30話 七章 嗤う悪魔と、最後の戦い(3)上

「疲れたねぇ」

「もう駄目、体力もたない」


 ロイによって戦いの終了が告げられると、ユーリスとエミルが、わざとらしいくらい大きな声で言葉を交わしながら近くに腰を下ろした。


 百年ごとに続いていた、悪魔との戦いが終わった。

 

 二人の声を聞いて実感させられたサードは、もう二人だって勝手に座ってしまっているのだと、自分もその場に腰を落ち着けた。超治癒再生によって腹部がじわじわと回復されていくのを感じながら、そのまま仰向けに横たわる。


 痛みは、半ば遠く離れた感覚へと戻り始めてもいた。感じていたはずの心地良い疲労感も、どこか曖昧になっていくのは死が近いせいだろうか。それとも悪魔細胞の稼働が、じょじょに落ちていっているせいなのか分からない。

 

 もう時間は止まっていないようだった。空に見える黒い太陽は、次第に光を取り戻すようにゆっくりと動いていた。


 もしかしたら青空が戻る光景までは、この目で見られたりするのだろうか、と期待も絶望もせずに思った。


 どちらであったとしても構わない。

 予定通り任務が遂行出来て、サードはホッとしていた。


 ここに至るまでを思い返すと、苦労ばかりかけさせられた日々だったと思う。今回の戦いでも、自分を疲れさせたロイ達の存在には、つい顔を顰めてしまう。


「お前らのせいで無駄に疲れた」

「おや。私達のせいだというのですか?」


 聞き捨てならないと言わんばかりに、レオンの声が上がるのが聞こえた。サードは視界いっぱいに空を見つめたまま「だってさ」と言葉を続けた。


「お前らがいなかったら、校舎を遠慮なく壊して、悪魔を早々に殺してやれた」

「それはまた物騒ですね」

「風紀委員長とは思えない台詞だな」


 そう言うロイの声がして、剣を鞘に仕舞う音が聞こえてきた。


 答えないまま空を眺めていると、レオンがそばに立ってこちらを見下ろしてきた。彼は秀麗な眉一つ動かさず、相変わらず冷めた眼差しをしていた。


「あなたのせいで、校舎がほぼ半壊状態です」

「会長補佐も暴れていただろうが」


 ピキリ、と青筋を立ててサードは言い返した。一階と二階部分については、エミルが爆弾を必要以上に多く使用したせいで破損したのである。


「それに、俺はもう『風紀委員長』じゃないよ」


 そういえばと思い出して、少しだけ乾いた笑みを浮かべてそう答えた。


 身体のガタが早く進んだ事を考えれば、肉体活性化の完全開放の持続時間が、予測されていたよりも短いのも有り得るだろう。この疲労感のような気だるさが、悪魔細胞の完全開放の反動が訪れる前触れであるとは察していた。


 後どれくらい、こうしていられるかは分からない。


 疲れてしまったのだ。ただただ、もう疲れた。ここに『サード・サリファン』として送られた全てが、ようやくもう終わったのだ。だから少しだけ、放っておいて欲しいと思った。


「俺はしばらくここで休んでいるから、お前らは先に行け。後は、外の連中とスミラギがどうにかするだろ」

「でも、サリファン先輩――」


 サードは、言いかけたソーマに横目を向けて「頼むよ」と彼の台詞を遮った。


「俺、結構働いただろ? 疲れちゃったからさ、少しだけ休ませて欲しいんだよ」

「それなら、お前は勝手に休んでいろ。俺達も勝手にする」


 ロイがこちらに背を向けて、そばにドカリと腰を下ろした。レオンに目配せされたソーマが、心配そうにサードを見やってから「……外の人に知らせてきます」と言って、破壊されて扉も見当たらない屋上出入口から階下へと向かった。


 唯一の一年生であるソーマが、屋上から一旦離れた。けれど他のメンバーが動く様子はなく、エミルとユーリスも座りこんだままであるし、レオンも立ってそこにいるままだ。


 そういや、俺の話なんて聞く奴らじゃなかったな。


 もう勝手にしろ、と、サードは腹に手を当てたまま目を閉じた。ようやく何もかも終わってくれたのだと、遅れて実感と達成感が込み上げた吐息をこぼした。


 地上に出てから、そこにある『暮らし』と『常識』を覚えるのに苦労した。学園に入学してからは、慣れない環境もあって、苦労させられてばかりだった。そして悪魔退治では、『次期皇帝』と聖騎士の子孫たちのせいでスムーズにいかなかった。


 腹部の表面上の傷が閉じたのを感じた、サードは押さえていた手から力を抜いた。学園生活も、なんだか働いてばかりで苦労の連続だったな、と思う。


 けれど、まぁ悪い事ばかりではなかった。外の世界を少しだけ見て、触れ、それを目に焼きつける事が出来て、良かった。


「…………おい、聞こえてるか?」


 ふと、心地良い眠りを妨げられるように肩を揺すられた。


 サードは、嫌々ながら目を開けた。すると、座っているロイがこちらを覗き込んでいる顔があって、忌々しげに睨み付けた。


「……なんだよ。まだ死んでねぇよ。いちいち声を掛けるんじゃねぇ」

「いちおう訊いておいてやる。お前、将来『皇帝』になった俺に仕えたいと思っているか?」


 尋ねるロイの顔には、見た事もない爽やかな笑顔が浮かんでいた。かすり傷や煤や汗に汚れてていも、王子様然とした美貌は目に眩しく、どこか艶やかな色気すら感じさせるが、――何故か彼の目は笑っていない。


