黒犬

ゴブリン三体を容易く屠った後はモンスターに出会うことも無く、燐は巨大な階段に辿り着いた。


階段と言っても、洞窟の地面に空いた巨大な割れ目が偶然段差になったような、自然の階段であり、段差の大きさもバラバラだ。

だがここがダンジョン二階層へと繋がる連結路である。


「いよいよだ………」


燐は眼下にぽかりと口を開いた巨大な割れ目を睨む。穴の底は洞窟の薄暗さもあって見通せない。だが一階層以上の生物の気配が、燐の立つ場所まで漂ってくる。

ごう、と生暖かい空気が眼下から噴き出してきた。

まるで獣の吐息だ、と燐は背筋を震わせた。


『行きましょう、燐』


胸中でもアリスが答える。

燐は覚悟を決めて一歩、階段を下りた。


(久しぶりの感覚だ……)


燐の心に、薄く恐怖の色が広がっていく。初めてダンジョンに潜ったときのような未知への恐れとモンスターへの恐怖の感情だ。

だがあの時とは違い、心躍るような高揚感も感じていた。

まだ見ぬ景色への期待と冒険の成果を心待ちにする冒険者の感情だ。


燐は数分かけて階段の下に辿り着いた。

見た目は一階層と変わらない普通の洞窟だ。

所々に生した光苔が唯一の光源であり、心なしか一階層よりも光が少ない気がする。


「ちょっと冷たいな」


それが燐の二階層に対する印象だった。


「じゃあ、行きましょう!」


紋章から出てきたアリスが、西の方角を指し示す。そこが燐の目的地だ。

『ゴブリン村の戦場』は二階層の東端にあるが、今日は行かない。

まずはゴブリンの数が少ない西で二階層のモンスターの強さを確認して、一つ検証をするつもりだ。

2人は、西へとむけて足を進めた。


2人の進みは一階層と比べれば慎重だ。その理由はモンスターの多さだった。


「こっちもダメ。迂回しましょう」

「…………またか」


燐はスマホにインストールした『特区第一ダンジョン』の地図にバツ印を書き込んで迂回路を探す。

二階層のモンスターは一階層よりも数が多い。それを燐はいきなり実感していた。


何度か通路を曲がる。進んでいくと正面は行き止まりでその左右に小さなルームがあった。


「右にモンスター1よ」


それは燐が待ち望んでいた報告だった。


「新種かな?」

「さあ?ワタシの感覚じゃそこまで分からないわ」


燐は僅かに興奮しながら尋ねるが、アリスの返答はそっけない。

アリスの索敵能力はモンスターとしての【妖精】に備わった同族探知感覚だ。

スキルのように繊細な判断は難しい。


「【ハインド】は?」

「いらない」


今からするのはモンスターの強さ調査だ。そのためにはある程度戦う必要がある。

燐は覚悟を決めて、ルームに踏み込んだ。そこは、石と岩だけの何もない場所だった。天井に生えた光苔が明るくルームを照らしている。

その中心に座り込み、何かを貪っているものがいた。

ぐちゃぐちゃと肉を切り裂くような音から、死体を喰っているのだと分かる。

それは、現れた燐の姿を捉えて、立ち上がった。


高さは燐の腿ほどの高さ。暗闇でも目立つ獣の瞳と鋭利な牙が嫌でも目に入る。

そこにいたのは凶悪な形相をした四足の犬だ。

『ヘルドック』。そう名付けられたモンスターだ。


「一番厄介なのと出会ったな」


燐は苦笑いを浮かべて獣を見る。そしてその背後には、胴体を血で染め、食べられていたゴブリンの死骸が見えた。


ヘルドックは二階層から出るモンスターであり、二階層でも上位に入る厄介なモンスターだった。

ぐるぐると喉を鳴らしながら燐との距離をじりじりと詰めてくる。

じわじわと慎重に間合いを詰める様は、熟達の剣士のようだ。


「―――ッ」


燐はその威圧に耐え切れず、僅かに一歩、後退する。

その瞬間、獣は駆けた。


『グオォオオオオオオオオオ!』


地の底から響くような低く重い叫びを上げながら走り寄って来る。

その速度はゴブリンよりも、そして燐よりも早い。


「―――はあッ!」


燐はタイミングを合わせて薙ぐように黒鉄の短槍を振るった。

薙ぎ払いにしたのは、とても突きを合わせられる自信が無かったから。

そしてヘルドックはそんな燐の弱気の攻撃を急停止して背後に飛ぶことで躱した。


(あのタイミングで背後に跳べるのか!?)


