初めての戦い

燐の姿は、黒を基調とした軽装だ。

ダンジョン産の素材により編まれた服の上から、軽い素材でできたプロテクターが胸部や首元などの急所を覆っている。足にはポーチがついており、中には何本か回復薬が入っている。手には長物らしきケースを持っている。

背にはバックパックを背負っており、中には回復薬やナイフなどのアイテムを納めている。

誰が見ても冒険者だ。


大広間には冒険者が大勢いるが、燐の姿は想像よりも馴染んでいた。

纏っている雰囲気が暗いからだろうか。


燐は装備のケースを手ごろなロッカーに預ける。燐の手に持たれているのは、スタンダードな短槍だった。柄から穂先まで合わせて100センチちょっとほどであり、両刃の刃には革のケースが付けられている。

ダンジョン周辺では、刃先にケースを付けて殺傷能力を落としていれば、武器を持ち歩いても問題は無い。


燐はそのまま塔の大広間に入る。かつて父と母と歩いた道を一人で進む。

かつては感動を覚えたゲートを、無感動で潜り抜けた。


「行くぞ」

『ええ!』


アリスに声を掛け、燐は先へと進む。


ダンジョンには、正規ルートというものがある。具体的には次の階層への安全で最短の経路とその周辺の道を指す言葉だ。

下の階層に用がある者は、正規ルートを通っていく。1階層に用がある者など、よほどの駆け出ししかいないため、正規ルートを外れればほとんど誰とも出会わない。


「もう出てきていいぞ」


燐が声を掛けると、アリスが紋章から出てくる。


「いよいよね!ワタシの超絶サポートを楽しみにしなさい!」


元気に騒ぐアリスに、燐は小さく笑みを向ける。それは安心感が漏れ出たものだった。


ここまで一人で歩いて来て、燐はかなり緊張していた。

初めてではないとはいえ、二回目のダンジョンで一人、戦闘職にもついていない状態で人のいない道を進むのは、かなりのプレッシャーだった。


「まずは、レベルを上げる」


燐は今、レベル0だ。まずレベル1に上げないと、ジョブ枠が解放されない。

通常、レベル1に上げるには、どんなに弱いモンスターでも一体倒せば上がるらしい。

これには獲得する経験値量は関係なく、モンスターを討伐した経験がジョブを開放するため、燐であっても一体倒せばレベル1になる。


「狙いはゴブリンね」

「そうだ。だから短槍にしたんだよ」


燐は手に持つ槍を見る。これはしばらく低層で活動するため、ゴブリンを相手することを考えて、体格差を生かせる武器にしたのだ。


――――――――――――――――――

Name:『黒鉄の短槍』

Rare:2 品質:良

耐久度:1000/1000

Skill:

――――――――――――――――――

燐はこの槍の性能を思い出す。

装備品やアイテムのステータス欄は、生物と比べて簡素だ。名前と耐久度とスキルがあれば、スキルが表示される。そしてレア度が分かるのも特徴だろう。

レア度は1から10まであり、1が最低、10が最高だ。とはいっても、レア度は入手困難で希少なものほど高くなるため、レア度が高い=強いというわけではない。

また、品質とは、その武器の出来だ。良は普通よりも少しいいぐらい。一般的に見れば出来のいい武器だと言える。

黒鉄の短槍はスキルが宿っているわけではないが、耐久度が高い武器だ。雑に扱ってもそうそう壊れることは無く、初心者の燐には最適な武器だと言える。



「索敵は任せてね」


アリスは自信満々に言う。アリスは妖精であり、分類はモンスターだ。同族のモンスターの気配には敏感であり、燐よりもよほど索敵に向いている。


彼女の案内に従い、ダンジョンの奥へと進んでいく。とはいえ、進むのは正規ルートから100メートルも離れない範囲だけだ。

そうすることで、いざとなれば逃げ切れるだけの余裕を確保している。


少し進み、アリスが止まる。そして曲がり角の先を指し示した。

モンスターがいるという合図だ。燐は短槍を構えて角を見る。

戦闘能力のないアリスは、燐の背後に下がる。


ぺた、ぺた、と湿った何かが固い岩の地面を進む音がする。

規則的な足音は一つだけ。相手は一体であり、燐の求めていた敵だ。


右手を後ろに、左で柄の前方を握ることで、突きの体制を取る。

あの角からゴブリンが出てくる。


(もし、勢いよく飛び出てきたらどうする?向こうも長物を持ってたら引くか?)