 それは、スミラギの絶対零度の目に似ていた。つまり自分は今、理由は分からないが、奴から圧力をかけられているのだろう。


 けれどサードは、フッと強がって不敵な笑みを返して見せた。


「くそくらえ」


 ここぞとばかりに、そう答えていた。もう自分は『サード・サリファン』を演じる必要がないのだ。今まで、ずっと言いたかった自分の言葉で口にする。


「生徒会長。言っておくが、俺はそんなものに魅力を感じた事はねぇし、誰かに仕えたいとも思わねぇよ。そもそも、お前らと関わるなんて全力でお断りだ。次の風紀委員長は『ちゃんとした奴』が選ばれるだろうから、本物の方でも誘ってやればいいだろ。――俺は、ここで退場だ」


 ようやく言い切ってやる事が出来て、サードは気分が良くなった。はじめから言いたい事を言える立場であったとしたのなら、他の生徒たちやレオンからの風当たりも強くはなかっただろう。


 ずっと我慢してきたそれを、ここでようやく口に出来て良かったと思う。ロイの機嫌が、にっこりと笑んだ顔に反して急降下したような気もしたが、サードは構うものかと不敵に笑い返して見せた。


 離れた場所に座っていたユーリスが、「サード君……」と呟いて顔を押さえた。エミルが笑い、レオンが苦虫を潰したような表情で舌打ちする。


 サードは満足して、再び目を閉じようとした。


 直後、何故か額を鷲掴みにされた。


 ギリギリと頭を締め付けられた。ひどい扱われようである。サードは「おいッ」と眠りを邪魔してきたロイを睨み付けた途端、黒く微笑む美貌の生徒会長を見てピキリと硬直した。その威圧感に怯んで、すぐに言葉が出てこなくなる。


「いいか。俺は、お前を諦めるつもりはないぞ。一年以上も前からずっと、お前を俺の部下にすると決めていたからな」

「は……?」

「だから、勝手に離れていくなんて事は、国が相手だろうと俺が許しはしない」


 許すも何も、俺はもう死ぬのに――


 サードは口を開きかけたが、頭をはたかれて言い返すタイミングを失った。この野郎、とこちらの顔を覗き込むロイを睨み上げると、彼の麗しいこめかみにクッキリと青筋が立つのが見えて「うっ」と声が詰まった。


「俺は優しいからな、今のお前が分からないアレやコレやを強制するつもりはない。だが、『退場』だけは認めん。――だから『風紀委員長』の座も、卒業するまでは他の誰でもない『お前のもの』だ」

「…………いや、だから俺、ソレも要らないんだけど……」


 サードは、諦め気味に言い返した。


 けれどロイは、勝手に断言して満足したのか、それとも怒りが爆発する前に言葉を切ったのか、どちらともつかない黒い笑みを深めて顔を離していった。


 その様子を見守っていたユーリスが、「諦めなよ、サード君」と苦笑して言った。


「俺としても、君以上に『風紀委員長』にぴったりな人もいないと思うよ。すごく根が真面目で、びっくりするくらい働き者だよね。ってことでよろしく、未来の同僚」

「誰が未来の同僚だ。ぶっ飛ばすぞ」


 間髪入れず言い返したら、エミルが「サリファン君、意外と元気だねぇ」と女の子みたいな可愛らし

笑い声を上げた。


 彼らは、まるで普段通りの様子だった。この状況を理解しているのだろうか、と錯覚してしまいそうになるくらいだ。


 それでも、上手く装っているだけなのだろう、とも分かっていた。彼らは嘘が上手なようでいて、こんな時に限って下手くそだ。


 会長のロイは普段みたいに「見事な白髪だな」とも言わず、レオンも冷ややかな喧嘩の言葉も売ってこなくて。ユーリスとエミルもどこか空元気で、彼らは思いつめた表情を隠すように視線をそらしてじっとしてしまう。

 

 最期を見届けるつもりなのだろう。


 そんな事しなくていいよ、と喉元まで言葉が込み上げた。いつもみたいに、こちらの事なんて考えず、何も知らずに、どこかで勝手に楽しく過ごしていればいい。


 一人にしてくれと、もう一度頼んでみようか。死ぬ時は、独りでいいのだ、と。


 そう思って腕を持ち上げようとしたサードは、身体にあまり力が入らない事に気付いた。身体の中がやけに静かだ。地下施設で、悪魔細胞を八十パーセント活性化した直後が、こんな感じであったと思い出す。


 望む未来はない。叶えたいと思っていた目的は成し遂げた。出来る事なら、生きている事を強く実感させられるような、あの強烈な痛みをもう一度手に入れて、その中で死んでいきたいと思うのは、贅沢な望みだろうか。


 もうあと少しもしないうちに、自分は死ぬのか、とサードは静かに思った。

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