終章 学園と、半悪魔体の少年
目覚めてから二日間の休養を経て、腹部の激痛がようやく鈍痛に変わってくれた。その翌日の月曜日、サードは風紀委員長として復帰し学園に登校した。
学園に入ってすぐ、やたらと周りから視線が突き刺さってきた。以前ほど露骨ではないものの、ひそひそと囁かれる声が聞こえてきて居心地が悪い。
実験で成功した半悪魔体、と教えられせいだろう。睨まれてはいないようなので精神的疲労は二割減なのだが、以前にも増して視線を向けられている状況には慣れない。恐怖の風紀委員長は本物の悪魔だった、という新たな文句やら悪名やらが頭に浮かんだりした。
風紀委員会室に行くと、既に風紀副委員長のリューが座っていた。一週間振りに顔を合わせたサードは、彼がぶわりと感激を浮かべるのを見てギョッとした。
「委員長! おかえりなさいっ! ご無事で何よりですうわああああああ超嬉しいです!」
「ひぃ!? ちょ、まだ痛むからそこでストップだ!」
再開早々に飛びつかれそうになったサードは、慌てて避けつつ「スキンシップが過度じゃね!?」と叫んだ。
傷が痛むので、頼むから勘弁してくれとリューに説明していると、朝のミーティングで部員たちやって来た。彼らは気付くなり、「委員長だ!」「無事ですか」「おかえりなさいッ」と口々に言いながら身体を触ったり叩き出してきたので、思わずサードは「痛いっつってんだろが!」と一通り軽く殴っておいた。
一週間ぶりに見た風紀委員長の机の上には、低い紙の山が置かれていた。
以前に比べると、かなり少ない量だった。何かあったのかとリューに確認してみると、匿名の文句の意見書が減ったせいだという。
意見書は、委員長に相応しくないという嫌味の内容は同じなのだが、少しばかり指摘部分や言い回しが以前と違っていた。風紀委員長のサイン待ちであるその意見書の確認作業に当たりながら、サードはそこに書かれた文面に思わず眉を寄せた。
「……眉間の皺ってなんだ。それのどこが悪い?」
「こっちの意見書は、『笑顔がなさすぎるところを改善されては?』です、委員長」
書類処理にあたるサードの隣の執務席から、仕分け作業に加勢しているリューがそう声をかけた。応接席には、同学年の四人の部員が座って印鑑未処理の意見書を振り分けていた。
「『白髪染めは違反にならないので試してみては』って嫌味が来てますけど、どうします?」
「よし、捜し出してぶっ飛ばそう」
「委員長、『パンばかり食べるのはどうかと思う』『食堂へ来ないのは、好き嫌いを隠すみたいで風紀委員長として如何なものか』って意見も来てます」
「好き嫌いってなんだよ。つか阿保だろ、そいつ」
嫌がらせの傾向が若干変わっていて、チクチクと苛立ちを煽るような嫌味文に仕上がっていた。以前のように『嫌いだ』『辞任しろ』とだけストレートに書かれていた方が、まだマシな気がした。
そうやっていつも通り作業に当たり、部員たちは傷の具合の他は何も訊いてこなかった。一週間前と変わらが書類処理業務を手伝い、授業が始まると教室に戻っていき、見回りが終わればいつも通り報告にくる。
二時間目の授業が終わった休憩のタイミングで、リューが三学年生の見回り担当の部員と話しているのをしばらく眺めていたサードは、つい訊いてみた。
「なぁ、俺が怖くないのか?」
「委員長が喧嘩に強いのは、いつもの事じゃないですか」
部員の一人が、なんで分かり切った事を、というように半眼を向けてくる。サードが「そっちじゃねぇよ」と素早く切り返すと、その彼の後ろにいた二人の部員が愉快そうに笑ってこう言った。
「悪魔と同等に戦える『半悪魔』なんて、まさに歴代最強の委員長って感じでいいじゃないですか。それに、委員長は委員長でしょ」
「委員長ほど人間として分かりやすい人って、なかなかいないと思いますけどね。というより、『半悪魔』なんて大袈裟過ぎて、いまいち信憑性に欠けます」
「おい。どういう意味だコラ」
結局、風紀委員会は、以前と何一つ変わらないらしい。ソーマやレオンから聞いていた守衛との騒ぎについても、それとなく尋ねてみたのだが、全員が爽やかな笑顔で「まぁ、ちょっとありまして」と言い張って真相は分からなかった。
まぁ、風紀委員会の方は大丈夫か。そう気軽に考えたのだが、それから数時間もしないうちに困った事になった。
昼食時間になる頃には、ひどく腹がすいてしまっていた。
これまでは、学食を利用せずほとんどをパンで済ませていた。しかし、療養している間に『食べないと戦が出来ない』という言葉の意味を実感していたサードは、ガッツリとメシを食わないとアウト、というくらいの空腹感に悩まされた。
