第34話 (回想)もう一つの日常

 その頃、空良を家に連れて帰った幸之助は自宅にある研究室に長い間、留まって

いた。朝も昼も夜も研究に没頭し、空良の日記とスマホを手掛かりに空良がなりた

かった理想の美しい女性へと思考錯誤しながら着々と完成へ向っていたのだった。


コンコン。


 ドアをノックする音も耳に入らないほど目の前の仕事に一点集中し、人間に寄り

添ったAIヒューマロイドを作ることに幸之助は全ての力を注ぎ込んでいる。



「コーヒーをお持ちしました」

華子がコーヒーを運んでくる。幸之助専用のコーヒーカップに濃い目のブラック

コーヒーが黒々と艶を出して揺れている。

「ああ、ありがとう。そこに置いといてくれるか 」

「はい」

華子がテーブルにコーヒーを置く。

「少し、休憩なさってはいかがですか」

「ああ…そうするか…」

幸之助はテーブルの前にあるソファに腰を下ろす。

「仕事の方はどうですか?」

「…順調だよ。今回は2体目だからね。君の時のデータもあるし、大丈夫だ」

「そうですか。よかったです」

華子がにっこりと幸之助に微笑みかける。


(これが成功すれば、私の研究者としての大きなプロジェクトが成功する)


「お、このコーヒー、うまいな。豆 かえたのか?」

「やっぱり、わかりますか? 隣町にね、新しくカフェができたの」

「行ったのか? 隣町まで…」

「はい」

幸之助が華子の行動力に驚く。

「初めてバスという乗り物に乗りました」

「大丈夫だったか?」

「ええ。誰も私をAIだとは思いませんでしたよ。店の人もバスの運転手も

たまたま席が隣同士になったおばあさんも普通に話かけてくれました」

「そうか…」

「幸之助さんの研究は成功ですね」

「え?」

「空良も私のようにきっと生まれ変われますよ」

「この子が空良だって気づいていたのか…」

「ええ。そりゃ、私がお腹を痛めて産んだ子ですもの。例え骨組みだけに

なったとしても、どんな姿に生まれ変わったとしても間違いなく私の子です」

「華子……」

「私…幸之助さんには感謝しているんですよ」

「え…」

「だって、私の身体は一度は死んだ身ですもの。幸之助さん、私を救ってくれて

ありがとうございます(笑)。きっと、空良も同じ気持ちですよ。だって、空良は…

私と幸之助さんの子供でしょ。 私達、また家族になれますよ」

「ああ、そうだな…。君にそう言われると何だかやる気が出てきた。

よし、そろそろ仕事するか。早く、仕上げないと空良がかわいそうだ」

「……ですね(笑)」

幸之助がソファーから腰を上げる―――ーーー、

「幸之助さん」

その時、華子が恥ずかし気に幸之助の袖口を掴む。

「―――ーーーん?」

幸之助の視線が華子に向いた瞬間、その唇は華子の唇で塞がれていた。

幸之助の目には閉じられた華子の上瞼から伸びる長いまつ毛が映っていた。

「……!?」

(―――……これは!?)

驚いた幸之助の表情とは裏腹に華子の唇の感触が、昔、恋人同士だった頃に

1つに重なり合った唇の味を思い出し幸之助は全てを受け入れたのだった。

華子の大胆に唇を重ねてきた行為に不意を突かれた幸之助は唇を離すことなく、

自ら唇を重ね合わせていく。唇と唇の隙間にできた空洞から漏れる甘い音が

数十秒続いた後、休憩を入れるようにゆっくりと華子の唇がひとまず離れた。

華子の表情には微笑みが零れていた。

「幸之助さん、愛しています……」

(華子にこんな感情がまだ残っていたなんて……。いや、残心しているはずがない。

この感情は心情ベースに登録されていない感情データだ。その証拠に私の感情が掻き乱されている。華子をこの手で抱きたいという欲情がもう我慢できないほどに…)

「華子…私も…君を愛しているよ…」

「幸之助さ…ん…」


その後、幸之助は本能のまま華子をソファーへと押し倒していく。

次第に絡まっていく5本の指は強く繋がれ、赤い絆が再び燃え盛る魂の肉体を

思うがまま淫らに交じり合っていく。その感情にむしろAIが持つデータなど

必要ない。己が作り出したその肉体美に幸之助は溺れ、甘い蜜の味を満喫して

いたのだ。舌触りが蕩けるくらい甘い蜜を たるほど身体に浴び、幸福感に満た

された肉体美を更に男の本能と愛欲が満たしていく。互いに感じ合う官能が

痺れるほど頂点まで辿り着いた時、色香の美声が天に向かったその先にある

快楽へと登り詰めたのだった。指先まで汗ばむ手は力強く握りしめ、熱くなった

身体は互いに体温と重なる鼓動を感じていたのだった。


(こんなに熱く燃えたのは何年ぶりだろうか……)


幸之助は華子を己の手の中に抱き、心まで濡れ惜しみなく感じていた。


「愛してる……」


「愛してる……」


囁く華子の声は幸之助の耳元で静かに消えていた―――ーーー。


静まり返る研究室に一人きりになった幸之助の心に寂しく虚しさが残っていた。


「充電が切れたか……」


幸之助は上半身を起こし『ふぅ…』と、照れ顔から笑みが零れる。

その頬は年甲斐も忘れ、桜色に染まっていた。


我に返った幸之助に待っていた華子がAIだという現実。


無防備に眠る華子の身体に洋服を着せた幸之助はそのまま華子を横抱きに

抱きかかえ、寝具ベットへ寝かせるのだった。


(華子が私を求めてきた時、私はその欲情を押さえることができず、

華子と愛を営むが、終わった後にはいつも虚しさが残る。激しさが増すと

それだけ体力エネルギーを使うAIのデメリットだ。華子も無限型に

できればな……。華子のエネルギーが満タンになるまで2日はかかる。

そこもマイナス部分か…せめて空良は1日で回復できるようにしたい…)


「……!!」

(そうか、人間と同じように夜寝ている時に充電して、朝、目覚めてから

12時間くらいもてばいいんだ…)


幸之助は華子の行動やデータベースから何かを思いつき、作りかけの途中になって

いた作業へと取り掛かるのだった。





そして、5日後―――ーーー。



長い黒髪の少女、猿渡空良が目覚めた―――ーーー。


空良は微量の面影を残し、まったく別の人格へと変化したのだった―――ーーー。


完全なるAIヒューマロイドが誕生する。



空良が目覚めた時、空良の脳内記憶ベースには『臼井大地』という名前だけしか

登録されていなかった―――――ーーー。


幸之助の研究目的は空良がもしもどこかで大地と出会った時、感情記録ベースに

記録されてない感情を引き出すことだった――――ーーー。


それが現実になれば例えAIだって人間と同じような生活ができると、

幸之助は信じていたからだった―――――ーーー。

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