ドロップ品

晶輝蜥蜴フォメグイシナの絶命を確認した燐とアリスは、ほう、と息を吐いた。

それは命が助かったことに対する安堵だった。

二人は顔を見合わせて破顔した。


「………死にかけたな」


燐はすぐにいつもの愛想のない顔に戻りそうつぶやいた。

それに対してアリスは目を細めて燐を睨む。


「燐がお金に目がくらんだせいでね」


晶輝蜥蜴というレアモンスターに目がくらみ、アリスの忠告を聞かなかったのは燐だ。燐は目を逸らし、「気を付ける」と蚊が泣くような声で答えた。


(ダンジョンで欲を出したら死ぬ。説明されたことだったろ、俺!)


ダンジョンに潜る前に受けたDMでの研修。話していた内容はどれも冒険者を目指す者なら当然に知っているようなルールや心構えばかりだった。

だがそんな『当然』を出来ていないからこそ、自分は『初心者』なのだ、と燐は心に刻んだ。


「………回収するぞ」


燐は険しい顔のまま、そう言った。

燐はアリスと二人で、フォメグイシナの魔石を破壊しないように、魔石を抜き出した。

魔石が無くなった晶輝蜥蜴の肉体が、崩れ落ちる。細かな灰となって消えていく。


「ん?」


燐はその灰の中に、何か別の物が入っていることに気づいた。

燐は近づき、しゃがみ込む。小さなアリスに代わって、燐がその手で持ち上げる。

それは、短剣だった。片手で持てるほどの小さな柄に、三十センチほどの湾曲した刃が付いている。曲剣と鉈の間のような幅広の刃は、薄く、刃先を見れば、刀身が無いようにも見えた。

美しいその結晶質な青透明な刃は光の加減で薄くも濃くも変わっていく。


アリスはそれを間近で眺めて、「ドロップ品ね」と言った。


「これがそうなのか」


燐もまた、純粋な驚きだけを表情に浮かべてそう言った。


モンスターは、死ねば力の核である魔石だけを残して身体は灰となる。

だが極稀に、その力の一部が魔石以外の形となって残ることがある。それがドロップアイテムだ。ドロップアイテムは大きく分けて二種類ある。

ひとつが、モンスターの生体部位が形となったドロップ素材だ。ゴブリンの牙や爪など、比較的ドロップ率は高く、10体倒せば、2,3個は出てくる。


そしてもう一つが、ドロップ品だ。これは、モンスターの力が人工物を形作ったものだ。

なぜそうなるのかは分からない。ダンジョンでモンスターに殺された者の記憶が反映されたとも、ダンジョンが知っていたからだとも言われている。今もまだ研究途上のダンジョンにある数多の謎の一つだ。

この現象はごくまれにしか起こらず、それゆえ、ドロップ品の取引額は高い。


「レアモンスターのドロップ品?すごいわ、燐!滅多に見れないお宝よ!」


ぴょん、ぴょんと燐の肩で跳ねながら、アリスが喜色で顔をほころばせる。

燐もまた、硬く拳を握りしめる。


「いよっしゃぁぁぁぁぁ!!災い転じて福となすってやつだな!最高だ!」

「やったわね、燐!」

「ああ、やったぞ、アリス!―――」

「調子に乗らないの!!偶然うまくいっただけでしょ!!」


ぱちん、と頭を叩かれた。

燐は何か言いたそうに口をもにゅらせて、黙り込んだ。


「はあ……。でも確かに幸運ね」


燐には、力がいる。ダンジョンの最下層に行くという燐の執念のためには、燐というちっぽけな少年の身の丈を越えた強大な力がいる。

この美しくも冷厳な刃はその助けになるだろう。


「とりあえず、持って帰ろう。ばれないようにな。バックパックの底とかに入れたら気づかれないよな?」


その後、まるでコソ泥のようにダンジョンを進む少年がいたとかいなかったとか。


□□□


「ようやく帰ってこれたな」


ほっと息を吐きながら、燐はダンジョン外へと繋がるエレベーターを降りた。

今はちょうど夕方ごろであり、ダンジョン帰りの冒険者と今からダンジョンに潜る夜型の冒険者で賑わっていた。


燐はちらちらと横目でバックパックを見ていた。その中に入っている『宝』に意識が割かれているのだ。初めてのお使いに来た子供のような心細さと不安に揺れる瞳は、年相応の姿だった。

