第3話

 死越者と呼ばれる存在には位階と呼ばれるランクがある。

 これは当人の功績等々に関わらず、純粋に死越者個人の力量を表すものだ。まあ『存在の格』をわかりやすくしたようなものであって、これが高いからと言って立場が良くなる、ということはない。


 ただ位階が高い方が地位を得やすいというのも事実であるから、権力と結びつける者は多い。もっとも、学生の間はお話にもなりはしないが。


 壱から陸。

 死越者が力に目覚めると同時に授かる位階は、一部の例外を除きその範囲に留まり、当人の成長に応じて際限なく上昇するとされている。

 一朝一夕に上がるものではないが、成人を迎えてなお生き残り、戦っている死越者の中には二桁代へと踏み込んだ者もいるという。

 その力はまさに『神の子』と呼ぶに相応しいのだとかなんだとか。


 いい歳したおっさんだかおばさんを神の子呼ばわりするのって、どうなんだろうな。呼ばれる方もどんな気持ちなのだろうか。

 俺ならあまりいい気はしないなあ。


 なんて、そんなことを俺なんぞが思うのは思い上がりも甚だしいか。

 高等部で生き残るための絶対条件である、第参位階にすらなれていないのだから。


 幾度目かの素振りを終えて、深く息を吐き出して、空を見上げた。

 とっぷりと暮れた空には、いつもと変わらない青い月。生きることになってしまったあの時から、見え方の変わってしまったそれが浮かんでいる。


 少し、疲れた。


 第伍位階にもなると、素振り程度じゃ一日中やっても疲れることはなくなるそうだが、いかんせん只人以上死越者未満の俺では夕暮れから朝まで刀を振るっただけで、疲労する。


 どれだけ死にたくないと願い、訓練に励もうと、この十年で俺の力は少したりとも伸びなかった。

 それでも異能の力が強かったのなら、まだやりようはあったが俺に出来るのはせいぜい指一本分の程度の肉体硬化と鉄を軽く溶かす程度の毒を生成することぐらいだ。

 もちろん一般人に対してはそれだけで十分脅威だろうし、低位の『暗月の僕』なら囲まれなければ俺でも倒すことは出来る。

 けれど、しょせん、その程度。高等部一年になる頃には、多くの生徒が中位程度なら一人で立ち回り、相手にすることが出来るようになっているというのに、だ。


 死越者に二度目の奇跡はあり得ない。

 例え一度目の時に死の淵から生還しようとも、鼓動が完全に止まってから復活を遂げようとも、戦い、致命傷を負えば当たり前に死ぬ。 

 死越者。死を越えし者なんて、御大層な名前を掲げられてこそいるが、それが現実。俺たちは結局、死を一度乗り越えただけで人を越えたわけではないのだから。


 学年はともかく、義務教育を終えれば任務の難易度は自ずと上がるし、中等部まではあった教導管の付き添いも高等部からはなくなった。

 それでも一年間、俺が生きて来られたのは一部の友人たちのおかげだ。

 幸いなことに今度も割り振られた班にはその友人たちがいるし、なんなら異国の地からやって来た大天才様までいる。この一年も、死ぬことはないだろう。


 そして、結局のところそれも希望的観測でしかない。


 だから気持ちを切り替えて、刀を振るう。

 そうすることにどれほどの意味があるかなんてわからない。

 少なくとも、これのおかげで俺は低位の化け物をどうにかこうにか倒せるようになったから、意味がないなんてことはないだろう。

 生き残るために出来ることは、なるべくやるべきだ。


 それでも、もしも、その時が来たのなら……


「あら、こんな時間に訓練場に人影あると思ったら貴方でしたか」


 不意に夜の訓練場という場所にあまりにも不釣り合いな上品な声音がして、素振りをやめて声の方を見る。

 忌々しい月光を浴びてなお、美しく輝く金色の長髪を揺らしながらこちらへと歩んで来る彼女は、昼にも見た顔をしていた。


「素晴らしい太刀筋ね、エラーのヘル・ウォーカー。いえ、それとも『幽鬼』と呼んだ方がいいのかしら」


 何故か上機嫌な様子のアリス・クロスフォードが、そこにいた。


「お褒めに預かり光栄だ、大天才様。にしても、ヘル・ウォーカー、ね。海外で死越者がそう呼ばれてんのは知ってたが、聞くのは初めてだ」

「極東の島国には馴染みがないのも仕方がないわ。地獄を行くもの、なんて縁起でもないでしょうしね」


 刀を鞘に戻しながら礼を口にするとクスクスとおかしそうに、クロスフォードは笑う。

 一瞬、どんな罵声を浴びせられるのかと思ったが、その砕けた調子に少し安心する。

 これから一緒に任務に行くってやつと揉めたくねえからな。


「それで? こんな夜更けにお前みたいなやつが、訓練場になんのようだ」

「大した理由はないわ。強いて言うなら、ここで貴方が訓練をしていると燈子さんに聞いたから、様子を見に、ね」

「そりゃ確かに大した理由じゃねえな」

「あら、卑屈なのね」


 大した理由じゃねえって言ったのお前じゃん。


「そりゃあな、何せ、俺は『幽鬼』だ。身の程はわきまえてんのさ、大天才様」

「あら、その大天才が貴方を太刀筋を褒めたと言うのに?」

「その程度で化け物共がどうにかできんなら、諸手をあげて喜んでただろうよ」


 実際、技術なんていくら磨いたところで刃を通す膂力が圧倒的に足りてないんだから意味なんてない。暗月の僕が武術だとか剣術だとかの術理だけでどうにか出来るような存在なら、こんな学園が作られることもなかっただろう。


