第35話 (回想)AIヒューマロイド誕生する

 突然、空良の目がパッと開いた。それは、意識もない覚醒を彷徨う中枢地点も

ない無の世界からの再生だった。空良の目にぼんやりと見える景色には薄暗い灰色の

天井が映っていた。記憶の中心部に刻まれた楷書体は真っ白い紙のスペースにポツリとさりげなく書かれた文字が浮かび上がる――『臼井大地』。

空良の脳内にはその名前だけがインプットされていたのだった。空良は思った以上に記録力が良く、その時 見た景色や場所を瞬時に脳内に取り込める力があった。

見渡す場所は空良の脳内では【自宅、研究所】とインプットされた。

空良の視界が幸之助を捉えると【父、猿渡幸之助、研究科学者】とインプットする。幸之助は魂が抜けたみたいに深く眠っていた。徹夜付けの日々にとうとう幸之助の

体力は精神の限界を超え、自分でも気づかないうちに疲労がたまり寝落ちしてしまっていたのだ。そして、研究台ベットから下りた空良はもの珍しい機械や資材に触れ、脳内に面白いようにどんどん吸収していく。もう一つの寝台ベットからは自分と同じ人種のデータを瞬時に検知する。空良が寝台ベットまで近づくと【母、猿渡華子】と検知し、脳内べースに登録する。空良が目覚めた時、脳内は無限に記録することが

できる特殊機能が作動していた。それも、自動で起動するようになっていた。

空良は幸之助の近くにあるスマホに興味を示し、そのデータに登録されているものを

脳内に取り込む。スマホの隣には空良が書いた日記が開けた状態で置いてあった。

2つとも空良が事故に遭う前に使用していたスマホと大地との思い出を記録した日記だった。筆跡から分析した結果【猿渡空良】と認知する。だけど、今の空良は一切の記憶を失っている。情報だけが空良の全てだった。空良は高速機能を作動させ次々と日記の内容を自身の身体に取り込んでいく。空良の脳内ベースはどんどん記録された情報で埋め尽くされていた。

 

