29話 七章 嗤う悪魔と、最後の戦い(2)下

 互いに笑みのまま、急速に殺気が高まった。


 宿敵を認識するように赤い目が光った直後、悪魔が黒い剣を投げた。その瞬間、サードの中でカチリと音がして、思考回路が殺戮衝動へ塗り替わって戦闘モード一色になった。


 悪魔は爪を剥き出して動物的に襲いかかり、サードはその攻撃をかわしながらまずは左肩を抉った。その際に出来た隙を、魔が目敏く捉え、お返しとばかりに、反対側の手を伸ばして彼の左肩の肉を薄く削いだ。


 ふわり、と互いの髪と衣服が舞う。


 その一瞬の刹那、互いに舌舐めずりして獰猛な笑みを浮かべ合った。


 直後、超治癒再生が始まるまで待たず、両者共に飢えた獣のような怒涛の攻撃を開始していた。


 サードは悪魔から繰り出された蹴りを受けとめると、腹部に自身の膝をめりこませた。こちらの横面に向かってきた悪魔の右爪を、顔を僅かにそらして避け、目の前にきたその悪魔の右腕に食らいついて肉を噛み千切る。


 口の中に転がる甘くて苦い悪魔の血肉に、これまで抑え込んでいた欲求が満たされるのを覚えた。直後に両手で取っ組みあった時、悪魔が嗤って訊いてきた。


「美味いのかい?」


 クソまずいに決まってる。サードは、悪党じみた笑みを浮かべた。


 一秒でも遅れてを取った方が負ける。互いの爪と牙と拳でぶつかり合い、サードと悪魔の戦いは止まらなかった。


 吹き出した血が飛び散る中、動き続ける悪魔の身体は驚異的な速さで傷が癒えた。サードの身体は、半悪魔体としての限界を超えて、出血が多い個所はとくに集中して超治癒再生が働き、表面上の傷口を閉じる。


「なんて無茶苦茶な戦いなんだ……」


 手も足も出せず見守っていたユーリスが、呆けたように呟いた。


 サードと悪魔は、目をそらさないまま互いに一旦距離を置いた。着地と同時に、コンクリートを破壊するほどの力で再び突進し、激突して、爪と牙で互いの血肉を削ぎ合った。


 どれほど戦いに没頭していたのか分からない。ただひたすら、チャンスを待って攻撃を続けていた。


 悪魔が脇腹を切り裂いて、サードは悪魔の左腕を切断した。


 その時、悪魔が一瞬にして消えた腕へ目を向けて「おや」と楽しげに言った。ようやく出来た隙だ。サード身を屈めると、悪魔の両足を容赦なく切断していた。


 自分よりも背丈が低くなった悪魔を、背後から素早く拘束して羽交い絞めにした。その身体の正面をロイ達に向け、普通の人間であれば骨が砕けるほどの力で絞め上げる。


「見事だ」


 まるで超治癒再生を待つような悠長さで、悪魔が楽しげな顔をして笑う。種族として優位に立っているという自信がそうさせるのか、死への概念がないのか――。


 もしかしたら、後者が正解のような気もした。一番成功体に近いと言われた半悪魔体であるサードは、死ぬ事を恐れた経験がなかったからだ。


 後はお前らの役目だぞ、と、サードは素早く目配せした。


 ロイが両手で剣を構え、レオンとソーマがサポートに入るような陣形で、その左右から剣を構えて狙いを定めた。もしも悪魔が飛び出してしまった場合に備えて、エミルとユーリスが、後方で援護待機の構えに入った。


「これはこれは、意外な展開だ。面白いねぇ」


 そう傍観して呟く声を聞いて、サードは悪魔へ目を向けた。拘束しているその身体は、半分生きていないのではないだろうかと思ってしまうほど低温だ。


「――お前、余裕なんだな。あの剣は悪魔を殺せるんだろう?」

「ふふふ、そうだよ。あの剣は『悪魔』に、焼けるような苦しみと痛みを味あわせるのさ」


 サードは「他人事なんだな」と答えながら、ロイ達が駆け出して、こちらへと向かって来る様子へと目を戻した。念のため、悪魔を拘束する力を更に強める。


 そうか、苦しくて痛いのか。


 ふと、そんな独白が脳裏を掠めていった。思い返す限り、死ぬほどの痛みがどういうものであったのか、もう覚えていない。


 その時、ロイの剣が悪魔の心臓を深く突き刺さした。直後、レオンとソーマが悪魔の脇腹から剣を突き入れて、確実に仕留めるようにして悪魔の両肺を切断する。


 その剣先が、肩の肉を貫いてサードの顔の左右に突出した。余裕さえ感じる表情を変えないまま、悪魔が小さく咳込むような吐息をもらして、赤い唇の端から鮮やかな血を一筋こぼし落とす。