こういうところは子供らしいと、アリスは微笑ましそうに燐を眺める。


燐は初めてのダンジョン探索でいきなり大群に襲われたが、燐にとってはいいことだったとアリスは考える。

燐はゴブリンとの戦闘で、命を奪う感触や生々しい命のやり取りに呑まれて恐怖を覚えていた。あのまま何もなければ、燐はそれを引きずっていただろう。

だが輝結蜥蜴フォメグイシナとの邂逅かいこうと逃走、そして討伐によるレアドロップの獲得という感情のジェットコースターがそれを洗い流した。

アリスは密かに、輝結蜥蜴に感謝していた。


だがそれはそれとして、目立つ燐を抑えることにした。

アリスは燐の内へと戻り、語り掛ける。


『燐、目立ってるから視線を動かすのはやめた方がいいわよ。それと、面談の時間が迫ってるわ』

「………ほんとだ。行くか」


時間に追われているという感覚が燐の意識を切り替えて一応不審な動きは止まった。


□□□


『特区第一ダンジョン』を封じるように聳え立つ摩天楼の上層には、『DM』が管理する施設が並んでいる。その一室に、燐は向かった。


「お疲れ様。初ダンジョンどうだった?」


マイアは無事な燐の姿を見て、安堵したように笑った後、そう尋ねた。

燐はきょろきょろと周囲を見渡した後、バックパックを机の上に置いた。


「な、なに?」


そのやばい取引現場みたいな燐の動作に、マイアはたじろぐ。

燐はバックパックを開いて、その中から青い結晶質の刀身を持つ短剣を取り出した。

その明らかに普通とは違う武器に、マイアは琥珀のような瞳を瞬かせた。


「『晶輝蜥蜴フォメグイシナ』のドロップ品です」

「え……、えぇぇえええええええええええええええええ!!??」


DM職員でも滅多に見ることのないレベルのレアドロップを持ってきた冒険者一日目の少年に、マイアは絶叫した。


□□□


「え、えっと、ごめんね、叫んじゃって」

「いえ。仕方ないと思います。俺も驚いているので。それで、どうしたらいいと思いますか?」


燐は悩んでいた。本音を言えば、使いたい。だが、この装備のレア度は、駆け出しが持っていていいものでは無い。

後ろ盾のないソロの燐が使っていれば、ダンジョン内でよからぬ争いを引き起こす可能性があるのではないかと冷静になった燐は思った。


マイアもまた、真剣な表情になり、燐の懸念を肯定した。


「ダンジョン内で大々的に使うのはお勧めしないかな。ダンジョン内には法の力も及びにくいから、君から装備を奪おうとする人は出ると思う」

「そう、ですよね」


燐は唇を噛み締める。

無法がまかり通るダンジョンに憤っているのではなく、力という法を貫けない自身の弱さに悔しさを噛みつぶす。


そんな燐を慰めるように、マイアは柔らかく言った。


「隠れて使う分には大丈夫だと思うよ。剣を覆い隠せるタイプの鞘を作って、人がいない場所でだけ使う。それなら、リスクはほとんどないと思う。後は、売るっていうのも手だけど、それは少しもったいないかな」


マイアは選択肢を用意する。

だが決断するのは燐だ。

燐はドロップ品を見つめて、思い悩む。


「………少し、考えてみます」

「うん。それがいいと思うよ」


(弟がいたらこんな感じかなー)


マイアは、口数は少ないが素直な燐に、柔らかな笑みを浮かべる。

一人っ子のマイアは、新鮮な感覚を覚えた。


「色々あったみたいだけど、初探索は成功かな」

「いえ、俺の中では失敗です。ダメな選択を取り続けた感覚っていうか……」

「それを初探索で知れたなら、成功だよ。ダンジョンでは安易な選択に飛びついた人間から死んでいく。それを忘れないでね」

「はい……」


マイアの言葉は、痛いほど燐の胸に染みた。


「それと勉強も欠かさないこと。知識不足で痛い目見たり、貴重な素材を見逃す人はいっぱい見てきたから、燐君はそうはならないでね」

「…………はい」


返答にちょっと間があった。子どもらしく勉強は嫌いらしいと、マイアは微笑ましくて表情を緩めた。


「それで、Lv.1になったんだよね?ジョブはどうするの?」

「魔法職につきますが、武器は槍を使うつもりです」

「………え」

(魔法職で槍使うの?)


