32話 終章前 そして彼は(1)上

 死んだら『あの世』とやらに行けるらしい。


 そんな事を、外から連れて来られた仲間の誰かが言っていた。死んだ人間の魂は、永遠の眠りの向こうにある、美しい場所に辿り着いて、平和に暮らせるのだとか。


 兵器でも行けるのか、と誰かが問うと、その仲間は「半分は人間だもの。きっと『僕らだけのあの世』に行くんだよ」とはにかむように答えていた。


 じゃあ死んだらまた会えるのか、と、みんなで笑ったのを覚えている。



 ようやく何もかも終わったのだ。こんなに深く眠れたのは初めてだと思えるくらいに心地良くて、サードは誰にも邪魔されない眠りを噛み締めた。


 穏やかな心地がするコレが、『あの世』なのかと思った。ずっとこうしていたいと思うくらいに、とても『柔らかく』て、『暖か』い。



 そう考えたところで、少しだけ可笑しさが込み上げた。だって『暖かい』なんて感覚は、幼少期以来だ。


 寝心地の良いシーツの柔らかい感触に包まれて、まるで休日の自室で惰眠を貪るような既視感を覚えた。意識が浮上し始め、急速に腹が減ってきて――


 サードはそこで、「ん?」と疑問を覚えた。


 なぜ『空腹』を感じているのだろうか。気のせいかと思って『寝返りを打った』ら、その途端に、体中に激痛が走った。


「いってええええええええ!?」


 叫んだ瞬間、またしても内臓がギシリと痛んで喉もヒリヒリした。痛みのあまりシーツを握り締めるが、とにかく涙が出るほどに耐え難い激痛だ。


 え、え? というか、なんでこんなに痛いの?


 指一本すら動かせないこの痛みは、古い記憶の中に覚えがあった。これはまさに、訓練で身体が慣らされる前に感じていた、悶絶級の筋肉痛そのものである。


 辺りに目を向けてみると、そこには見知らぬ寝室の風景が広がっていた。清潔なベッド、高さのある天井、腕につけられた点滴のそばには、稼働が止められた医療機械が寄せられて放置されている。


「え。何これ、どういうこと――…………ッ」


 びっくりして思わず飛び起きようとしたサードは、再び激しい痛みに襲われ、ベッドの上で「ぐぉおおおお」と悶絶した。


 同じことを短い間に二度やったのを思って、自分は馬鹿なのだろうか、と呟いてしまう。


 ようやく痛みの波が落ち着いたかと思ったら、腹の辺りから「ぐぅ」と妙な音が上がって、ひどい空腹を感じた。喉も乾いており、つい何かないかと目を動かせて、サイドテーブルに置かれた水の入ったグラスが目に留まった。


 どうにか身体の向きを変えて手を伸ばし、グラスの水を飲んだ。口の中にふわりとレモンの香りが広がって、その『冷たい舌触り』に驚いてしまった。喉の乾きが癒えると同時に、更に強い空腹感にも苛(さいな)まれる。


「一体、どうなってんだ……?」


 サードは困惑しつつ、グラスを戻して再びベッドに仰向けになった。


 シャツから覗く白い腕を確認するが、どこにも傷は見られない。シーツを剥いで身体の状況を確認したかったものの、激痛で身体が自由にならないと物の数分で悟って、無理だと諦めた。


 ふと、せっかちなリズムの早い足音が近づいてくるのに気付いて、頭を僅かに上げた。すぐそこに見える扉を訝しげに見ていると、唐突に勢い良く開かれた。


 扉を開けた人物を見て、サードは「は?」と呆けた声を上げてしまった。それは大きな体格に、やや膨れた腹部を持ったトム・サリファンだったのだ。


 小難しい顔に深く刻まれた皺、白髪まじりのハニー・ブラウンの髪。引き結ばれた薄い唇の上には膨らんだ鼻があり、目が合った途端、彼の茶色い双眼がこちらを向いたまま大きく見開かれた。


 サードは、状況を理解するのに時間を要した。まるで信じられないものを見るようなトム・サリファンと、たっぷり十秒以上は見つめ合っていた。


「え。なんでトム・サリファンがここにいんの?」


 思案するような沈黙の後、思わず疑問が口からこぼれ落ちた。ここは孤島にある学園のはずだ。それなのに、どうしてトム・サリファンがいるのだろうか?