人間には不可能の、四足を持つ獣ならではの俊敏性に燐は舌を巻く。


これがヘルドッグの最も厄介な武器『敏捷』だ。

単純な走力も俊敏性も反射神経も、上層でトップクラス。

魔法職の燐では、その獣の『敏捷」を捉えることは難しい。


「【カース・バインド】!」


燐は押されている状況を自覚し、このまま戦うのは危険だと判断した。

そして魔法を温存することなく切った。

着地したヘルドックの足元から現れた鎖が、後ろ脚に絡みつく。

ヘルドックは足を引き抜こうとするが、力はさほど高くないのか、鎖は切れる様子は無い。


「お……らぁッ!」


行動範囲が制限されたヘルドックは、燐の刺突を躱せなかった。

胴体に当たった攻撃が黒の毛皮を染めて、絶命させる。


「こいつ、避けようとしてたな」


燐は頭を狙った攻撃を逸らされたことに眉を顰めた。

真面に動けない状況に持ち込んでも、突きを躱されるという事実は大きい。

少なくとも、戦い方を工夫しなければ燐はヘルドックとの戦闘で毎回死闘を演じることになるだろう。


「燐、大丈夫?」


寄ってきたアリスが燐を心配する。

燐の険しい顔を見て、けがを負ったと勘違いしているようだった。


「怪我はないが……想像以上に強かった」


燐も二階層に出てくるモンスターの予習はしている。今時ならダンジョン探索を配信している動画投稿者もおり、ヘルドックとの戦闘風景も見れた。

だが実際に対面すると、動画以上の速度に感じられる。

レベルアップしたことによる高揚感はすでになかった。


燐はしゃがみ込み、ヘルドックの胸元にナイフを突き立てる。

初めてのモンスターということもあり、魔石の位置がよくわからず、苦戦するが、慎重にナイフを動かしていく。


「【ハインド】は?」


アリスはヘルドッグへの対処方法を考える。まず思いついたのは、ゴブリン相手に多大な効果と戦果をもたらした【ハインド】だった。

だが燐の反応は鈍い。


「試してみるが、効果はゴブリンよりも薄いだろうな。何せ『犬』なんだ。嗅覚は鋭い」


燐はヘルドックを解体しながらアリスに答える。

アリスの妖精魔法【ハインド】は相手の意識から自身の姿を消す認識操作魔法だ。

相手に自身の存在を見破られた時点で魔法は解けてしまう。

ヘルドックとの相性は悪いだろう。


「んっ、しょっと」


燐は魔石を引き抜いて、そう答えた。ヘルドックは灰になりドロップアイテムが無いことを確認した燐は僅かに落胆した。

続いて、ヘルドックが食っていたゴブリンの方へと向かう。

食い荒らされた死体と新鮮な血肉の匂いに眉を顰めながらしゃがみ込み、慣れた動作でゴブリンの胸元にナイフを突き立てる。

そして容易く魔石を排出した。

燐は魔石をバックパックに仕舞った。


「なら【フェアリーリング】は?」


考え込んでいたアリスは、思いついたように新魔法の名を口にした。

燐はその答えに眉を顰めて、アリスのステータスを思い出す。


―――――――――――――――


Name:アリス Lv.2 Race:妖精

Ability

生命力:―― SP:150 MP:600

力:100 敏捷:150 器用:180 

耐久:140 魔力:500 幸運:100


Race Skill:

【妖精魔法Lv.14】:『ステータス』『イミテーションステータス』『ハインド』『アテンション』『ポケット』『ヒール』『フェアリーリング』

【宿り木作成】


―――――――――――――――


妖精は宿主とレベルを共有するため、燐と同じLv.2。そしてステータスの伸びはMPと魔力に集中しており、すでにLv.2の範囲に収まっていない。

新スキルは無し。

だが【妖精魔法】のレベルが上昇したことで【ミニヒール】は【ヒール】に変わり、新たな妖精魔法を覚えた。

それが【フェアリーリング】。数々の協力な魔法を持つ【妖精魔法】の中でも、燐が口を開けて呆けるほどの『とびっきり』。


アリス単体では効果を持たないが、燐の魔法と組み合わせることで凶悪な結果をもたらす魔法だ。


「確かに刺さるだろうが、アリスにも負担がでかいぞ?」


燐はアリスを気遣う。だがアリスは「気にしないで」とほほ笑んだ。


「大した負担じゃないわ。ワタシも燐の役に立ちたいし、そんな過保護にしないで」

「………もう十分助けられてるよ」


燐は短槍を手にして、ダンジョンの奥を睨んだ。


「なら、次は試すぞ」

「ええ!」


2人は獲物を求めて進んだ。


先へと進んだ二人は、狭い通路を抜けて吹き抜けのようになっている場所に出た。

天井は先ほどの倍ほど広く、鍾乳洞のような針山を晒している。

そして下には、底のない大穴があった。その穴を渡るように、通路が一本伸びている。

巨大な大穴と天然の橋だ。


燐は手元の地図を確認する。特徴的なその場所はすぐに見つかった。


「ここ、下層への直通路だな」


情報によれば、この大穴は階層を何層も縦断して、下層へと繋がっているらしい。

何百メートルも落ちて死なないだけの身体能力があれば、便利なショートカットになるだろうが、今の燐では落ちればモンスターの餌になるだけだ。


「落ちないように気を付けてね」


アリスは羽の無い燐を慮る。転落すれば即死だ。燐は言われなくても気を付けるつもりだ。


「橋の中心にモンスター二体。見える?」


燐は身を隠していた岩から身体を乗り出して、橋の中ほどを見る。

そこには先ほど見たヘルドックが二体、こちら側に向かってきていた。


「ヘルドックだ。やばい、こっち来てるぞ」


下の階層から吹き荒れる風のお陰で、燐の匂いは向こうに届いていないようだったが、近づかれればバレる。そして逃げ切る足は無い。

今すぐ後退すれば逃げ切れるかもしれないが、元来た道を引き返すことになり、稼げる経験値は大幅に減るだろう。


「…………逃げるか」


効率か安全か。燐は迷ったが、撤退を選んだ。

時間を惜しんで命を懸けるのは愚かな選択だ。

燐は命を懸ける時は今ではないと、冷静に判断した。


過酷なダンジョンは常に選択を迫る。欲張り、思考を放棄し、安易で楽観的な選択に飛びついたものに待っているのは、ダンジョンの冷酷な歓迎だ。

その点において燐は賢明な判断をした。


だが燐が正しいからと言って、ダンジョンがそれを褒めたたえるわけではない。

理不尽は、誰にでも待ち構える。


「―――ッ!?燐、元の道からモンスターが来るわ。二体よ」


アリスは知覚範囲に入ったモンスターの存在を務めて冷静に燐に伝える。

だがその声は震え、何かを予感しているようだった。


(………ゴブリンなら、蹴散らせる。いやその可能性の方が高い。二階層でもメインのモンスターはゴブリンなんだ)


燐は自身の知識を引き合いに出しながら自分を慰める。そして自分たちが進んだ通路を見る。暗い闇の向こう側。仄かな光に照らされて、二匹の影が浮かび上がった。

闇に溶けるような黒色の体毛、その中で爛爛と輝く黄土色の眼球に嫌に白い牙。


「最悪だ………!」


燐は頬を引き攣らせて、吐き捨てた。


上層でも有数の俊敏性と獣特有のしなやかさを持つそのモンスターは、二階層に足を踏み入れたばかりの駆け出しの『敏捷』を凌駕する。

僅かな臭跡を見逃さない優れた嗅覚、そして『敏捷』に特化した肉体は、二階層に足を踏み入れた冒険者の最初の関門として立ちはだかる。

『ヘルドッグ』。冒険者たちに【初心者殺し】の異名を付けられた殺し屋は、その名の通り、燐たちへと牙をむく。

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