まだ見えないゴブリンに対して、燐は様々な想像をする。

自分が想定しているのは、両親と潜ったときに出会った標準的なゴブリンだ。

それから外れていたらどうするか、様々な考えが頭を巡る。


「………燐、落ち着いて」


知らず、荒い息遣いになっていた自分に、アリスが気づかせてくれた。

燐は一度大きく息を吐いて、自分を落ち着かせようとする。


「どんな相手でもとりあえず最初に突くの。体格は燐の方が上よ」


例えゴブリンがどんな行動をとってどんな装備をしていても、体格差という覆せない要素はあるのだと、アリスは燐に教える。


「分かった……!」


ゴブリンの息遣いが、燐の元まで近づいた。すぐ、そこにいる。

ゴブリンは角を曲がった。燐が警戒していたようなおかしな動きはせずに、普通に角を曲がった。

そして、燐を見た。

ゴブリンの表情に驚愕が浮かぶ。しわがれた顔をさらにゆがめる。


『GiGiGiGiGiGI!』


燐は短槍を精一杯突き出した。

心臓のあたりを狙って突きを出す。

だが、筋肉の緊張と、槍の重さにより狙いがずれた穂先は、ゴブリンの肩当たりを貫いた。


「あっ」


肉を貫く不快な感触と、狙いを外したという事実が燐の意識を漂白した。

槍を握る力が緩み、ゴブリンを押さえつけていた力が消える。


『Giiiiiiii!』


ゴブリンは思い切り、棍棒を持つ手を振り回す。

間合いを考えれば、決して燐には届かない攻撃だったが、燐は怯えて反射的に後ろに下がる。

短槍に当たった棍棒は甲高い音をたて、短槍を吹き飛ばした。


突如変わった状況と、自身が武器を失ったという認識が燐の行動をさらに遅らせた。

肩から流れた血流で全身を染めたゴブリンが、決死の覚悟を決めて燐へと飛び掛かった。


「燐!」


そのゴブリンに、飛行したアリスが飛びつく。顔に飛び乗ったアリスによって視界を塞がれたゴブリンは、燐の首筋に牙を突き立てることは出来ず、燐の胴体にぶつかった。

燐は身に纏った防具によって、傷を負うことはなく、その衝撃で我に返った。


「うおおおおぉおおおおおおっ!」


裏返った叫び声をあげて、燐は足を振り下ろした。ゴブリンの首に足が食い込み、ごきりと太い骨を砕いた感触がする。

そしてゴブリンは、息絶えた。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


荒い息を吐き出す。額を滴る汗が熱を帯びた体を冷やす。

ダンジョン最弱のモンスター相手に、燐は限界を迎えていた。


「燐、大丈夫?」


少し汚れたアリスが、心配の声を掛ける。それに対して燐はああ、と心ここにあらずといった返事を返すことしかできなかった。


「これじゃ、だめだ」


燐は先ほどの戦闘を思い返して、歯を噛み締めた。


「………燐、初めてなんだから仕方ないわ。これから慣れましょう」

「―――ッ」


燐は大きく息を吐いた。自分の才能の無さなんて知っていた。初めから何でもできるほど器用でもないことも分かっている、はずだった。


(慢心は捨てろ。俺の特別はアリスと右手だけだ。それ以外に縋るな)


「魔石、回収するか」


燐はゴブリンの死骸を見る。モンスターの魔石が冒険者の主な収入源だ。

ゴブリンの魔石は大した金にはならないが、解体の練習も兼ねて回収しようとする。

腰に差した解体用のナイフを取り出し、ゴブリンの側にしゃがみ込む。

そして、ナイフを突き刺した。


「魔石は、魔物の中心部。心臓の位置か脳の位置にある場合が多い……」


燐は教わった基礎知識を思い出す。

ゴブリンの場合は心臓部。刃先で魔石を傷つけないようにナイフを潜り込ませ、慎重に感触を探っていく。


「くそ、むずいな……」


燐が魔石の摘出に悪戦苦闘していると、アリスが通路の先に視線を向けた。

燐はそれを視界の端で捉え、びくりと肩を揺らす。


「何だ、敵か?」

「あー、うーん、敵って言うかゴブリンにしては小さい気配が奥のルームにあるのよ」


燐は、光苔で薄い緑に照らされる通路の奥に視線をやる。

どこからか吹く風の音が、魔物の吠え声のように洞窟を抜けていった。


「1階層ってゴブリンしか出ないんじゃないのか?」


燐は声を潜めながら、事前に調べていた知識を頭の片隅から取り出し、小首を傾げる。

だがアリスはふるふると首を振った。


「そんなことないわよ。少ないけど、別種のモンスターもいるわ。その中に『晶輝蜥蜴フォメグイシナ』っていうモンスターがいるの」

「……知らないな」


心臓部分から引き抜いた魔石を見ながら、燐は怪訝そうに首を傾げた。


「レアモンスターってやつよ。ワタシもここではほとんど見たことないわ」


今までダンジョンに住んでいたアリスが見たことのないレアモンスター。

その言葉に、燐はぴくり、と眉根を寄せた。なんだか、金になりそうな言葉だった。


「……強いのか?」

「強くはないけど――」

「よし、狩るぞ」


燐は黒鉄の短槍を持ち、通路の奥へと進んでいく。その足取りは逸っていた。

近くにいるかもしれない冒険者が狙っているという妄想じみた考えが、燐の足を速めていた。


「ちょっと、燐!あいつは―――」

「しっ。いたぞ」


燐はルームの入り口に身を隠し、中を覗き見る。薄暗い洞窟の中でもそのモンスターの姿ははっきりと見れた。

体長一メートルほどのトカゲのような姿。体色は薄い灰色と地味ではあるが、その背に生えた結晶の鱗が、ルームを照らしており、まるで隠れられていない。

呑気に前脚を舐めるその姿からは、危険そうな雰囲気は感じない。

燐は短槍を握りしめる。


(………この装備に50万掛かってるし、早めに取り返さないと)