 そこでようやく、サードは意識を失う直前の事を思い出した。悪魔を倒した後、一体どうなったのだろうか。それに、どうして死んだはずの自分が、ベッドに横になっているのだろうか?


「なぁ、トム・サリファン。なんで俺――」


 そう問い掛けようとしたところで、サードは再び目を向けてギョッとした。トム・サリファンが、仏頂面のまま瞳に涙をためて肩を震わせている。


「あ、あの、トム・サリファン? どうし――」

「お、お前の事なんてちっとも心配してなかったッ。お前が後悔しないまま逝けるようだとスミラギに報告をもらって、何も、何一つ――ぐすッ――いっちょ前に『楽しかった』『さよなら』なんて言葉まで使いおって、このクソガキめ……うわぁぁあああん!」


 途端にトム・サリファンが大泣きし、弾かれたように突進してきた。


 サードが逃げる間もなく、彼の巨体がガバリとこちらの身体を抱き締める。


「もうお前に会えんのかと思っとった! バカみたいに笑って、何気ないことに喜んで――それなのに死ななければならないなんて、さぞ辛かっただろうに!」

「いってぇぇぇええええええ!? ちょ、やめろマジでぶっ飛ばすぞッ、こちとら全身が痛ぇんだよ! つか、別に辛いとか思ってねぇわ!」

「強がりを言わんでもいいっ! こんなに若いのに、死ぬために頑張っていたのを思うと、悲劇すぎてまた泣けてくるわ……!」

「お前一体どうしちゃったの!? というか、マジで痛ぇからな!?」


 激しく抵抗しようとした矢先、トム・サリファンの巨体がふっと離れていった。


 サードは、途端に脱力感を覚えてベッドに沈んだ。今度は一体なんだ、と目を向けてみると、そこには眉一つ動かさず彼を羽交い締めしているスミラギの姿があった。服装は相変わらず白衣で、肩に保健教員の腕章を付けている。


「スミラギ? え、その腕章って保健室の……という事は、やっぱりここって学園なのか? つか、なんでココに発狂しかけのトム・サリファンがいんの?」

「相変わらず失礼な奴め! 発狂してないわいっ!」


 トム・サリファンが「お前は私をなんだと思っとるんだッ」と、悔しそうに言ってドンドン床を踏み付けた。


 彼を解放したスミラギが、その様子を冷ややかに見やった。眼鏡を指で押し上げながら、こちらへと目を戻してこう言った。


「報告をしたらすっ飛んできました。おかげで、あなたが寝込んでいた一週間、サリファン子爵があまりにもウザ――失礼。あまりにも鬱陶しく、こちらは学園の騒ぎ後の収拾や、修復作業でも忙しいというのに、彼の世話に人員と部屋を提供せねばならず、彼が空けた王宮の研究棟も仕事の滞りで大変な騒ぎになっています。まぁそれ以上の騒ぎが続発しましたので、今は彼に対しては、心底どうでもいいと思えるくらいになりましたが」

「目覚めて早々、色々と辛辣すぎる……」


 久々に聞くようなマシンガントークを前に、サードはあっという間に小さくなった声で呟いた。おかげで、痛みも空腹も一瞬にして頭から吹き飛んだような気がする。


 スミラギは、ハンカチを顔にあてて涙を拭うトム・サリファンに椅子を提供した。そして、その近くの椅子を引き寄せると、自分も座って長い足を組んだ。


「気になっている事でしょうし、説明はしましょう。まず、どれからお話ししましょうか?」

「まぁ、悪魔の件とか……?」


 唐突に問われて、サードは戸惑いつつも浮かんだ一つを挙げてみた。


 スミラギが「いいでしょう」と頷き、思い切り鼻をかんだ隣のトム・サリファンを煩そうに一瞥してから、こちらへと目を戻して説明した。


「悪魔が消失した件に関しては、王宮魔術師の方でも改めて事実確認されました。学園は一日かけて大規模な魔術修復が行われ、理事長が約束させた通り、元通り細部に至るまで修復が完了しました。学園は一日の休校を挟んで、翌日から通常通り授業が再開しています」

「はぁ。呆気ないほど混乱がないなぁ」

「あなたの理解力と発想力は、相変わらず単純で低すぎます。大変混乱状態に陥りました」


 軽く罵倒されたサードは、スミラギの機嫌が悪い事を知って口を閉ざした。


 何事か思い出したのか、トム・サリファンがハンカチを顔に押し当てたかと思うと、またしても咽び泣きし初めてしまった。布越しにもれる何事かの叫びが、なんだか邪魔というか鬱陶しい。