「この剣は、『神に見放されたモノ』を苦しめる――」


 悪魔が独り言のように言いながら、ゆっくりと肩越しに振り返り、サードを見て楽しげに目を細めた。


「――だというのに、どうして『お前にも剣が効いている』のだろうね? 今、『痛み』で、一瞬だけ拘束が緩んだよ?」


 お前だって、痛みで震えているじゃないか。


 そう言葉を返そうとしたサードは、すぐに声を出す事も出来なくて、結局は開きかけた唇をそのまま閉じた。痛覚が戻ったような、目の奥がチカチカとする久しいほどの激しい痛みに、静かにしている他に術がなかった。


 悪魔の心臓を貫いたロイの剣は、背後から拘束するサードの腹部も貫いていた。身を貫いたその剣は、超治癒再生を阻み、耐えがたい激痛となって五感を走り抜ける。


 心臓を貫かれた悪魔の方が、こちらとは比べ物にならないほどの強烈な苦痛を感じているはずだ。それなのに悪魔は、相変わらず呑気な笑顔を浮かべていた。


 悪魔の心音が弱まるのを感じながら、サードは拘束する力をもう一度だけ強めた。胃から込み上げた血が口の中に溜まって、とうとう唇から溢れ出すのを感じながら、ぼんやりと「痛いな」と思った。



「痛いなぁ」



 その時、悪魔が、どこか懐かしむようにそう呟いた。


 ふと、スミラギの「悪魔がもとは魔物だった」という話がサードの頭を過ぎっていった。どこでどう変異したのか分からない。でも悪魔にも、痛みが存在していた頃があったのではないだろうか?


 一言も発しないまま、レオンとソーマが確実に悪魔を殺すべく剣を抉り込んだ。正面から悪魔の心臓を貫くロイも、更に刃先を押し込むように力を入れてくる。


 腹を貫く剣が、更に熱を帯びたような気がした。これが聖なる力なのだろうか。そんな事を考えながら、サードが「こほっ」と小さく咳込んで血を吐き出したら、その声を拾った悪魔が、こちらへのんびりと目を向けてきた。


「『痛い』のかい、少年?」

「…………ああ、本当に『痛い』な」


 悪魔に答えるように、サードは声を絞り出してそう呟いた。


 久しく感じていなかった強烈なその痛みは、どこか新鮮でもあった。痛くて苦しくてたまらないはずなのに、ようやく自分が生きているような実感が込み上げた。


 胸の底から、途端に言葉にならない感情が溢れた。痛みに歪んだ左目から、苦しくて生理的な涙がこぼれ落ちる中、このまま死ねたのなら、さぞかしよく眠れるだろうにと思ってしまう。


 すると悪魔が、「ふふ」と笑みを含んだ声をもらした。


「そうか。お前は『半分同族』であったか。ああ、久しく楽しかったぞ。他の同族もなく、永(なが)らく独りで過ごしてきたが、とても、とても面白かった――」


 満足げな息を吐き出して、悪魔が目を閉じた。その心音が止まると共に、全ての機能が停止した肉体がボロボロと黒い灰となって崩れ出した。


 ロイが剣を引き抜き、レオンとソーマがそれに続いた。


 合図もなく剣を引き抜かれて、サードは思わずよろめいた。どうにか両足を踏みしめて転倒を回避し、腹にあいた穴をゆっくり手で押さえる。


 腹部を押さえた手が、あっという間に溢れた血で温かく濡れた。それを見たソーマが、剣を放り投げて泣きそうな顔で走り寄ってきた。


「サリファン先輩ッ、だ、だだだ大丈夫ですか?!」

「……お前、魔獣に吹っ飛ばされても……けほっ…………剣を手放さなかったってのに……。剣は大事な物だって、トム・サリファンが言ってたぜ」


 いや、そんな事が言いたいのではないのだ。よくやったなと、褒めるように彼の灰色の頭へと手を伸ばし掛け、――自分の手が、血に塗れていることに気付いてやめた。


 サードは目をそらした。お疲れ様、と言おうとして、開いた口からこぼれたのは「疲れた」という吐息混じりの本音だった。けれど、いつものように言葉を茶化してくる人間はいなかった。


「よくやった」


 ロイが笑いもせず、低い声で全員に向かってそう言った。それでも、しばらく誰もが答える言葉が思い付かない様子で、視線をそらして黙っていた。


 その沈黙を数秒ほど聞いていたエミルとユーリスが、「みんな、お疲れ様!」と無理やり明るい声を出して、場の空気を変えるように動き始めた。

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