 なんてことを思いながら、相手の反応を伺う。

 『幽鬼』だの『エラー』だの呼ばれるような奴が、第漆位階の大天才に偉そうなこと言って逆鱗に触れてないか、それが心配だった。

 小心者なんだよ、俺は。

 

「ふふっ、エラーと聞いていたから少し性格面で不安だったのだけれど、どうやらその心配はなさそうね」


 しかし、クロスフォードは俺の返答が気に入ったのか、またおかしそうに笑う。

 大方、自分の班員になった噂の『幽鬼』がどんな人間かを確かめに来たってところか。どうやら印象は悪くなかったらしいな。


「こちらこそ、そちらが寛大で助かったよ。大天才様」

「ええ、何せ大天才ですからね。わたくし、弱者には優しいのです」


 ナチュラル上位者面こえ~。

 まあ、なんにせよ。この感じなら明日の任務も大丈夫だろう。

 そこで俺は何の気なしに、彼女に尋ねる。


「時にレディ・クロスフォード」

「あら、なにかしら」

「どうせ来たんだ、一手御指南いただけないか?」


 俺の言葉にクロスフォードは、一瞬きょとんとしてからその表情に獰猛な笑みを浮かべ、頷く。


「よろこんで。ミスター・ユウナギ」


 そう言ってくるりと踵を返し、訓練場の端においてある木剣を二つ手に取ると、一つをこちらへ投げ渡してきた。


「ルールはどうしましょう」

「能力なし膝をつくか、剣を弾かれるかしたら負けでいいだろ。あとは……」


 言いながら、制服のポケットを漁る。お、十円発見。これでいいな。


「この十円玉が地面に落ちたら開始ってことで」


 指で十円玉を弾くと、思い出したような顔でクロスフォードは言った。


「ハンデはいる?」

「特にはいらないが……そうだな、お前の全力で死なない自信がないから、俺が耐えられるギリギリの力加減を適宜見極めてくれ」

「いらないっていう割に。無茶を言ってくれるわ、ねッ!」


 十円が落ちた瞬間にすさまじい勢いで、こちらへと迫るクロスフォード。

 その振り下ろしの一撃をどうにか視界でとらえ、受け流す。

 あぶねえ。まともに食らってたら、頭を割られてたな。


「文句言う割に出来てんじゃねえか」

「慣れてるのよ。じゃないと、この訓練用の剣だって握り壊しちゃうでしょッ!」


 こっわ。ゴリラじゃん。

 振るわれる一撃一撃を丁寧に処理しながら、そんなことを思う。

 向こうの手加減もあって振るわれる剣の速度には、ギリギリ反応が間に合う。

 ……力の入れ具合としては、第参位階辺りか。燈子のがだいたいこれぐらいの威力と速度だったはずだ。

 これで全力じゃねえってんだから、とんでもないな。


「まったく、第漆位階ってのは恐ろしいねえッ!」

「あなたこそ! 『幽鬼』の割にはやるじゃない!」

「防戦一方だっつーの!」


 攻撃に意識を割くどころか、まともに受け止めた瞬間に木剣ごと叩き割られるのが目に見えている。

 ただ力に任せているわけじゃない。確かな技量も備えた彼女の剣を受け流し、回避することが出来ているのは、はっきり言って奇跡に近い。

 おそらく自主鍛錬直後でアドレナリンが出ていることとその状態で、一度切れた集中力が命の危機を感じて戻って来てくれたことが要因だろう。

 感覚を研ぎ澄まさなきゃ、死ぬ。

 いくらなんでも、ギリギリを攻めすぎだろうがこの女ッ!


「速い! 重い! 巧い! の三拍子が揃ってるって、ずるすぎんだよッ!」

「それはこっちのセリフよ! 努力で磨かれた技術がすごいことは知っていたけれど、そこまで凌げるなんて驚きだわ!」

「うるせえ! 全力出してねえくせによッ!」

「貴方が望んだことでしょう!」

「だからいいなあって言ってんだろうがッ! 羨ましいんだよッ!」

「それはどうもッ!」


 怒声をあげながら切り結ぶ。

 もっとも、攻勢は相も変わらず一方的。十年鍛えた技術で守るのが精いっぱいってのは、悲しいもんだ。

 だがおかげでこのままでも恐らく、あと五分は持たせることが出来るだろう。


 そんな退屈なことはしねえけどなッ!