空良を作った幸之助でさえ、これほどまで高性能に仕上がっている事など思っても

みなく、すやすや眠る夢の中で【AIヒューマロイド】が特別大賞に輝き受賞式典で煌びやかなステージに立つ幸之助は照れながらも嬉しそうに頭を掻いて『どうも、

どうも』と首を上下に動かしていた。バチバチ鳴るシャッター音と同時にカメラから反射するフラッシュライトに思わず目を細める幸之助だったが、その容姿や仕草を

撮られ注目を浴びているという優越感に浸り、研究科学者としてトップの座に立った事に念願の夢が果たせた幸福感のひとときを味っていたのだった。


「……ん?」

ふと空良の視線が幸之助に向くと、達成感に満ち溢れ心地良く眠る幸之助の寝顔が

空良の視界に入り込んできた。幸之助の口元からヨダレの跡が白く乾いていた。

「…?…」

『脳内メーカーはどうなっているのだろう?』と、遊び心で空良の手が幸之助の

頭部に触れてみる。もちろん、この時、空良もそんなテレパシーみたいな力がある

なんて思いもしなかった。幸之助の記憶を全部移行することはできないが、脳内に

ある記憶の一部から大地に関する記憶だけが空良の脳内に入り込んできた。

『臼井大地』の名前から関連する記憶を感知すると自動に読み取り機能が作動し、

人工頭脳を作りあげていたのだ。

空良の脳内思考が無意識に『臼井大地の元へ』と思えば、自動でああゆる体の機能へ伝達し、その足は思いのまま進み研究室を出て行くのだった。

好奇心から家の外に出た空良は初めて見る景色にフッと笑みを零す。

自然が流れる音や騒音、雑音、様々な音が空良の耳へ入り込む。

水が流れる音、車の走行音、すれ違う人間達のしゃべり声、バイクや自転車が過ぎ

去る音、木の葉や木々に咲いた花弁が風になびいて揺れる音、空良は町に流れる色々な音を吸収していたのだ。そして、音を聞き分け分析し種類ごとに細かく使い分ける

聴覚ポケットに分類していた。普通の人間でさえ聞き取りにくい小さな音や遠くで

聞こえる微量の音でさえ空良は聞き取っていた。人間に必要な五感要素がいかに

優れているかでAIの価値が決まり、人間に寄り添えるAIとも言える。それでも、

人間の領域に入り込めるAIなど怱々そうそう滅多に作れるものじゃない。

その点、空良の聴覚は敏感に感じ取っていたのだ。だけど、この時点で空良の

あらゆる行動は無自覚の下で行われていた現象だった。空良自身もその事にさえ

気付かないまま感覚だけで行動していたのだった。 


 いつの間にか空良は明和総合病院の前にいた。なぜ、空良が明和総合病院に

いたのか、なぜ、その場所を知っていたのかは不明だが『臼井大地』の文字から

取り込んだあらゆる情報を分析した結果、明和総合病院に辿り着いたのだった。

空良は黙々と目の前にある大きな建物の中へと入って行く。ザワザワと慌ただしく

動き回る音が四方八方 から盛り沢山の情報が空良の脳内へ どんどん流れ込んで

くる。それは まるで空良にとっては天国にいるみたいな空間だった。

そして無数の情報源から瞬時に分析した人工頭脳が空良を進むべき道へと導いて

くれたのだ。人工頭脳の指示に従い戸惑うこともなく、大地の病室まで来た空良は

【臼井大地】と書いた表札を検知する。大地の部屋だと認識した空良は静かに

ドアを開け、存在感を消すように病室内へと進入して行く。室内は人の気配もなく

静かである。ゆっくりと進んで行きベットまで近づいて来た空良の目に大地の寝顔が映る。ぐるりと見渡した空良の視線にテレビが映り

そこには研究所で見た物と同じ形をした物体があった。

『それは、スマホっていう持ち運びができる携帯電話だよ』

人工頭脳から漏れる小さな声が空良の耳奥へと聞こえてきた。

『スマホ?』

『人間はそれを持って移動中も電話やメールをしている』

『へぇ、便利なものだね。でも、なんで画面が黒い? それにヒビが入っている』

『おそらく壊れいているからだろう』

『へ? ねぇ…これ…どうやったら修復できる?』

『無理だね。内臓チップが破損している』

『え…』

『あ、でも…人間は物を作る天才だ。データによると、 ここから一番近くて10分の

所にモバイルショップがあると位置情報を検索した』

『じゃ、そこにいけば これは直るの?』

『それはわからないが直る見込みは10パーセント』

『…ひくっ。え、たった10パーセントなの?』

(でも…直るかもしれないんだ。たった10パーセントしかないけど…)


遠くの方からタッタッ…と、何かが近寄って来る音が空良の聴覚へと

伝わってくる。と、同時に人工頭脳が真っ先に察知し静かに呟く。


『誰かがこっちに来ている』

『うん…』


カタッカタッカタッ…


その足音は近づくほど大きく空良の聴覚へと入り込んでくる。


「……!?」


――――そして、


「ガラッ」……病室のドアが開く―――ーーー。


「失礼します、臼井さん、処置の時間です」


看護婦が入室して来た時、目覚めたばかりの大地が上半身を起こし、

看護婦の視界に入る。


「ああ、はい…」


すでに空良の姿はなく、窓が少し開いていた。


冷たい風が病室に流れ込んできた。


「あら、窓が開いているわね」

「―—ん?」


大地の視線が窓の方に向く。


「あ、ほんとだ」

「冷えると体に悪いわ。閉めるわね」

そう言って、看護婦は窓を閉める。

「ああ、はい」

「……もしかして、誰か…来ていたの?」

看護婦が視線を向けて大地に聞くが、大地はついさっき眠りから覚めたばかりで、

まだ少し眠たそうな目をしていた。

「え? さあ…僕、寝ていたから…」

「そう……。じゃ、処置室に行きましょうか…。大丈夫?」

「ああ、はい…」

大地は体を起こし、ゆっくりとベットから下りる。


大地の身体は少しずつ回復に向かっていた。事故の傷痕はまだ残っているが、

毎日の治療で随分 しっかりと自分で歩けるようになっていた。



処置室―――。



大地の処置が終わり、診察を受けている時に真知子が処置室に入ってきた。


「すみません、先生」


「……いえ、お母さんもどうぞ」


看護婦が丸椅子を真知子の傍まで持ってくる。


「ああ、すみません…」

真知子はゆっくりと丸椅子に腰を下ろす。


「大地君の傷痕も順調に回復しています。食欲もありますし、体力もついてきて

退院しても日常生活には問題ないでしょう」

「え? それじゃ先生…」

「来月には退院できるでしょう」

「先生…ありがとうございます」

「よかったですね、高校の入学式には出られますね」

看護婦がニッコリと笑って言った。


「ありがとうございます」

真知子も応えるように軽く頭を下げる。


「ただ、記憶障害に関しましては、まだ完全に戻ってないですが、日常生活には

問題ないでしょう。病院側としてはケガの治療が完治すれば退院する方向で進めて

いこうと思います。それでよろしいでしょうか?」


「はい、わかりました」


「それと、退院後は週に一度、心療・神経内科へ受診して頂きます。

通院しながら経過観察していきましょう」


「はい、宜しくお願いします」


大地の顔はまだ心までスッキリと晴れない表情をしていた。

記憶がない頭の中は白い霧で覆われ、虚ろな目でぼんやりとする

大地のことを気にかけている真知子だったが、それでも真知子の心には

少しだけ兆しが見えていた。


不意に視線を向ける真知子の目には大地の顔が映り、心はちょっぴり『ホッ』と

安堵していたのだった。






そして、完成だと思われた空良の身体が実はまだ未完成だということに

幸之助が気づいたのはもう少し後のことだった――――ーーー。

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