「アリス、やるぞ」

「待って、燐……!あいつは周りのモンスターを呼ぶのよ……!」


は?と口から空気が抜けるような間抜けな声がした。その時燐は、自身を見る晶輝蜥蜴フォメグイシナと目が合った。瞳孔の鋭い爬虫類の瞳は瞬きを返し、その瞬間、背の結晶を輝かせた。


「――ッ!?」

「キャ―――ッ」


視界が光で覆い尽くされる。赤、青、紫。様々な色がルームの外壁を照らし、透過する。

その光は、物質に阻まれることは無い。

晶輝蜥蜴フォメグイシナを中心として、七色の輝きを周囲にはなった。

時間にすれば、10秒ほどだろう。光は結晶に収まるように消えていき、元の薄暗いルームへと戻る。燐はさらに10秒ほどの時をかけて、視界を取り戻した。


「……今のって」

「モンスターを呼ぶ光よ!逃げて!」


その言葉に燐は頬を痙攣させる。


「何で先に言わない!」

「いう前に突撃したんでしょ、ばかぁ!」


ごもっともなアリスの言葉に燐は二の句を失う。

燐は、動かず、こちらを見つめる蜥蜴を見る。

敵意はない。戦闘能力も無い。

ただ、モンスターを招く悪劣な能力と、冒険者を惹きつける『希少性』という特性を持つだけだ。


燐は、目前の蜥蜴を狩ろうかと考える。

だがそれを決める前に、アリスに裾を引かれる。


「行くわよ!すごい数のモンスターが来てる!」


燐は一目散に駆け出した。


□□□


「う、うわぁああああ!来てるぅ~!」


肩で叫ぶアリスの金切り声に、「分かってるよ!」と怒鳴り返そうとするが、その息を吐く暇すらない。

背後から迫るけたたましい足音が、それを許さない。

10か20か30か。正確な数は分からない。一度振り向き、通路の曲がり角まで一杯のゴブリンと先導するように走る晶輝蜥蜴フォメグイシナを見た時に数えるのは諦めた。


『あの蜥蜴、追ってくんのかよ!』

「そうよ!だからやめようって言ったのにー!」


燐の心の悲鳴に反応するアリスの言葉に背を押されるように、足を前へ前へと進める。

でたらめに走ったせいで、現在地もよくわからない。

燐は荒い息を吐きながら、適当なルームに飛び込んだ。


「………アリス、撒けたか?」

「まだよ!」


背後からは足音が続いている。

今さっき初めてゴブリンを倒したばかりの燐に、抗える数ではない。

脇道に戻ろうと背後を振り向く。だがもう遅い。足音がすぐそこまで来ていた。

燐は荒い息を吐き、短槍を握りしめる。必死に抗い、逃げるしかないと燐は覚悟を決めた。


「燐、ワタシの魔法で姿を隠すわ」


焦ったアリスが、燐に言う。

疑問を問うよりも早く、アリスは魔法名を唱えた。


「【ハインド】」


アリスの手から放たれた光が燐を包み込む。アリスは燐を掴み、岩陰に隠れさせる。

やがて、燐を追っていた晶輝蜥蜴フォメグイシナとゴブリンがルームに入って来る。

燐は必死に息を殺す。

僅かな呼吸音すらも、大きく聞こえ、隙間から見える蜥蜴の姿に、早く消えろと祈る。


ゴブリンが燐の近くにやって来る。

岩場を回り込み、燐の眼前に立つ。

燐は確かに、ゴブリンと目が合った。だがゴブリンはふいっと視線を逸らして、どこかへ消えていった。


『認識阻害の魔法よ。じっとしてたら、ばれないわ』

『分かった』


やがてゴブリンたちはあっさりとその場から去っていった。


『あくまで晶輝蜥蜴フォメグイシナの光に誘われただけで、獲物がいないとすぐに散るの』


最後に残ったのは当の晶輝蜥蜴フォメグイシナのみだ。

燐を追いかけまわした忌まわしい蜥蜴は、燐のことなど忘れたのか、ルームのど真ん中であくびをして、寝っ転がっている。


『………あいつ、居座る気か?』

『そうみたい。討伐した方がいいわ』


また見つかって追いかけまわされたくない燐は、短槍を構えて、背後から近づく。

感覚が鈍いのか、あるいは【ハインド】が効いているのか、晶輝蜥蜴フォメグイシナは燐に気づく様子はない。

燐は背後から思い切り短槍を振り下ろす。

首筋に刺さった短槍は、一瞬で晶輝蜥蜴フォメグイシナの息の根を止めた。

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