 どんな大天才でも、百発撃てば一発ぐらいの息継ぎはあんだろ!


 すさまじい剣撃の中からその一つを見抜いて、受け止める。


「ぐっお」

「あら」

 

 クロスフォードから漏れる驚きの声に、笑みを浮かべる暇もなく俺はそのまま無理矢理剣を弾いて、続けて彼女に向かい剣を振るう。

 狙いは脇腹。


「はい残念」


 しかし、振るった剣は彼女のもので容易く絡めとられ、弾き飛ばされる。

 明後日の方向に飛んでいく木剣の行方をぼんやりと見守ってから、息を吐いてその場で両手をあげた。

 クロスフォードは俺のその様子に満足したのか、向けていた木剣の切っ先を下げて満面の笑みをこちらへと向けた。


「素晴らしい剣技だったわ、ユウナギ。それだけに、あなたが幽鬼であることが残念でしょうがないわね……」

「称賛はありがたいが……まあないものねだっても仕方がないからな」

「ふふ、さきほど力が羨ましいとわたくしには聞こえたのだけど?」

「羨ましいことは確かだし、その力があればとも思う。が、それはそれとして、無用に騒いでねだらねえってことだ。まあ、命は守ってほしいけどな」


 そう俺が言えば、クロスフォードは自信たっぷりに頷いた。


「ええ、任せなさい」


 その様子に俺は、苦笑する。

 ああ、本当に羨ましいったらないな。


「それじゃあ、わたくしは部屋に戻るから、貴方も翌日に支障をきたさないうちに戻りなさい」

「ああ、了解リーダー」


 そうして訓練場から去っていく、クロスフォードを見送ってから飛ばされた木剣を回収して、それをもとの場所へと戻した。

 そのまま鍛錬を続けるかを悩んで、立ち止まった。


「嫌になるな、まったく」


 ……死越者の中には極めて稀に、位階を測ることが出来ない者が現れることがある。

 原因も理由も不明。だが、そいつらには特徴があった。


 弱い、のだ。

 

 死越者でありながら、力が弱く人の域を出ない肉体強度。異能も使えはするが暗月の僕を害するに及ばず、かといって一般人に対しては有害だから何も考えず外に出すわけにはいかない。


 それはその脆弱さ故に、位階を測れない。


 曰く、この世をさまよう亡霊が如く希薄な存在。


 一度死を越えていながら、人を守れるだけの力を持たない死越者のなり損ない。


 それが、幽鬼。


 海外では『異端エラー』 とも呼ばれる者たち。

 その中の一人が俺だ。


 だが、仮にも死越者だ。役割はある。

 その総数が暗月の僕たちよりも圧倒的に少ない中、日々それよりも更に多い人々を守るために戦うために、人材を遊ばせておく余裕などない。

 この世界は子供だけではない。人が多く死ぬ世界だ。

 死越者も、ただの人も関係なく、死ぬ。


 あの青く暗い月が見えない人々を守り、平穏無事ないつも通りの日常を守るには一人でも多くの才ある者が生き残らなければならない。


『力のないあなたは、一人でも多くの者を守りなさい』


 初めての位階診断の場で、俺を幽鬼だと知ったお偉いさんはそう言った。


 幽鬼の役割。それは才能を持った死越者が死の危機に直面した時、その身を盾にしてでも守ること。

 つまるところは、肉盾だ。


 そのことについての不満はない。

 なにせ、死の危機とやらが無ければ、任務の場に立っているだけで死ぬ可能性のある俺が滅多なことじゃ死ななくなるのだから。


 幽鬼は年度初めに行われる班分けの際、必ず第伍位階以上の者がいるところへと振り分けられる。

 おかげさまで、今のところ自分のミスでの負傷はあれど、五体満足で生きていられるので、むしろ感謝しているぐらいだ。


 幽鬼にしか告げられない。幽鬼にしか任されない使命。

 都合よく考えるのなら、これはそういう「特別」な役目なのだと。

 

 そうやって己を納得させた。


 だからこそ、この役割を放棄するつもりはないし、その時のために精一杯体を張れるように努力しているつもりでもある。


 そして、その時のためにそれを許してくれる「友人」もいる。


 でもよ、そうして割り切っているつもりではあっても、力があったのなら、いつか来る最期を思いながら自分を鍛えることなんてしなくてもいいはずだ、とそう思ってしまうのは仕方ないだろ。


 アリス・クロスフォード。彼女がもう少し偉ぶってくれたら、嫌いにもなれた。

 力がある癖に、人格までまともとか勘弁してくれよ。

 嫉妬している俺が馬鹿みたいじゃないか。


「……もうちょっとだけ、続けてみるか」


 腰の鞘から刀を引き抜き、訓練場の中心へと戻る。

 どうにも今夜は眠れそうになかった。

 

 

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