 サードは、この状況に顔を覆いたくなった。しかし、腕を上げようとしたら身体がビキリと軋み、もう全てを諦める事にしてスミラギの話を聞いた。


「『月食の悪魔』については、知っている生徒も一部おり、学園に強固結界が張られた直後に話が広まってひどい騒ぎになったようです。風紀委員会が力づくでも学園に入ると殺気立ち、生徒会派が理事長へ説明を求め、中立派が止めようとして彼らが衝突し合いました。場を収めるために、多くの騎士が導入されましたが収拾がつかず、理事長がその場でざっとお話しになったようです」


 ロイから『皇帝の首飾り』を奪い、別れを告げた直後の出来事を知らされたサードは、当時の現場の様子を想像して不思議に思った。


 どうして、そこまで騒ぎが大きくなったのだろう?


 そんな率直な感想が浮かんで、思わず尋ねてしまう。


「風紀委員会が暴れたのか? というか、温厚組の中立派も騒いだとか……なんでそんな事になったんだ?」

「納得出来ない生徒達が、多くいたという事ですよ。学園が再開された後に全校集会が開かれ、理事長と生徒会側が、改めて今回の件に関して彼らに事情を説明しました」


 それを聞いたサードは、「ふうん?」と僅かに首を傾けた。


「それで、なんで俺は助かってんだ?」

「あなたは、相変わらず全く理解していませんね。まずは色々と突っ込んで訊くのが普通の反応かと思いますが――まぁいいでしょう。先にその質問に答えますと、あなたが助かったのは、魔術的に『主従契約』を行ったからです」


 何やら、話の風向きが怪しくなってきた。


 意識が途切れる直前の事を思い返し、サードはなんだか嫌な予感を覚えた。


「…………おい、スミラギ? まさかとは思うけど、あの言葉ってもしかして……」

「あの言葉は、魔術に必要なものでした」

「なんて事すんだよ!? よく分かんねぇけど、あの場にいたメンバーを思うと嫌な予感しかしないッ」


 サードは叫んだ拍子に身体を起こしてしまい、途端に貫くような痛みが身体に走って「ぐぉぉぉ」と呻いてベッドに頭を落とした。


「あなたは馬鹿ですか? 大人しく話を聞くという事を学習なさい。超治癒再生の精度が落ちていますから、斬られた内臓の傷が戻ってしまっている状況なのですよ。全身の筋肉もずたずたの状態で、本来であれば全治一ヶ月の重症です」

「え、ただの筋肉痛じゃねぇの?」


 脱力しきった涙目でサードが問うと、スミラギがすぅっと目を細めた。


「残念ながら違います、あなたの頭は単細胞ですか? 表面上の傷は持ち前の治癒能力でまかなえているようですが、内側は時間がかかります。『主従契約』による魔力供給がまだ安定していませんから、あと数日は不自由するかと思います」


 言いながら、あなたは馬鹿ですか、という目で睨まれてしまった。


「いやいやいや待て待て待て。魔力供給ってなんだよ、一体何がどうなってるんだ?」

「あなたには、本来であれば獣人に課す『主従契約』を行ってもらいました。獣人は、本来群れのリーダーに従う習性があるため、魔術の契約によって主人には絶対逆らわない事が、国では重宝されているのです。――人間に刃向かわないための保険として作られた魔術契約ですが」

「主従って響きもなんかヤだし、ぼそっと付け加えられた説明がもう物騒!」


 聖剣は悪魔にとって天敵みたいなものであるようだし、傷の件はなんとなく、まぁまぁ納得も出来る。あれだけの無茶をして、全身の筋肉がずたずたになっているだけというのも幸いだ。そのうえ、どうやら自分は死を回避したらしい。


 けれど助かるためとはいえ、物騒な響きをした未知の魔術を施されたとか勘弁して欲しい。そのような面倒な事をするくらいなら、やってもらわないで頂きたかった。


「簡単に言えば、魔術契約のおかげで、あなたの寿命はかなり伸びました」

「その回答、ざっくりすぎてめっちゃアバウトだぞ!?」


 サードは、思わず辛辣な美貌の保健医に言い返してしまった。

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