あまり乗り気はしなかったのだが、復帰したら食堂を利用なさい、とはスミラギにも勧められていた。仕方なく活用する事にくして、リューに「食券の買い方を忘れたんだが……」と訊いてみた。
「食券?」
「えっと、その、ちょっと今日は食堂で食おうと思っているんだけど。あの、全然行ってなかったから使い方を忘れて――」
そうしたら、リューが唐突に立ち上がって「是非行きましょう! 今すぐに!」と大きな声を出した。そこで学食行きが決定し、ちょうど居合わせた三人の部員と共に、校舎一階にある食堂に向かう事になった。
学生食堂は、既に七割の席が埋まっていた。小さなざわめきは起こったものの拒絶されている感じはなく、かといって窺っているようにチラチラと視線は向けられてくる。
警戒、されているとかだったら気まずいしなぁ……やっぱりここで食うのはやめよう。そう思って退出しようとしたら、リュー達に「委員長、こっちですよ」と腕を引っ張られてタイミングを逃した。
リューの奢りで、全員がオムライスセットを頼み、食堂の奥の窓際の席に腰を落ち着けた。
そこの席にある窓からは、噴水のある広い中庭が見えた。そこには以前と変わらず、エミルが吹き飛ばして破壊していたあの理事長の石像もあった。
「………………」
「委員長、どうしました?」
同学年の部員が、石像を見て固まった事に気付いて声を掛けた。サードは、どう説明していいものか悩んだあげく、結局は「なんでもない」とだけ答えて、自分の前に置かれたオムライスに目を戻した。
実を言うとオムライスは、トム・サリファンの得意料理の一つだった。まさか食堂にもあるとは思っていなかっただけに、サードは少し意外な気もした。
昼食をとるリューや部員たちが、何気ない話題を口にして普段のように笑う。その様子を「なんだかなぁ」と不思議に思って眺めながら、オムライスを食べ進めた。
これまで空腹も満腹もなかったというのに、食欲が分かるようになってから一気に食事の量が増えていた。このオムライス定食一つでは、とてもじゃないが足りそうにない。
「…………なぁ、これって、また注文してもいいのか?」
一番に食べ終わったサードは、チラリと尋ねてみた。
リューと部員たちが目を丸くした。互いに顔を見合わせたかと思うと、一同を代表するようにリューが「委員長」と言った。
「一応スミラギ先生からは、食事の件については聞いて知っているんです。だから大盛りで注文したんですけど、足りませんでしたか?」
食事量が増えた事について、スミラギは「当然の結果です」と述べていた。半悪魔体は、常に普通の人間の数十倍の稼働を行っているので、外から摂取するカロリー量が多くない方が、理屈に合わないのだという。
サードは、それを思い返しながら「足りなかった」と正直に答えた。テーブルに肘を乗せ、組んだ手に額を押しあてて深い溜息を吐く。
「…………『人間』って、すごく面倒だなぁ」
オムライスを入れたばかりであるはずの胃が、もっと食事を寄越せと言わんばかりに空腹信号を送り続けている。今は味覚や温度感覚も鮮明で、食べ物が美味いというのも『もっと食べたい』となっている原因の一つであるような気がした。
すると、こちらを見ていた部員の一人が笑い出した。
「何言ってんですか委員長。あんま食べてないのに、動き回れる方が変なんですよ」
「大丈夫っすよ、委員長! いつも大盛り三杯食う奴も普通にいますから」
「うちの学園には、ケーキなら一ホール軽く食えちまう『会長補佐』っていう化け物もいますからね。だから安心して追加注文してください。唐揚げとか、肉類の大盛りがいいと思います」
「そっか……つか、あいつケーキを一人で全部食うのか…………」
こちらが半悪魔体と知っているのに、それをあっさりと受け入れて、なんの問題もないと言わんばかりに接してくれるリュー達との会話は気が楽だった。『サード・サリファン』の設定に縛られていた頃よりも、居心地がいい。
お前らは変わらないんだな、と、それがサードには少しだけ嬉しかった。またしても好き勝手話し出した彼らを前にして、追加注文をする事を決めた。
「んじゃ、そうするかな」
サードは、そう答えて立ち上がった。
ふと、こちらに向かってくる生徒の気配を感じた。肩越しに目を向けてみると、山のように盛られた唐揚げの存在感が目立つ定食セットを持った、三学年生の風紀部員が二人いた。
「委員長、お疲れ様です。ココにいるって噂を聞いて来たんですけど、本当だったんですねぇ」
「話は聞いてましたよ。俺の一番のおすすめは、なんといってもこの唐揚げ定食ですね! 超特大盛りまでありますよ」