言われた言葉の意味を反復し、おかしなジョブ構成を考えている燐に停止する。


「えぇっと、魔法剣士とか目指してるの?あれはジョブ枠が多くないと厳しいよ?」


燐のジョブビルドの方向性を予想し、魔法職と近接戦職を合わせた複合職を目指していると考えたマイアは、お勧めしないと伝える。

理由はジョブ枠の圧迫だ。

魔法剣士の形は大きく分けて二つ。

一つが【剣士】のような接近戦職と【魔法使い】のような魔法職の二つにつき、それぞれのスキルを組み合わせて戦うジョブ別魔法剣士型。

もう一つが、【魔法剣士】のような複合職を目指す道だ。

前者は二つのジョブ枠が必要であり、後者もまた、ジョブの発現条件を満たすために複数のジョブにつく必要がある場合が多い。

そのため、レベルが低くジョブ枠が少ない初心者には厳しい。

まずは魔法職か物理職かどちらかを伸ばし、その後もう片方を伸ばすというのが定石だった。


だが燐は首を振り、魔法剣士は目指していないと伝える。


「俺は物理職に就くつもりです。なので、短槍を使います」

「えっと、魔法職は?」

「それは【スキル】目当てです。しばらくは上層にいるのでステータスはいらないので」


渋谷ダンジョンにおける上層とは、1階層から10階層までのことだ。

推奨レベルは1から15レベルほど。ジョブレベルが上がっていれば、10レベルもあれば突破できる程度であり、その階層にいるのは初心者かバイト目的の冒険者、後は落ちこぼれぐらいだ。


ほとんどの冒険者は10階層以下のモンスターや環境を想定してジョブを組むため、燐のやり方はかなり異端だった。


だがマイアは燐がソロで活動するつもりだという情報を思い出す。DMや日本政府の方針とは異なるやり方だが、強制力はないので、何か理由があるのだとマイアは推測した。

ソロでやるなら、ジョブ構成は、パーティー前提のものとは異なる。慎重に進むのも当然だ。

燐の言葉に合理性を感じたマイアは、深く追求することなく、納得した。


「今日、ダンジョンに入ったんでしょ?槍、使ってみてどうだった?」

「………思ったより重くて狙いとかなりずれました」

「レベルが上がった今なら重さはかなりマシになると思う。狙いは筋肉の付き方とか癖で結構ずれるからね。繰り返し練習すれば、狙ったところに当てられるようになるよ」


その言葉に燐は納得したように頷く。


「訓練の申し込みはしてみた?」

「はい」

「よかった。私の言ったこと、守ってくれてるんだね」


嬉しそうなマイアに困った燐は、歯切れの悪い返事を返して、視線を逸らした。

その人に懐かない猫みたいな動きに、マイアはますます楽しそうだった。


燐は、面談が終わった足で、上階へのエレベーターに乗った。

下りた階層は、一面ガラス張りの部屋がいくつも並んでいる不思議な階層だった。

その内のいくつかの小部屋は、曇ったような重いガラスであり、中が見えない。

入ってくすぐの所には、受付用の無人カウンターが存在する。


「これか?」


燐は首を傾げながら、端末を操作する。自身の名前が予約欄に入っていることを確認してから、表示された部屋番号へと向かう。

ガラス張りの小部屋に入ると、そこには入り口にあったような小さな端末が立っている。燐が操作すると、澄んでいたガラスが曇る。


『わぁー、すごいわね!』


アリスが初めて見る光景に感嘆の声を漏らす。

燐もまた、物珍しそうにトレーニングルームを見渡す。

そうしていると、燐の正面に半透明の人型が現れた。どこか非現実的で中性的な容姿をしたそれは、作り物の笑顔で、機械的な声を吐いた。


「トレーニングメニューを選んでください」

「そう言う感じか」


燐はホロビジョンを無視して、端末を操作する。すると燐の眼前にゴブリンの映像が映し出された。ホロビジョンによる投影だ。だが動体センサーと組み合わせることで、当たり判定なども判別できる優れた的である。

