第38話 (回想)記憶は戻らずも大地、退院へ――――

 大地が事故に遭って奇跡の回復から3ヵ月が過ぎた―――。


冬の寒さなど感じさせないほどに季節は暖かな春を迎え、大地は記憶が戻らないまま退院することとなった。


「先生、本当にお世話になりました 」

天野の前に座り呆然とする大地の横で真知子が軽く頭を下げていた。

真知子は大地が無事に退院できることが本当に嬉しかったのだ。

今まで大地に対して無関心だった真知子でも夫と上手くいかず離婚し、これからは

大地と二人きりで生きていこうと決心していたからだった。

「これから週に1度のカウンセリングで大地君の欠けている部分の記憶を

一緒に取り戻していきましょう」

天野は淡々と今後の治療内容について話す。

「はい、宜しくお願いします。それでは次回の受診ですが…来週の月曜日で

よろしいでしょうか? 心療・神経内科の小宮先生が引き継ぎ担当になります。

受付を済ませたら3階の心療・神経内科の待合室でお待ちくださいね」

「はい、わかりました」


こうして大地と真知子は第1診察室を後にしたのだった。


「入学式、間に合ってよかったわね…」


廊下を直進する真知子と大地は肩を並べ、ボソッと囁く真知子の声に

大地はふと耳を傾ける。


「秋霖学園は…ほら、残念だったけど木田山高校を滑り止めで受験していて

ホントによかったわね」

「え…!?」

「まあね、最初は大地ほどの成績がありながら、なんで木田山高校って

思ったけど…。とりあえず、高校、いけるんだもん。よかったじゃない」


(木田山高? え、僕が!? 僕は木田山高を受験していたのか? 

全然、記憶にない)


大地は淡々としゃべる真知子の声を遠く感じ、頭中に空洞がある感覚にただ呆然と

しているだけだった。悪戯いたずらに雲隠れしながら隙間をぬっては照り出す

陽射しを直視した大地は眩しそうに目を細めると、クラクラと眩暈がするほどに

立っているのが精一杯だった。大地は白い霧がモヤモヤと脳裏を埋め尽くしたまま、真知子の隣を渋々と歩き自宅へと入って行くのだった。


大地の部屋から窓越しに眺める空は記憶がない大地の脳内に真っ白く濁った

空白にポツリと独り虚しさだけが残していた。




忘れている記憶を思い出せず、大地はただその目に映る青々とした空をぼんやりと

見つめているだけだった――――。



そして、この時の大地の脳内は欠けた記憶のピースが大地の人生の中で一番大切な物だということに気付く予知さえもなかったのだったーーーーー。

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