落ちる。


燐は、反射的に飛んだ。

方角など碌に確かめずに、棍棒の反対側へと逃げるように身を投げた。

―――そして、棍棒が着弾した。


「―――――うわあああああああっっ!」


橋が砕けてその衝撃が燐の身体を巻き上げた。何度も空中で回転しながら、燐の身体は着地した。そこが、穴の底ではなく橋の上だったのはただの偶然だ。

燐は荒い息を吐く。自身が橋の上にいて、生きていることを全身が伝えてくる鈍痛と足の激痛で知った。


「ふざけんなッ………」


燐は土煙の晴れた橋を見て、悲鳴にも似た罵倒を吐いた。

橋は、半ばから折れていた。

分厚い床に当たる部分の石が砕けてはるか下の奈落へと落ちていく。


そして、トロールと目が合った。獲物を見る捕食者の瞳と。


「う、あぁああああっっ!」


燐は手元にあった岩を掴み、レベル2の『力』で投擲する。

岩は顔に当たり、砂糖細工のようにあっけなく砕けた。


「う、あああ………」


声が震える。戦意は一瞬で消えていた。

戦うなど選択肢には上がらなかった。

燐は痛む肉体を持ち上げて、立ち上がった。そして走り出した。


「………はあ、はあ、はあ、っがはッ、ああああああ………」


血の混じった咳を吐きながら必死に足を前へと進めた。

噛みつかれた足が激痛を訴え、休息を願うがそれに答えれば死あるのみ。

短槍を足の支え代わりにしながら、杖を突くように前へと進んでいった。


トロールは、逃げる燐を見て、跳躍した。その鈍重な身体からは想像できないほど軽やかに跳び、折れた橋の向こう側へと向かった。

そして歩き出した。


『ッギイイイイイイイイイギギギギgggggggg』


不格好な喉で悍ましい笑みを叫びながら燐を追う。


トロールは今、狩りを楽しんでいた。


(逃げないとッ!)


燐は背後から迫る足音に恐怖しながらも、どうすることもできない歯がゆさを感じていた。

既に最高速度で進んでいる。それでも、トロールから逃げ切ることは出来ない。

後ろは振り向かない。それをすれば、二度と進めなくなると分かっていたから。


洞窟を無我夢中で進んでいく。モンスターがいることなど、燐の頭の中には残っていなかった。ただ逃げ場を求めてさまよっていた。

そして燐は偶然にも、小さなルームを見つけた。

入り口は洞窟の裂け目と勘違いしてしまうほど小さく、トロールの巨体は入れない。


(あそこだっ!)


燐はそこに逃げ込むことにした。

動かなくなってきた足を動かしながら、入口へと走っていく。

そしてトロールもまた、燐の狙いを悟った。


『ギイイイイイイイイgggggggggggggggggg!!!!』


獲物に逃げられると分かったトロールは、嬲るのをやめて走り出した。

どん、どん、どん、どん、どんと燐の背後から死が近づいてくる。


「………急げ、急げ、急げ急げ急げぇえええっ!」


燐は半狂乱になりながら、意味のない言葉を叫び続ける。

声を出すのはいたずらに体力を消費するだけだと分かっていながらもやめられない。

そうしなければ自我が保てないほど、燐の精神は限界を迎えていた。


「ああああああああああああああああ………!嫌だッ!こんなところで終われないっ!」


砂まみれになった顔を涙を伝う。死に化粧のように燐の顔は泥まみれになっていく。

死ぬ覚悟はあった。あったはずだった。ダンジョンの最奥に向かうと決めたあの時から、命を失う覚悟はしていた。

『輝結蜥蜴』によるゴブリンの群れの押し付け、腕の骨折、ヘルドッグとの死闘。それらを乗り越えて、死の覚悟はできていると思った。冒険者の『勇気』を持っていると思った。


それが、瓦解する。戦い方や道具といった要素で覆すことのできない圧倒的な力の差が燐の前に立ちふさがった。


(……これが………これが、モンスターッ!?)


無様に死を恐れて、何かに懇願する。

視界が恐怖で、涙で狭まっていく。燐は自分が何をしているのかも分からずに、必死で足を進め続けた。


(何がッ……!何を間違えたっ!二階層に入ったことか!?それともダンジョンに来たせいか!?)


死の覚悟。心で思っていようとも、現実として眼前に迫り、その旗を掲げられるものは極一部である。

狂人、怪物、あるいは英雄。彼らだけの特権である。

窮地にあって、死地を前にして、燐は哀れなほど人であった。


背後で棍棒が振り下ろされた。

燐の背中を掠めた棍棒は地面を砕いて再び燐の身体を吹き飛ばした。

そして偶然にも、燐の身体はルームに潜り込んだ。


「………あ、ああ」


燐は生きていた。吹き飛ばされた燐の身体はルームに入り込み、その奥の壁にぶつかり停止した。岩に全身を打たれて何か所も骨を折りながらも、何とか意識を繋いでいた。

だがそれも長くはもたない。燐は自身の体の芯が冷えるような悪寒を感じていた。

手先が疲労とは別の理由で震え始めている。

燐は知らないことだが、それは失血による影響だ。

レベルアップした燐の肉体も、限界を迎えていた。



燐は消えそうになる意識を唇をかみしめることで繋いだ。

震える手で腿に手を伸ばして、ポーチを探る。

中に入ってきた回復薬はどれも二度にわたる転倒で砕けていたが、比較的無事な一本を取り出す。半ばから折れてはいるが、中の溶液は残っている。

燐はそれを口に含み、血と一緒に無理やり飲み込んだ。


それを最後に、燐の意識は途絶えた。


――――――――――――――――――――――――――――――



たくさんのハートとブックマークありがとうございます。

感想も何件かいただきました。ありがとうございます。全部読んでます。

何かと希少モンスターと縁のある燐の冒険をこれからもよろしくお願いします!

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