燐は槍を構える。棒立ちになったゴブリンの幻影相手に黙々と短槍を突き続けた。


『燐、頑張って~』


気の抜けるアリスの応援の声を聞きながら、燐は淡々と短槍の訓練を始めた。


□□□


翌日、燐は再びダンジョンに潜る、ということは無かった。なぜなら月曜日だからだ。

ブレザーに袖を通し、死んだ顔で通学路を歩く。

燐はそもそも学校に通うつもりは無かった。だが祖父には学校にはちゃんと行くようにと言われているため、燐はこうして重い足取りで歩いている。


「なぜ学校に……」


普通に考えれば、義務教育を受けることは当然だが、ダンジョン探索を最優先にする燐にとっては、平日の朝と昼間を占領する中学校は、邪魔な存在だった。

そんな思いが、口をつく。


『燐がダンジョンのことにしか興味ないからでしょ』


アリスが何を分かり切ったことを、と呆れたように呟いた。

祖父は燐をダンジョンに向かわせた責任者として、ダンジョンの外にも居場所を作って欲しいと願っていた。そうでなくても、義務教育を受けさせないという選択肢は、良識のある大人である祖父には無かった。


「それの何が悪い」


そう言い切った燐に対して、アリスはため息で答えた。


燐は自分のクラスに入る。ホームルーム前であり、新学期特有の無駄に大きい集団が形成されていて騒がしい。

燐の通う中学校、真英中学校は公立高校であり、学生は大体同じ小学校出身者同士で集まっている。クラス替えしたばかりの教室には燐の見知った顔もちらほらと見受けられた。


そして燐の方へと探るような視線がいくつも向けられた。その中心にいたのは、燐と同じ中学校出身の人。

その視線は、燐がクラス替えのたびに向けられていたものだった。


(ユニークスキルのことがバレたな)


燐のユニークスキル【右方の調律】は、支配の力を持つ。

生物にも有効な力であり、それを知るかつての同級生からは恐れられ、疎まれていた。

2年に進学したので燐のスキルのことを知る者は少なく、燐もただの学生として過ごせていたが、バレるのは時間の問題だった。


(……まあ、仕方ないか)


燐の目的は、ダンジョンの最奥に行くこと。それ以外の優先順位は低い。

そう思い、自分を納得させても、ずしりと心の奥に沈んでいく憂鬱さは否定できなかった。


燐は席に座る。ホームルームまで15分ほどあり、燐はモンスターの情報を見て時間を潰そうと考えていた。

だが、周りから向けられる探るような視線に大きく眉を顰める。

とても落ち着いて調べ物が出来る環境ではない。


燐は大きく息を吐いて席を立った。そして道を開けるクラスメートの間を縫って教室から出た。

廊下に出れば、淀むような教室の空気は薄れて、どこか土っぽさと水の匂いが混じったような学校独特の香りが漂う。

中学校に上がれば、何かが変わると漠然と思っていた。

違う学校の生徒たち、完全な子供ではいれない曖昧な境目、難しくなった教科書の文字。

そんなものが人を変えて、自身も変えるのではないか。


だけどそんなことは無かった。年季の入った机も黒く傷の入った廊下も窓の外で揺れる名も知らない緑の木々も全て既知だ。

同級生たちも変わらない。相変わらず、得体の知れない燐を恐れて疎んでいる。

きっとこれは、大人とか子供とかいう話ではないのだろうと、短い時しか刻んでいない燐でも感じている。


そんな風に割り切れるぐらいには、自分は変わったと自覚する。

中々近づきがたい人間だろう。ある日突然両親を亡くし、得体の知れない能力を持っていて、人付き合いが悪い。


(友達はアリスで最後かな)


アリスが聞けば大いに喜んで、ちょっと悲しむであろうことを考えながら、燐は淡々と足を進めた。

燐はクラスにはまるで馴染めていないが、学校の構造は一通り把握している。

ボッチの燐は、学校説明会を真面目に聞いていたのだ。


燐は中庭に辿り着いた。この学校の校舎はちょうど、ロの字になるように並んでおり、その中心にはきれいな中庭がある。かなり広くてこの季節にはちょうどいい場所だ。

燐はその内の一つのベンチを見つける。女子生徒が一人座っていたが、ベンチは大きく、反対側に座れば不審がられないだろうと判断し、腰を下ろした。

そしてスマホを起動した。


(さて、勉強するか)


燐が閲覧する情報は、ダンジョン上層、その中でも1から5階層のものだった。

冒険者を救うのは知識だ。マイアにきつく言われたことを忘れずに勉強に取り掛かる燐は冒険者として勤勉であり、だが学生としては悲しい学園生活を過ごしていた。

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