「ふうん、そうなのか。じゃあ、それを注文してくる」
サードは部員にすすめられた『超特大盛りの唐揚げ定食』の食券を買った。カウンターで受け付けた男性コックが、上から下まで見て「食べれるんだろうか」という表情を浮かべた。近くにいた周りの生徒たちから「二回目の注文」「超特大盛り」と小さなざわめきが聞こえた。
しばらくもしないうちに、注文していた超特大盛りの唐揚げ定食がカウンターに出た。サードは、それをしばし眺め、それから手に持とうとした時――
不意に、何者かが急速に背後を取ろうとする気配を察知した。反射的に攻撃体勢に入ったサードは、振り返り様、咄嗟に相手の腹に拳を叩き入れて撃沈させた。
だが、その一瞬後、内臓に鈍痛が走って、痛んだ腹を抱えて「ぐぉぉ……っ」と悶絶してしまった。サードによって床に沈められた相手も、腹を抱えるように転がり込んで「ぬぉぉ」と苦痛の呻きを発した。
「あなた達は、一体何をやっているのですか? 馬鹿なのですか?」
「あ、サリファン君だ~。すごい大盛りの唐揚げだねぇ」
「ユーリス先輩ッ、サリファン先輩は完治していないんですから、こんな時にまで後ろを取ろうとしないでください!」
続いて掛けられた声を聞いて、サードは生徒会のメンバーかと気付いた。
腹を抱えたまま床に目を向けてみると、案の定ユーリスが転がっていた。目が合った途端、奴が痛みで汗ばむ顔にぎこちない笑みを浮かべて、どうにかといった様子で震える片手を上げてきた。
「や、やっほ~、サード君……」
「お前、馬鹿だろう。馬鹿だよな? 気配なく回りこむなって、あれほど言ってんのに――くそっ、地味に痛ぇ」
「ごめん。つい、からかいたくなっちゃうというか」
生徒会の登場に、学食が黄色い声で騒がしくなる。
二人が痛みの波が去るまでじっとしている中、ロイがカウンターの上にある定食を横目に見てニヤリと笑った。
「それ、お前のか」
「そうだよ。悪ぃか」
「いいんじゃないか? ソーマは毎食それを食べている常連だ」
答えたロイが、僅かに肩をすくめる仕草をした。
サードが疑って目を向けると、ソーマが頬を指先でかいてはにかんだ。大量の食事を胃に収めるという印象もなかったから、ちょっと意外に思った。
「にしても、相変わらず見事な白髪だな、風紀委員長」
「自前の銀髪だっつってんだろ、生徒会長」
腹から手を離したサードは、涼しげなロイの横顔を睨みつけた。すると、彼のそばにいたレオンが、細い銀縁眼鏡を押し上げてこう言った。
「後ろがつかえますので、喧嘩はそこまででお願いします。そもそも、風紀委員長の白髪事情は、今に始まった事でもありません」
「おい、副会長。お前まで言うか。これは白髪じゃねぇっつってんだろ」
言い切った直後、ふと、金髪が脱色したら銀髪になるのだろうか……という想像が脳裏を過ぎった。とすれば、これは白髪であると認めるべき、なのか……?
それはそれで嫌だな、とサードはじっくり真剣に考える。その思考が露骨に顔に出ている彼を見て、レオンが思いっきり眉を顰めた。
「なに馬鹿のように考え込んでいるのですか、冗談ですよ。見付けやすいですから、目立つ銀髪で何よりです」
「冗談? つまりコレ、白髪じゃないってことでいいんだよな?」
「ご自分で白髪じゃないと言い張っておいて、なぜここにきて不安になっているのですか」
その会話を見ていたユーリスとエミルとソーマが、互いに目配せして小さく肩をすくめた。実に阿呆らしいと言わんばかりに片手を振ったロイが、歩き出してすぐ、「そういえば」と立ち止まってサードを振り返った。
「お前が寝込んでいる間に『合同茶会』が承認された。水曜日と金曜日の昼の業務休憩、風紀委員会と生徒会員は第二会議室に集合だから、忘れるなよ」
「は? そんな決定の知らせとか、来てなかったけど――」
「さっき理事長の許可をもらったばかりだからな」
ロイが、あっさりと言って食券の発行ボタンを押す。
つまり、またしても生徒会が勝手に動いて提案書を出し、理事長に許可を取ったらしい。そう察した途端、サードはピキリと青筋を立てて思わず叫んだ。
「だーかーらーッ、勝手に許可取ってんじゃねぇよ! まず提出する前に、風紀委員会も通せよな!?」
そんなサードの主張を無視するように、ロイ達は勝手に昼食メニューの注文を行っていった。その様子を見ていた多くの生徒たちが、「なんだか『最強風紀委員長』も普段通りだね」と言葉を交わしたのだった。
最強風紀委員長は、死亡フラグを回避しない 百門一新 @momokado
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